魔術の使えない魔術師

謙虚なサークル

第1話

 かつてこの国の各所に突如として異世界への扉が開かれた。

 そこから溢れるように出てきたのは、異世界の軍勢。

 竜、小鬼、獣人、そして不可思議な力を行使する人……異世界の軍勢はこの国を蹂躙した。

 ――だがそれも数日程度の話、この国の自衛機関の技術は彼らより圧倒的に進んでいた。

 重火器、戦車、戦闘ヘリ、そして高度な訓練を受けた熟練の兵士……この国の自衛機関は瞬く間に異世界の軍勢を撃退した。

 それだけでなく、更に異世界への扉をくぐりその世界の知識や技術、資源を手に入れたのである。


 特に注目されたのは魔法だった。

 何もない場所から炎や雷を生み出すその技は研究者たちから特に注目を浴び、現代技術と組み合わせ体言化、一つの技術となる。

『魔術』それを扱う者は魔術師と呼ばれこの国の新たな力となり――そして、50年の月日が流れた。


 ■■■


「あいつ、魔術も使えないのに何で魔術師養成機関に通ってるんだ?」

「そのくせ先公に気に入られてるのもムカつくよなー」

「シメちまおうぜ。一年だったよな。確か名前は……」


「すみませんっしたああああっ!」


 校舎裏、顔を晴らした数人の不良たちが一人の生徒に謝っていた。

 魔術科一年、鹿目要介。

 そう書かれた名札を胸元で揺らし、くすんだ金色の髪を短く切りそろえた男は不思議そうな顔で不良たちを見ていた。


「えーと、先輩だよね。いきなり殴りかかってくるなんて危ないじゃん。こっちも思わず手が出ちゃったけど……大丈夫だった? 一応手加減はしたつもりだけど」

「はいっ! この通りピンピンしてますっ!」

「本当にすみませんっした! 鹿目要介さんっ!」

「鹿目でいっすよ。先輩方」


 鹿目と呼ばれた生徒は、ニッコリと屈託のない笑みを浮かべた。

 彼をシメようとした不良たちはその笑顔に逆に震え上がった。


「じ、じゃあ俺たちはこの辺で……」

「あ、待った!」


 立ち去ろうとした不良を鹿目は呼び止める。

 不良たちは恐る恐る振り向いた。


「病気の母ちゃん、大事にしなよ。でも金に困ってるからって他の生徒から金を巻き上げるのはよくないぜ」

「ひ、ひゃいっ!」


 不良たちは病気の母の為に金がいる、と言って鹿目から金を巻き上げようとしていたのである。

 もちろんデマカセ。

 走り去る不良たちを見送りながら、鹿目は首を傾げていた。


 きーん、こーん、と鐘の音が響く。

 授業が始まり、校庭にて鹿目たちのクラスは集められていた。


「さて、それじゃあ本日の授業は魔術の制御方法だ。先生が手本を見せるから、よーく見ていろ」


 教師が持っていたのは紙を切り抜いて作った鳥。

 物体に魔力を込める事でそれを自在に操るのが制御系統の魔術。

 紙の鳥は教師から魔力を受け、空へと舞い上がる。


「こいつに魔力球を当てる。……こんな風に、なっ!」


 教師は掌から光球を生み出し、鳥へ向かって放つ。

 どぉん! と爆発して紙の鳥は粉々になった。

 それを見ていた生徒たちが、おおーと声を上げる。


「それじゃあ鳥を放つ、皆しっかり落とせよ」


 はーい、と返事をして、授業が始まった。

 生徒たちは魔力球を放つが、鳥の方が速く当たる気配がない。

 そんな中、鳥が一羽落ちた。


「とりゃっ!」


 鹿目が投げた石たが、鳥を粉砕した。

 次々と命中させるのを見て、生徒たちが教師に言う。


「せんせー、アレいいんですか?」

「うーん……」


 生徒たちの疑問に、教師は首をひねって返した。


「鹿目、お前まだ魔術を使えないのか?」


 授業が終わり、教師は鹿目は声をかける。


「ういっす! でも術式の勉強はちゃんとやってますよ!」

「あぁ、それは疑わない。鹿目は真面目だし、魔力も使えないのによく授業について来ているし、色々と手伝ってくれているからな。本当にいい子だよ。……だが魔力球なんてのは大した術式も必要じゃない。それすら出来ないのは流石に……」


