第3話 後日談

 あれから半年後、俺の足もリハビリを含めて完治し、映画もなんとか公開にこじつけることができた。

 自分のお手伝いに男女の関係を強要していたプロデューサーは、クレジットから名前を外された。スキャンダルと無関係を装ったおかげでとりあえず事なきを得た。少なくとも世間はそんな事件を半年も覚えていなかった。


 興行的には最悪な結果になった。これは事件とは関係なく単純につまらなかったからだ。

 人気のある漫画原作を持ってきたからといって映画もヒットするなんてことはないってことぐらい業界の人間ならわかってるはずなんだが。とにかく映画を作って興行するというスパイラルを止めるわけにはいかないのだろう。

「映画産業を止めるな!」ってか。いいね、これこそ映画にすべき題材だろう。今度は俺が企画を持っていこうか。


 もちろんコケた映画の主演俳優の企画なんて誰も見向きもしない。

 金満が死んでからの俺の仕事は、それこそこの映画の宣伝活動くらいだった。慣れないバラエティーでもイジられるのはデカい体くらいで、話を振られても面白い返しができないから、相手をしてくれるアイドルや芸人が苦労してるのがありありとわかる。完璧な台本を寄越してくれたら完璧に演じてやるんだが。


 捏上に言ったように舞台に戻ろうかとも思った。だが、舞台は輪をかけて実力世界だ。俺の舞台での実力はとうに知れ渡ってる。案の定、誰も相手にはしなかった。

「いいね、一緒にやろう」

 と、酒の席で肩を組んで意気投合してくれた演出も酒が抜ければ現実感覚を取り戻しやがる。


 そんなある日、事務所から久しぶりに呼び出された。いよいよ最後通告か。

 だが内容は「手紙が来てる」だった。


 手渡された、シンプルな白の洋形封筒の表面に事務所の住所に俺の名前がデカデカと書かれている。裏を見るとここにも住所と見たことのある名前が書かれている。

「捏上明」

 あの探偵だ。この住所って?鞄の中から財布を取り出して以前もらった名刺を取り出す。ここのところ名刺をもらえるような仕事にありつけていないから、半年前の名刺が財布の中に入ったままだ。

 封筒に裏書きされていた住所は探偵事務所の住所と同じだった。ただ事務所名だけは書かれていない。もし、書かれていたら芸能事務所うちの人間から興味本位であれこれ聞かれかねない。そんな配慮ができる人だとは思わなかった。意外と良識があるんだな。

「中身見たの?」

 手紙を渡してくれたマネージャーに尋ねる。

「いや見てない」

 即答だった。まあ、手紙爆弾とかカミソリなんかを入れられるほどの役者じゃないしな。恨まれも羨まれもしないから。


 事務所のハサミを借りて封を切る。

 中は写真一枚きりだった。便箋すら入っていない。しかし最近はデジカメばかりだから写真なんて、ずいぶん久しぶりに見た気がする。

 ……写真の表を見たあと、裏を見る。そこには一週間後の日付と時間、それにファミレスの名前と支店名が無造作に書かれていた。……その日、その時間までにその店に来いということらしい。


