3-1.新しい町


 ――ハロー、ワールド。本日は晴天なり。今日話すのは、僕にとって大切な出会いの話。世界が滅んでから大切じゃない出会いなんて無かったけど、この出会いには今でも感謝している。燃える炎の様なあの人の事を話すのには、付随して少し嫌な思い出も話さなきゃいけなくなるけど、そこは頑張って話そう。それでは、今日の物語のはじまり、はじまり――



  …………



 丑屋さんに背中を押されてから、もう一か月近く経った。

 さすがにそう簡単に生き残りには出会えずに、もうどれだけ歩いたかもよく分かっていない。

 地図を見ながら歩いてもやっぱり巨大な植物のせいでどこにいるのか分からなくなるので、途中からはいちいち確認するのもやめた。

 それでもまだ、僕の決意は揺らいでいなかった。

 二人の死を無駄にしない事だけを考えて、歩き続けている。


 これだけ経つと旅にも慣れてきたけど、いい加減保存食の味には飽きてきた。同じような物ばかりだし。

 それでも腐ってるかもしれない食べ物を食べる訳にもいかないので、どうしても保存食ばかりになってしまうわけだ。

 せめて火にかけてみたり、色々な調味料を試してみたりはしたけど、僕みたいな料理初心者に出来ることなんてほとんど無かった。というか、不味い物しか出来なかった。

 あ、でもサバの味噌煮にマヨネーズが合うのは大発見だったな。三回くらいで飽きたちゃったけど。そもそもマヨネーズがいつまで保存が効くかも怪しいところだ。


 食料問題はそれだけじゃない。缶詰ばかり食べていると、どうしても主食が欲しくなってしまうのだ。

 パックで売っている(店員が居ないので売ってはいない)ご飯は、温めないと食べられたもんじゃない。電子レンジなんて使えないし、一度お湯で温めようとしたら失敗してパックが融けてしまった。

