幕間2.浮浪者


 ――何もする気が起きない。

 僕は教会の礼拝堂に座り込み、何をするわけでも無くただただ呆けていた。


 白亜さんの部屋に居続けるのは気が咎めた。彼女の痕跡が残るあの部屋を、そのままにしておきたかったのだ。

 そのために部屋を出たものの、教会を出る気にはなれなかった。

 もう嫌になっていた。何もかも。

 僕は何をしていたんだろう、何がしたかったんだろう。

 こんな事なら旅になんて出なければよかった。

 折角生き残りに会えたのに。折角生き残れていたのに。


 僕が――殺してしまった。

 少女も、白亜さんも。僕が居なければ死なずに済んだ。

 市役所で、寂しさに耐えられずに放送をしていた。その放送を聞いて、少女は僕に出会い、そして死んでしまった。

 真実を知りたいから旅に出た。僕がこの教会に辿りついて、余計な話をしてしまったから白亜さんは罪を感じて死んでしまった。


 全部――僕のエゴだ。

 僕のわがままで二人も死なせてしまった。

 いや、そもそも世界が滅んだのだって僕のせいなんだろう。

 少女も白亜さんも、あの不愉快な声を聞いていないんだ。

 僕の願いが『何か』に届き、こんな世界にしてしまった。


 ――もう、何もかもどうでもいい。こんな事ならもう、死んでしまいたい。

 あれから常にそんな事ばかり考えてる。考えたら本当に死ぬかもしれないのに。

 ――それでもいい。殺すなら殺せ。


 何度も考えた。何度も死にたいと思った。

 白亜さんが居なくなってからどのくらい経っただろう。

 何日かは経った筈だけど、その間なぜか僕が消える事は無かった。

 少女も白亜さんも跡形もなく消えたのに、僕は未だに消えていない。

 彼女たちと僕と、何が違うんだろう。もう、なにも解らない。


 思考が曖昧になり、ただただ虚空を見つめる人形に成り下がる。

 考えては休み、眠くなったらウトウトして、悪夢を見てすぐに目覚める。そしてまた自分を責める。そんな事をひたすら繰り返している。

 自分を責め続ける以外に何をすればいいのか分からない。

 なんで僕はこんなに弱いんだろう。なんで僕は生きているんだろう。なんで――


「ありゃ、先客がいたのか。こりゃ失礼」


 ついに幻聴が聞こえ出した。よりにもよってオッサンの声が聞こえるとは、僕の脳みそはどうなっているんだ。


「……って違うだろ。まさかこんな所でヒトに会えるとは。おいアンタ、生きてるのかい?」


 幻聴に心配された。もうダメだ。このまま死ぬんじゃないか僕。


「……こりゃひでぇな。心が壊れてる」


 壊れてる? 僕はまだ全然壊れてなんかいない。だから、誰か早く僕を壊してくれ。


「…………」


 幻聴が止んだ。これでようやく――


「――しっかりしろクソボーズ!!」


「ぶっ!」


 左頬に衝撃が走った。衝撃で体が吹き飛んで床に転がる。痛い。白亜さんのビンタの数倍痛い。何が起こったんだ今。

 頬を擦りながら体を起こし、自分が吹き飛んできた方向を見る。今までぼんやりとしか見ていなかった景色に、いつの間にか人が立っていた。


「お、目が正気に戻ったな。大丈夫かボーズ」


 その男は僕の様子を見て満足そうにニカッと笑い、転がっていた僕に手を差し伸べてきた。


「な……、え? な゛に゛……が?」


「声ガラガラじゃねーか。いつからここでボーっとしてた? おら、これ飲め」


 満足に発声も出来なかった僕に、男が水筒を差し出してくれた。

 何も考えられず、促されるままに水を飲む。

 ――おいしい。水って、こんなにおいしかったっけ。


「っとと、そこまでだ。そんなに量もねぇんだから、がっつかないでくれ」


 男に止められるまで、僕は夢中で水を飲んでいた。


「ハァ、ハァ……。あ、ありがとうございます」


「まぁ気にすんな。目の前で死にそうな人間ほっとく訳にもいかねぇからな」


「死にそう……ですか」