 言いかけて教師は口を噤む。

 鹿目要介は魔術が使えない。

 魔術とは魔力を込めた術式により、様々な現象を起こす技術。

 つまり術式がいくら正確に描けていても、魔力がなければ発動はしないのだ。

 鹿目要介は『魔力喰い』という体質で、自身の魔力は全くのゼロ。

 副産物として生まれた時より自身の魔力を喰らっていた肉体は通常より遥かに強靭だが、魔術を使う事は出来ないのである。


「……なぁ鹿目、お前の夢はやはり変わらないのか?」

「はい! 俺は魔術師になります! 昔俺を助けてくれたみたいな、正義の魔術師に!」


 目を輝かせる鹿目を見て教師は少し考え込み、そして笑みを浮かべた。


「そうか、叶うといいな」

「はい!」


 鹿目もまた、屈託のない笑顔で答えた。


 その夜、鹿目は寮にてぼんやりと月を見上げていた。

 あの日もこんな月夜だったか。かつての記憶が思い起こされる。

 闇世の中、ピチャピチャと水の滴る音だけが聞こえていた。

 まだ幼かった鹿目の前で、両親の手足が、臓腑が散乱していた。

 それを喰らっているのは3メートルはあろうかという異形。

 異世界の扉から出てきた魔物と呼ばれる存在、彼らはその中で小鬼小鬼《ゴブリン》と呼ばれていたものである。

 50年前、殆どの魔物は殲滅されたが少数は生き残り森や山に隠れ潜み、時折こうして人里を襲っているのだ。


 異世界の資源で強くなったのは人間だけではない。

 かつては雑魚扱いされていた小鬼だが、今までほとんど魔力が使われなかった為にたっぷりと満ちた魔力を糧として、大きく、強くなったのである。


 鹿目の両親を食い殺した小鬼ゴブリンたちは、尻餅をつき震える鹿目をじっと見つめる。

 手にした母親の腕を放り投げ、鹿目へと一歩歩み寄る。

 小鬼ゴブリンの長い手が伸び、鹿目の額に触れ、一筋の血が垂れた。

 その直後、ぼとりと小鬼ゴブリンの腕が落ちた。


「よかった、無駄足になる所だった」


 安堵の声が暗闇に響く。

 小鬼ゴブリンらが言葉の主を目で追った瞬間である。

 視界が二つに分断された。更に四つ、そして八つに。

 小鬼ゴブリンたちは瞬く間に十数個の肉塊に切り刻まれていた。


 残骸の中に立つのは髪の長い女。

 黒装束に身を包み、手には装飾の施された短剣が握られていた。


「私はここに来る前、他の場所で戦っていた。ここより沢山の人がいる所でね。そっちを助けてたからここへ来るのが遅れた。隣の家にも魔物がいたからそちらを優先した。その後ここへ来た時も、私が身を呈して守ればお父さんたちは助かったかもしれないけど、そうはしなかった。私が傷ついたら確実に守れたはずの君までまで命を落としていたかもしれない。確実に守れる私を、次に君を、君の後に続く人たちを確実に守るのが私の仕事だから」


