2-2.後悔
教会の中に入るとこれまた巨大な礼拝堂があり、その奥の方にある住居スペースに繋がる扉まで案内された。その中で、シスターさんは紅茶を振る舞ってくれた。
その気遣いはとても嬉しかったし、有り難かったけど、それに口をつけるよりも僕が最初に発した言葉は「湿布をください」だった。
全身が筋肉痛なので結構な量が必要になってしまい、少し申し訳ない気分にもなった。それでも、彼女は何一つ嫌な顔をせずに多量の湿布を提供してくれた。「お背中の方、お貼りしましょうか?」と、更なる気遣いまでされてしまったくらいだ。あまりに申し訳なかったので、「なんとかなりそうなので大丈夫です」と断っておいた。
二十分後、無事に湿布を貼り終え、改めて出して貰った紅茶に口をつけて、ようやく落ち着いて話をする事が出来る状態になった。
シスターの話は、ちゃんと自己紹介から始まった。
「私の名前は
「えっと……よろしくお願いします。白亜さん」
下の名前で呼ぶのはなんだか照れ臭かったけど、そこは合わせておこうと我慢した。
実はこの段階で、僕は既に心の中でガッツポーズを取っていた。
なにせ、前回はまともに名前も聞けなかったのだ。そのせいで、あの少女の名前を知る機会を永遠に失ってしまった。だから今は、名前を聞けただけでも嬉しい。
そしてまず、僕はここまでの旅の経緯を話した。
世界が滅びる前日の事から、少女と出会って別れるまでの、全て。
白亜さんはとても聞き上手で、時に優しく相槌を打ってくれたり、小さく身振りを交えてリアクションを取ってくれたりするものだから、僕も事細かに必要のない事まで話してしまった。
全て話し終えてから「それは大変な目に遭いましたね。心中お察しします」と優しい言葉をかけてくれて、また僕は泣きそうになった。
でも泣いている場合じゃない。優しい言葉を貰うために旅に出たわけじゃないんだ。
それから、いよいよ僕にとっての本題。白亜さんの話を聞くことにした。
しかし、彼女から返ってきたのは意外な言葉だった。
「私の話、ですか。私の場合、特別な事は何も無かったのですけれど……」
「どんなに細かい事でもいいんで。世界がこうなる前日の事を聞かせてください」
僕は必死に食い下がった。
何も無いなんて、そんな筈がない。少なくとも、僕も少女も「人間の死」を望んでこうなった。そして望んだ本人だけが生き残っている。
ならば、白亜さんもそれに近しい出来事はあった筈だ。こんな良い人が「皆死ねばいい」なんて思う筈がないので、なおさら理由が知りたかった。
その理由が分かれば、世界がこうなった原因にも近付ける気がする。
「願った、と言うのであれば、心当たりが無いわけでもありません。ですが、それは日々の日課にしている事でして」
「何でもいいです。教えてください」
「毎日お祈りを捧げているのです。一応私もシスターですので。祭壇に向かって、決まった時間に。『世界が平和でありますように』と」
「んん、えっと……」
それはさすがに関係ないと思う。この光景のどこをどう見たら平和だと言うんだ。
そもそも何をもって世界が平和とするかだけど――いや、待てよ。まさか。
「決まった時間って、何時頃ですか?」
「午後四時半です。それが何か関係が?」
――頭の中で、衝撃が走る。
僕も少女も、正確な時間こそわからないけど、時間は夕方頃の話だった。
時間も同じくらいなのだから、もしかしたらそうなのかもしれない。
まさか、信じたくはないけど――そんな理屈で?
「白亜さん」
姿勢を正して、改まって話しかける。
これから言わなきゃいけないのは、とても残酷な事だから。
だからと言って、言わずにいたら彼女も気になってしまうだろう。
僕がそうだった様に。原因を、知りたいだろう。
「はい、なんでしょう?」
白亜さんも、僕が大事な事を言おうとしている事を察したのか、姿勢を正して応じる。
「これから、酷い事を言います。でも、何を言われても、自分を責めるのはやめてください。あなたのせいじゃない、あなたは悪くない。それを理解した上で聞いてください」
保険の意味で、先に言っておく。
彼女の事だからまずは自分を責めるだろう。そして万が一にも「死にたい」なんて口にすれば、それは叶ってしまうから。前例なら、既に見ているから。
「仰っている意味があまり飲み込めませんが……承知しました」
理解は出来ずとも、承諾はしてくれた。さすがに器が大きい。
そして、大きく深呼吸してから、告げる。
「――その日課のお祈りが、世界がこうなってしまった原因かもしれないです。と、言っても原因の一部でしか無いですが」
「……え?」
いきなり言われても理解が出来ないのだろう。白亜さんは困惑した表情のまま固まってしまった。
それから一呼吸置いてから目を伏せて、
「どういう……事でしょう?」
と言った。必死に繕っているけど、声と手が少し震えている。
気が付いたんだろう。そして、その上で最後まで聞こうとしてくれているのだろう。
こんな事をいきなり言われたら、誰だって怒る。それを我慢して、言葉を噛み殺して、何とか平静を保っているのだろう。
白亜さんは、優しいから。いきなり酷い事を言った僕が、理由があってそうしているんだと信じてくれているから。
その信頼に応えるためにも、僕はなるべく平坦な声で話を続ける。
「酷い事を言ってすいません。でも、間違いないと思うんです。ここで一つ考えておきたいのですが、そもそも『平和』とはなんでしょうか?」
