2-3.抱擁


「とにかく、少なくとも僕とその少女は、直接的に人間の死を願ってしまったわけです。だから、白亜さんも『その一部』だったに過ぎないって事を言いたかったんですよ」


 痛む左頬をさすりながら、僕はさっきの補足をしていた。

 単純に「あなたのせいじゃない」と言っても慰めにしか聞こえないだろうから。


「……ありがとうございます。そう言って頂けると、少し気が楽になります」


 当の彼女はと言うと、僕をビンタしてからまた少し落ち込んでしまっていた様子だ。

 ビンタをした事を気にしている、というのもあるんだろうけど、やっぱり自分の願いで世界が滅んだのが気にかかるのだろう。

 しかし、僕から言わせれば白亜さんの責任など皆無だ。やっていたのは日課のお祈りで、しかも平和を願っていただけ。

 それでも彼女は自分を責めるだろう。彼女は優しいから。自分が人を傷つけたかもしれない事が許せないから。でも、それじゃあいけない。


 とにかく別の事を考えて欲しかったので、僕は思い付いたことを聞いてみる事にした。


「あ、それともう一つ聞きたかったんです。白亜さんは『声』を聞いてませんか?」


 これは、人に出会ったら絶対に聞こうと思っていた事だ。生き残った人間の共通点をなるべく探っておきたかったのだ。

 あの少女は聞いていないと言っていたけど、白亜さんはどうだろうか。


「先ほどのあなたのお話にありましたね。申し訳ありませんが、私はそのような声を聞いてはいないのです」


 白亜さんはしゅんとしながら答える。期待に応えられないのが申し訳ないといった顔だ。どこまで良い人なんだこの人は。そしてその顔がやはり可愛い、だなんて口が裂けても言えないけど。


 しかし、返答の内容については予想外だ。

 あの少女の様に気絶したならばともかく、白亜さんの場合は静かな教会の中でのお祈りだ。あんな不愉快な声がすれば聞こえるだろう。


「声は、必ずしも聞こえるわけでも無いのかな……?」


「そうなのかも知れませんし、そうではないかも――もしかして、あなたは神の声が聞こえる様な特殊な方なのではありませんか?」


 なんか引っかかる言い方をされた。悪気なんて皆無なんだろうけど。


「えっと……、本気で言っているんですよね?」


 なるべく傷つけないように、恐る恐る冗談の類ではないか確認する。

 僕には「頭が残念な人」って言っているように聞こえたぞ、と。遠まわしに伝えながら。


「本気かと言われますと、正直なところ半信半疑ですね。今までそういう方にもお会いした事がありましたけれど、どの方もお話に一貫性が見られなかったので……。あ! 気を悪くしてしまったのなら申し訳ありません! 悪気は無かったのです!」


 少し遅れて言外の意味まで汲み取ってくれたらしい。過剰なまでに深く頭を下げられた。

 僕は「あ、いえ」と曖昧に誤魔化して(全く傷ついてないと嘘を言えるほど大人じゃなかった)、その話をとりあえず終わらせる事にした。


「とにかく、貴重な話を聞けてよかったです。それと、図々しい様ですけど……、一つだけお願いがあるんですが」


「なんでしょう? 私に出来る事ならばなんなりと」


 即答だった。女神かこの人は。

 少し前にいきなり唇を奪われた相手にここまで言えるのは本当にすごいと思う。

 僕は意を決して言った。無茶なお願いを。


「今晩泊まる宿が無いので……、出来ればここに泊めてください!」


 台詞の後半は頭を下げながらだ。

 そこに関しては本当に困っていた所なのだ。

 全く人の居ない所に教会なんて建てないだろうから、もしかしたら少し歩けば民家もあるかもしれない。

 でも下手に近所で事を起こすと、白亜さんに目撃されかねない。彼女みたいな良い人に他人の家に無断で上がり込んでいるのを目撃されたくない。

 だからと言って遠くに行くのは無理だ。筋肉痛が酷い。

 白亜さんは、そんなあまりにも自分勝手なお願いに対しても、


「ええ、是非とも泊まっていってください」


 と、笑顔で受け入れてくれた。


「ええ!? いいんですか!?」


 お願いしたのは僕の方なのに、こっちが驚いてしまう。どこまでお人好しなんだこの人は。


「はい。貴重なお話もして頂けましたし、幸い部屋は余っておりますので。――そろそろ夕飯の時間ですね。今朝採れたばかりの南瓜があるんです。夕飯にシチューなどいかがですか?」


