3-2.人形遣い


 男の名前は縣白かたしろ小則このりというらしい。白髪で黒縁眼鏡、もし白衣を着てたら学者か医者にしか見えない出で立ちだ。僕はその縣白さんの家に招待されていた。

 彼は初めて生き残りに会うらしく、少し興奮した様子で色々な事を質問された。

 どこから来たのか、どうやってここまで来たのか。他の町も同じ様子なのか、他にも生き残りが居るのか――等々。

 僕はその勢いにちょっと気圧されながらも、自分の知っている事を正直に話した。


「――つまり、君は今までに三人の生き残りに出会っているわけだ」


 慣れた手つきで淹れた紅茶を運びながら、縣白さんは僕の話を整理した。


「三人目の浮浪者はともかく、少なくとも二人の共通点は『破滅』を願った張本人だという事。それは君も同じだと。それで間違いないかな?」


 どう見ても年上なので、慣れない敬語でそれに応じる。


「は、はい。僕の見解としては、その『最悪の願い』を叶える何かの存在を考えています。有り体に言えば――悪魔、の様な」


「興味深い意見だね」


 彼は自分の分の紅茶を啜りながら、手振りで僕に紅茶を飲むように勧めてくれた。

 一挙手一投足がいちいち大人っぽくて困る。なんとなく引け目を感じるからだ。

 僕は小さく「いただきます」と言ってから紅茶を一口飲んだ。

 それを見届けてから、縣白さんは話を続けた。


「――しかし、私の意見は全く違うんだ。君の話を含めて考えると、改めてそうとしか思えなくなった」


「……? どういう事です?」


「『皆死ねばいい』と言う願いは、果たして動物や虫にまで及ぶのだろうか? 私の見た限り、野良犬や野良猫、カラスに至るまで動物も居なくなっている。家の中でハエの一匹すら遭遇しなかったくらいだ」


「あ、確かに……」


 僕の見た限りでもそうだ。最初に二か月過ごした家の中には、小バエの一匹も出なかった。旅の道中も、鳥の鳴き声すら聞こえなかった。

 僕らは別に動物や虫が居なくなって欲しいと思っていたわけではない。僕らの願いが原因なら、動物や虫まで居なくなる理由が無いって事か。


「いや、原因はおそらくそれで間違いないだろう。違うのは――過程の方だ」


「過程?」


「ああ。これだけ風景が一変したんだ、ここが元の世界だと考える方が無理が無いか?」


「……? どういう事ですか?」


「漫画などで聞いた事はあるだろう。おそらくここは平行世界――パラレルワールドの類では無いか、と言う話だ。人類どころか、植物以外の生命が根絶した世界。そういう可能性の話だ」


「あ――」


 なるほど。その可能性は考えていなかった。

 つまり、僕らの様に破滅を願った人間が、まとめて「破滅した世界」に飛ばされたと言う可能性。そうなると今まで見たものの意味も変わってくるかもしれない。

 少女も白亜さんも、跡形も無く消えたのは再び別の世界に飛ばされたから――とか。

 いや、でもそうなるとおかしい事がある。そういえばアレについて、まだ縣白さんに聞いていなかった。


「……縣白さん。そうなると、ますます不可解な物があるんです」


「ほう、何かな?」


「さっき僕に覆いかぶさってきた死体。あれ、結局何だったんですか? あの死体は腐ってたり、傷ついていたり――その、死体っぽさが無かったんです。喩えるなら、人形、みたいな……」


 死体とはいえ元は生きていた人間だ。人形だなんていう事に少し躊躇を覚えながら、僕は感じた違和感をそのまま口に出した。


「さて、なんなんだろうね?」


「……え?」


 そんな馬鹿な。さっきは何か知っている様子だった。「アレは動いたりしない」と断言していた。何も知らないわけがない。


「いや、すまない。言い方が悪かったな。一から説明しよう」


 そう言って縣白さんは、一旦席を立って紙とペンを持ってきた。スラスラと字を描きながら話を整理してくれる。


「君が最初に目撃した『滅亡の日』は、四月十日だったね。私も目撃したのは全く同じ日だ。原因にも心当たりがある。前日の、やはり夕方頃の話だ。少々理不尽な目に合ってね。破れかぶれで思ってもいない事を口にしてしまったんだよ。今でも後悔している」


 やっぱり、そこはこの人も同じなんだ。理不尽な目っていうのが何かについては、詳しく話したくないのだろうから触れないでおいた。


「そしてそのまま私は逃げ出した。とにかくこの町に居たくなかったんだ。車で行けるだけ遠くまで行った。日も落ちて仕方なく人気の無い所で一晩明かしたのだが、翌日には誰も居なくなっていた」


「人気の無い所で一晩明かしたなら、すぐには気が付かなかったんじゃないですか?」


「その通り。当時はとにかく茫然自失といった心境だったからね。適当に車を走らせて、やけに植物だらけで走りにくいな、と思ってからようやくどこにも人間が居ないことに気が付いたんだ。それから、周囲の状況を確認した。街のある方向に車を走らせ、たまたま何かのイベントで人払いをしている可能性は無いか、隣の町はどうなっているか」