 あながち間違ってはいない。

 実際、積極的ではないにしろ死のうとしていた所だ。もう生き延びる気力なんてない。


「オイオイオイ、また暗い顔になってんぞ。一体何があったってんだ? 話なら聞くぞ。同類同士助け合って行こうぜ」


 軽い調子で事情を聞いてくる男に少しだけ嫌気がさしたけど、水を貰った恩もあるし、返答くらいしてもいいだろう。


「えっと、簡単に話せる事ではなんですけど――って今なんて言いました? 同類?」


 同じ生き残り同士って意味だろうか。それにしてはなんだかニュアンスがおかしかった気がする。同類って言い方はなんとなく不愉快だ。


「服はよれてっしなんか薄汚ねーし、この教会の人間にゃ見えねぇ。俺と同じ浮浪者ってとこだろ?」


「違いますよ!」


 失礼な勘違いをされていた。確かに勝手に上り込んでる様にしか見えないだろうけども。

 そこで僕は、ようやくその男の風体に目が行く。

 時代錯誤の菅笠を被っており、その下に見える髪は心なしか脂ぎっている。やる気を感じられない双眸に、整えているようには見えないボサボサの無精髭。

 ああ、確かにどう見ても浮浪者だこの人。なんで菅笠なんて被っているのかわからないけど。しかも何故か白衣を着ているからよくわからないコーディネートになっている。


「あ? 菅笠これが気になんのか? まー時代劇くらいでしか見ないからな。被ってた方がそれっぽいだろ?」


「ええ!? そんな理由で!? じゃあなんで白衣来てるんですか! 白衣のせいですっごいアンバランスなんですけど!?」


「白衣は俺の普段着だ。普段着のまま放浪してるだけだ」


「浮浪者っぽさの話は一体どこに!?」


 一貫性が無さすぎる。でも自分で浮浪者とか言うくらいだから変人なのか。確かに変人としては一貫性があるかもしれない。


「ま、ツッコミが出来るくらいには元気が出てきたみたいじゃねーか。そろそろ話してくれるか? なんであんな状態になってたのか」


「…………あ」


 僕の調子を戻させるためのやりとりだったらしい。何も考えていない様な顔してるのに、すごいなこの人。

 なんであんな状態になっていたのか。

 こんなわけの解らない男に話してしまっていいのだろうか。

 でも、そうだ。そういえば良く考えたらこの人も生き残りなわけだ。

 さっきまで思考停止状態だった上に、出会い方が衝撃的過ぎて頭が回らなかったけど、再び生き残りに会えたなら情報は共有するべきだろう。お互いのために。


「わかりました。その代わり、後であなたの話も聞かせてください」


 そう前置きしてから、僕はここに至るまでの全てを打ち明けた。

 教会に着くまでの話は二度目だから慣れたものだ。男は礼拝堂の椅子に腰かけ、余計な口を挟まずに最後まで話を聞いてくれた。


「というわけで――もう動く気にもなれずに」


「ああなってた、と。なるほどな」


 話し終えると男は少し悩んだように唸ってから、言った。


「しかしアレだな。お前のストライクゾーン、すげぇ広いな」


「今の話のどこを聞いてその感想が!?」


 ウソだろこのオッサン。まともに話を聞いていたのか?


「聞いてたって。アレだろ? 小中学生くらいの女子のストリップではドギマギして、二十歳過ぎた頃の年上の女に不意打ちでキスしたんだろ?」


「いや確かにそうだけど! もっと食いつくところありましたよね!?」


 というかその話は省略すべきだった。なんで話してしまったんだろう。アホか僕は。


「バカヤロー。男としてそこに食いつかないわけにはいかないだろうが」


 なんでか物凄い睨まれている。羨ましかったのだろうか。なんなんだこの人。

 そのどこまでもふざけた態度に、僕は力が抜けてしまった。

 ため息をついて「もういいです」と話を切り上げようとしたその時、男は急に声の調子を下げて、


「しっかしまぁ、なんで人を見ないのかと思ったら、そういう事だったか」

 