 一週間後の十三時、指定されたファミレスに着いた。呼び出した張本人はまだ着いていないらしい。遅刻するとはいい度胸だ。奥の席に座り、コーヒーを注文する。

 十分後、探偵がゆうゆうとやってきた。



 あの頃と変わらぬ、にこやかな笑顔と黒のベスト。違うのは開襟シャツが半袖なことぐらいだ。彼は席に着くと

「チョコケーキ。別伝票で」

 と注文した。

「捏上さん」

 注文をとったウェイトレスが去るとすぐに切り出した。

「なんでしょう?」

 悪びれない様子が腹立たしい。

「あれはいったいなんですか?」

「あれって?」

 俺は胸ポケットから写真を一枚取り出して捏上の方へテーブルの上を滑らせた。

「……見たままですが」

 写真をチラリと見てから、こちらに向き直って答えた。

 その写真に写っているのは一本の鍵だった。家の玄関や部屋などの鍵ではなく、小さな面付シリンダー錠と呼ばれるタイプだ。

「なぜ、あんたがこの鍵を持ってる」

「どうして僕が持ってると思うんですか」

 捏上は、しれっと質問で返す。

「……わかった。まどろっこしい探り合いは無しだ。……幾らだ?」

「なにがですか?」

 まだしらばっくれる気か。

「あそこからジャンパーを持ち出したのは、あんただろう。それだけじゃない。他のものだってあんたの手の中のはずだ。幾ら払えば、それをこっちに返してくれるんだ」

 周囲の客に聞かれないように、小声でささやかなくてはいけないから、いきおい、捏上に顔を近づけてしまう。

「それは無理でしょう。今の和久利さんの経済状況では銀行に頼みこんでも、たいした金額をかき集めることはできませんよ」

 俺の表情が変だったのか

「私立探偵っていうのは『推理』じゃなく『調査』が本業なんですよ。あなたの懐具合なんて調べるのは朝飯前です」

 付け足した。

「だったら、これはなんだ」

 写真を指さして問い詰める。

「……もちろん、あなたがだということを伝えるためですよ」


 捏上の言葉に我に返る。

 もしかしたら、罠に嵌められたんじゃないか。奴は決定的な証拠を持っていないから、俺から自白を引き出すつもりで鍵の写真でカマをかけにきたんじゃないか。

 俺はここに来てからの自分の言葉を思い返してみる。

 大丈夫。ボロは出そうだったが、決定的なことは言ってない。

「なんのことですか。金満先生を僕が殺しただなんて言いがかりも甚だしいですね。なにより僕の無実を証明してくれたのは他ならぬ捏上さんじゃありませ……」

 右手を軽くあげて俺の発言を制する。目線を捏上から外すとウェイトレスがこちらにチョコレートケーキを持ってやってきていた。……なんで、わかるんだ?

 ウェイトレスがケーキを捏上の前に置いて「ご注文は以上でしょうか」とマニュアル通りのセリフを吐くと捏上はニッコリ笑って頷いた。

 彼女が去ってから

「この写真を見て金を支払おうとしたんですから、もう認めたも同然じゃありませんか」

 そう言ってケーキにフォークを入れる。

「なんのことだか、わかりませんね。僕はお金を払うだなんて言ってませんよ」

 椅子にもたれかかりながら、彼の言葉を否定する。するとフォークから手を外してベストのポケットからシルバーの名刺サイズの機械を取り出した。

「……なんですか、これ」

 捏上は

「ICレコーダーです。今はスマホでも録音可能ですけど専用機の方が信用できますからね」

 そのレコーダーをテーブルの上に置いた。

「ここに来てからレコーダーの録音ボタンを押してます。ですから、さきほどの『幾ら払えば、返してくれるんだ』も、ちゃんと入ってますよ」

 反射的にレコーダーに手を伸ばして奪い取った。捏上は気にするでもなく食事を再開している。

「それを壊しても録音はできてますから、ご心配なく。例えばこの胸ポケットについてるペン型の録音機とかで」

 俺は奪い取ったレコーダーをテーブルに放り投げた。

「……いつから、わかってたんだ」

 観念した俺は、このちんちくりんの探偵の話を聞くことに決めた。

「……リビングに入ってすぐに、あなたの犯行だとわかりましたよ」

 美味しそうにケーキを頬張りながら、澄ました顔で答える探偵。

「バカ言え。あんたはリビングを出るまで俺があの家にいたことを知らなかったじゃないか」

 まったく適当なことを言いやがる。

「現場に行く車の中で被害者のことをネットでザッとですが確認しました。彼が仕事を一緒にしている俳優の中でもっとも背が高いのは、あなたでしたからね。きっと、いると確信してました」

「背の高さが、なんの関係があるんだ」

 捏上はケーキを食べる手を止めて

「リビングにあったキャビネットの下に少しですが真新しい埃が落ちていました。最初はキャビネットの上の棚からグラスを取り出した時に落ちた埃かと思いましたが、テーブルに置いてあるワイングラスと同じものは僕の背でも十分取れる位置にありました。そうなると取り出した時じゃなくて、なにかを置いた時に落ちた埃ではないか、そう考えました。