 淡々とした口調で女は言葉を続ける。

 正義のヒーローは身を呈して弱い人たちを守るもの。

 そんな理想を描いていた鹿目少年に女の言葉は衝撃だった。

 数を、自分の命を、そして確実に助けられる命を守るのが仕事だと。

 月に照らされる瞳は、血の色よりも赤だった。


「君のケアもすべきなんだろうけど、まだ行かなきゃいけない場所があるからね。魔物たちに見つけられないよう、朝まで震えて隠れていなさいな」


 そう言って立ち上がり背を向ける女に、鹿目は思わず声をかける。


「あの! お姉さんは……!?」

「私? んー……」


 少し考え込んで、


「私は正義の魔術師だよ」


 屈託のない笑みを浮かべ、答える。

 月明かりに消えていく女を、鹿目はいつまでも眺めていた。


「正義の魔術師、か」


 ぽつりと呟く鹿目の視界、月をバックに人影が映る。

 あの時の女と同じ、黒装束。

 鹿目は思わず飛び起きた。


 月夜の中、黒ずくめの男が屋根伝いに駆けていた。

 苦々しげな顔で舌打ちをしながら、学校付近の電柱へと着地する。

 右腕からは血が滴っていた。

 袖を破いて止血を行うと、男は意識を集中させる。

 後方から高速で近寄ってくる、大きな魔力の動きを感知した。


「何とか人のいない校庭へと誘い込めたが……くそ、おかげでいらない傷を負っちまった」


 やれるか? 否、やるしかない。

 幸いまだ距離はある。

 今の内に爆撃術式でも用意して……男がそう考えていると、


「おーい、おーい」


 電柱の下から能天気な声が聞こえた。

 鹿目が手を振りながら男を見上げていた。


「なっ!? 結界は張ってあるはずだぞ!? 何でここに一般人が……」


 男は考え込み、すぐにその理由に気づく。


「……そうか、お前『魔力喰い』だな。道理で結界が効かないわけだ」


 男の傷を見て、鹿目は声を上げる。


「! あんた怪我してるのか?」

「俺の事はいい! それよりお前、すぐに逃げろ! ここはヤバい!」

「いや、いきなり逃げろって言われても……」


 鹿目が言いかけた瞬間である、どおおおおおん!とその背後で土煙が上がった。


「チッ、もう来やがったか……!」


 男の睨む先、土煙が晴れていく。

 出て来たのは巨大な肉塊の化け物。

 よく見れば小さいが手足があり、辛うじて人の形をしているように見える。


「喰喰喰……! 喰ウウウウウ……!」

「な、なんだこいつ、キモッ! デカっ!」


 地の底から響くような声に、鹿目は一歩後ずさる。


豚鬼オーク、本来はC級だがこいつはかなりデカく育ってやがるな。相当人を食ってやがる。―――こっちだ、豚野郎!」


 男はそう声を上げ、地面に両手を突いた。

 すると前方へ無数の文字が放射状に広がっていく。

 魔術陣、術式の刻まれた範囲が眩く光る。

 直後、光の十字架が魔術陣から大量に突き出てきた。

 光の十字架は豚鬼オークを貫き、ズタズタにする。


「おおっ! 魔術! やっぱりアンタ魔術師なのか! すげぇぜ、あのデカブツが一発だ!」

「馬鹿! あんなんじゃすぐに動き出す!」


 男の言葉通り、豚鬼オークは貫かれた身体を無理やり動かし男の方へと向かってくる。

 痛みを感じている様子はなかった。


「チッ……しかし『十字槍ランス』で動きが止まらないのは想定済み。こいつで完全に削り取る……!」


 男が懐から取り出したのは一冊の分厚い本。

 呪文を唱えると本から頁がバラバラと巻き上がり、機関銃の形を構成した。

 頁の一束が連なり、連結弾倉となる。男はそれを機関銃と繋げ、引き金を引いた。


 ががががががががが! と爆音を響かせながら機関銃が火を噴いた。

 弾倉が高速で回転し、豚鬼オークの身体に無数の火花が爆ぜる。

 術式を編み込んだ特別製の銀の弾丸は、魔力で守られた肉体をも貫通する。

 肉片が飛び散り、血溜まりが生まれていく。

 豚鬼オークの身体は弾丸に削り取られ、徐々に小さくなっていく。


「! マズイ!」


 突如、鹿目が声を上げた。


「校舎に人がいる! このままじゃ巻き添えになる」

「あん? いるわけねぇだろ。夜だし結界も張ってあるんだ」

「でも見えた。間違いない。山田先生。当直だったんだ」


