拝啓。名も知らぬ彼方の貴女様
来栖
拝啓。名も知らぬ彼方の貴女様
『おはようございます、こんにちわ、こんばんわ。貴方のいる時間が今、朝か昼か夜か分からないから、とりあえず、思いつく限りの挨拶を。多国的に対応したほうがいいのかしら? まあいいか。どうせ届くかどうかもわかりませんし』
書き始めはこうありました。私は、海風に弄ばれる前髪と紙の端を抑えて、続きを辿ります。
『手紙は初めてです。こうやって自分の手と文房具で文を書くのも久しぶり。ちょっと拙いかもしれないですけど、許して下さい。人は、何かを誰かへ真摯に伝えたいとき、手紙を書くそうですね。アーカイブされた映画やドラマにアニメ。小説や漫画にはそう書いてありました』
途中見慣れない言葉がありました。ドラマにアニメ、漫画。なんのことかしら。聞き覚えにない言葉でした。映画と一緒に並んでいるから、同じ物語のかたちでしょうか。しかし、アーカイブ?もあまり馴染みがないです。なんでしょう。
『だから、今回、私は手紙を書こうと思ったんです。私の言葉を最期に誰かへ届けたい。そう思ったから』
どうやらこの人――男女が分かりませんので――は、生命の危機にあるよう。すこしドキドキしてきました。こう最初の大きな問題を提示される小説いいですよね。私好きです。ああ、いえ。お相手に失礼ですね。
『これだけだと何がなんだか分かりませんね。状況が色々と複雑なので簡潔にします。
率直にすると、私の今いる世界は、もう間もなく、行き止まりに到達します。言葉だけだとこれでは抽象的ですね。もっともっと分かりやすくします。
世界滅亡ですね。人類的な世界観ではなく、この地球、この太陽系、銀河、宇宙。全ての時間が今、圧縮され、停止しつつあるんです。つまり、行き止まり。時間は流れるものです。過去から未来へと川のように。まあ、それも諸説あります。だけど川のほうがわかりやすいでしょうから、そう例えます。川の流れが静止する。堰き止められたわけではなく、凍りつくように。
そうやって、私の世界は終わろうとしています』
「……もうちょっと落ち着ける場所で目を通しましょう」
ぶるっと私は身を震わせて、首に巻いたマフラーを抑えました。半月前やってきた町の海鳴りは、まだ、私には見慣れないもので、この寒々しさは、少し、いいえ、かなり堪えるものでした。けれど、散歩をするのには丁度いい。だって、人がいませんもの。地元の人たちも皆家屋でコタツの中。寒いのは皆苦手です。
私は、どうでしょう。染みるような寒さや整えた髪を乱す風。苦手かもしれませんね。ですけれど、この空気は好きです。一年ももうじき終わり。12月の匂い。澄んでいて、透き通ったガラスみたいな空気。この海岸から見える初日の出はさぞかし綺麗でしょう。
「寒い……」
しかし、堪えます。続きは、自室にしましょう。私は、さくりさくりと砂浜を後にしました。歩きながら、片手の空き瓶に、丸めた――手紙? 小説?両方かしら――紙を詰め直します。
いわゆる、ボトルメールというやつです。初めて拾いました。そういうものが存在するのは知っていましたが、世界は広くて、海はもっと広い。なので拾われることはそうそう無いでしょう。これの元の持ち主はとても幸運で、私はそれなりに面白くて、話の種になる経験をしていることになりますね。
「お帰り。なにか良いものでも拾ったかい」
「あら、叔父様。いつお帰りに?」
「ついさっきさ」
砂浜から階段を登った先、私を待っていた顔は正直意外でした。なにせ忙しい人ですから。
私が今、居候している家屋の家主です。叔父様、お父様によく似たお顔です。兄弟ですから当たり前ですね。
ただ、そうですね。お父様は軍部の高い地位に就いていらっしゃる事もあり、日頃から威厳のあるお髭をたくわえてらっしゃいます。立場ある方ですから書類とのにらめっこの毎日もあって眼鏡と眉間のシワは取れそうにありません。
その点、叔父様はスッキリした顔立ちですわ。歳もお父様よりもお若く、眼鏡に皺もありません。お髭もたくわえるというよりは顎先にオシャレに整えられていますし、気さくで、訓練を日々積んでいるお父様よりも痩躯です。髪も整髪料で整えてらっしゃいて、この町の雰囲気よりも都会的です。
「叔父様って言われるとなんだか歳をとった気分になるな……お兄様とかでいいんだよ?」
「ふふ、御冗談を。私のお兄様は一人です」
今は、遠い遠い雪の国でお国の為に戦ってらっしゃるお兄様。先日のお手紙通りならお元気でしょうけれど……心配ですね。