「なにを置いたか?この状況でキャビネットの上に隠すのは犯行の証拠になるものです。つまり、それが発見されれば問答無用で犯人もしくは犯行の方法が特定されるようなものです。自分が持っていては持ち物を調べられた時に困るからとっさに隠したのでしょう。ですから、隠した人が犯人の可能性が極めて高いということです」

 滔々と語り終えるとまたフォークを持ってケーキとの格闘を再開した。

「キャビネットの上にものを隠せるような人間は俺以外にいないというわけか。たいした推理だが、そんなもの椅子か何かを使えば簡単に隠せるだろう。それを隠したのが俺だという証明にはならないんじゃないか」

 探偵はケーキの最期の一口を放り込むと

「あの部屋には踏み台になるような椅子や台の類はありませんでしたよ。……スツールとかもね」

 口をナプキンで拭いながら答えた。

「……あんたが犯人は俺だと思い込み、そして現場にたしかに俺がいたんだから容疑をかけたくなる気持ちはわかった。だったら俺がどうやって金満を殺したのか説明してもらおうか」

 俺の要請に応える意思がないのか、探偵は食べ終わった皿を見つめたまま黙り込んでる。

「おい……」

 ピンときた俺はテーブルにある呼び出しボタンに手を伸ばした。きっちり二分後、やってきたウェイトレスに

「この人にチョコパフェを。一番デカい奴で。……いいですよね」

 最後の言葉は捏上に向けて言った。彼がにこやかに頷くのを確認すると

「伝票は一枚にまとめてください」

 二枚の伝票をウェイトレスに渡した。

「……さて、じゃあ話していただけますね。それともパフェが来るまで止めときますか」

 捏上は首を横に振る。

「……あの日、和久利さんは両手に松葉杖を持って金満邸にやってきました。間違いありませんね」

 黙って頷く。

「あなたはリビングに通され、金満さんはキャビネットからワイングラスを二つ持ってきました。そしてワインを注いで、あなたに飲むように言った。ただし座ることは許されなかった」

「ちょっと待て、俺は座って左足をスツールに乗せたって言ったはずだが……」

 俺の反論に

「僕も言ったはずですよ、あの部屋にはスツールなんてなかったと」

 表情を変えずに答える。

「足のケガがなかったときは必要なかったので、あの部屋にスツールがないことに気がつかなかったんですね。それで足をケガしたのに座らせてもらえなかったので、やはりあの日も気がつくことはなかった。

「あなたは膝を曲げることができない上に、その背の高さからなかなかワイングラスを手に取ることができなかった。そこで金満さんから提案が……」

 捏上が黙ると、先ほどのウェイトレスがよろよろとチョコレートパフェを持ってやってきた。だから、なんでそんなにタイミングがいいんだ?……って、でけぇ!なんだそのデカさは!?洗面器かっ?

「……伝票はどちら……でしょう……か?」

 やっと洗面器……もとい、チョコパフェを運んで捏上の前に持ってきたウェイトレスは息も絶え絶えに伝票を差し出してきた。俺が受け取るとフラフラとした足取りで戻っていった。

 それにしても、でかい。テーブルの半分以上を占拠しているから俺の前にもチョコの香りが漂ってる。

 特大チョコパフェにスプーンを差し込んで、まずはチョコレートソースがかかった生クリームから攻め始めた。生クリームを一口満足そうに味わうとすぐにチョコアイスにスプーンを入れる。そして、やっと話を再開した。

「……あなたが金満さんを殺害した方法はすぐにわかったのですが、なぜ金満さんはその状況を黙って見ていたのかが、さっぱりわかりませんでした」

 アイスを口に入れ、食感と頭の痛みを味わいながら少しずつ話し出す。

「自分を殺すための準備が目の前……いえ、頭の後ろですか、そこで着々と進められているのに、なにを平然とワインを飲んでいたのか理解できませんでした。……ですが、こう考えれば辻褄があいます。つまり、その準備を和久利さんに命じたのが金満さんだったらです」

