第20話 エピローグ そしてまた――
あれから8年の歳月が流れた。
季節は春。
僕は高校を卒業したあと、大学へと進学した。
そしていまはその大学も卒業して、地元の進学校へ新任教師として赴任。
日々を忙しく過ごしていた。
「テル先輩、どうしたんですか?
ぼうっと遠くを眺めたりなんかしちゃって」
肩を並べて歩く女性が、僕の顔を覗き混んでくる。
彼女の名前は奈良田さん。
大学の文芸サークルの後輩だ。
「……いや、なんでもないよ。
今日もいい天気だし、絶好のお花見日和だなぁ、なんて思ってね」
本当は別のことを考えていたのだけれども、そんな風に彼女へのこたえを誤魔化した。
「ホント、いい天気になって良かったですよねー。
やっぱりアレですかね?
天気も空気を読んで、テル先輩と私のデートを応援してくれてるんですかねぇ?」
隣で奈良田さんが冗談を言って笑う。
彼女は元気でよく気の回る素晴らしい女性だと思うのだけれど、時折こんな風に僕をからかってくるのが玉に瑕だ。
「なにを言ってるの、まったく。
さ、それより早く戻ろう。
そろそろみんな、お酒はまだかーって騒ぎ出す頃だよ」
彼女の返事を待たずに先に歩き出した。
「……もう。
テル先輩つれないんだから!
でも私は諦めませんよー」
早足で歩く僕の背中に、彼女のそんな声が投げ掛けられた。
◇
「おっせーよ、春間!」
「ごめん、ごめん。
はい、お酒とおつまみ、買って来たよ」
買い出してきたコンビニ袋を差し出すと、周囲から「待ってました」と声が上がった。
喜びの声を上げたのは、まだ正午にもならない時間なのに、既に出来あがりつつある酔っ払いどもだ。
「わりーな、テル。
次の買い出しは俺がいくよ」
同期の小野寺が話しかけてくる。
大学時代からの友人が大半を占める僕の交友関係のなかにあって、彼は数少ない高校時代からの友人だ。
小野寺は相変わらずよく気がつく。
けれど気を利かせてくれた彼だって、少しばかり顔を赤くしている。
「いや、いいよ。
僕はまぁ、そんなに飲まないからね。
酔っ払いを買い出しに行かせるくらいなら、僕がいくよ」
小野寺に応えていると、顔を真っ赤にして既に半ばヘベレケになっている宍戸が、にじり寄ってきた。
「バァロォ!
オルァ酔っ払ってなんかねーぞ!」
「はいはい。
わかった、わかった。
宍戸は酔ってなんかいないよー」
呂律が回らぬようになるまでガブガブとお酒を飲んで、酔って絡んでくる彼を、そう宥めすかして軽く流す。
すると宍戸は「わぁればいんだよ、わぁれば」なんて言いながら、今しがた買ってきたばかりの缶ビールに手を伸ばした。
◇
今日は日曜日。
会社も学校もお休みだ。
天気は晴天に恵まれて、正に絶好のお花見日和。
僕は今日、大学の元文芸サークル仲間に誘われて、近所の公園まで花見をしに来ていた。
実は大学を出たあとも、こうしてちょくちょく同期の友人や、先輩後輩と何かにつけて会っていたりする。
少し離れた場所から、サークル仲間たちを見遣る。
綺麗な桜が楽しめる眺めの良い場所に敷いた青いビニールシートの上には、男女半々くらいの割合で、僕を含めて10人ほどの紳士淑女が花見を楽しんでいる。
花見の楽しみ方は、人それぞれだ。
桜も眺めずに、ビールを次から次へと空けていく宍戸。
ここぞとばかりに仕事の愚痴を吐き出す、池下先輩と山元先輩。
後輩男子の深川に至っては、急に奇声をあげてどこかに走って行ったきり、帰ってこない。
ビニールシートの端に目を寄せれば、下野さんや浪花さんといった同期の女子組が、奈良田さんを中心に円陣を組んで、「春間くん攻略法はね……」とか、「笑うと可愛いのよね、春間くんは」なんて話をしているのが伺える。
一体なにを話しているのやら。
ぽかぽか陽気の春爛漫。
僕はみんなを眺めながら、アルコール度数弱めの、カシスのカクテル缶のプルタブを引き開けた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
僕はあの別れの日から、彼女との約束通り毎日を笑顔で過ごした。
大学に進学してからは文芸サークルに入り、積極的にひとと関わり続けた。
そうして、知り合った人々と別れたりまた出会ったり、喧嘩をしたり仲直りしたりしながら、結果としていま、僕はこうやって大勢の友人たちに囲まれて、色鮮やかな日々を賑やかに過ごしている。
「ちょっと春間先輩。
なにをひとりでにやにやしてるんですかー?」
近寄ってきて隣に腰を下ろしたのは、後輩女子の中橋さんだ。
彼女は同じく後輩女子の奈良田さんを流し見ながら「ふっ……」と小馬鹿にしたように笑っている。
奈良田さんはなにやら顔を赤くして、奥歯をぎりりと鳴らしていた。
「で、先輩。
なにを考えてにやにやしてたんですか?」
「いやね。
みんな楽しそうで、嬉しいなぁって」
笑いながら彼女のほうに顔を向けた。
中橋さんは胸を押さえて、顔を赤く染めている。
「だ、だったら春間先輩も、楽しみましょうよ!