「僕も、最初は走り回って確認しました」


「そうだね。君と違うのは私には車があった事だ。とにかく思いつく限り色々な所に行ったよ。だが、全て無駄だった。誰も居ないという結論しか出なかった。そこで僕は、まずは自分の家に戻る事にしたんだ。誰も居ないなら、もう何も気にする必要はないからね。そして、この町に入った途端、あの死体を目撃したんだ」


「他の町には……、居なかったんですよね?」


「そう、この町だけだ。それも何体か同じような死体が存在した。一応生体反応は確認したよ。脈拍も呼吸も無し。間違いなく死体だった」


 なんだか頭がぼーっとしてきた。死体に覆いかぶさられた経験を、頭が思い出さない様にしているのかもしれない。


「じゃあ……、つまり……その」


「ああ、死体である事は確認した。だから動く筈が無いと断言できる。私がこの町に居ない間にああなっていたから、詳しい事は何も分からないんだ。別に私は医者とかではないから、積極的に死体にも触りたくなかったしね」


「でも、それなら……その、カレー、は……」


 疲れが出たのだろうか。なんだか頭に霞がかかっているみたいだ。なぜだろう。上手く、考えられない。


「ああ、そうだね。確かにカレーライスを持っていた。まるで食事をしているかのようだった」


「だから…………、えっと……」


 ダメだ、何も考えられない。なんだろう、ねむ、い。


「……そろそろ限界の様だね。ゆっくり休みなさい。起きた頃には――」


 縣白さんのその言葉を最後に、僕の意識はぷつりと途切れた。



  …………



 目が覚めると、見たことも無い部屋に居た。

 石造りの四角い空間にあるのは、ランタンの灯りのみ。というか、暗すぎて他の物を確認する術が無かった。


「……なんで」


 ――なんで僕の体は、椅子の様なものに固定されているのだろうか。


「なんだよ、これ」


 力を入れて振りほどこうとしてみても、鎖のガチャガチャした音が鳴るだけ。手錠か何かで繋がれているみたいだ。

 比喩じゃなく、本当に全身が動かない。頭も何かで固定されていて、首を動かすことも出来なかった。

 明らかに、人為的なものだ。意識を失った後、ここに繋がれたとしか思えない。

 なら、犯人は――まさか。


「ようやくお目覚めかい?」


 石造りの部屋の中に、記憶の中ではついさっきまで聞いていた声が響く。

 声の主はゆっくりと近づいてきて、僕の目の前に姿を現した。


「……縣白、さん」


「やあ。相当に疲れていたのだろうね。いくら睡眠薬を飲んだからと言って、十時間もぐっすり眠るなんて思わなかったよ」


 何を、言っているのだろうか。睡眠薬? なんでそんなものを?


「驚きのあまり声も出ないかい? まぁ、最初は皆そんなものだよ。稀に私に噛み付こうとする者もいるがね。そのために頭も拘束しているんだ」


 わからない。皆そんなものって? 誰の事を言っているんだ?


「ああ、どうやら頭が理解を拒絶している様子だね。では改めて自己紹介をしておこうか。私の名前は縣白小則。警察は私の事を『人形遣い』というコードネームで呼んでいるらしい。ちなみに、全国指名手配犯だ」


「……じゃあ、つまり」


「そう、この度わざわざ出向いてくれた獲物に親切に接して、睡眠薬入りの紅茶を飲ませ、その拘束具に繋いだのも私だ。理解が追いついたかな?」


 ああ――つまり、僕は。

 もう、助からないって事か。


「おや、理解しても反抗的な態度を取らないのは珍しいね。観念したのかい?」


 縣白さんは――いや、さん付けなんて要らないだろう。

 縣白小則は、何が面白いのかニヤニヤしながら訪ねてきた。さっきまでの優しい笑顔は喪失し、代わりにその顔には気持ちの悪い犯罪者の笑顔が張り付いている。


「ここまでガチガチに拘束されたら反抗のしようも無いじゃないか」


 敬語を使うのもやめる。こいつは見下げ果てたクズだ。こんな人間に使う敬語なんてない。


「と言いつつタメ口になったね? 些細な抵抗と言うわけだ。いいよその反応! そんな態度がとれるのは今の内だけだ。せいぜい楽しんでくれたまえ」


 縣白は、心底楽しそうに笑い転げた。なんなんだこいつは。何が楽しいのか全くわからない。


「つまり、さっきの話は嘘だったって事だよね?」


「さっきと言っても十時間前だけれどね。いや、その点に関しては私は嘘は一つも言っていない。君が勘の鋭い子なら、下手に嘘をつくとバレてしまう恐れがあるからね。僕は理不尽な目に合って破滅を望んだし、後悔もしている。内容をぼかしただけさ」