 迷い箸ならぬ迷いスプーンをしながら次々とパフェを攻略する。

「座らせてもらえない和久利さんに金満さんは提案します。『君の背が低くなればいいんだ』と。そして、鍵を渡して『その中に入れ』とでも言ったんじゃないでしょうか」


「いつも思ってたんだが、君が頭を下げても下げられた気にならんのだよ」

 奴は足を痛めている俺が黙々と準備している中で酒をあおりながら、そんなことをダラダラと喋っていた。

 俺は必死だった。金満に見捨てられたら俺はこの世界でやってはいけない。奴は大事な金ヅルだ。どんなやり方でも機嫌をとらなくてはいけない。

 膝を曲げられないからローテーブルのワイングラスが取れなかった俺に、もっと低い場所での作業を命じるなんて正気だと思えない。だが、俺に拒否する権利はない。俺は床にうつ伏せになりながら黙って作業を続けた。


「なんとか中の物を取り出した和久利さんは命じられるままに中に足を入れた。そうして立つとたしかに目の前に座って背中を向けている金満さんと頭の高さがほぼ同じになる。その時になにか言われたんでしょう、カッとなって殺したくなるような一言を……」


「そんなところに入るなんて……君にはプライドというものがないんだねえ」

 ゲラゲラ笑いながらソファに座り直した奴の後頭部を見ながら、俺は手元にあったワインの瓶をなにも考えずに横に振った。

 ……鈍い音と、倒れ込む音。

 血に濡れたワインと右手をしばらく見つめるとハッと我に返った。


「もしかしたら殺したこと自体は後悔しなかったかもしれません。しかし自分が殺したということは、この無様な格好をしたことが露見することでもある。プライドの高い和久利さんには耐えられなかったでしょうね」


 俺は大急ぎで穴から出るとジャンパーを脱ぎ、穴の中に放り込んだ。そしてローテーブルにあった布巾で凶器のワインをひとしきり拭うと、その布巾も穴の中に入れた。


「証拠を放り込んで蓋をして鍵をかけた。しかし、この鍵を持っていては警察に発見された時に言い開きができなくなる。とっさにあなたはキャビネットの上に置いた。そこなら発見される可能性は少ないと踏んだんでしょう。しかし、逆に和久利さんの犯行を決定づけてしまった」

 洗面器パフェと格闘しながら捏上は淡々と見てきたように当時の状況を克明に描き続ける。

「……警察はどうして気づかなかったんだ?」

 あの時がフラッシュバックして動悸が酷くなる。やっと口を開いて出た言葉がこれだ。

「少なくとも鑑識は気づいてましたよ。金満さんが座っていたソファの裏、カーペットの下にがあったことぐらいは」

 そうだったのか……。

「だったら、どうして……」

「まさか床下収納を背の高さを調節するために使うなんて誰も発想しませんよ。鍵もかかっていましたし、わざわざ蓋を破壊してまで中を調べようとは考えなかったんでしょう。その意味で言えば、和久利さんの証拠隠滅は功をそうしたんですよ」

 捏上はチョコアイスを一口食べたらブラウニーを食べ、その次はウエハースと洗面器パフェをニコニコ笑いながら堪能している。

 もうここまでか。なにか逆転できることはないか?

「……床下にジャンパーを放り込んだのは濱西じゃないのか?……俺は床下収納なんて知らなかったぞ」

 俺の絞り出すような問いかけに、やれやれといった表情で説明をはじめる。

「あなたがやってきて金満さんがワインをあの床下収納庫から取り出したんですから、あなたがそれを見ていないはずはありません」

「いや待ってくれ。あのワインは俺が持ってきたものだ」

「それはないでしょう」

「……なぜだ?」

「だって両腕を松葉杖で塞がれた状態でやってきた和久利さんが、どうやってワインを持ってくることができるんですか」

 ……!