 パンなんかは腐ってたら困るし、たまに見かける災害時用のご飯くらいしか炭水化物が手に入らなかった。しかもあんまり美味しくない。


 そんなわけでその日も食事を採りながらうわ言の様に「お米が食べたい……」と呟いていた僕の鼻腔に、突如香ばしい香りが漂ってきた。


「気のせい……じゃない? これは……あったかいご飯の、カレーの匂い……?」


 ほぼ草と花の香りしかしないこの状況で、それ以外の匂いが漂ってくるという事は考えられる可能性はただ一つ。人が居るって事だ。

 僕は匂いを辿ってゾンビの様にフラフラと歩きだした。生き残りを見つけるために。決してご飯の匂いに釣られているわけじゃくて、あくまで生き残りを見つけるために。


 ……


 匂いを辿って行くと、不意に坂道が多くなって来た。一応周囲に家はあるので、山というわけではなく、斜面に沿って作られた町らしい。

 足を取られそうになりながら進んでいくと、遠くに見える塀の上に人影の様なものを 発見した。


「人、だよな? まだ距離があるけど、近づく前に声をかけておいた方がいいかな。……おーいっ!」


 少し迷ったけど、いきなり少女に逃げられた前例もあるので、手を振りながら大声で呼びかけてみた。

 ――返事は無い。聞こえていないのかもしれないな。

 近づいていくと少しずつ輪郭がハッキリ見えてくる。やっぱりあれは人だ。塀の上に座っているみたいだ。

 こっちを向いているし、そろそろ向こうにも僕の姿が見えただろう。もう一度呼びかけてみる事にした。


「もしもーし! 聞こえますかー!?」


 またしても返事は無かった。

 おかしいな。聞こえない距離では無いと思うんだけど。

 もしかしたらあの人は驚いて咄嗟に返事が出来ないのかもしれない。そう思った僕は急ぎ足で近づいて行った。

 下り坂な上に木の根が張っているので何度も転びそうになったけど、なんとかその人の前に辿りつき、息を切らしながら三度話しかけた。


「はぁ、はぁ……。すみません、驚かせてしまったみたい――っで!?」


 息を整え、なるべく警戒されない様に笑顔で話しかけた僕の目に、信じられない物が飛び込んできた。

 二十代半ばくらいだろうか。乱れて皺だらけになったスーツを着た、サラリーマン風の男性が塀の上に座ってこちらを見下ろしていた。

 昼食中だったのだろう。まだ湯気が立っているカレーライスを膝に乗せて、スプーンを突き立てている。

 焦点の合わない目は大きく見開いたままテープで固定されていて、口はだらしなく開けっ放しになっていた。

 ――その男はどうみても、死んでいた。


「う、うわああああああっ!」


 僕は驚いてその場に尻もちをついた。

 目の前の光景が信じられなくて、動けなくなってしまった。


「な、なんで……」


 弱弱しく漠然とした疑問を口にする。頭の中はグチャグチャで、色々な考えが浮かんで通り過ぎる。

 だって、おかしい。

 今まで死体なんて一人も見ていない。少女も白亜さんも跡形も無く消えた。歩いている途中も死体は居なかったし、腐ったような臭いを嗅いだことも無い。


 そうだ、それもおかしい。この死体は何で腐ったりしていないんだ。髪はボサボサで清潔感なんて皆無なのに、顔はまるで生きているかのように綺麗だ。

 ――じゃあ最近死んだのか?

 それもおかしい。ならなんでカレーライスから湯気が立っているんだ。いい匂いがするんだ。そもそもなんで瞼がテープで固定されてるんだ。なんでこんな体勢で座っていて、塀から落ちないんだ。なんで、なんで、なんで。


 何も理解できなかった。理解したくなかった。

 そもそも今まで死体が無かった方がおかしいんじゃないか?

 なんで死体が無いなんて思っていた?

 人が居なくなっているんだ。それも大量に。

 なら、死体なんてそこかしこにあって当然だった。

 僕には覚悟が足りてなかった。死体を見つける、つまり人の死と直面する――覚悟が。

 恐怖で顔をグチャグチャにしながらそれでもまだその場から動けずにいると――ふいに死体が、少しだけ動いた。


「――はぇ?」


 わけが解らずに間抜けな声を上げた僕だったが、そんな暇があるならすぐにでも逃げ出すべきだった。

 その死体は僕の方に体を傾け――塀の上から降ってきた。

 ガシャン、と大きな音を立ててカレーライスが皿ごと落ち、死体が僕に覆いかぶさってきた。


「ぅわあああああああああっ!」


 未だに状況が呑み込めず、悲鳴を上げてその場でばたばたと暴れた。

 すごい力だ。全く引きはがせそうにない。

 死体が動くってなんだよ、ゾンビってやつか? じゃあ噛まれたら僕もゾンビになってしまうのか。嫌だ、嫌だ!

 何とか逃れようともがいていると、遠くから男の声が聞こえてきた。


「誰かいるのか!」


「――っ! ここです! 助けてください!」


 その声に僕は必死に答えた。今までで一番大きな声が出たかもしれない。やっぱり人間は、自分の命がかかると本気が出せるんだろう。死体を振りほどく力は出ないけど。


「――本当に人が居たんだな。今助ける!」


 死体に覆われてよく見えないけど、どうやら人が来てくれたらしい。ドタドタと走る音が聞こえて、僕は唐突に死体から解放された。

 どうやら死体を蹴り上げてくれたらしい。僕はすぐに地面を這って死体から離れた。その姿、ゴキブリの如しだ。


「あ、ありがとうございます! すぐここから離れましょう!」


 地面を這いずりながら撤退を進言する。しかし、その男は全く慌てる様子は無く、僕の姿を見て噴き出した。


「ぷっ……あはははは!」


「ちょ、ちょっと笑ってる場合じゃないでしょう! あいつから逃げないと……あれ?」


 男に状況を伝えようと必死になって死体を指さしたのだが、そこで異変に気が付いた。

 蹴り上げられて転がった死体は、仰向けに転がったままピクリとも動かなかったのだ。


「あれ、……なんで?」


 意味が解らず唖然とするしか無かった僕に、ひとしきり笑ってから男が説明を始めた。


「いやー、君があまりにも慌てていたもんでね。私も焦って蹴飛ばしてしまったが、何てことは無いよ。アレは動いたりなんかしない。たまたま体勢がずれて落ちてきただけじゃないかな?」


「へ? …………え?」


 説明を聞いても、やっぱり何も分からなかった。


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