 言うだけ言って、鹿目は駆け出した。


「お、おい! 何をするつもりだ!?」

「助け出す、アンタはそいつを攻撃し続けてくれ!」

「ば……ッ!」


 鹿目はもう遠くまで駆けていた。

 一瞬、止めようとした男だったが豚鬼オークが動き出したのを見るやそんな暇はないと判断し、引き金を握りなおす。

 向かう先、魔力を目に集中して見れば、確かに白髪の教師が腰を抜かしているのが見えた。

 男の張った結界はあくまで人払い。故に夜の学校を選んだのだが、人がいたのは想定外であった。


「だがあんな暗闇の中、裸眼でよく見えたものだな……」


『魔力喰い』は身体能力が非常に高い。

 あの人間離れした脚力もそれによるものだろうか。


「とはいえ、こんな状況で他人の為に走れるか普通!? 銃弾が当たったらどうするつもりだよ! こいつ、ネジがぶっ飛んでやがるのか!?」


 男の思いとは裏腹に、鹿目は涼しい顔をしてあっという間に校舎に辿り着き、ガラス戸を破った。


「山田先生!」

「か、鹿目!? 一体何が起こっているんだ!?」

「話はあとっす! こっちへ!」


 鹿目は腰を抜かした教師を背負うと、即座にその場を離脱する。

 直後、壁が崩壊し豚鬼オークが叩きつけられた。

 先刻まで教師がいた場所である。

 豚鬼オークをその場に貼り付けにしながらも、銃撃はまだ雨あられと降り注ぐ。


「餓餓餓、餓餓、ァァァ……!」


 苦しげな声を上げながら豚鬼オークは崩れていく。

 後には血溜まりと、骨肉の破片だけが残されていた。


 硝煙が立ち昇っている。

 辺りに動くものはなく、すっかり静かになっていた。


 ぱぁん! と乾いた音と共に男は鹿目とハイタッチをする。

 男は不愛想な顔のまま、鹿目に問う。


「俺は須藤聖、お前は」

「鹿目要介」

「鹿目か。おかげで人を殺さずに済んだ。礼を言うぜ」


 言いながらも須藤は鹿目を睨みつける。


「だがあまり無茶はするもんじゃない。人の命を助けて自分が死にました、じゃ馬鹿馬鹿しいにも程があるからな」

「てっ、ててっ」


 鹿目の額をツンツンとつつく須藤。


「悪い悪い、でもギリギリ間に合うと思ったんだ。そしたら身体が勝手にさ」

「身体が勝手に動いただぁ? ったくどこぞのバカ女みたいな事を……」


 須藤の言葉に鹿目はハッとなる。


「そうだ! 聖は魔術師なんだろ? 女の人を知らないか? 同じ服を着てたから多分同じ魔術師なんだよ。こう、黒髪ロングでやたら美人な、真っ赤な瞳の」

「知ってるも何もそりゃ魔術師師団の……」


 言いかけた須藤の背後に、黒い影が立ち上がる。

 ドロドロに溶けた肉と骨の破片、豚鬼オークの残骸だった。

 残骸から生み出された巨腕による攻撃に反応し、飛び退く二人。

 須藤は飛びざまに術式を敷いていた。

 印を結ぶと地面から光の十字槍が飛び出し、豚鬼オークを貫く。


「喰喰喰……餓餓餓……!」


 否、貫いてはいない。

 ブヨブヨの肉に阻まれ、十字槍は豚鬼オークにめり込んだだけで終わった。


「術耐性が上がってやがる……俺の血を食いやがったな……!」


 人を喰うと魔物は強くなる。

 魔術師を喰うともっとだ。

 特に魔術師の血は本人に対する強い術式耐性がある。

 デンキウナギが自分の電気で死なないように、自分の血を取り込まれた魔術師はその魔物に対しまともな術式ではダメージを与えられなくなる。

 既に中規模術式を二発放っている須藤には、自身の術式耐性を得た豚鬼オークに対する必殺の手段を持ってはいなかった。


「……おい鹿目、すぐに逃げろ。ここは俺が時間を稼ぐ」


 さっきから救援コールは送っているが、全く反応がない。俺だけでやるしかない。

 幸いまだ魔力は残っている。

 最悪アレを使えば殺し切れるかも……須藤が考えていると、


「いや、逃げるのは聖の方だろ。時間は俺が稼ぐよ」


 鹿目の言葉に、須藤は思わず声を荒らげる。


「ふざけるな! 一般人置いて逃げられるか!」

「救援、届かないんだろ? ここは魔術師養成機関だからな。厳重な結界が張られている。でも外に行けば救援は呼べる。聖が行った方が速い」


 鹿目の言う通りであった。

 だが腑に落ちなかった。何故一般人である鹿目がそうまでするのか、が。