「カバンも持ってきていない。あのジャンパーの浅いポケットの中ですか?あんなところに入れたらすぐに落っこちちゃいますよ。あなたが自分がワインを持ってきたと嘘をついたのはすぐにわかりましたが、なぜそんな嘘をつかなくちゃいけなかったのか。正直に金満さんのワインと言ってしまえば、どこから出したのかという話になる。それを恐れたあなたはとっさに『自分が持ってきた』と嘘をついてしまった。それもあなたを疑った要素の一つです」

 もうなにも言うことができない。そう思った。捏上はそんな俺をあざ笑うかのように説明を続ける。

「犯人はキャビネットになにかを隠した。それは背の高い人物である。だが、その人物は映画の撮影中に足をケガして、おそらく膝を曲げることができない。ならば隠したものは膝を曲げることができるものか曲げなくても犯行を実行できるもののいずれか。そう思考を進めれば僕には、あなたがどうやって金満さんの側頭部にワインの瓶を叩きつけたかもわかりました。だからこそ、この鍵を警察に見つけさせるわけにはいきません。鍵が見つかれば床下収納の蓋を開けて、あなたが隠した証拠品の数々が発見されてしまいます。だから、キャビネットの下についていた埃によだれを落として拭き取りました。和久利さんの犯行が不可能だと説明したのも同じ理由ですよ」

「……なに言ってるんだ?それじゃワザと捜査を撹乱させたって言うのか?」

「そう言ってますよ」

 悪びれずに答えてるが、それって立派な犯罪じゃないか。

「……どうして、そんなことをするんだ?あんたにとって、どんなメリットがあるんだ」

 探偵は口に咥えたスプーンを抜いて、俺に向けながら答える。

「だって、あなたが逮捕されてしまったらになってしまうじゃありませんか」

 ……?……!

「……嘘だろ?……あんた、そんなことのために。……濱西を犯人にでっち上げたのか」

「もっとも実際に映画を観せていただきましたが、これだったらお蔵入りになった方がよかったと思います」

 捏上は嬉しそうに言う。主演俳優に向かって言うセリフか。

「原作の漫画が好きだったんですよね。だから、期待してたんですが、やはり前評判通りの結果でしたね。『和久利なんて大根じゃないか』『原作通りなのはデカさだけだろう』って散々書かれてましたよね。日本で漫画原作の実写化はうまくいかないんですかね」

 その言動にカチンときた。

「そんなのは俺のせいじゃないでしょう。あの作品がヒットしなかったのは、つまらなかったからですよ。シナリオも演出も……あいつが……金満が連れてくる輩は全然、使い物にならない奴ばかりだから」

 俺の高説に関心を示さないのか、またスプーンを洗面器パフェに差し込んで

「金満さんの連れてくる脚本家や監督が使い物にならないなら、金満さんが連れてくる役者だって使い物にならないのは当然じゃないですか」

 そう言うと、また嬉しそうにアイスを口に入れる。いちいち癇に障ることばかり言いやがる。

「実際、あなたは犯罪者としても使い物になってませんよ。偽装する演出も騙す演技も全部、見透かされてます」

「例えば……」

 俺が苦し紛れに言うと奴は得意そうに

「あなたがなぜわざわざ足を骨折して取ることも難しいローテーブルの上の血まみれのインターホンを使って濱西さんを引き留めなくてはいけなかったか。濱西さんは、どうでもよかったはずです。彼女にわざわざ知らせる必要も、ないですし彼女が帰るときに金満さんに挨拶をするでしょうから、その時に知らせても遅くはないはずです。

「和久利さんにとって必要だったのは金満さんの血だからです。あなたは彼を殺害して右手が血だらけでした。警察が来るまでに手を洗ってもルミノール反応で引っかかったら元も子もありません。だから、右手に血を付ける必要があった。血まみれのインターホンを右手で持ってしまえば、もしルミノール検査をされても言い訳ができますからね。

