2-1.博愛主義者

  

 ――ハロー、ワールド。この挨拶もなんだか懐かしい。今までこの挨拶を使っていたのは僕の住む町の市役所、その放送室での事だ。久しぶりに、話をしよう。今日話すのは、僕が家を出て最初に会った人の話。森の中で見つけた綺麗な教会に居た、心まで綺麗な人のお話。それでは、今日の物語のはじまり、はじまり――



  …………



 当ても無く歩き始めた僕だが、まずどの方角に向かうかを決める必要があった。

 少女が来た方角は聞いていたので、ならその逆に行けばいいだろう、と適当に南西の方に向かって歩き出した。少女は僕以外の誰にも会っていなかったから、同じ方向に行っても無駄だろうという判断だ。

 移動手段は、徒歩。最悪日本中を歩き回らなければならない事を考えると気が滅入るので考えないことにした。


 自転車を使う、という選択肢は無かったわけじゃない。

 しかし、アスファルトの上に何本も太い木の根が張り巡らされているこの状況を見れば、誰でもそんな選択肢は捨てるだろう。こんな凸凹の激しい道を走れるほど僕の自転車技術は高くない。

 そういうわけで徒歩にせざるを得なかったのだけど、歩き続けってのはかなり消耗する。

 その上、人を探すためにキョロキョロしながら歩いていたので余計に消耗が激しかった。


 休憩しながらも何とか歩き続けたものの、初日の成果は――ゼロ。

 とりあえず解った事は、植物の異常成長はどこまで進んでも影を潜める気配が無かったという事。つまり、辺り一面見渡す限り緑色である。


 日も沈んできたので、地図を見て今どのあたりに居るのかを確認することにした。

 目印になりそうな建物を何とか見つけて現在地を確認したところ、なんと僕の住んでいた町を抜け、隣の市に移動しただけだった。


「こんなペースで、いつになったら人に会えるんだろう……はは」


 乾いた笑いしか出なかった。なるべく明るい気持ちでいようとは考えていたけれど、初日の成果があまりにも無残すぎる。


 でも、嘆いていても何も始まらない。

 「まだ一日しか経っていないんだ」と自分に言い聞かせるように呟いて、寝床を探すことにした。

 寝袋は持っているけど、地面に寝るのはあまり気持ちのいいものじゃない。空家ならいくらでもあるし、わざわざ野宿を選ぶ必要なんてないだろう。

 とりあえず目についた民家の玄関の前に行き、チャイムを鳴らす。一応、パッと見で古そうな家を選んだ。


「誰かいますかー?」


 大きめの声で言ってみたものの、誰も居ないのなんか最初からわかっている。

 これは念のための確認だ。もし人が居たら、侵入したときに大騒ぎになってしまう。

 僕はリュックを一旦地面に置き、中からバールを取り出した。


「どうしても開かなくなってしまったドアは、壊すしかないよね――っと!」


 思い切り力を入れてドアノブのすぐ横を殴りつける。

 二度、三度。四度目で大きな穴が開いた。


「これでよし、と。……なんか火事場泥棒みたいで気が引けるけど」


 それでも、引けている場合じゃない。野晒しで寝るよりマシだ。

 そのまま中に這入り、すぐそこのリビングで寝袋を敷いた。

 個人の部屋の中とかにはさすがに入りたくない。仮に女の子の部屋だったらどうするつもりだ。

 いや、どうもしないんだけど。

 理由も無くドキドキしてしまうじゃないか。こんな状況なのに。


 古そうな民家を選んだのも実はそんな理由だ。家庭を持っていても、新しい家なら若い夫婦が住んでいたかもしれない。下着とか干してあったらどうするつもりだ。

 いや、だからどうもしないんだけど。

 そんな風に心配事をなるべく減らして選んだ家で、僕はそのまま眠りに就いた。



 そして、次の日の朝。

 寝袋を纏めて、リュックを背負い直してから外に出る。


「よし、二日目開始っと」


 気合を入れるために大きめの声で言ってから、その家を出た。

 来た道を見失わないように地図を確認しながら、慎重に進む。

 何日かかるかも分からない旅だ。もしかしたら意味も無いかも知れない。

 それでも僕は歩き続けた。

 そう言えばあの少女は、目を覚ましてすぐに旅に出たと言っていた。

 僕たちが出会ったのは、世界が滅んでから六十六日目。つまり二か月とちょっとだ。

 それだけの間一人で旅を続けたって事になる。

 今考えると、それはかなり凄い事だと思う。

 誰の助けも借りずに、いるかもわからない人を探して歩き続けるなんて。

 僕なんて一人であの町に引き籠っているだけでもあんなに辛かったのに。


「……見習わないとな」


 自然と声が出た。

 とにかく、頑張ろう。


 …………


 と、意気込んではみたものの。


「やばい、筋肉痛がひどい」


 情けない結果に、自分で自分に飽きれてしまう。

