第39話
厳しい冬がやって来て、年に何度かしか降らない雪が降った後、僕たちはいつもの河原にいた。
「さすがに、寒いね」
北野さんはそう言って笑っていた。
「ほんとに、寒い」
そう言った僕は彼女の頬が寒さで赤くなっているのを見て『可愛い』と思った。そんな気持ちを隠そうとマフラーを口元まで持って来た。
「寒いから手短に行くね」
「うん、こっちも手短に行くよ」
今日はお互いにこの1、2ヶ月の間勉強に励んでいた成果を発表する日と決めいていた。
「私、音大、合格しました!」
「おー!すごい!良く頑張ったね!偉い」
「ありがとう、これでようやく楽になった。葛西くんは?」
「うん、僕も合格。4月から大学生だ」
「やったね!頑張ったね。偉かったよ」
「うん、やりました」
僕たちは確信があった。きっと2人とも大丈夫だと。そんな根拠が無い自信があった。だから嬉しかったけれど、それは驚きでは無かった。
僕達はお互いのこれまでの成果を発表した後、沈黙してしまった。
お互いに思っている事を口に出してしまえばそれは永遠の別れになるかもしれない。でももしかしたら今まで以上の喜びを手に入れられるかもしれない。そんな綱渡りの状態で僕達は口を開く事を嫌っていた。
意を決したように北野さんが話してくれた。
「4月から、私たち違う場所で頑張るんだね・・・」
「うん、そうだね。学校にいればいつでも会えるって事は無くなるね」
「なんか、寂しいね」
「うん、寂しいね」
また沈黙・・・。
「・・・北野さん」
「何?・・・」
「うん、あのね・・・そういえば、言ってない事があって・・・」
僕は言う事が出来なかった。大切な事なのに。期待と恐怖。いつまでも信じられない心。わかり合う事が出来ない僕達。
僕は何故か思ってもいない事を言った。
「大原楽器行かない?」
「え?・・いいよ」
僕たちは大原楽器に向かった。
これは僕の時間稼ぎだ。自分でも意気地無しだと思う。
大原楽器に向かう途中も葛西くんはぎこちなく、私も一緒にぎこちなく。
葛西くんが言いたい事はどんな事だろう、わかっていた。・・・ような気がしていた。確信なんてない。確証なんてない。ただ「そうだと良いな」の期待だけだった。
だから私たちは「今日は凄く寒いね」や「明日は雪が降るかな」みたいな話しか出来なかった。
大原楽器に到着すると何故かよく知っている顔が何人もいた。
「おう、葛西くん。久しぶりだな」
その中の一人が声を掛けてくれた。
「谷岡さん!お久しぶりです!」
谷岡さんはOGRのボーカル。一度ライブハウスでご一緒させてもらった。その他にはギターの森内さん。そして驚くことに顧問の福井先生と担任の村井先生の姿もあった。何故この四人が一緒にいるのだろう?
「皆さんどうしたんですか?」
そう尋ねると村井先生が答えてくれた。
「この間葛西達のライブの引率に行った時にな、谷岡さん達と仲良くなって。で、ギターを教えてもらうって事になってね。それで、一番面白いのは。福井先生がな」
「ちょっと、先生、言わないでくださいよ」
「えー、いいじゃないですか」
「ダメダメ」
その横で森内さんがニヤリと笑いながら言った。
「福井先生は『顧問としてギターぐらいは弾けるようになりたい』って言ってたんだ。、今特訓中だ」
「えー、言わないでくださいよ森内さん」
「まぁまぁ、で、先生も付き添いで一緒に練習」
村井先生が言った。
多分、『村井の魔の手』に福井先生も落ちたのだろう。
それにしても福井先生がこんなに軽音楽部に興味を持ってくれるなんて思わなかった。
それは身近にいる人でこの1年で随分と変化があった人だ。
「葛西くん、隣にいるのは彼女?」
「え?いやいや。いや?」
「ん?」
「あ、ライブにも来てもらいましたよ」
「そうなの?」
「そうです」
「あぁそうか、以前にもここで会ったね。同じような事を言った記憶がある」
「そうですよ、あの時と全く一緒ですよ」
「まぁ許してくれよ。おじさんになると簡単に記憶が無くなるんだ」
それはそれでちょっと羨ましいように思う。
「でも高校生なら俺らのライブは見てないよな」
谷岡さんは北野さんに話しかけていた。
「はい」
「今度は見られるようになるから見に来てな」
「はい、是非見たいです!」
「なら来なよ。ちゃんと彼氏のバンドをブッキングするから」
「え、あ、いやいや」
「ちょっと谷岡さん」