「そんな手に取るようにバレバレな嘘をつくような人が使い物になるわけがありませんよ」

 言った。

「そんなことより和久利さんが、うまいこと足跡を偽装してくれれば外部犯説で迷宮入りにできたんですがね。そうすれば誰も傷つかなくて済んだのに。まあ、亡くなったおかげで後顧の憂いなく犯人に……そう、真犯人ではなく偽犯人ぎはんにんになってもらうことができました。……ああ、やっぱり」

 洗面器の底を覗き込んでた捏上が世にも残念そうに声を荒げた。

「底の方はコーヒーゼリーじゃないですか。どうして、こんな苦いものを甘いパフェの中に入れちゃうかな」

 今はそんなこと、どうだっていいだろう。

「あんた、濱西が死んだから犯人に仕立て上げたのか。もし、あいつが死ななかったらどうするつもりだったんだ?」

 俺は話を元に戻す。探偵は掬いとったコーヒーゼリーを一口食べると、この世の終わりのようなしかめっ面をした。そして、すぐにチョコアイスにスプーンを入れた。

「……外部犯説が無理だと判断してから、濱西さんに罪を着せるために工作しましたよ。例えば、ジャンパーの指紋とか」

 よっぽどコーヒーゼリーが苦かったとみえる。アイスを二口目、三口目と書き込んでいるのに顔はしかめたままだ。

「そうだ!あのジャンパーにどうやって濱西の指紋を付けたんだ?」

 いや、そもそも指紋なんてあったのか。どう考えたって彼女の指紋が付くなんて考えにくい。

「そんなことは難しくありませんよ。あなたと重村さんが客間に行ったときにインターホンで濱西さんに椅子を持ってきてもらうように頼みました。椅子を運んできてくれた彼女をドアの外で待たせて、僕はキャビネットの上から鍵を取って、床下収納庫を開けて中から袖口に血の付いたジャンパーを取り出しました」

 おい、まさか……?

「それを内側が表になるように畳んでから待っていた濱西さんに渡しました。『これを適当に処分してください』と」

 ……濱西は捏上たちと違って手袋をしてないから、確かに指紋は付く。

「彼女がどうするかによって、運命は変わってきます。警察に提出されてしまえば、そこでお終いです。彼女の証言が加味されれば、言い逃れはできません。

「できれば普通にゴミとして捨てて、それが人知れず回収されれば一番いい。彼女の指紋が付いてるとは言ってもほんの一部分です。警察がしっかり調べればすぐに彼女は犯人ではないとわかります」

 喋りながら何口アイスを食べたかわからないが、やっと苦味が治まったらしい。

「しかし、彼女は善良な市民の義務を果たす気はなかった。あなたと濱西さんがキッチンから出て行ってすぐに僕はゴミ箱をザッとチェックしました。案の定見つからなかった。警察に渡した様子もない。その時、キッチンの隅に置いてあったバッグパックを見つけて念のために中を見たら、そこに入っていました。和久利さんのジャンパーが。

「あれを見れば、あなたが真犯人だということはすぐにわかる。そうなると、濱西さんがあなたを連れ出したのは、『自分は真実を知ってる』と脅しをかける気なんだとわかりました」

 あの時、濱西は

『あの探偵さん。あなたが殺したって知ってますよ』

 そう言った。「疑ってる」ではなく「知ってる」と。つまり、こいつも濱西と同じように俺を脅すつもりなのだ。

 濱西は捏上から血のついたジャンパーを処分するよう頼まれた時点で、奴が事件を隠蔽することにしたと気づいたのだ。それで、まずは俺に揺さぶりをかけて、その後でこの探偵も脅迫するつもりだったのだろう。しかし……