「確かに」叔父様は、ジャケットの肩を竦めて笑いました。「それで、それは?」
「ああ、これですか? 珍しいものですよ」
「へえ、ボトルメールか。話は知っていたが実際に拾えるものなんだね」
どうぞと渡せば、珍しげにまじまじと叔父様は、ボトルを眺めていました。
「ありがとう。中身は、読んだのかい?」
「最初の方は目を通しました。中々、個性的な内容でしたので、続きは自室で読もうと思ってます」
「なるほど」叔父様は頷いて「送るよ、乗って」
脇に止めてある真っ赤なスポーツカー。鋭利な剣みたいな見た目をした叔父様の愛車です。この町では、珍しいものですから誰が乗っているかなんて一目瞭然。とっても目立ちます。
「私、叔父様の車に乗ってみたかったんですよ」
「へえ? それは早く言ってほしかったね。どこにだって連れてくよ?」
嬉しげな叔父様。どうやら自慢したくて堪らなかった様子です。私は、苦笑を浮かべて。
「叔父様がもう少し、忙しくなくなったらそう言うつもりでした」
「あー……それは気を使わせたね」
「いえいえ、全く。私の我儘ですから」
叔父様は、こう見えても忙しい身で、全国各地を飛び回っています。私もどういうお仕事をされているのかは知りませんが、非常に最先端で、非常にデリケート。身内にも気軽には話せない内容とのことです。お父様に尋ねても首を振られるだけで何も聞き出せませんでした。
ぶおんっ!と怪物めいた唸りが上がったと思うと私の体はシートに押し付けられました。そこそこのスピードです。車体が低いのもあって少し怖くもあります。けれど流れる景色は爽快でした。
「そういえば、今日はお休みなんですか?」
「ん、まあね。明朝には、立つ予定だけど」
「忙しないですね……。もう少しゆっくりできないんです?」
「はは、しょうがないさ。今やっていることが終われば、僕も暫くゆっくりできる。君も家に帰れるよ」
「そしたら、お兄様も……」
「もちろんさ」
同意の首肯を見せてから、叔父様は、「あっ」と零しました。しまったと顔で表現してから。
「今の内緒にしといてね? 口が滑べちゃった」
「ふふ、全く。しょうがないですね」
「はは、ありがとう」
そうこうしていると沿岸部を抜けて、町の中へと入っていきます。先程まですれ違う車は殆ど居ませんでしたが、田舎といえど町中。人に車も増えていきます。手を振る子供や頭を下げてくれる方々。勿論、返しますとも。
この町は、お父様の故郷。お父様のお父様。つまるところ、私のお祖父様は、この町長をしてらっしゃいました。それにお祖父様自身も元は軍務に勤しみ、大きな責任を背負い、国を牽引する役を担ってきたとの事です。
この町の誇りであり、この国の英雄です。
残念ながら私が物心付く前に、大病を患いこの世を去られたと聞いてます。会えずじまいで非常に残念です。
歩道の皆さんに手を振り、会釈を返し、二つほどしかない信号に停まり、牛の行列に車を停め、それから町を抜けてからも暫く道なりにのどかな風景を眺めていれば、林に続く脇道に逸れてすぐに鉄柵の大きな門が私達の前に現れました。
その門も私達が前に停まると、ズズッ……と重々しく門は脇にスライドしていきます。それはもう、壮大な光景です。なにせ高さはもう私四人分くらいはある鉄の塊ですから。
「今朝も見ましたけれど、やっぱり壮観ですね」
「父さんは、趣味が大味だったからね。趣味で、型落ちの戦車を敷地で乗り回すくらいだ」
「もしかして、庭の奥の方にある等間隔の道って」
「キャタピラの跡だね。音が酷くて母さんがキレたから奥の方でしかできなくなったんだよ」
「あれはそういうものなんですね。直さないのは……」
「ああ、母さんが残しとこうってね」
「なるほど……」
などと会話をしていれば、門が開きました。徐行だから風景はゆっくりと進んでいきます。もう見慣れた風景ですが、
「広いですね、ほんと」
門をくぐり、緩やかなカーブを抜けた先は、一面の林を切り抜いて作られた広大な敷地が広がっています。正確な数値は聞いていませんが、以前、都に居た頃、野球場へお兄様にご一緒した時のドーム会場よりも随分広いことは分かりました。とっても広いです。散歩するだけで暫く暇を潰せました。まだ、回りきれていないところもあるくらいです。
「正直、広すぎて把握とか整備が面倒だけどね――ほら、着いたよ」
「ありがとうございます、叔父様」
キィっと止まったスポーツカーのドアを開けて、私は、叔父様にお辞儀一つ。