「何故だ、鹿目」

「俺の知ってる正義の魔術師ならこうするだろうから」


 正義の魔術師、須藤の脳裏にある人物が浮かぶ。

 そう言って数年前、師団に入った自分を助けてくれた女魔術師が。


「それに俺は逃げ足には自信があるんだぜ!」


 鹿目は笑った。

 確かに、鹿目の脚力は異常とも言えるものだ。

 あれなら時間を稼ぐのも不可能ではないかもしれない。

 須藤は少し考え込むと、眉を顰める。


「……五分、いや三分で戻る。いよいよヤバくなったらすぐに逃げろ」

「任せとけ!」

「……すまん」


 須藤はそう言って、鹿目に背を向け地面を蹴ろうとした。

 だが、自身の足元に違和感を覚える。

 見れば足元は沼のように沈み込んでいた。


「しまっ……!?」


 足元にいたのは水粘体スライムだった。

 豚鬼オークはその巨体に他の魔物を飲み込み、使う事がある。

 水粘体スライムは既に須藤らの真下に陣取っていた。

 須藤は豚鬼オークの身体がやけに大きかったのを警戒しなかったの事を悔いた。

 水粘体スライムが須藤らを取り込むべく、その身体を檻のように包み込む。


 瞬間、須藤の身体は宙に浮いた。

 鹿目に蹴り飛ばされたのだ。


「ば……っ!」


 馬鹿野郎、そう言おうとした須藤の目の前で、水粘体スライムの檻が閉じた。

 更にその上から豚鬼オークが、水粘体スライムを飲み込むのを須藤は見た。


「鹿目ェッ!」


 悲痛な声を上げる須藤を、豚鬼オークは不気味に見下ろす。


「……くそったれが」


 怒りに顔を歪めながら、須藤は豚鬼オークへの殺意を露わにする。

 ――まだ間に合う。


 胸元のロザリオには須藤が十年間、少しずつ魔力をチャージしてある。

 それを使った大規模術式なら奴の身体を吹き飛ばし、その隙に鹿目を助け出すことも出来るかもしれない。

 奴は『魔力喰い』。魔力への耐性は高いはずだ。

 運が良ければ命くらいは助かるかもしれない。

 当然その保証はない。やらないよりはマシ、程度のものだが……須藤は覚悟を決め、ロザリオに力を込める。


「餓、餓餓ァ……?」


 突如、豚鬼オークの動きが止まった。

 首をガクガクと動かし、手足を震わせている。

 須藤が身構えていると、豚鬼オークの身体は次第に肥大化していき、破裂した。

 肉片と血の雨が降る中、のそりと人影が動く。

 鹿目だった。鹿目は顔に着いた血をぐいと拭うと、一歩踏み出す。


「鹿目……?」


 須藤は戸惑っていた。

 鹿目の雰囲気が先刻と全く違う。

 溢れんばかりの黒い魔力が鹿目を覆っていた。

 ざわり、と須藤の背筋が泡立つ。

 その気配には憶えがあった。


 異世界の扉が開いた際、最強の存在と言われ街をいくつも焼き払った存在、ドラゴン

 最後まで人に抗いながらも竜たちは次々と殺されたが、その中でも最後に残った一匹の竜、飢竜『星喰い』は死して人間の身体に転生したといわれている。


 今回、須藤がこの街に来た理由もその転生体の噂を聞きつけてのことだ。

 まさかここで出会うとは。

『星喰い』はかつて――竜だった頃から、圧倒的な力を誇っていた。

 そんな『星喰い』の、しかも生まれて十余年この世界で潤沢な魔力を喰らってきた転生体である。


 そこらの魔物とは比べものにならない魔力の奔流。

 戦う気も失せるような力量差だった。

 須藤が呆ける目の前で、鹿目の右手に黒い魔力が集まっていく。

 死が、須藤の脳裏によぎる。

 鹿目の拳が須藤へ向けて放たれた。


 ぱん! と爆ぜるような音がして、須藤の背後にて攻撃を計っていた豚鬼オークの残骸が消滅した。

 僅かに残っていた魔力も感じられない。

 完全に消滅していた。

 気づけば鹿目の雰囲気は、普段と同じに戻っていた。


「大丈夫だったか? 須藤」

「……! お、おま……!」


 まるであべこべなセリフに須藤は言葉を返せずにいると、鹿目は何かに気づいたように笑みを浮かべた。


「ははーん、もしかして俺が須藤を庇って喰われたとでも思ったか? ないない。須藤を蹴った反動で、俺も水粘体スライムの外に出たのさ。大体人を庇って自分が死んだら、その後守れるはずだった人たちを守れないじゃないか」