 二日目、三日目まではまだ平気だった。

 四日目の夕方になって、それは突然襲ってきた。

 部活も入らずに家でゲームばかりやっていたら、そりゃあ運動不足にもなる。

 全身、筋肉痛だ。

 大袈裟に言ってるわけじゃない。本当に全身だ。

 筋肉に詳しいわけではないけど、多分これ、筋肉という筋肉が全部痛い。

 あ、でも表情筋っていうのもあるんだっけ。それはさすがに痛くない。

 歩くペースもかなり遅くなっていたし、このあたりでもう休もうと決意した。

 だがしかし、なんとも現実は残酷である。


「い、家が無い……」


 現在、周辺には建物が全く無かった。

 目印となる建物が無いと確認のしようが無いのだが、最後に確認した位置から考えて、どうやら現在地は森の中のようだった。

 森とは言っても、現状ではどこへ行ったって森みたいなものだ。建物があるか無いかの違いしか分からない。

 だったらもっと建物があるところを歩けば良かったのだけど、今居る場所はそもそも田舎だったようで、最初から建物がかなり少なかったから気が付きにくかった。

 今朝起きた時に歩くのを断念しておけばよかった。

 中途半端に頑張ろうとするからこうなる。


 僕は何とか建物があるところへ出ようと、必死に歩き続けた。

 しかし、そこは流石に現代日本。開発されていない所なんてそもそも少ないのだろう。小一時間くらいで鬱蒼と生い茂る森を抜け、開けた場所に出た。


「きれいだな……」


 そこは先ほどまでの森と違い、足元の草が丁寧に刈り揃えられた小高い丘だった。

 所々に花も咲いていて、疲労がピークに達していた僕にとっては必要以上に神々しく輝いて見えた。


「なんか状況も相まって楽園か何かに見える……」


 もしかして実は気づかないうちに死んでいて、ここが天国だったなんてオチは無いよな。そんなオチだけは勘弁して欲しい。

 でも、この状況に希望が見えるのは確かだ。

 ここまで歩いてきた中で、ほぼ全ての植物が異常成長を遂げていた。例外などは一つも無く、化け物みたいな大きさの花までたまに見たくらいだ。

 なのに、ここの草は綺麗に刈り揃えてある。

 これは人の手が入っているという事ではないだろうか。

 期待に胸を膨らませて辺りを見回してみると、すぐに大きな建物に目が付いた。


 青を基調とした三角屋根の先端には何かの像が取り付けられており、真っ白な壁の上部にはカラフルなステンドグラスが付いている。一目で「教会だ」と理解できる建物だった。


「こういう教会って初めて見るなぁ……」


 僕はそう呟きながらフラフラと近づいていく。

 教会の正面側に回り込むと、柵で囲まれた畑が広がっていた。

 そして更に、その畑の中で屈みこんでいる人影も見つけた。

 この教会の人間なのだろう。その人は修道服を着て熱心に雑草をむしっていた。


「やっぱり……人だ」


 思わず零れた僕の言葉に気が付いて、その人はこちらへ振り向いた。


「え――?」


 そして、その人は信じられないものを見たように目を丸くした。

 そのリアクションも納得だ。こんな世界に居たのでは、人間がいるというだけで信じられなくなる。僕がそうだった様に。

 その人はこっちを向いたまま固まってしまっていたので、僕から声をかける事にした。


「えっと、あの……、……に……外国の方ですか?」


 一瞬、またしても「人間ですか」と言おうとしたのを何とか堪えて、最初に感じた印象の確認から入る事にした。

 僕は最初に、その人の顔立ちから日本人ではないと感じたのだ。


 綺麗な金髪に鮮やかな青い瞳。彼女がコスプレでもしていない限り、日本人の出で立ちではないだろう。

 僕の質問を受けて彼女は、


「あ、ああっ! すみません! 私とした事がお顔を見るなり固まってしまって……気を悪くされていたらごめんなさい。何分久しぶりに人を見たものですから、驚いてしまって」


 と、慌てて取り繕うように早口で捲し立てた。

 良かった。日本語が通じる――と言うか普通以上に日本語が達者だ。


「それと、ご質問にお答えすると私はハーフなんです。育ちは日本なので、この見た目で日本語の方が得意なのですが」


「そ、そうだったんですか。なんか、ちょっと失礼な感じですいません」


 丁寧な物腰で話してくれるのでこっちまで畏まってしまう。「なんかすいません」なんて台詞が畏まっているのかどうかは置いといて。

 それから彼女は僕の出で立ちを見て、こう提案してくれた。


「どうやら長旅でお疲れのご様子ですね。どうぞ教会の中へ。お茶くらいはお出しできますから。少しお話を聞かせて頂けませんか?」



 喜んで。こちらとしても、願ったり叶ったりです。

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