「しかし、幸か不幸か濱西さんは亡くなりました。これは最大限に活かさなければいけません」

 俺の心の声を聞いてるかのような捏上のセリフにビビる。

 もうダメなのか?なにか……。俺は洗面器パフェと格闘している捏上の傍らに置いてあるICレコーダーに目を留めた。

 そうだ!よくよく考えれば、これは俺の告発でもあるが、この探偵のでもあるわけじゃないか。その証拠が今も目の前にあるレコーダーに刻一刻と録音されている。

 奴がパフェに没頭している隙を狙う。

「捏上さんは……甘党みたいですけど、酒とかは飲まないんですか?」

 話題が突然変わって、不意をつかれたのかパフェに向けていた視線をこちらに向けた。

 まだだ。俺は視界の端にレコーダーを捉えたまま会話を続ける。

「正直、こんなところでパフェを食いながらする話じゃないでしょう。もっと人気ひとけのないバーとかでしたほうがいいんじゃないですか」

 捏上は呆れたように、

「アルコールを摂取する人の気がしれませんね。ある研究によるとアルコールを過度に摂取すると脳が萎縮して判断力の低下を招き反社会的な行動を起こしやすいらしいですよ。やはり、脳には糖分が一番です」

 再び、スプーンでチョコアイスに没頭しだした。

 ……今、お前がやってるのは立派な反社会的行動じゃねえか。

「あくまでも『過度の摂取』でしょう。ほどよい量だったらむしろ薬ですよ」

 こちらの話に耳を傾ける気はなくなったようだ。ただ、ひたすらパフェ攻略に乗り出してる。今なら……。

 俺は酒談義を続けたまま、視線は捏上に向けた状態でテーブルに置いてあるICレコーダーにソッと手を伸ばす。まだ、こちらの行動には気づいていない。

 右手がレコーダーに触れた。俺の大きな手で十分レコーダーを隠すことができる。そのままゆっくりと右腕を引き寄せる。奴さんはまだ黙々とパフェをかっ喰らってる。

 やっとレコーダーが俺の元にやってきた。これで条件は対等だ。捏上が俺を脅すということは、奴も俺から脅されるということだ。思わずほくそ笑む。

「それは、差し上げますよ」

 洗面器パフェの向こうから声がする。

「僕からは今回の事件の真相を他に発表するつもりは……とりあえずはありません。和久利さんが良心の呵責に耐えかねて自首をするときに、それを警察に提出したければそうしてください。僕は一向に構いません」

 捏上は、こちらに目を向けずパフェを食べながら淡々と喋る。

「ただ、警察が被疑者死亡で起訴した事件を再捜査するかは微妙なところですが、やってみる価値はあると思いますよ」

「……だったら、どうしてお前はこんなことをするんだ?」

「それは、さっきも言いましたけど、映画のお蔵入りを阻止するため……」

「そうじゃねえよ!どうして俺に、こんな話をするんだ」

 見当違いの発言を思わず声を荒げて制する。捏上の背後の席に座っているカップルがチラチラとこちらを気にかけだした。俺は小声に戻って奴に顔を近づける。

「濱西に罪をなすりつけて、真相をどこにも言うつもりはないなら、どうして俺に言う必要がある。貴様の犯罪が露見するかもしれないだろう」

 先ほど奪った録音中のICレコーダーを見せながら迫る。

 捏上は食べる手を止めて、こちらをジッと見つめると、やがてゆっくりと喋り始めた。

「……和久利さんは日本で殺人の再犯率がどれくらいあるか、ご存じですか?」

 首を横に振る。

「刑期を終えた人の約四割が、また罪を犯すそうです。おおよそ二人に一人といったところですか」

「それがなんの関係が……」

 捏上は俺の問いかけに視線で圧力をかけて止めさせた。

「ところが仮釈放の人たちでは再犯率は一割にも満たない。……なぜでしょう」

 奴が答えを求めてるのじゃないということがわかったから黙ってた。

「刑期を終えた人は罪を犯したことを悔いたから出られたわけじゃありません。単に時間が経ったから出所しただけです。仮釈放中ならまた罪を犯せば、さらに刑期が加算されますが、刑期を終えていれば、また一からです。『あの期間を我慢すればいい』『今度は上手くやれる』そう考えて殺人の損得を天秤にかけるんです。

「だったら何も裁判を受けて刑務所に行く必要はないでしょう」

「……どういう意味だ?」

 捏上はニヤリと笑う。いつものような笑顔じゃない。……これがこいつの本性なんだ。

「あなたが殺人を犯したことを知ってる人間が、いつでも暴露すると、わかっていたら、それ以上の罪を犯すことはできないでしょう。指名手配犯が逮捕されることを恐れて軽犯罪すら犯せないのと一緒です。