唐突な僕の問いに対しての答えは、日頃から考えている事だったのだろう。考える時間を待たずに、すぐに彼女は答えた。
「人々が争う事無く笑顔で暮らせる事、と考えております」
「そこです」
と、僕は指を突きつけながら言った。
「人間が居なくなれば――争いも起きない」
「あ――」
どうやら彼女は気付いてしまった。いや、気付かせてしまった。
見る見るうちに顔が青くなり、肩を抱いて震え始めた。
「そんな……そんな、じゃあ、私の……」
――やばい。
彼女の取り乱し様に気づき、僕は椅子から立ち上がって駆け寄った。
そして両肩をガッシリと掴み、正面から顔を見て、伝える。
「落ち着いてください! もう一度言いますけど、あなたのせいじゃない!」
「違う。違うんです。そんなつもりじゃ、そんな……、恐ろしい事……」
――僕の話がまるで聞こえていない。相当自分を追い込んでしまっているみたいだ。
これじゃあいけない。このままじゃいけない。
なんとかしないと。どうすればいい。
とにかく意識を引き戻さないと取り返しのつかない事になる。
強く肩を揺すってみても、反応は変わらない。大声で名前を呼んでみたけど、完全に上の空だった。
想像以上だ。ここまで自分を追い込んでしまうとは思わなかった。彼女の様な優しい人間に「あなたのせいで世界が滅んだ」なんて告げたらどうなるか、もう少し考えておくべきだった。
僕の馬鹿野郎。何も反省できていないじゃないか。
とにかく、後悔している場合じゃない。どうすればいいか、考えるんだ。
思い切り殴ったりすればいいのかも知れないけど、いきなりそんな事をされら今度は僕の事を信用できなくなってしまうだろう。
なんとかギリギリ許せる範囲で、強い衝撃を与える方法は無いだろうか。
「あ……。いや、でもこれは」
普段から漫画ばっかり読んでるから、こういう緊急時の対処法の参考になりそうな知識が偏っている。思いつきはしたけれど、さすがにそれは――
「私……私は、とんでもない事を……」
白亜さんの様子が変わっていく。震えも大きいし、目の焦点が合っていない。
もう、迷っている場合じゃ無さそうだ。
とにかく、彼女の口から自分の死に繋がる発言をさせてはならない。考えさせてもいけない。
だったら丁度いい。この方法なら強制的に思考を切り替えられるし、ついでに口も塞げる。
「白亜さん、ごめんなさい!」
一言、謝ってからそれを実行に移す。謝ったんだから、許して……もらえるといいなぁ。
「…………。……。ん……んむぅ!?」
白亜さんは、すぐには反応しなかった。しかし、自分が喋れなくなっていた事でその状態に気づいたのだろう。すごくびっくりしていた。
突然に口が塞がったから、と言うのもあるんだろうけど、問題なのはその口を塞いだ物の方だろう。
何を隠そう、その正体は僕の唇である。
つまり、キスだ。接吻だ。それも思いっきり。
これで、①白亜さんに強い衝撃を与えて現実に引き戻す。②彼女から自分の死に繋がる発言を出さない。その両方が同時に達成された。
いやまぁ、これがギリギリ許される範囲なのかどうかは、もうわからないけど。
「んー!! んんんーーっ!!」
白亜さんはジタバタ暴れて、必死に抵抗してきた。痛い。
そこでようやく気づいたのだけど、僕は必死になるあまり彼女の頭を押さえつけてしまっていたらしい。あ、もう暴漢か何かにしか見えないやこれ。
「あ! ご、ごめんなさいっ!」
慌てて押さえつけていた手を放す。白亜さんもすぐに両手で僕を付き飛ばした。
「な、なにをするんですかいきなり!」
彼女は顔を真っ赤にして激昂した。その表情がちょっと可愛いとか思ったのは内緒だ。
そりゃあ、怒るよな。いきなりキスなんてしたら。
「いや、その……。もう大丈夫ですか?」
話をすり替えて白亜さんの心配をする事でなんとかこの場を流せないか、という打算だらけの発言が出た。徹頭徹尾、最低か僕は。
それを受けて白亜さんは、先程までの自分を思い出したのか「あ……。ごめんなさい、取り乱してしまって」と慌てて取り繕っていた。
この感じは、何とか難を逃れる事が出来たのだろうか。出来てたとして、それが正解かは分からないけど。もうどうにでもなれ。
僕がそう思った瞬間、白亜さんは「でも」と言葉を区切ってからこう言った。
「だからと言って、き、きっ……キスする事は無いでしょう!?」
全く誤魔化せていなかった。そして、「キス」という単語を凄く言いにくそうにしていたあたり、初めてだったのかもしれない。……僕も初めてだったけど。
「他に方法が思いつかなかったんです! ごめんなさい!」
僕は素直に頭を下げた。それはもう我ながら見事な土下座だった。
白亜さんは頬を膨らませてそのままこちらを睨みつける。
むー、と言いながら怒っているのがやはり可愛い、なんて絶対に口には出せないけど。
しばらくその形のまま膠着状態が続く。何分経ったかもわからない沈黙の中、最初に動いたのは白亜さんだった。
「はぁ……。もういいでしょう。頭を上げてください」
そして、大人の懐の深さで白亜さんが折れてくれた。
僕は恐る恐る顔を上げて、彼女の顔色を確認する。――が。
「えっと、白亜さん? この手は一体……」
僕の顔の右側を、白亜さんが左手でガッチリとホールドした。――あ、これやばい。
「とりあえず、一発で許して差し上げます」
にっこりと微笑みながら、右手を思い切り振りかぶって。
僕の左頬に、強烈なビンタが浴びせられた。
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