3-3.光明



 ――八時間後。


 何事も無く今日という日が終わってしまった。

 あれからすぐに思いついた作戦を決行するも、あえなく失敗。

 体全体が動かないのだから口を動かすしかないというシンプルな作戦で、縣白になんとか交渉を挑んでみたのだが、ヤツは全く聞く耳を持たなかった。

 そもそも人間を監禁するのは初めてじゃないという話だったし、今まで監禁されてきた人たちも様々な手段で脱出を試みただろう。その全てを躱してきたヤツに、僕の付け焼刃の交渉なんて効くはずもなかった。

 でも諦めるわけにはいかない。

 何か手を考えなければ、僕はここで終わりだ。

 とにかく僕に出来る事を――考えるんだ。



 ――二日目。


 何も思い浮かばなかった。

 そもそも全く動けない状態だ。唯一動かせる口も、直ぐに漏斗で塞がれてしまってまともに会話も出来ない。

 でも、それでも諦めるわけにはいかない。とにかく今日は一日中、少しでも拘束が緩まないか体のあちこちを動かしてみた。

 もしかしたら拘束が緩んで少しでも自由になれるかもしれない。

 そんな淡い期待を込めての行為だったけど、拘束が緩む気配は全くなかった。

 それより毎回流し込まれる「食事」が気持ち悪くて仕方がない。

 吐き出したりしたらまた殴られるから我慢して飲み込んでいるけど、なんだが生暖かいし若干酸っぱいしドロドロだし、汚物でも流し込まれてるんじゃないかという気分にさせられる。

