4話 愛せないもの
グラウンドの歓声を遠く聞く。鍵はかちりと音を立てる。
フェンスの扉が開いた。
さくさくと足音が鳴る。ここも学校の敷地には違いない。それなのにフェンスの扉から一歩足を踏み入れるだけで景色は別世界に迷い込んだように様変わりした。
草木はうっそうと生い茂り、小高く積みあがった土は高低のある小山と化している。フェンスの向こう側一帯は自然のまま、ほとんど人の手は加えられていないが、入り口だけはちょっとした広場になっていた。ここだけは木が生えず、焚き火が出来そうな程のスペースがある。ただ代わりに、昔は人がよく出入りしていたのだろうか、大小様々なゴミが多く散らかっている。その辺にも、長い脚立が放ってある。
そして緑と黄色の縞模様をした蜘蛛が広場の周囲をうじゃうじゃと巣で囲っていた。
「やだぁ、気持ち悪い!」
女子学生の何人かは嫌そうに呻いた。
科学部の面々は一列になって草むらを突き進む。伸び放題の草は脛までかかっていて、歩く度にちくちくと脛を刺す。
「この裏山って普段手入れされてんのかな」道中、アオイが話しかけてきた。
「たまに業者の人に頼んでやってもらってんじゃない?」わからないから、適当に答える。されていたとしても、月一程度だろう。科学部も手入れを頼まれてはいるが、あまりやってない。
列の先頭が止まった。目的地に着いたようだ。
真っ直ぐ伸びたつるつるの緑色の幹がいくつも立ち並んでいる。
裏山の隅にある竹林だ。
僕は隣の女子学生に尋ねる。
「先生、大体どのくらいの長さがいいって言ってましたっけ?」
「5メートルくらいって言ってたよ」
「了解です」僕はうなずいた。
それから部員全員で手頃なものを探す。少しして、数歩斜面を登った辺りに良さげな竹を見つけた。
次は切る工程に移る。女子学生の1人が竹を押さえ、アオイが根元から少し上の辺りに斧をがつがつと振っていく。
「はあ、よし切れた」5分程経って、ようやっと斧が竹の幹を横に貫通した。汗びっしょりになったアオイは斧を下ろす。
しかし竹は倒れない。アオイは首を傾げる。僕ははっと気づいて声を上げた。
「葉っぱが引っ掛かってるんだ」
竹を降ろすには、枝葉を剪定ハサミでカットしつつ、ゆっくり竹を傾けて降ろす必要がある。科学部の中で比較的背の高い僕とアオイが、竹を降ろす役になった。
僕は小さな剪定ハサミを持って、上の方へと登っていく。
その時。
「あれは…?」
視界の先の更に上の斜面、竹藪の間に黒と白の色をした大きなものがある。
そしてそれが何なのかを視認した瞬間、僕は衝動のまま走り出していた。
「すみません、ちょっと上見てきます!」僕は急斜面を登っていく。
全力で駆け上がったせいか、たどり着いた時にははあはあと息を切らしていた。呼吸を整えながら近くに寄ってみて、改めて全貌を確認する。
人が一人、倒れていた。
泥塗れになった白いワイシャツとスカートに乱れた長い黒髪。一目でうちの学校の女子学生だと分かる。
その顔を見て、僕はぶるりと身震いした。全身を悪寒が突き抜ける。
顔が人形みたいに真っ白だ。
そして首筋に黒く刻まれた深い傷が、この人の運命を物語っていた。
知らぬ間に僕の足は後退し始めていた。
触れない。手足が躊躇して、震える。このものと僕との間には、決定的な隔たりがあるから、触れない。すなわち、動いてるか、動いてないか。
「救急車…救急車呼ばなきゃ…」
叫ぶ力も無くなった僕はうわ言のように呟く。
そうすることで、僕は目の前の出来事を否定して消し去りたいのかもしれなかった。
9ヶ月前。それが彼女との出会い。
夏色が少し褪せた日の事だった。
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