 と、やる気なく嘯いた。


「え?」


 意味深なその言葉に、僕は反射的に聞き返した。

 目を伏せていたため、菅笠に隠れてその表情は読み取れなかったが、なにかショックを受けている様にも見える。


「いや、正直な。ずっと放浪してたから、なんとなーく『人が居ねぇな』くらいにしか思ってなかったんだよ」


「えー……」


 随分適当だな。あれだけ外の風景が変わってなんとなくって。という事は、つまり。


「世界がこうなった日って……」


「どこにいたのか何をしてたのかも覚えてねー。悪いな。収穫ゼロで」


 なんてこった。

 意を決して打ち明けたのに、情報共有どころか一方的に話しただけになってしまった。しかも余計な事まで話してしまったし。恥ずかしい。

 男は話し終わるや否や立ち上がり、僕に背を向けてこう言った。


「んじゃま、そろそろ俺ぁ行くわ」


「え。行くって、どこに……」


 そんなに急いでいるのだろうか。それとも僕と話すのが面倒なのか。


「外。どっか。アテなんて無いしな」


「ちょ、ちょっと待っ……」


 口に出しかけて、戸惑う。

 ――待ってもらって、どうしようと言うのだろう。

 これ以上この人から聞き出せる事は無いし、そもそも最初から情報なんて得てどうしようと言うんだ僕は。何もかも諦めてしまったはずじゃないのか。

 自分の行動の矛盾に固まってしまう。どうすればいいかも分からずに口をパクパクさせていると、男の方から声をかけてきた。


「で、お前は? どうすんだこれから?」


「どうって――」


「そのままそこでボーっとしてるつもりか? 二人の人間を殺しておいて、何もせずにそこにいるつもりか?」


「こ、殺してなんかっ!」


 容赦のない言葉に僕は反発する。自分で散々考えていた事なのに、人に言われると思わず否定してしまった。


「そう。そうだな。お前は誰も殺してねぇ。だが、目の前で悲劇の少女が。慈愛に満ちた修道女が、次々失踪してお前は何もしねぇのかよ。そいつらが残した手がかりを、受け取ったお前が行動しないでどうする。お前が何もしないって事は、その二人が生きた証を――殺すって事に他ならねぇだろうが」


「――っ!」


 思わぬ言葉に衝撃を受ける。

 ――そうだ、そうだよ。何をやってるんだ僕は。二人がどうして消えたのかは分からない。それでも、何も分からなかったわけじゃない。

 それなら、僕にできる事は――まだあるじゃないか。

 僕の決意が固まったのを見て、再び男が僕に質問する。


「もう一度聞くぞ。お前は、これからどうする?」


「――旅を続けます」


「何のために?」


「二人の死を無駄にしないために。生き残りを探して、これ以上犠牲を出さないために。そして、真実を解き明かすために」


 真っ直ぐに男の目を見て、僕の意志を伝えた。

 言葉に出した事で改めて決意する。

 僕は二人の犠牲者を見てきた。つまり、「何をすれば消えてしまうのか」を漠然と知っている。それを伝えて回るだけでも、十分に意味はある。

 そして何より、何も分からずに消えてしまった二人のためにも、やはり真実は探るべきだ。どれだけ時間が掛かるかも分からないけど、これは僕がやるべき事だ。


「良い面構えになったな。ものの数分で劇的なイメチェンだ」


「ありがとうございます。あなたのお蔭――って、そういえば名前をまだ聞いてなかったですね。教えてくれますか?」


 単純にこの人の名前は知っておきたいと思った。もう会うことも無いかも知れないけれど、僕の背中を押してくれたこの人の名前を。


丑屋うしや狩人かるとだ。別に、覚えなくてもいいぜ。じゃあな」


 丑屋さんは、そのまま踵を返して立ち去って行った。

 僕はその背中を、見えなくなるまで眺め続けていた。途中、何度か木の根に躓きながらふらふら歩いて行くその背中を。


 ――まったく、格好良いんだか悪いんだか。

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