1-3.薄幸少女


「どういうつもりですか」


 目を覚ました少女に、いきなりそんな事を言われた。

 僕としては頑張ってここまで運んで看病していたのに、そんな事を言われるのは心外でしかない。でも、まあこの状況じゃあ仕方ないだろう。


「キミ、突然道端で倒れちゃって。熱もありそうだったからここまで運んできて看病してたんだ。熱は大丈夫?」


 最低限の言い訳をしながら、体温計を渡す。見た感じは少し元気になったように見えるけど、油断はできない。


「私の体に触ったという事でしょうか」


「いや、そういう言い方されると困るんだけど……」


 体温計を受け取りながら棘のある言葉を言ってくる少女に、またしても心を抉られる。勘弁してくれ。元いじめられっ子のメンタルの弱さを見くびらないで貰いたい。


「変なところは触ってないよ……。少しは信用してもらえないかな?」


 僕は弱弱しい笑顔で両手を上げ、無実を主張する。出来ればこんな不毛なやり取りじゃなく、もっと建設的な話がしたい。

 そんな意思が伝わったのかどうかは分からないけど、少女は少しの沈黙の後、意を決したように語りだした。


「……そうですね……では、少し試させてもらいます」


「はい? ――って、ちょっと待って何してんの!?」


 試す、と。そう言って直ぐに少女はベッドから降りて立ち上がった。かと思えば、いきなり目の前で服を脱ぎ始めた。


 いやちょっとまって本当に何してるの? 露出の趣味でもあるの? いやいや汗をかいたから着替えたいのかなきっとそうに違いない。


 僕が慌てふためいていると、少女はどんどん服を脱ぎ続けた。

 上着を脱いで地面に落とし、インナーにまで手をかけた。

 そこでようやく僕ははっきりと「まずい」と思った。何が起こっているかは全く分からないけど、このまま見ているわけにはいかない。そう判断したのだ。


「す、ストップストップ!」


 僕は慌てて少女に駆け寄って、両手を掴んで謎の脱衣行為ストリップをやめさせた。

 慌てていたので気が回らなかったけど、この状態はこの状態でかなりまずい。至近距離まで近づいてしまった上に、手首を抑えているのでまるで抵抗されるのを防いでいるみたいだ。