「……どういう事?」


 何となく理解は追いついてきた。でも本人の口から事実を確認したくて、話を促した。


「理不尽な出来事について、その内容だよ。ある日突然僕の自慢のたちが脱走してしまってね。あんなに可愛がっていたのに警察に通報までしやがったんだ。その時は心の底から叫んだよ。『もう人間なんてうんざりだ! 本物の人形だけでいい!』とね。よく考えたら人間が居なければ新しい人形も作れないのに、本当に馬鹿な事を願ったものだよ」


 狂ってる……。

 こいつは多分、こんな風に何人も監禁してきたのだろう。それを人形と呼んで、弄んでたんだ。

 そういえば思い当たる節もある。人形と言えばあの死体だ。まるで人形みたいに綺麗な死体。あれはまさか――


「そうだよ。あの死体をあそこに置いたのも、カレーライスを持たせたのも私だ。なぜ死体があんなに綺麗になっていたのは本当に分からないけどね。本物の人形みたいだから、ちょっと遊んでみたんだ。題名は『ちょっとした刺激を求めるサラリーマンの日常』ってところかな。ははははは! 二重の意味で傑作だ!」


 笑えない。僕も死んだらあんな風に遊ばれるのだろうか。考えたくもない。


「でもやっぱり物足りないんだよ。わかるかい? やはり、人形は一から作ってこそ愛着が沸くんだ。いくら綺麗でも誰が作ったかも分からないけど人形を相手にする毎日は本当に退屈だった。そんな時! 君がこの町にやってきた! 運命だと思ったよ。この少年を人形にしろと、神が与えてくれたに違いない、と! そして君はあっさり私に捕まってくれた。ああ、本当に嬉しかったよ。私のために遥々やってきてくれてありがとう!」


 そこまで言って満足したのか、縣白は僕から一旦少し離れた。そして、なにかを手に持って戻って来る。


「さて、とりあえず食事の時間だ。死んでもらっては困るからね」


 そう言って手に持った大きな漏斗を僕の口に差し込んだ。漏斗は先端が垂直に曲がっており、ちょうど口に差したときに上を向く様になっていた。


「むっ!? な、なにを――」


 何をされるか、なんとなく理解できていた。だけど、反応が遅れた。その結果、漏斗に流し込まれた流動的な何かに驚いて、その場に吐き出してしまった。


「ヴぉえッ! ……ゲホッ! ゲホッ!」


「おやおや、いけない子だ。何も変なものを入れたわけじゃないよ。食事だと言っただろう? 特性の流動食さ。毒でもなんでもないのにまったく……」


 バチン、と。平手で一発殴られる。痛い。吐き出したことに対する罰のつもりなのだろうか。


「そ、そんな怪しい物食えるわけが――むぐっ!」


 流し込まれたものと一緒に吐き出してしまった漏斗を、再び口に突っ込まれる。そして、すぐにまた同じものを流し込まれた。


「んっ……ごほっ!」


 しかし、そんな物をいきなり受け付けられるはずも無く、僕はまた漏斗ごと吐き出してしまった。


「……掃除をする方の身にもなってもらいたいねぇ」


 一言呟いてから、また一発殴られる。さっきよりもかなり強かった。確認できないけど、頬が腫れているかもしれない。

 そして直ぐに縣白は漏斗を拾い、僕の口に突っ込む。そして、再び流し込む。

 ――飲まなきゃ叩かれ続ける。それを理解した僕は、ようやく覚悟を決めて流し込まれた物を飲み込んだ。

 大して味もしないし、どうにも喉を通る感触が気持ち悪い。


「うんうん、それでいいんだ。これから一日三回、こうして食事を与える。用を足したくなったらそのまましても大丈夫だ。下は脱がせてあるし、その拘束台の下は便槽になっているから、そのまま処理できる。人形を何体も持つとトイレ事情が面倒でね。特注で作ったんだ」


 さっきから下半身がスースーすると思ったら、どうやら服は脱がれているらしい。しかも、感触でわかるが、便座の様に穴が開いた椅子に座らされていた。

 そして縣白は僕の口から漏斗を抜き、背を向けて歩き出す。

 それから目の前にあったランタンを手に取り、言った。


「この灯りが消えればここは完全に暗闇になる。人間と言うのは完全に光の差さない空間に長時間いると発狂し、心が壊れるんだ。そこまで行けば、ようやく君は僕の人形になれる」


 そう言ってランタンを持ったまま歩き出そうとする。冗談じゃない。


「待てって! ここまでやって放置だなんて、意味が解らない! アンタは何のために――」


「趣味だよ。理解して貰おうとは思わない。じゃあね」


 僕の言葉を強制的に遮り、そのまま視界の外に消えてしまった。靴の音から察するに、階段を上って行ったみたいだ。

 という事は、ここは地下って事か。そんな事解ったところでどうしようもないけど、とにかく絶望的な状況な事だけは分かる。

 ただでさえこんな世界では助けが来る希望なんてない。なのに、表面上は善人ぶってるアイツの正体を看破してくれる生き残りが都合良く現れるなんて、さらに確率が低い。

 この状況で僕が出来るとしたら、考える事だけだ。なんとか、ここを自力で脱出する手段を考えるんだ。

 そう決意して、僕は必死に頭を回転させ続けた。

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