これ以上谷岡さんと話をすると本当に気まずいことになる。
「それでは、これからデートなので」
僕は谷岡さんとの会話を終わらせるためこのくらいに振り切った事を言った。
「お、ごめんごめん悪かった」
村井先生がそのやりとりを見ていて僕らに言った。
「一応な、担任でもあるから注意はしておくぞ、ちゃんとした交際をしろよ」
「はい、わかりました。僕の全部の理性を動員して保ちます」
「頼むよな」
そう言って四人は僕たちから離れてギターコーナーに向かった。
「ちょっと、葛西くん、どう言うこと?」
北野さんが困惑なのか怒っているのか良くわからない表情で僕に言った。
「え!?ごめん、でも、ああでも言わないと去って行ってくれなかったと思うよ」
「そうか、うん、ありがとう。葛西くん」
「いえいえどういたしまして」
・・・どうしてここでこの嘘を本当の事にしないって言えない。僕は。
「そういえば、北野さん定期演奏会の前の教えてよ、なんで僕が集中したら周りが見えないか知っているのを」
「え、、、、あぁ。あれね」
「そうそう」
「あれはね、あれは・・・私あの時、声を掛けた時ね」
「ん?・・・あぁ、春の頃の?後ろから声を掛けられた時?」
「そうそう、でも実はね、葛西くんが気づいてくれた日だけじゃないよ。その前に一度。ギター弾いてたよね?」
「え?そうだっけ?」
「うん、そうだよ、私はあの時の葛西くんが弾いていたギターを聴いて、校門前でゲリラ演奏をするって決意の最後の一押しをしてもらったんだよ」
「そうだったの?」
「うん。その時も一度声を掛けたけど、一刻も早くメンバーを集めて演奏をしないといけないから、反応がないならもう良いやってすぐに出て行ったんだ」
「そうだったんだ。全然気がつかなかった」
「でね、その後にもう一度会いたいなって思って教室を覗いてみたら案の定ギター弾いてて、その時、私ね。実はね。何度も声を掛けたの。何度も声をかけたのそれでも一切気が付かないから。『葛西くんって凄い集中力なんだな』って」
「あ、そうなの?」
「そう、だからあの時葛西くんが気づいた時には結構な時間が経ってた」
「あー。なるほどね」
「何それ?何その反応?薄くない?」
「え?だって特に重大時では無いし、、、」
「はぁ?」
「ここまで引き延ばすからもっと凄い事かと」
「『凄い事』じゃない?これまで面識は無いけど気になっていた私達がそこで出会ったんだよ。こんなにいろんな人たちがいる世界で私たちが出会ったんだよ。それは凄い事でしょ?」
「そうか。それもそうだね」
そう言ったきり北野さんは黙り込む。
僕は確信めいた物を掴んだ気がした。
沈黙が僕たちを飲み込む。
「北野さん、この1年色々な事があったね。きっと多分これからの僕たちも色々な事があると思うんだ。そんな日々を僕の近くで見ていて欲しいなって、これからの日々を僕も近くで見ていたいなって思って」
「なんか葛西くんまどろっこしいな。流石と言うかなんと言うか」
私はそう言ってみて苦笑。
「あ、ごめん確かにこんな言い方じゃ上手いこと伝わらないな」
僕はちょっと反省した。
「だからね・・・僕が言いたいのはね。北野さん、僕は君が好きだ」
沈黙・・・あれ?なんで?
「葛西くん」
「はい!」
私は少し笑ってしまった。安堵感だ。
「知ってた。」
僕はそれが嬉しくてたまらなかった。
「北野さんだってさ。」
私は更に嬉しさがこみ上げてきた。
「うん、私も好き。」
「ありがとう。最高だ」
「うん。」
僕たちは二人で顔を見合わせて笑い合った。
「これからもよろしくね」
「こちらこそ」
そう言い合って
「一緒に演奏しようよ」
北野さんの弾んだ声が聞こえて
「うん、いいね。」
僕は返事をした。
僕たちはきっとこうやって音楽で繋がっていたんだなって思う。
多分僕はずっと北野さんの事を好きだったんだろう。初めて彼女を見た時から。
そうして2人で演奏した。
日が落ちかけた空は朱色に燃え、僕達を夜の中に包み込もうとしている。
北風はとても冷たく。僕の手は悴んでいたが体の中はとても熱かった。
僕は不意に思い出した事を北野さんに言ってみる。
「あ、そうだ連絡先教えて。」
「え?あぁそうか、わかった。」
僕達は「今更」と笑いながら連絡先を交換した。
終わり
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