1-2.出会い


 始まりは四月の事だった。高校二年生にして無事苛められっ子の立場を獲得した僕は、今日も人目に付かないところで数人の男子に囲まれていた。


「いやー、悪いねー。うっかり財布落とした所にトモダチが来てくれて助かったわ」


「アツシさんマジ人脈パネェーっす」


 こんな捨て台詞を吐かれながら、僕は財布を巻き上げられていた。最初から金が目的なら、わざわざ殴るのはやめてもらいたいものだ。

 こんな風に財布を巻き上げられるのが僕の日常。金が入っていないと必要以上に殴られるので、常にある程度の金は入れてきている。

 その為に親の財布に手を出していたのがバレて、昨日は親にも殴られた。普通に頼んでも出してくれないからコッソリ抜いているっていうのに。


 本当に世の中は理不尽で溢れている。僕を苛めているあいつらも何も考えていないわけではなく、完全に人目につかないタイミングでしか僕を苛めない。表向き、優等生として振る舞っているから先生にも気に入られてる始末だ。

 一度苛めを先生に告発した事があったが、その時にはこんな事を言われた。


「何言ってるんだ。あいつらがそんな事するわけないだろ。喧嘩の言い訳にしては見苦しいぞ」


 そしてそれ以上話も聞かずに追い返された。優等生のあいつらと違って、成績もあまり良くない上に常に生傷が絶えない僕の事は逆に鬱陶しく思っているらしい。

 おまけに怪我の原因を喧嘩のせいだと決めつけられて、反省文を書かされる事になった。既に今日は中々の量の宿題も出ているというのに、寝ないで書けとでも言うのかあの教師は。


「ホント最悪だ……のに」


 ――なんて、独り言を呟いたところでなんの解決にもならない。それは分かっているけど、いい加減何もかもが不尽すぎだ。



『リョーカイデスっ! キキキキ!』



「……え?」


 その時、なにか物凄く不愉快な声が聞こえたような気がした。耳を劈く様な高音で、人を小馬鹿にしたような笑い方をする、そんな不気味な声が。


「気のせい……かな」


 多分、空耳だ。ストレスが溜まり過ぎて耳が変になっているのかもしれない。頭を振って気分を切り替え、僕はそのまま帰路についた。


 その日、家に帰ったらまた親に怒られた。怪我をしていた事と、懲りずに金を抜いた事。どうせ説明してもまともに取り合ってくれない。大人は子供の事よりも世間体の方が大切なんだ。

 なんだかもうどうでもよくなってきた。

 ここまでくればもうこれ以上誰に怒られても変わらないだろ。

 親の説教を適当に聞き流して部屋に戻った僕は、宿題も反省文も一切手をつけずにそのままベッドに潜り込んだ。



 ――そして、次の日の朝。

 目が覚めたら、誰も居なかった。

 「家族が」じゃない。「友達が」でもない。



 掛け値なしに――文字通りに。

 世界から人が消えていた。

 誰も、いない。

 みんな、死んだのか?

 僕が――望んだ、せいで?


  …………


 そんなわけで、現在に至る。

 最初はとにかく足掻いていた。起きたら親が居間に居らず、寝室にも誰もいない。家の中を探し終わってから外に飛び出したけど、それでも誰も居ない。どこかに誰かは居るだろうと駆け出してみても、どこまで行っても人っ子一人居ない。

 そんな光景を目の当たりにして正気で居られるわけがない。

 周りを見回しながら通学路を走って、学校に行ってあちこち探して、鍵が掛かっている事にも気付かずに周辺の家に入ろうとして――思いつく限りの「人が居そうなところ」を探し回った。


 結果、どこにも誰も居ない事と、なぜか植物の類がおかしいくらいに成長していた事がわかった。

 誰も居ないっていうのは僕の行動できる範囲内の話だから、世界中かどうかは流石に分からない。それでも、世界にただ一人取り残された様な感覚になるには十分だった。


 植物については、とにかく異常の一言だった。樹齢何十年と言われても信じる様な巨木が、町中の至る所に存在していた。よくよく観察してみれば、元々街路樹があった場所にある事が分かった。つまりこれは突如出現したわけじゃなく、元あった植物が異常に成長したものだと結論付けた。


 でも、当時の僕はそんな事を気にする余裕は全く無かった。まぁ、今も正直生きるのに精いっぱいでそんな余裕は無いけれど。

 そんな状態でも、とりあえず何とか生活が出来るようになっているだけマシだと思う。最初は何もかもがゼロからのスタートだったので、とにかく大変だった。


 まずは、水。水道はまともに機能しておらず、飲み水を確保する必要があった。

 図書館で本を探して、飲み水を作る知識を得て、ある程度は常に確保するようにしている。幸い道具はホームセンターなどで探せば見つかったが、問題は殺菌のためにも重要な火の存在だった。