 白亜さんは時計を見ながらそう申し出た。

 でも、夕飯まで貰うのは流石に忍びない。唇を奪って寝床まで与えてもらった挙句に、そこまでしてもらったら図々しさが倍増で最早ならず者だ。


「ありがとうございます。でも――」


「遠慮なさらずに。私も久しぶりに誰かと食卓を囲みたいので」


 僕の遠慮を遮って、どこまでも良い人な発言が出た。誰かと食卓を囲みたいっていうのは僕を気遣って言ってくれた言葉だろう。

 もうここまで言われて断ったら僕が嫌な奴みたいだ。


「……じゃあ、折角なんでいただきます」


「はい。では、支度を致しますね」


 笑顔でそう言ってから、白亜さんはキッチンの方に向かい、夕飯の支度を始めた。

 程無くして包丁の音と、鼻歌が聞こえてくる。

 どうみても上機嫌だ。渋々やっている様には見えない。人に親切にするのがそんなに楽しいのだろうか。

 なんだろう、ここまで優しくされると申し訳なさで押し潰されそうだ。

 押し潰されてしまわない様に、とにかく何か返せるものは無いかと必死に考えた。

 

 ――考えに、考えたが。

 全く思い浮かばなかったので、せめて大人しく待っている事にする僕であった。


  ……


 二十分後。


「南瓜のシチューです。残念ながらお肉はありませんので、若い方には物足りない味かも知れませんが、お口に合えば幸いです」


 そんな風にどこまでも丁寧な口調で、とても美味しそうなシチューを運んできてくれた。

 文句なんて付けようもない、物凄く美味しそうなシチューだった。


「すご……美味しそう」


「具材は全て表の畑で採れたものです。元から自給自足に近い暮らしをしていたもので、世界がこうなった後もあまり不自由はしていなかったんですよ」


 思わず感嘆の声が出る僕に、白亜さんが補足する。

 なるほど、だからあんなに立派な畑があったわけだ。世界から人間がいなくなってから畑を耕していたなら、二か月かそこらしかないのにあんなに作物は育たないだろう。


 ただ、今はそんな事はどうでもよくなっていた。

 久しぶりの温かい食事に早くありつきたい。

 僕は白亜さんの着席も待たずに、がっつく様に一口目を口に運んだ。かなり失礼な行為だが、彼女は特に気にした様子も無く見守ってくれていた。


「う、うまい……」


「お気に召したようでなによりです」


 慈愛に満ちた笑顔でそう言いながら、白亜さんも対面の席に座る。

 子供を見ているような視線に少しだけ反感を覚えたけど、受けた恩の大きさと、目の前にある久しぶりの温かい食事への感動でそれどころじゃなかった。

 こんな時に「うまい」以外の表現方法が無い事が悔やまれる。

 日頃からグルメ番組なんかで、タレントが大袈裟なリアクションをする度に白けていた僕だったけど、今はあの人たちの語彙力が羨ましい。


 ――まぁ、語彙力どころか、僕は何も持っていないわけだけど。

 頭がキレるわけでも無ければ、筋力も体力も無い。

 そんな僕が生き残ってしまった事に、改めて罪悪感が込み上げる。目の前にこんな善人の代表みたいな人が居るから尚更思うのかもしれない。

 よくもまぁこんな僕が「皆死ねばいい」なんて言えたものだ。

 本当に――図々しいにも程がある。


「泣いて、いるのですか?」


 唐突に響いた白亜さんの声に、我に返る。

 いつの間にか僕は、涙を流していたらしい。


「ち、違いますよ。これは、ちょっと、目にゴミが……」


 言い訳のボキャブラリーも貧弱だ。

 本当に僕はダメだな。誰か人に出会う度にこんなんじゃあこの先が思いやられる。

 それに、こんなに優しくしてくれる人に、これ以上迷惑なんてかけられない。

 なのに、拭いても拭いても涙が溢れてくる。おかしいな。こんなに涙脆い人間じゃなかったはずなのに。

 必死に涙を拭う僕の視界が、唐突に塞がる。

 それが白亜さんに抱きしめられていたからだと気が付いた頃には、加えて頭も撫でられていた。


「傷ついて、いたのですね。たった一人で二か月も生きて、やっと会えた人も失ってしまって。辛かった事でしょう。悲しかった事でしょう。今日までのあなたの日々は無駄ではありません。もう、弱音を吐いてもいい頃です。泣いてもいい頃です。誰も言う人は居なかったのでしょうから、私があなたに言って差し上げます」


 優しい声が、頭の上からかけられる。白亜さんは、一度言葉を区切ってから、言った。


「――あなたは、悪くありませんよ」


 その言葉に、その優しい声に。

 僕の中の張りつめていた何かが、崩壊した。

 僕は抱きしめてくれる白亜さんに縋り付いて、泣いた。

 みっともなく涙と鼻水で顔面を汚しながら、泣き喚いた。

 ――内心では僕は、全部自分のせいなんじゃないかと思ってた。

 同じように願った少女に会っても、その懸念は払拭されなかった。

 自分を責める言葉を吐こうにも、自分の死に怯えてそれを口に出来ず、思考を途中で止めてしまっていた。そのせいで、罪悪感を外に吐き出すことも出来ずにいた。

 言語化できない罪悪感は、今日まで胸の中で膨らみ続けていた。

 それが――その全てが。

 救われた気がした。報われた気がした。


 そうか。僕は――誰かに許されたかったんだ。

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