化物の悲劇

朝霧

私はもう、この化物の事を愛してしまった

 炎、炎、炎、一面の炎。

 自分が住んでいた村はたった一刻で真っ赤な炎に舐め尽くされた。

 逃げるために走り続けていたのだけど……炎のせいかうまく呼吸ができずに身体が動かなくなった。

 まだかろうじて無事などっかの誰かの家の壁に背を預けて座り込む。

 ここが私の死地か……

 どうしてこうなったんだっけ? 確か化物が来たのだと誰かが叫んでいた気がする。

 その叫び声のあと、たくさんの悲鳴と絶叫が聞こえてきたけど……今はもう、自分の呼吸と炎が爆ぜる音しか聞こえない。

 皮肉なことに逃げ遅れた自分がこの村最後の生き残りらしい、逃げられた人も何人かいたんだろうけど……

 燃え上がる炎を見た、ああ、赤い。

 不意にざり、と音がした。

 首を動かしそちらを見る。

 そこに美しい化物がいた。

 その化物はヒトの形をしていた。

 年の頃は自分と同じくらいで、まだ幼さを顔に残している。

 ぬばたまの黒髪は長く美しく、同色の瞳は黒曜石のようだった。

 その美しい化物と目と目があった瞬間、走馬灯が走った。

 赤、赤、赤、一面の赤。

 べったり赤く汚れた地面、引きちぎれたニンゲンが地のあちらこちらに散らばって、さらに地面を汚している。

 その地を中心として、武器を構えた沢山の人が円を描くかのように取り囲んでいたが、彼らは悲鳴と絶叫を上げて駆け出し、円が大きくなっていく。

 その円の中心で、赤にまみれた化物が何かをきつく抱きしめ、泣き叫んでいた。

 何もかもを失ったような、獣にも似た慟哭。

 それが人を恨み続け、殺し続けた化物の終着点、このあと彼も打ち取られ、そこに残るのは悲劇のみ。

「……ああ、そういう因果か」

 視えたもののあまりの酷さに思わず笑いがこぼれた、これはあんまりだ。

 笑い声を立てた私に化物が訝しげな表情をする。

 重い体を無理矢理立ち上がらせる、全身が軋んで悲鳴をあげそうになったが堪える。

 どうせどう転んでも私は死ぬんだ……だったらあんなもの、回避させてもらう。

「…………殺してやる」

 それだけつぶやいて一歩前へ、武器なんぞ持っていないので拳を握りしめて、前へ。

「……あ」

 三歩進んで、何故か動かない化物にあと一歩のところで、足がもつれた。

 乾いた地面に顔面がぶち当たる、鼻が痛い。

 それでもなんとか身を起こそうとするが、立ち上がれない。

 ……もうこのままでいいか、多分このまま放置されたら回避できるから。

「おい、お前」

 低く澄んだ声が聞こえた、美しい化物は声まで美しいのかと戯言めいたことを思った。

 何も答えずにいると、肩を掴まれた、そのまま殺されるのかと思ったが、その意に反して身体を反転させられる。

 仰向けになった私の目に入ったのは自分を見下す化物の姿だった。

 星も月もない夜空のように淀んで真っ黒な化物の目を、私はぼんやりと見上げた。

「おい」

 再び化物は問いかけてくる。

 その顔に、一切の表情はない。

 綺麗だな、そう思った。

「……なに」

 それだけぽそりと返した、一体何の用があるんだ、殺す気がないならさっさといなくなれ。

「お前は何だ?」

「……人間」

 わけのわからない問いかけを訝しく思いながら、それだけを答えた。

「人間、お前は何がしたかったんだ?」

「……なに……って」

「お前は俺を殺すといったが、まるで殺意がない、意味がわからない」

 なんだ……気付かれていたか。

 さてどう言ったものか……

 少し迷って、結局本当のことを言うことにした。

「未来視……って知ってる? 先読みとか、予言とか、そういうの……さっき、君と目があった時……未来が視えた」

 幼少期の頃から数えて三回、私は未来を視たことがある。

 一回目は川で溺れかけた時、二回目は飢饉で餓死しかけていた時、そして三回目が今視たものだ。

 どうも私は死にかけている時に未来を視る体質らしい。