 そう笑い飛ばす鹿目に、須藤はツッコむ。


「ってそうじゃねぇよ! いやそれもだが、さっきのは一体なんなんだ!?」

「ん、あぁ。蹴って躱したはいいんだけどさ、その時に軽く掠っちまったから、出てきたんだよ。あいつが」


 鹿目が手をかざすと、腕が黒く染まる。

 先刻と同じ気配であった。

 鹿目が小声でもういいぞ、と呟くと、気配は薄れていき、完全に消えた。

『魔力喰い』にて溢れた魔力を食いつくしたのだ。

 それを見た時、須藤は悟った。

 鹿目の脅威的とも言える身体能力の正体、それは生まれてこのかた、ずっと『星喰い』の魔力を喰らっていたからだと。

 最後の竜の魔力を、生まれた時からずっと――


「昔から俺の中にはもう一人いてさ、時々力を貸してくれるんだよ。第二の人格ってやつかな? はは」

「はは、じゃねーよ! お前そいつが何なのか知ってるのか!?」

「知らん」


 言葉を失う須藤に、鹿目は続ける。


「だが悪い奴じゃない。長年共に過ごして来たが、こいつは人を殺すような奴じゃないよ」


 悪い奴じゃない、だと?

 破壊の限りを尽くしたあの『星喰い』を?

 だが鹿目はそれをまるで恐れていないように見えた。

 鹿目は須藤の動揺なぞ気にもせず、能天気に語り始める。


「初めてこいつの声を聞いたのは小六の時だったかな。海で溺れかけてたらいきなり浮き上がって陸まで飛んで行ったらしいぜ。その身体、我のでもあるのだぞ、勝手に死ぬな、とか言われたっけ。他にも――」


 須藤は楽しげに語る鹿目を見て、苦笑する。

『星喰い』と呼ばれた竜を、まるで長年の付き合いの気の知れた友人のように話すとは。


「……正義の魔術師、か」


 何が正義で何が悪か、そんな事は知る由もない。

 ない、が――鹿目は悪い奴ではないと思えた。


 須藤がそんな事を考えていると、ヴヴヴヴ、と携帯が鳴る。

 救援信号を受信した、すぐに向かう。そう表示された携帯を見て、須藤はおせーよ、と呟くのだった。


 後日、ボロいビルの4階にて、須藤は女と向かい合っていた。


「例の『星喰い』の少年、魔術師になりたいそうですよ。しかも正義の魔術師、ですって」

「あっはは! 何それ? まるで私みたいな事を言うのね。可愛らしい」

「師団長みたいに冗談で言ってるわけじゃなさそうでしたが」

「あー、ひっどー、私だってマジで言ってるわよ?」


 そうは見えんが、と須藤は内心で呟く。


「ま、いいんじゃない? なって貰おうよ正義の魔術師に」

「いいんですか?あいつ魔術使えませんよ」

「いいわよ。前例がないわけじゃないし。それに魔術師師団はいつも人手不足。どうせ『星喰い』の少年の管理もうちらでしなきゃならないんだし、一石二鳥ってやつ? その分働いてもらわなきゃ割りに合わないわ。それに」


 女は微笑を浮かべ、続ける。


「魔術師なんてみんなワケあり、ネジが何十本も飛んでる奴だけが生き残れるような職業よ。幼い頃に見た美人のおねーさんに憧れて正義の魔術師を目指す、なんて中々可愛いぶっ飛び具合じゃない。その子、才能あるかもね」


 女の瞳が赤く、鈍く光る。

 射抜くような目に、須藤はゴクリと息を飲んだ。


「ってことで須藤、教育係は任せたわよ!」

「はぁ!? お、俺ですか!?」

「そうよー、年齢同じくらいでしょ? 仲良くやんなさいな」


 ひらひらと手を振りながら、女は階下を見下ろす。

 そこには金髪の少年――鹿目要介が希望に満ち溢れた目でビルを見上げていた。


「ようこそ、魔術師師団へ」


 そう呟く女の瞳は、鮮やかな赤に染まっていた。

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