「だが、逮捕され罰を受けて出所すれば、また犯罪を犯すかもしれない。……刑罰は使使です。

「あなたがもし、僕を殺害すれば、今回の真相がマスコミと警察、それにネット上にも流れるようにしてあります。それに、和久利さんが別の罪を犯したときも同様です」

「ちょ……待てよ。俺は……殺人鬼じゃないぞ。二度とあんなことするもんか」

「そんなことはわかってます」

 笑っていない目と上がった口の端がアンバランスだ。

「思うに、人は反省をしません。常に天秤をかけているだけです。『殺した方が得か損か』と。再犯をしていない約六割の人は単に殺した方が損だからと考えてるにすぎません。得だと判断すればまた人を殺します。これは殺人鬼の論理ではありません。殺人鬼は『快楽か否か』で動きます」

「話が極端すぎるだろう」

「そうでしょうか?」

 探偵は俺から視線を外さない。俺も奴の視線をまともに受け止めてしまっている。

「濱西さんから脅迫された時、あなたは考えたはずです。『このままこいつの脅しに従ったら、後々もこいつの言うことを聞き続けなくてはいけない』と。だったら……」

 首筋と背中に汗が流れている気がする。

「……なに言ってんだ。……あれは事故だ」

「そうですね。間違いありません」

 やっぱり目が笑ってない。

「ただ、あなたは『彼女の手を取る時に、松葉杖を持った右手を差し出してしまった』と証言しました。その松葉杖が彼女の足に当たり、バランスを崩して階段を杖と一緒に滑り落ちてしまった」

「……その通りだ」

「あなたは僕と握手をしたときも迷うことなく松葉杖を左手に持ち替えてくれました。そうすることに慣れているからでしょう。なのにどうして、彼女の手を取る時にだけ……」

「ふざけるなっ!」

 バンッ!俺はファミレスのテーブルを右手で思い切り叩いた。


「……仕方ないじゃありませんか。いくらなんでも、こんなに大量のパフェを食べるなんて無茶ですよ」

 捏上が明るい声色に変えた。思わず周囲を見回す。レストランの客や従業員がいっせいにこちらを見ている。

 しまった。注目を集めちまったか。ただでさえデカい体だから、プライベートの時は目立つことは避けてきたのに、こんな時に限って……。

 いや、あんなことを言われて声を荒げない方がおかしいだろう。

 たしかに彼女の手を取ろうとしたときに手ではなく足を見てはいた。杖でそこを突くようにしたのも事実だ。

 彼女が死ねば安泰だと頭をよぎったかもしれない。だが、それだけで人を殺すのに損得で考えてるなんて言われるのはおかしい。

 そんな俺をよそに、捏上は

「いくら甘党の僕でもさすがに限界です。まだ半分近く残っていますが、ここでギブアップさせてください」

 にこやかに敗北宣言をする。俺にではなく、洗面器パフェに。

 周囲の客も納得したようだ。このテーブルの男二人の客は特大パフェを食えるかチャレンジしていたんだと。ギブアップする小さい客にデカい客がキレかかったんだと。

 探偵は長いパフェ用のスプーンを洗面器クラスの容器に放り投げるように突っ込んだ。そして、やおら立ち上がると俺の傍らに置いてあった伝票をヒョイとさらった。

「……おわびにそのコーヒーは奢ります」

 そう言うが早いか奴は席を立ち、レジに向かい支払いをカードで済ませた。

 そして、そのままこちらを振り返りもせずに外に出た。


 窓から店を出た奴の姿が見える。名探偵、捏上明は黒のベストのポケットから、チョコ棒を取り出して咥えたかと思うと、困惑して呆然としている俺と半分残ったチョコパフェを後に、スクランブル交差点の雑踏の中へ姿を消していった……。

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でっち上げ探偵「高い男」 塚内 想 @kurokimasahito

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