 この状態で誰かに見られたりしたら完全に言い訳ができない。そんな人間なんてどこにもいないけど。まずいのには変わりない。


「よ、よく分からないけど、どうしたのさ? こんな所で服を脱いだら……」


「そうですね。あなたに襲われてしまうかもしれないです。このままベッドに押し倒されるだけで、私の力では抵抗もできません」


 淡々と、事実を告げる様に少女は言った。

 様にも何もその通りじゃないか。僕が変な奴だったらどうするつもりなんだ。

 ん、いやまてよ。変な奴――


「でも、あなたはそれをしませんでした。信用、してもいいと思いました」


 その発言に、少しの間僕の思考が止まる。つまり先ほどの謎の脱衣行為ストリップは――


「試すって、そういうことか……」


 僕は安心して脱力した。同時に少女の手も放していて、少女は自由になった両手を柔軟体操の様にふるふると振っていた。

 何気にその行為、汚いものを払っているみたいで傷つくんだけど。


「汚いと言うか、少し痛かったです。必死すぎますよ。童貞ですか?」


 先ほど脱いだ上着を着直しながら、またも棘のある発言をしてきた。この毒舌は信用とは関係なく彼女の素の様だ。


「う、うるさいな。ともかく、信用してくれるなら良かった」


 僕はそのまま床にへたり込んだ。こんなに疲れたのは人生でも初めてかもしれない。自分でもびっくりするくらい頭が回転していた気がする。

 でも、これでようやくまともに話が出来る。


「じゃあ、さっそく話をしようよ。聞かせてくれないかな? こんな状態になった世界で、君はどうやって生き残ったのか。どうしてここに来たのかを」



   ……



 少女の話をまとめると、こうだ。

 まず彼女は、友達が居なかったんだそうだ。

 少なかった、じゃない。居なかったらしい。

 僕でも別の高校に少しは友達が居たもんだけど、全く居ないとなると人付き合いが下手なんてレベルじゃない。

 何か事情があるのかと思ったけど、踏み込んじゃいけない気がして聞かないでいた。


 すると、彼女の方から事情を説明してくれた。

 小さい頃に両親が離婚し、自分を引き取った母親も人が変わった様に自分に暴力を振るうようになった事。

 転校して入った学校で、ちょっとした切っ掛けで転校初日から苛めに遭った事。

 その二つが重なり、彼女は人間不信になってしまったらしい。

 学校に行っても家に帰っても居場所が無いのだから、仕方がないと思う。


 だから、彼女は意図的に友達を作らなかった。

 作りたくなくなってしまった。

 壁を作り、自分から関わる事もせず、孤独を孤独とも思わず日々を過ごしていた。

 そんな不幸な少女に、約二か月前、更なる不幸が襲う。

 一言で言うと、強姦だ。

 いきなり知らない男に車に乗せられ、移動した先で何人もの男に弄ばれたらしい。

 こんな小さい子にそんな事をするなんて許せない、と僕は本気で憤った。

 そして、彼女もまた、本気で犯人を許せなかったらしい。

 自分に降りかかる数々の不幸を、怒りに変えて心で叫んだ。

 こんな事する奴等も、母親も、学校のクラスメイトも。

 ――みんないなくなってしまえ、と。


 そこまで聞いて、僕は自責の念に駆られた。

 僕なんて、ここまで酷い仕打ちを受けていない。

 なんとなく軽口で、少しだけ鬱憤を晴らすだけのつもりで言ったんだ。

 後で僕の話も打ち明けたけど、「まぁ、そういう気持ちになる事もありますよね」なんて逆に慰められてしまった。


 とにかく、話を戻そう。

 呪いの言葉を心の中で叫んだ後、彼女は気絶してしまったらしい。

 そして翌朝。目が覚めたら、誰も居なかった。皆、居なくなっていた。


 そこからは僕と大体同じだった。

 周囲を探索して、誰も居ない事を再確認し、植物が異様に成長している事に気が付いた。

 食事も僕と同様、保存食で食い繋いでいたらしい。

 ついでに聞いてみると、この「皆居なくなった日」は、僕と全く同じ日付だった。

 一つだけ僕と違う所は、彼女はすぐに旅に出たらしい。

 そのままじっとしている事が出来なかったんだそうだ。とにかく、何が起こっているのかヒントだけでも知りたかったのだと。

 そうして、この街に辿りついて、あの放送を聞いたのだそうだ。

 他人を信じられない気持ちと、今の状況が知りたいという気持ちがせめぎ合って、なんとか怯えながらもあの市役所まで足を運んだ、と。


  ……


「それは、なんというか……本当に悪い事をしたね」


 僕の本心からの謝罪だった。そんな状態でようやく辿りついた所に、こちらを見るや否や全力で追いかけてくる人間が居たら誰だって逃げる。


「いえ、それは私も悪いので、気にしないでください」


 気を使われてしまった。心が痛い。


「なので、さっきの『テスト』は、本当は凄く怖かったです。一応、いつでも逃げられるように出口を確認してましたけど」


「なんであんな事をしたの? 僕を信じられないなら、逃げ出せばよかったのに」


 この質問は少し意地が悪かったと思う。僕だって、こんな訳の解らない所で一人でいたいなんて思ったことは無い。

 こんな状態なら、誰だってそうだろう。誰でもいいから、誰かと話したい。

 そう思ったって何の不思議もないはずだ。


「もう、訳が解らなくなっていたんです。このままここに居たいって気持ちと、不審な人とは一緒に居たくないって気持ちがぐちゃぐちゃに混ざって、こんがらがって……」


「だから、無理にでも信用しようと試みてくれたんだ」


 少女はこくん、と頷いてから、ゆっくりと語る。


「……正直、もうどうなってもいいとさえ思っていました。私が望んだせいでこんな世界になったなら、もう――」


 その続きの言葉に。そこから紡ぎ出される言葉に。

 反応するのがもう少し早かったら、結果は変わっていたかもしれない。

 そこまで考えていたなら、それ以外の答えなんて無い筈なのに。

 僕は、その言葉を止める事が出来なかった。



「――私なんて、死んだ方がいいんだって」



「それはダメだっ!!」


「え?」


 突然大声を上げた僕に、彼女は戸惑ってしまった。

 僕も焦っていた。最後まで言い切る前に止める事が出来なかった事が本当に悔やまれる。

 戸惑う少女に、更に僕は畳み掛ける。


「それは、その言葉だけは言っちゃいけない。考えてもいけない。僕だって頭によぎったことはあるけど、それだけは考えないようにしていたんだ」


「どういう、事ですか?」


 少女はまだ困惑している。僕の狼狽ぶりを見て、少し怯えてもいるようだ。


「この二か月、ずっと考えてたんだ。僕が望んだことが原因でこうなったなら、それを一体誰なんだ、ってね」


「そんなの、分かりっこないじゃないですか。たまたま私とあなたの願いが重なって力を持ったとか、そんな話じゃないですか?」


 随分ロマンチックな事を言うな、と思ったけどそんな場合ではないので口には出さないでおいた。


「いや、君は気を失ったそうだけど……僕の場合は、声を聞いてる」


「声……ですか?」


「リョーカイデスって聞こえたんだ。願った後に。『了解』だって言うなら、そいつが叶えたんじゃないかな?」


「……どちらにせよ、オカルトじゃないですか」


 鋭い事を言う。でも、本題はここからだ。


「今まで何かしらの願い事をした人間なんて、世界中に無数にいるはずだ。でもそれが全部叶っていたら、二か月前までの世界はあんなに平和じゃなかったと思う。どんな願いだって叶うなら、直接手を下さなくても人が死ぬんだ。そんな世界が平和になるはずがない」


「確かに、それはそう……ですね」


「そこで僕は、あれが『最悪の願い』だけを叶える意地の悪い何かじゃないか、と結論付けたんだ」


 つまり、神様とかそういうポジティブな何かじゃなく、悪魔だとかそっちのネガティブなオカルトなんじゃないか、という話だ。同じオカルトでも、それなら全く話が違う。


「それなら、もし本当にそうなら……、『死にたい』なんて考えたら、叶ってしまうかもしれない」


「あ……」


 ここで少女も分かってくれたらしい。僕が一体何に焦っていたのかを。


「それで、声は!? なんかこう、甲高くて人を小馬鹿にしたような声は聞こえなかった!?」


「えっと……」


 少女は口元に手を当てて考える素振りを見せたが――


「ごめんなさい。あなたの声に驚いてしまって、その、曖昧な感じです。たぶん、聞こえなかったとは思うんですが……」


「聞こえなかった事を願いたいな……」


 本心からそう思う。あの声の主に、今の言葉を聞かれていなければいいと。


 でもやっぱり、現実はそう甘くなくて。

 現実かも分からないこんな世界では、それはさらに厳しくて。

 その晩、僕と色々な話をして、たまに笑ってくれて。

 僕も少女も、久しぶりに会えた人間に、心から安心して。

 部屋は別々だけど、その晩、僕を信用して家に泊まると言ってくれた彼女は、翌日の朝――




 ――最初からそこに居なかったように、消えていた。






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