 最初は家のガスコンロが生きていたためそれを使えばよかったが、家に備え付けてあるガスボンベが切れてからは突然火を使えなくなった。あちこちの店を回ればライターやらマッチも手に入るだろうけど、それもいつまで保つか分からない。後の事を考えると、どうしても火起こしの技術を身に着ける必要があった。難しかったけど、時間は無限にあったので何とか会得する事が出来た。


 次に、食糧の問題だ。

 今はスーパーやらコンビニやらで、ある程度保存がきく食べ物を手に入れて食べている。でも、これもいつかは尽きてしまう。

 だから最近は家庭菜園に関する本を読んで勉強中だ。食べなきゃ死ぬんだから、面倒だとか言ってはいられない。他には食べられる野草に関する本も集めておいた。変な植物を食べて毒でもあったら目も当てられない。医者なんてどこにも居ないのだから。


 灯りの事はどうしようもなかった。街灯も何もかも、電気が通ってないので全く動かない。電池式のものを使えばいいのだろうけど、それも電池が切れたらおしまいだ。火は起こせるようになったけど、家の中で火を着けたままにも出来ないし、なによりそこら中が異常に成長した植物だらけだ。火事なんかになったら多分死ぬ。

 ――死ぬ、か。

 あまり、考えたくない単語だ。

 少し考えるのを止めよう。


「――ハロー、ワールド。世界が滅んでから、六十六日。この世界はまだ、生きていますか?」


 いつもの結びで、今日の分の放送を終えた。なんだか考え事をしながらだったのでちょっぴり適当だったかもしれない。どうせ誰も聞いてはいないだろうけど。


 マイクのスイッチを切って、すぐに放送室を出る。

 そういえばなんで電気が通ってないのに、ここの放送は生きているのか。気になって一度調べてみた事もある。

 どうやらこの市役所には災害時のための予備電源があるらしい。さらに、太陽光発電である程度の発電は出来るみたいだ。

 だからまぁ、灯りの話をすると実はここにはあるんだけど。

 こんな無駄にだだっ広い市役所に一人で住むのは気持ち悪いから、ここを拠点にしたりはしていない。灯りが使えなくても住み慣れた実家にいた方がマシだ。


「――さて、帰るか」


 一言呟いてから、市役所を出るために木の枝に乗り移る。なんとなく独り言も多くなった気がする。無意識に孤独を紛らわせようとしているのかもしれない。

 枝を渡りながら周囲の景色を確認していると、そこで目の端に何かが映った。


「……ん?」


 何か見えた。そんな気がして、注意深く地上を観察する事にした。

 すると、少し離れた所で何かが動くのが見えた。

 あれは――人影?


「いや、間違いない!」


 僕はすぐに木を降り、さっき人影が動いた場所に目がけて走った。急いで降りたので、半ば落ちるような体勢になってしまった。


「――っ!」


 人影もこっちに気づいて、物陰から出て逆方向に逃げだす。

 やっぱりだ、間違いない。コートか何か羽織っていて全容は見えなかったけど、あのシルエットは間違いなく人間だ。


「待って! 待ってくれ゛!」


 僕は必死になってその人物を追いかけた。大声を出すなんて久しぶりなので、少し声が擦れている。しかし必死の呼びかけも空しく、そいつはスピードを緩めること無く全力で僕から逃げ続けた。


「なんで逃げるんだ! 別に何もしない! 話がしたいだけだ!」


 さらに大声で語りかける。二か月ぶりに人に会えたんだ。こんな別れ方をしたら、いよいよ頭がおかしくなってしまう。誰でもいいから話がしたい。それは本心からの願いだった。


「――っ! じゃあ、そっちも止まってください!」


 その人物は逃げながらも返事を返してくれた。声からすると、どうやら女の子の様だ。


「僕が止まっだら、止まってくれ゛るのか!?」


 僕は尚も大声を出す。ただでさえ二か月以上もまともに声を出していなかったので、僕の喉にはかなり負荷がかかっていた。だけど、距離が離れているので大声じゃないと届かない。


「止まります! 止まりますから! 追いかけるのをやめてくださいっ!」


 彼女も必死な様子だった。僕も久しぶりに叫んだのに加えて、全力疾走をしているのでかなり息が上がっている。

 ここでようやく気が付いたのだけど、傍目から見たら僕はかなり不審人物だったと思う。

 確かに、こんな様子なら逃げられてもおかしくないな。


「じゃあ――」


 僕は意を決して、足を止めた。そのまま逃げられる可能性もあったし、息が上がっているのは相変わらずだけど、まずは誠意を見せて信じてもらわないと。


「これでいいだろ!?」


「あ……」


 本当に止まってくれるんだ、と言いたげな表情で少女もゆっくりと足を止めた。

 よかった。逃げられたらどうしようかと思った。

 止まってくれて初めて分かった事だけど、その少女は背格好から見て小学生か中学生くらいの子だった。

 そんな小さい子に全力疾走で迫っていたのか僕は。そりゃあ誰だって逃げるだろ。

 これ以上不信感を与えないよう、まずは息を整える。その間に逃げようとする素振りも無かったので、そのままゆっくりと少女に近づこうと足を一歩踏み出した。

 すると――


「……」


 少女もまた、無言で一歩後ろに下がった。


「……?」


 なんだろう。気のせいじゃなければ、もしかしてまだ警戒されてる?