 ――う。想像したら気持ち悪くなってきた。なんだか眠くなってきたし、今の思考は忘れて寝る事にしよう。



 ――三日目。


 体中が痛い。

 椅子に拘束なんてされているからだろうか。

 体のあちこちが痒い。

 痒くなっても掻くことなんて出来やない。

 痛いし痒いし気持ち悪い。

 「食事」の時に文句を言ってみた。

 すると、ホースの様な物を持ってきて体中に水を浴びせられた。

 まるで車でも洗うみたいに。

 水をかけた後は横から強い風が吹いてきた。

 乾燥させるのだと言う。音から察するに、どうやら僕の右側に巨大な扇風機が備え付けられているみたいだ。

 でも、おかげで痒いのは何とかなった。

 痛いのは何とかしてくれないみたいだけど。

 アイツが居なくなってからは、なんとか拘束を緩めようと暴れまくる。

 塵も積もればってヤツだ。少しずつ拘束が緩んでることを祈って。



 ――四日目。  


 朝の食事の時間に、いきなり殴られた。

 体中が痛いので全く気が付かなかったけど、僕の手首や足首など、数か所に傷が出来て血が流れていたらしい。

 化膿したらどうするんだ、と言われ、乱暴に消毒薬をかけられた。

 なんだか母親みたいなことを言うんだな。心配でもしてくれているのだろうか。

 三日も経てばアイツの顔にも慣れて、なんとなく家族みたいな気持ちになってきた。

 もしかしたらアイツもそういう気持ちなのかもしれない。

 それも悪くないんじゃないかと、ちょっとだけ思った。



 ――十日目。


 いい加減この体勢も慣れてきた。

 あれから暴れるのも控えていたから、体も痛くなりにくくなっているんだと思う。

 食事にも慣れてきた。

 最近ではあれが美味しく感じてきたくらいだ。

 動けないけど、三食ちゃんと与えてくれるなら。

 やっぱりこれも悪くないんじゃないかな。



 ――十四日目。


 最終段階に入る。と言われた。

 なんだろう、と思っていたら口に長くて太いチューブを挿しこまれた。

 そのチューブは上に向かって伸びている。

 今日から食事はここから採れ、と言われた。

 上階にチューブが繋がっていて、そこに常に食事をストックしておいてくれるらしい。

 このチューブをストローの様に吸い込めば、上から食事が流れてくる仕組みだそうだ。

 なんだろう、面倒になったのかな。

 それは少し嫌だな。

 縣白さんに会えなくなるなんて、嫌だな。



 ――十五日目。


 怖い。

 怖い怖い怖い怖い怖い怖い。

 暗い。暗い暗い何も見えない。

 今までもそうだったけど食事の時間にすら光を見れないのがこんなにツラいなんて。

 寂しい。誰かと話したい。縣白さんと話がしたい。

 思い切り叫んでみた。せめて話をさせてくれ、と。

 何も反応が無かった。

 もしかして本当は上には誰も居なくて。

 実は僕はここに置いて行かれたんじゃないだろうか。

 せめて口だけでも寂しくならない様に。

 僕は食事だけはしっかり採り続けた



 ――二十日目。


 きょうもなにもなかった。

 なにもみえない、きこえない。

 なにもない――なにも。

 しにたくないから、たべる。それだけ。



 ――さんじゅうにちめくらい。


 …………。

 ………………。

 ……たべる。



 ――なんにちめだろう。


 ……。

 ……。

 ……。



 ――あるひ。


 おと。

 ひかり。

 ひと。

 こえ。

 …………。



 …………………………






 意識が戻った時、僕はベッドに寝かされていた。

 随分前から寝かされていた気がしたけど、それがベッドだと認識するのにかなり時間がかかった。

 目の前に人が居て、何か話しかけられているのにも、気が付く事が出来なかった。

 今、ようやく認識できた。せめて何か言わなくては。


「……ぁぅ」


 それが絞り出せた唯一の声だった。それでも、目の前の人はとても喜んでいた。


「喋った! 喋ったよな今!? なぁ、もう一回喋ってみてくれ! ゆっくりでいいから!」


 聞こえた声が、聞き慣れない物だという事はすぐに分かった。

 でも、なんだか視界もぼんやりしてて、目の前の人を認識することが出来なかった。

 それでもなんとか声にならない声を上げる。


「……ぅ……ぁぇ……」


「――っ! 本当に喋ってるじゃないか!良かった、良かった……」


 なぜこの人はこんなに喜んでいるのだろう。なぜ僕は声が出ないんだろう。

 その答えも激しい頭痛と共に考えられなくなる。

 頭痛と倦怠感に襲われて、僕はそのまま眠りについた。


  ……


 再び目が覚めても、その人は僕の傍にいた。

 今は汗を拭いてくれているみたいだ。

 僕はその人の喜んでいる声が聞きたくて、また声を絞りだした。


「……ぉ……ぁぉぅ」


「ん? 目が覚めたみたいだな。昨日よりもう少し喋れるようになったか? 体は動かせるか?」


 動かせない筈は無いだろ。

 そう思って体を動かそうとしてみるが、指先がどうにか動いたくらいで、他は全く動かせる気配もなかった。


「指が、動いたな。よし、その調子だ。疲れたらやめていいから、なんとか動く部分を動かし続けてくれ。声も聞かせてほしい」


「……ゎぁっ……ぁ」


「……うん、そんな感じだ。ありがとう」


 優しい声で話しかけられる。なんとなく、この人の言う事は聞いた方がいいと理解も出来た。でもすぐに疲れてしまって、僕は再び寝てしまった。


 ……


「意識を失っても飲み物は飲んでくれるんだよな……」


 その不思議そうな声と共に、僕は再び目を覚ました。


「……ぁに、が?」


 昨日よりも声が出た。というか、凄く喉の調子が良かった。

 その人の顔が明るくなる。喜んでくれているみたいだ。


「凄いじゃないか! 昨日よりも声が出てる! もっと話せるか? ああ、無理はしなくていいぞ?」


 無理はしなくていい、と言われてもう少し頑張りたくなった。


「……そ、んなに……ゲホッ! ゲホゲホゲホッ!」


 咳き込んでしまった。まだ完全では無いらしい。それでもその人は喜んでくれる。


「うん、大丈夫だ。ありがとう。今日も指を動かしてみよう。可能なら他の所も」


 言われるがままに指を動かす。

 やはり昨日よりも大きく動かすことが出来た。

 頭痛も少し止んできて、視界も少しハッキリしてきてる。

 そこまで来てようやく僕は、その人が女の人だという事に気が付いた。

 そういう事なら少し格好つけたくなるのが男心だ。

 僕は疲れるのもお構いなしに指を動かした。


「うん、昨日より意識が保ってるな。そのままでいいから聞いてくれ。キミは今、どういう状況なのか理解できてるか? イエスなら親指。ノーなら人差し指を動かしてくれ」


 人差し指を動かす。事実、全く理解できていない。


「そうか。ならどこから話したものか……」


 その人が悩み始めてしまったので、僕は僕で指の運動を続けた。

 しばらくすると結論が出た様で、その人は人差し指を立てて話し始める。


「――よし、こうしよう。まずお前は今、とある事情でまともに体が動かなくなっている。そこから話を始めようか」


「……ぉまえ……?」


 さっきまで「キミ」って呼ばれてた気がするんだけど。

 声のトーンも、さっきまでの優しい感じが無くなってるし。


「はっ! やべ、素が出ちまった……。ま、いっか。もう意識もハッキリしてるみたいだし、大して気にしないよな。ていうか男なら気にすんな。いいな?」


 なぜか凄まれてしまった。頑張って声を出してつっこんでみたのに。無念。


「話を戻すぞ? とにかくお前はまともに体が動かない。それは実感してるはずだ。その状態のお前を、アタシがつきっきりで看病してたわけだ。感謝しろよ?」


 物凄い自慢げに言ってくるが、それは置いておこう。

 つまり僕は目の前の女性に助けられている最中なわけだ。これはありがたい。

 でも、とある事情ってなんだろう。考えようとすると、また、頭痛が――


「ぃ……た……」


「いた? 痛いのか? どこが痛い?」


 乱暴な口調でもまだ心配はしてくれている。ありがたい。


「ぁ、たまッ! ゲホ、ゲホゲホッ!」


「ああ、わりい! 無理に喋んなって! 頭だな? 頭痛、頭痛……っと」


 僕の症状を聞いて、その人は何か考えこんでしまった。

 下を向いて慌ただしく手を動かしている。

 ……動かしている?

