あと一歩

逢雲千生

あと一歩


 怖い話が好きだというと、だいたいの反応は二通りに分かれる。

 

 真剣だったり笑ったりしながら心配してくる場合と、共感してくれる場合にだ。

 

 どちらも、真剣な人は親身に話を聞いてくれるが、幽霊を信じていなかったり、苦手だったりする人には避けられてしまう。


 中には実体験だったり、人から聞いた話をしてくれたりするのだけれど、ここでは本人の了承を得て、編集したものを自分の言葉で語っていくことにする。



 最初の話は、中学時代から仲の良い女友達の実体験だ。


 きぬやまというのだが、彼女は怖い話が好きな人で、これまでにいくつもの怖い話を聞かせてくれている。


 そんな彼女が僕に話してくれたのは、彼女が就職難で苦しんでいた頃に体験した話だった。



 大学の卒業が間近に迫った頃、彼女は決まらない就職先に悩んで、夜も眠れなかったという。


 いつも明るくて、笑顔が魅力的な彼女からは想像できないが、当時は本当に追い詰められていて、笑う余裕も無いほど落ち込んでいたらしい。


「あの頃は就職氷河期って言われるほどじゃなかったけど、新卒をとってもらえない会社が続いてて、家族からも就職しなさいって毎日電話がきてたんだよね。大学で出来た友達は、みんな就職が決まってたし、二年付き合った彼氏と別れたこともあって、とにかく、心に余裕が無かったんだ」


 就職が決まらなかったら家に帰ってこいと言われていて、帰ったら親戚にいろいろ言われる。


 親からも、恥ずかしいだとか、みっともないと怒られるだろうし、地元の友達にも何か言われるかもしれない。


 まだまだ会社勤めが普通の仕事だ、という認識が強く残っていたためか、パートはもちろん、普通の会社員以外の仕事は頭になかった。


 検定も資格もじゅうぶんに持っていたのに、同じ新卒の人達は次々と決まり、自分だけが決まらないという焦りとプレッシャーで、彼女は次第に疲れていったのだという。


「今だったら、いろんな仕事を見て決めてたけど、当時は親の言うこともあって、とにかく会社員になって、いい人を見つけて、寿退社をしなくちゃって考えてたから、なおさら辛かったんだと思うの。もう焦って焦って、とにかく就職しなくちゃって、朝から晩まで就職活動中心の生活をしてたから、卒業間近にはベッドから起き上がれなくなったりもしたんだよ」


 減っていく募集に焦り、親からの電話にプレッシャーを感じ、彼女はだんだんと自分がわからなくなっていった。


 ふとした時に、道路に飛び出したくなったり、電車のホームから落ちたくなったりと、危険な方向に考えが向かっていることは理解していたが、それを止める方法を見つけることはせず、毎日を就職活動だけで終わらせていた。



 ある日の事だった。


 すっかり通い慣れた駅のホームで、目を閉じて面接の練習を頭の中でしていると、耳元で、あと一歩、と聞こえた気がした。


 目を開けて周りを見るが、通勤客でごった返していて騒がしく、誰も彼女を見ていないことだけはわかった。


 気のせいだろうとまた目を閉じると、耳元で、あと一歩、あと一歩、と二回聞こえた。


 無視して練習を続けると、今度は、あと一歩、あと一歩、あと一歩、と三回聞こえ、それでも無視していると、今度は四回、五回と増えていく。


 誰かの嫌がらせかと思い目を開けるが、周りの人達は自分を見ていない。


 男の声だったので、隣にいるサラリーマンを見たが、彼は新聞の記事に夢中だった。


 目を閉じて練習を再開すると、六回、七回、八回と聞こえ続け、九回目になった時に気がついた。


 この声は耳元でしていると思ったが、すぐ後ろ、背中の方から聞こえているのということに。


 自分より背の高い男が、覗きこむように、耳元に口を近づけてしゃべっている事に気づき振り返ったが、驚いた顔の女子学生が数人、彼女の後ろで携帯をいじっているだけだ。


 これはおかしいと思ったが、声の主に心当たりは無い。


 何がどうなっているのだと、面接の練習を止めて声の主を探してみたが、それらしい人は見当たらなかった。



 時間になって電車が近づいてくると、それまで騒がしかったホームが少し静かになり、電車の出入り口あたりを少し空けて、人々はやってくる電車を見ていた。


 前に立っていた彼女は、白線の内側にいたため、声のことをいったん忘れようと目を閉じると、


「あと一歩」


 と、不気味な声がはっきりと聞こえ、視界が反転した。


 女性の悲鳴が聞こえ、衝撃に襲われたが、意識がハッキリしない。


 体を動かしたいのに動かせず、誰かが近寄って自分の両脇に手を入れると、そのまま体をひきずり始めたことだけはわかった。



 ようやく意識がハッキリしたのは病院で、突然ホーム下に落ちた自分を、近くにいた男性二人が引きずって助けてくれたと聞いたのは、意識が戻った次の日だった。


 全身を線路に強く打ちつけていて、しばらくは安静にと言われたが、頭を打ったものの心配することは無いと、治療にあたってくれた先生に言われた。


 打ち所が悪かったら命はなかったよ、と言われたのが一番ぞっとした、と彼女は笑っていて、今でも現実味がないのかもしれない。



 後日、彼女を助けてくれた男性二人がお見舞いに来てくれて、そこでようやく何が起こったのかわかったという。


「私がホーム下に落ちた時、二人とも一部始終を見てたらしいんだけど、落ち方が妙だったって言うのよ。最初は自殺じゃないかって騒がれたらしいけど、自分から落ちたっていうより、誰かに強く押し出されたようにしか見えなかったんだって。しかも、私はきちんと白線の内側にいたから、そこからホーム下に突き落とすってなったら、それこそ男性が何人も一斉に押し出さないと無理だってわかったとかで、今でも原因がわかってないのよね」


 突き落とした犯人も捕まらず、幸いだったのは後遺症はなかったという事だけではあったが、それでも命が助かって良かったと彼女は笑った。



 その一件で就職活動は見送られ、アルバイトをしながら就職先を探すことに決まったそうで、家族からの電話は相変わらずだったが、事故の前に比べれば気持ちが軽くなったらしい。


 生死に関わるような事故に遭ったことで、彼女の心に変化が訪れたそうだ。


 今では好きな仕事に勤められているため、会う度に楽しそうな顔で仕事の話をしてくれる。


 あの事故で唯一わかったのは、あの駅で何か事件や事故が起こったことはないという事で、あの声の主は結局わかっていない。




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あと一歩 逢雲千生 @houn_itsuki

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