 もう一歩近づく。


 少女はまた一歩下がる。


 二歩、三歩近づく。


 少女は合わせて三歩下がる。


「……あの」


「……なんでしょうか?」


 おずおずと切り出す僕に対し、極めて冷静に問い返す少女。なんでしょうかはこっちの台詞だと思う。


「近くで話したいんだけど」


 その距離約10メートル。人と会話する距離じゃない。


「嫌です。それ以上近づかないでください。それ以上近づいたら逃げます」


「えぇー」


 なんだろうこれは。信用を得るために走るのをやめたのに、それでもまるで信用されていないようだ。


「別に何もしないよ。本当に話したいだけ」


 なるべく優しげな声を作って言ってみる。とは言っても僕にそんな演技力なんて無いんだけど。

 少女は露骨に嫌そうな顔で、「話すだけなら近づかなくてもいいでしょう?」なんて言ってきた。きつい。


「……わかった。この距離でいいよ」


 折れた。諦めるのが早いのは元苛められっ子の特性だ。

 とりあえず話が出来るだけでも儲け物だ。


「えっと、まず凄く失礼な事聞くけど、君って人間だよね?」


「なんですかその質問は。当たり前じゃないですか」


 物凄く訝しげな表情をされた。まぁ、おかしな事聞いた自覚はあるんだけど。どうにもしばらく人間を見ていなかったから、人間が居るってだけで信じられない。

 ――でも、良かった。僕以外、人間が居なくなったものとばかり思ってた。

 こんなに嬉しいのはいつ以来だろう。


「……なんで、泣いてるんですか?」


 不思議そうに少女が僕に言う。いつの間にか僕は涙を流してしまっていたらしい。


「ごめん、ちょっと……嬉しくてっ……うぐっ……」


 やばい、涙が止まらない。折角人に会えたのに、こんなんじゃ駄目だろ僕。もっとちゃんと、しっかり話さないと。


「私も……」


 なんとか涙を止めようと必死になっていると、少女の方から話を切り出してくれた。


「私も、嬉しかったです。久しぶりに、人に会ったから」


 そうだったのか。それは、本当に良かった。いきなり追いかけて、いきなり泣き出して、さぞ気持ち悪がられているだろうと思ってたけど、なんとか話はしてくれる気になったらしい。

 ただ、それならそれで気になることがある。


「――でも、それなら何故この距離?」


「それは、その……、気にしないでください」


「無茶言わないで!?」


 僕と少女の距離は、当初のままの10メートル。

 気になるよ、そりゃあ。


「言いにくい事なので――でも、安心しました」


「なんで?」


「いえ、あまり……その。悪い人では無いのかな、と」


「ああ、そういう事ね……」


 出会い頭に全力で追いかけてしまったし、やっぱり怯えさせてしまったのだろう。でも、話し始めてすぐに泣きじゃくる情けない男なら、そう害は無いと判断したのだろう。正直恥ずかしいけど、結果オーライってところか。


「じゃあ、やっぱりもう少し近づいても――て、ちょっ!」


 僕が提案しかけた時、少女は何の前触れもなく突如前のめりに倒れた。

 急いで駆け寄ったけど、そもそも距離が離れすぎていたため、残念ながら地面に衝突する前に受け止める事は出来なかった。


「大丈夫!?」


 傍まで駆け寄り、肩を揺すって大声で話しかける。慣れない大声を出した上に泣きじゃくってしまったので、いい加減喉も枯れているけれど。そんな事は関係ない。

 こんな所で折角会った人間と別れたくない。もっと色々話していたい。

 心配しながら顔を見ると、少女は随分弱った様子だった。苦しそうに息をしていて、頬がわずかに赤くなっている。

 僕は医学の知識なんて全く無いけど、このまま放っておいたらダメな事くらい分かる。とにかく休める場所に――と言っても市役所の中は荒れ放題だし、ゆっくり休めるような場所は自分の家以外に思いつかなかった。


「えっと、ごめんね」


 一応謝ってから少女を抱きかかえ、僕はそのまま自分の家まで走って帰った。

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