 良く耳を澄ませるとペラペラ紙を捲る音が聞こえてきた。

 ああ、そうか。本で調べ物をしてるのか。

 なんにせよそこまでして僕の面倒を見てくれているのは本当にありがたい。


「えっと、これかな? ああ、そういうことか。多分、お前は今余計な事は考えない方がいい。考えると頭痛がするはずだ」


 言われてみれば、そうだ。何かを思い出そうとすると頭痛がする。


「今はとにかく、体を動かす事。出来る限り声も出す事。それに専念するんだ、いいな?」


 親指を動かしてイエスをアピールする。声はなかなか急に出せそうもない。

 僕はそれから、その人に応援されながら、動く限り体を動かし続けた。

 そして疲れたらまた眠る。目が覚めたら発声と運動、その繰り返し。

 そんな日々が何日か続いて、僕の体は徐々に回復していった。

 その間、その人は決して僕に厳しくしたりはせず、色々な話もしてくれた。


「アタシの名前は暮奈くれな明梨あかりってんだ」



「この髪か? 生まれつき赤みがかってる。学生時代は苦労したぜ。まぁ、アタシは赤が好きだから、嫌だとかは思った事ねぇけどな」



「アタシはここから少し離れたところから来たんだ」

 


「ちなみに、警察官なんだぜ? 変なことしたらしょっ引ぃちまうぞ? なんてな」



「この町には、ある犯罪者の手がかりを追って来たんだ」



「そいつはどうしたかって? もう捕まえたよ。安心しろ」



「凶悪な犯罪者だったんだ。捕まえられてよかった」



「初めてお前を見たときはビックリしたぜ。意識があるのに全く話さないし動かない。必死に医療関係の本を漁って症状を探したりしてな。ネットがあれば早いんだろうが、今は使えないしな」



「でも、お前が言葉を話したときは本当に嬉しかった。ずーっと、意識の無い相手の看病なんて心が折れそうだったぜ。まるで、人形みたいな――」


「――にんぎょう?」


 その話を聞いて、僕は思い出す。

 失言だったようで、暮奈さんは罰の悪い顔をしていたけど、おかげで思い出せた。

 全部、思い出した。アイツの顔も、名前も、何をされたのかも。

 僕が意識を取り戻してから――もう一か月が経過していた。



 …………



「よく頑張ったな。ここまで動けるようになるなんて、正直思わなかったぜ」


「はぁ、はぁ……。ありがとうございます。暮奈さんのお蔭です」


 それから更に二か月が経過した。

 僕の意識も声も完全に戻って、体も暮奈さんの指導の下、腕立てまで出来るようになっていた。


「敬語やめろっつっただろうが。次言ったら殴る」


「だって年上じゃないですか――痛っ!」


 容赦なく殴られた。僕が体を動かせるようになってから、本当にこの人は容赦がない。


「一つ、女に年齢の話をするな。二つ、アタシに敬語を使うな。何度も言ってんのに聞かねぇんだから体に教えるしかないだ、ろっ!」


「痛っ! わ、わかったよ暮奈さん。蹴るのもやめて!」


 痛いと言っても、本気で蹴られたわけじゃない。あの縣白の「指導」とは違う、ただのおふざけだ。

 僕をからかう様にひとしきり笑った後、暮奈さんは思いついたように切り出した。


「まぁなんにせよ、こんなやり取りができるくらい回復したんだ。そろそろお前の事も教えてくれよ」


「僕の事? 縣白の奴に囚われてたのはもう話したと思うけど……っていうか、そこから助けてくれたのが暮奈さんでしょ?」


「あー、そうじゃねぇよ。もっと根本的な話だ」


 根本的って、何の話だろう?

 回復した後、旅の事も含めて全部暮奈さんには話したはずだ。

 僕が分からずにうんうん唸ってると、暮奈さんは呆れたようにため息をついた。


「はぁ……お前、マジかよ。しょうがねぇから教えてやる。人に名前を聞くときは自分から名乗る、そして名乗られたら名乗り返す。これ、常識だからな」


「……あ」


 そういえば、そうだった。僕は一方的に暮奈さんの名前を知っている。

 普通に考えたら、それってフェアじゃないよな。

 というか僕は今まで、出会った人にまともに名乗っていなかった気がする。

 仕方がないだろう。まともに友達も居なかったんだし、学校では名前なんて勝手に知れ渡ってる物だし。

 というわけで、皆さんお立合い。

 記念すべき僕の初・自己紹介でございます。


黒井くろい)あきら。改めてよろしくお願い、します」


「冴えねー名前。あと敬語やめろ」


「痛っ! 今のはしょうがないでしょ! あと辛辣過ぎない!?」


 ちゃんとしたくて思わず出た敬語に再び蹴られながら、僕たちはこれでようやく「知り合い」になる事が出来た。


 ――これが、僕にとっての一番大切な出会いだ。

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