差し当たり、私と一緒に、お酒を楽しく飲みましょー」
彼女は元気いっぱいに声をあげて、両手に持った缶チューハイの片方を僕に差し出してきた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
――春。
この季節になると、いつも思い出す。
あの日、僕の腕から霞のように消えた少女。
元々は僕の飼い猫で、あの日に2度目の別れを迎えた僕の最愛のひと。
……春間マリーのことを。
成長し、大人になった僕は、あの広く冷たい家を出て、都内に小さな1Kの賃貸マンションを借りた。
そして教職なんていう大変ながらもやり甲斐のある仕事に就き、一緒に笑いあえる友人たちに囲まれて、楽しい毎日を過ごしている。
高校生だった頃の僕がいまの僕を見たら、なんて言うだろう。
充実した毎日だ。
……でも、僕の胸には、抜けない小さな棘が刺さっている。
その棘がふとしたときにちくりと痛んで、少しの寂しさで、胸を締め付けるのだ。
こんな陽気な春の日には、特に。
◇
花見の宴も進み、時刻は正午を回った。
朝っぱらから宴会をしている僕たちだから、このくらいの時間になると、騒ぎながら飲んでいた連中もひと息ついて、宴の雰囲気は、騒がしさから落ち着きを伴ったものに変わっていた。
宍戸なんて既に酔っ払って寝てしまい、大きないびきをかいている。
深川は走って行ったきり、いまだ帰ってこない。
午前の喧騒に比べて、幾分落ち着いた雰囲気のなか、みんなでチビチビとお酒を飲み、肴をゆっくりと摘んでいると、不意に小野寺が話しだした。
「なあ、お前ら。
知ってる?」
「えっと、なんの話?」
先輩女子の藤さんが尋ね返す。
すると藤さん狙いの小野寺は、頰を赤らめてワタワタしはじめた。
まったく、わかりやすいヤツである。
「……い、いや、聞いた話なんですけどね。
桜の咲き始めた頃から、この公園で誰かを探し回っている子どもの姿が、何度も見かけられてるらしいんですよ」
「なにそれ、怪談?
っていうか、子ども?」
「違う違う。
怪談じゃないっすよ。
なんでも8歳か9歳かくらいの、明るくて元気な女の子らしいんですけど――」
「あー!
その話、私も知ってるー!
白いワンピースのすんごい可愛い女の子の話ですよね」
奈良田さんが大きな声で、話に割って入った。
「うちの事務所の先輩が見たって言ってました。
テレビの子役なんて相手にならないくらい、すんごい可愛くて綺麗な女の子がね。
『テルー、テルー』なんて言って、きょろきょろとしながら歩き回ってるんだって」
なにが興味を引いたのか。
池下先輩と山元先輩も仕事の愚痴をやめて、会話に参加してきた。
「『テルー』ってそれ、まるで春間を探してるみたいだな」
「というか、なんでその程度の話が噂になるんだよ」
「いや、噂になるくらい、すんごい可愛い女の子らしいっすよ。
俺も1回、見てみたいなって」
話題を切り出した小野寺に、浪花さんが尋ねる。
「で、小野寺先輩。
どうして急に、そんな話を始めたんですか?」
「いや、その女の子が現れる時間ってのが、ちょうど今くらいの時間らし――」
「あっ、あれ!」
応えようとした小野寺の話を、下野さんが遮った。
彼女は少し離れた場所を指差している。
「……向こうにいるあの子。
その女の子じゃないの」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
僕は、視線を遠くの少女に釘付けにする。
少女もまた、遠くから僕を真っ直ぐに見つめ返してくる。
白いワンピースの少女は、その顔に泣き笑いのような表情を浮かべたあと、こちらに向かって一歩、足を踏み出した。
そのまま小さな歩幅で、でもしっかりとした足取りで歩いてくる。
少女が近づいてくる。
僕の頭はまるで夢か幻でも見ているかのように、現実感を失い、意識が宙に浮く。
少女はもう、そこまで近づいて来ている。
少女を見つめたまま、僕は自然と立ち上がった。
「お、おい。
春間?」
「えっと、春間先輩?」
周りから、そんな声が投げ掛けられた。
けれど、それらのどの声も、どんな言葉も、僕に届くことはない。
いま、僕に届く声は、たったひとつだけ。
「……ね、テル。
私のこと、わかる?」
少女が目の前で立ち止まった。
「……わからないはずが、ないだろう?」
僕は目の前の少女――
あの日になくした僕の最愛のひと、マリーに向かってそう応えた。
「……だよね」
「……ああっ」
声を詰まらせて、瞳から大粒の涙を溢れさせる僕に、マリーは鈴が鳴るような透き通った声で、精いっぱい言葉を伝えてくる。
「私はマリー。
あなたのマリー」
マリーが、花が咲いたような、あの眩しい笑顔を浮かべた。
その笑顔に僕は、あの日から胸に刺さったままだった棘が、すっと抜け落ちていくのを感じる。
幼くなったマリーは、それでもしっかりと、僕の瞳を見つめながら、高らかに声を響かせた。
「ねえ、テル!
もう一度――」
一陣の風が吹いた。
辺り一面をひらひらと桜の花びらが舞う。
「もう一度、私と、恋をしようよ!」
僕は一歩前へ足を踏みだし、幼いマリーを、思い切り胸に抱き締めた。
――季節は春。
僕とマリーは三度巡り合い、また再び、僕たちの恋物語が幕を開ける。
――――――
お読み頂き、ありがとうございました。
猫の恩返し 猫正宗 @marybellcat
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