 一回目の時はそれがなんなのかわからなかったが……二回目でそれが何かを、それの仕組みと共に悟った。

 だから誰にもこの話はしたことがなかった。

 だけどもういいだろう、ここを私の終着点にするから。

「君、このままだと悲惨だよ……全くもって……救いようが、ない……君は、今より更に人間を憎む事になる……それで……いっぱいいっぱい、人を殺して……最終的に君も殺されるんだ……」

 それが視えた未来、悲劇でしかない彼の終着点。

 だけど、多分まだ間に合う、間に合わせなければならない。

 絶対だ、あんな未来回避してやる。

 どうしてそんなに必死なのか……自分でも滑稽だと思うが、あの未来を視た時点で、私はもう……

「どうやら……私が生きていると……そうなるらしいから……ここで、くたばっておこうと思ってさ……あれは……あんまりにも、酷すぎる……最悪、だ」

 化物は何も言わずに私を見下ろす。

 おそらく死にかけている私の戯言だと思っているんだろう、別にそれでもいい。

「だから……化物、さっさと……殺す気がないなら……どっかいっちまえ……」

 最後にそれだけ言い捨てて目を閉じる、もう限界が近い。

 不意にくつくつと笑い声が聞こえた。

 くつくつとしたささやかな笑い声は徐々に大きくなり、最終的にゲラゲラという大声になった。

 何事かと目を開く。

 化物が笑っていた。

 先ほどまでの無表情を捨て去って、心の底から楽しそうな、嬉しそうな……

「……なにが、おかしい」

 思わずそんな問いかけが口からもれていた、掠れた私の声は化物の笑い声にかき消された……と思ったのだが、化物は耳聡く私の声を拾い上げたらしく、笑うのをやめて私に視線を向けた。

「……最高だ」

 化物は口が裂けそうなほど口角を釣り上げて、そう呟いた。

「まだ人間を憎めるのか? 今でさえ十分憎んでいるというのに? あははははは……楽しいなあ?」

 その声に、言葉に全身がぞくりと凍りついた。

 逃げなければ、本能がそう絶叫を上げる。

 それに素直に従い体を起こして……起こそうとして……動かない。

「……っ」

 全身が軋む、痛いというよりも重く、重いというよりも苦しかった。

 それでも逃げなければ、逃げなければ。

 本能が叫ぶまま、理性が警告するまま、それに従い逃げようと、なんとか身を起こし。

「逃がさないぞ」

 かすかな笑い声と共に右肩を踏みつけられた。

 ぼきり、と何かが折れる音がした。

「――っ!」

 掠れた悲鳴をあげたはずだったが、何も聞こえてこなかった。

 声を上げる余裕すらなくなったらしい。

「ああ、力加減を間違えたか……人間は脆いなあ……」

 ひどく楽しそうな声が上から降ってくる。

「……なんの……つもり……だ……ころすなら…………さっさと」

 殺せ、そう続けようとした時、肩から足をどけられた。

 そして襟首を掴まれ、中途半端に体を起こさせられる。

「お前は殺さない。死のうとしても無駄だ。お前の言う最悪の未来を潰えさせるわけにはいかないからなあ……だからそれまではお前を生かしてやるよ人間。ああ、面白いなあ、楽しいなあ……」

 そう笑いながら彼は私の体を抱き上げる。

 ああ……しまった……悪手だったか。

 絶望が身を包む、駄目だ、このままだと駄目だ。

 なんとか身動きをして逃げようとするが、炎に巻かれ続けた身体は限界をすでに通り越していたのだろう、意識が遠のいてきやがった。

「……畜生」

 それだけつぶやいて、あとは何も覚えていない。

 こうして、悲劇への道は開いた。

 化物を愛して人間に殺されるヒトと、ヒトを愛し、そして失い更に壊れる化物の悲劇が。

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化物の悲劇 朝霧 @asagiri

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