第5話 ほつれドール (1)

 目の前の扉はまさしく役人みたいな奴だった。「この先のプライバシーは絶対にお見せできません」と、そう言い張っていたのである。それの証拠に、白い表面には窓は一枚も取り付けられていない。だから部屋の前に突っ立っていたって部屋の中身をうかがい知る事のできる情報は何もない。しかしネームプレートには彼女の名前がしっかり書いてあって、彼女がこの奥にいる事だけは明白だった。

 彼女の場所を教えてくれたのは彼女の母親だった。警察は守秘義務だとかで教えてはくれなかったのだが、彼女の母親はもし会うならと教えてくれたのだ。

「緊張するなぁ、僕」そんな事を言って気持ちを紛らわせる。

「大丈夫だよ」隣のアオイが僕の肩を軽く叩いた。

 数日前、裏山で彼女を見つけた時の事が脳裏にちらつく。救急車と警察が呼ばれた翌日から、当事者である科学部メンバーは病院でメンタルセラピーを受けた。投薬とセラピーを受けるにつれ、日に日に恐怖は遠ざかっていった。しかし完全に消えた訳じゃない。だから扉を前にすると、一抹の不安がよぎる。

 僕が彼女と会った時、果たして僕は正気でいられるだろうか。

 きっと扉を開ければ、僕たちと同じような顔をしているのだろう。それでも、その人が目の前で死んでいたという事実が頭にこびりついて離れない。

 ほつれたぬいぐるみを直すように。

 穴が開き、赤い血と肉があらわになった人間も治る。

 僕は何故だか、そのことに少し怖さを感じていた。

「すみませーん」

 アオイは軽い口調でドアをノックする。

「えっ、もう来た⁉ちょっと待っ…いやあああ!」

 扉はプライベートは絶対に見せないのであって聴かせないわけではない。鉄壁の扉の奥から、若い女性の悲鳴とどしゃどしゃと何かが崩れる大きな音がした。

「だ、大丈夫ですか⁉」

 僕はうっかりドアを引いてしまう。しまった、と思ったがもう遅い。そのままの勢いで僕とアオイは部屋に飛び込む。

 清潔そうなオフホワイトの壁に、温かみのある木目調でそろえたクローゼットなどの調度品、そして窓辺には机のついたベッド。

 そのベッドの真下には、机から雪崩落ちた大量の本や漫画が散乱している。本の山には人の上半身が埋もれていた。なんだろう、似たようなものを昔ドラマで観たような気がする。そう、あれは湖に死体が逆さまに沈んでたやつだっけ……止めよう、不謹慎だ。

ややあって崩れた本の山から自分と同じ歳くらいの女の子が顔を出すと、彼女はへなへなと弱弱しい声でこう言った。

「お母さんから話聞いてます…初めまして、カナザキです…」



「俺達がA組で、お前がE組か。道理で会わない訳だ」

「ほぼ教室が端っこ同士だからね」

 どうでもよい雑談を交わしている間のカナザキさんは、血色が良くて健康そうだった。おまけに快活で、とても1度自殺した人間には見えなかった。

 崩れた本をその辺のテーブルの上に押しやると、僕とアオイはベッドの側の丸椅子に腰掛けた。

「ところで」彼女は思い出したという風に言った。

「私が死んだ時の話は聞かなくていいの?」

 アオイは一瞬言葉を詰まらせると、取ってつけたような返事をする。

「ああ、そう、その話をしに来たんだ」 

 それから彼は訝しげな顔をした。

「その前に1つ確認したい。お前、本当に裏山で自殺したのか?いや、同じ人なのか?」

「どういう事?」カナザキさんはきょとんとする。

「俺は人が死んでいたっつー印象が強すぎて顔を覚えてねぇ。だからこないだの…死体って言っていいのかな、これ」困り顔でちらりとカナザキさんを見る。

「別にいいわよ」

「…こないだの死体と同じ人物かどうかの見分けがつかねぇ」

 カナザキさんはうんうんと頷く。

「なるほどね…うん、そうよ。確かにあの日私は裏山で自分の首をナイフで切った。他に自殺者が居なかったのなら、それは私で間違いないよ」

 アオイは納得した面持ちでわかった、とだけ答えた。

「まず、どうやって裏山に入ったのか、だ」彼は腕を組んだ姿勢になる。

「入り口に梯子が棄ててあった。それを入り口のフェンスに引っ掛けて入ったって訳か」

 彼女は頷く。「用務員の横にいつも立てかけてあるのを知ってたから」

「確かに、よく考えた方法だった。蘇生手術が可能なのは死後24時間以内でなくてはいけない。だから人が中々立ち入らないであろう裏山を選んだ」

 僕は口を挟む。

「でもあの日は僕らが偶々流しそうめん大会の竹を取りに行ってた」

 彼女の目が大きくなる。

「流しそうめん!?」

「中々やらないよね」

 僕は得意げになる。

「もう9月なのに!?」

「あ…そこなんだ…」うん、それは僕もそう思う。

 アオイから反論が入る。

「いいじゃねぇか何月にやったって。まだ暑いし」窓の外からは眩しいほどの日光が降り注いでいる。

「そもそもあそこの裏山って、科学部が結構頻繁に出入りしてるんだよ」

 僕が言うと、カナザキさんは微笑して両手を上げるジェスチャーをする。

「それは知らなかったわ。お手上げ。完全に計画が破綻したってことね。でも、裏山でいつも何やってるの?生態調査とかかな」

 僕はかぶりを振る。

「いや、裏山鬼ごっことか、裏山ペイントガンバトルとか」

「生態調査は!?」

 僕とアオイは互いに見合わせる。

「やった事あるか?」「ないね」

 カナザキさんはふうっと息をつく。

「変な部活。ホントに科学部?」

「科学部さ。天体観測するまでの間の時間の事なんて特に何も言われてないからな」それから言った。「話を戻そう」

「それでこれが本題みたいなもんなんだけど…」

 僕は途中まで言って躊躇した。これは、聞いていいのだろうか。下手をすれば彼女の傷を抉り出してしまいそうな気がする。だが彼女は逆風に立つように強気だった。

「何聞かれるかは予想がつく。聞かれたら一応応えるわ。どう思うかはそっち次第だけど」

 僕は悟られないように小さく息を吸って、吐いた。


「君は、どうして死んだの?」

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燃えない蛇にサヨナラ 日出詩歌 @Seekahide

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