「それじゃあ、また夕食にでも」
「ええ、はい。また」
車庫の方へと叔父様のスポーツカーは走り去って行きます。これからきっとまた走ったり、整備や清掃などをするのでしょう。久々の休暇ですから。
「さて……」
私も、私の事をしましょうか。
+++
『終わるは終わるで、もう巻き戻すのは無理な話です。私達は、既に詰んでいます。なので手紙を書いています……って、さっき書きましたね。何かを伝える為に、手紙を書き始めたんですが、何かが思いつきません。ここ最近は、研究漬けだったのがいけません…………いや、いつもそうでした。駄目ですね。こういう時に困ってしまう。さて、どうしましょうか……』
「なんだかぐだついてきましたね」
私に与えられている部屋は、南向きにあります。屋敷自体は四階建て。海の向こうの国々の建築家と我が国の建築家の合作らしく、色々な文化が介在しています。それでいうと私は、その海外の建築家の生まれ故郷のもので、つるりとしたフローリングと天蓋付きのベッド。窓にはふんわりとしたレースのカーテンと分厚い遮光カーテン、壁には暖炉まであります。今、私が腰掛けている椅子のクッションからデスクを構成している木々もまた、海の向こうのものを使用しているらしいです。我が家には無かった分類の部屋。憧れていましたから見たらすぐにここにしました。
まあ、最初は物珍しかったですけど、半月で慣れてしまいました。意外な自分の適応力に驚きました。
……ただ、慣れすぎて、自宅の自室もこうしたくなってしまってます。大変です。どうやって説得しましょう。
「手紙の体裁ですし、慣れてご様子、まあ、そういうこともありますよね」
気を取り直して、私は、文字を追うことにします。
『……ちょっと頭を整理していました。こういう時は、コーヒーがいいですね。チョコレート、ストックしておいてよかったです』
「チョコレート、いいですね」
チョコレート大好きです。飲み物は、どちらかといえば紅茶派ですけれど。お父様や叔父様は、お仕事中、コーヒーらしいですね。お兄様は、どちらも好きではなかったです。運動していることが多いので、麦茶や緑茶、お水が好きでした。
『私がどうやってこの手紙を送っているかを書こうと思います。こんな荒唐無稽な話を、こんな駄文にここまで目を通してくれた貴方に届けた方法。郵便ではもちろんありません。ましてやサンタクロースでも。
これは、一種の時間移動を用いて移動させています。小難しい理論は、省きましょう。用紙の余白の隅々まで埋めても足りませんから。
さて、時間を川に例えましたが、言うならばこれは水切り(平たい石を水面で飛び跳ねさせる遊びのことです。飛び跳ねた回数や最終的な着地の距離を競うそうです。資料映像を見たんですけど、楽しそうでした)です。
スナップや石の形、水流が実際の遊びには重要なようですが、今回重要なのは速度です。ボトル状のものを時間流に滑らせるのは、ちょっと面倒でした。実験でもあまりいい成果は出なかったので非常に心配です。そもそも時間旅行の試み自体が上手く行かなかったからこうなってるんですが……。私達にできたのは時間流への一方的なアクセスでした。戻りがなく、ただ流れに乗るだけ。凍りついた私達は下流、つまり上流に向かう必要があります。動いてる時間ですね。うまく行けば、時間流の流れの上を滑って、最終的にどこかの時間に落っこちるはずです。
不安ですが、なんとかなるでしょう。そう思わないとやってられません。
取り留めのないことも文字にしないとまともでいられないような気がします。書く事で思考が整理されていって、私、気づきました』
筆跡の乱れ、インクの滲み、なぞってわかる水滴の落ちた跡…………。
『ああ、私、怖いんだなって。いつも俯瞰して、客観視して、科学者的に振る舞って、今の今まで怖くも何も思わないから私は根っからそういう冷血な人間だって思ったんです。
だけど、こうやって書き始めて、私は、自分がただの普通の女だって分かりました。
……私達は、こういう大事な事を忘れたから、滅びるのかもしれませんね。
ごめんなさい。ちょっともう書けそうにないです。今回はここまでにします。
……できればこれを読んだ方の返事を頂きたいです。書いた紙を瓶に詰めて、元の場所に戻してください。そうしたら、いずれ私に届きます。
どこかの貴方に私の言葉が届いているのを願っています。
ここまで読んでくれて、本当にありがとう』
「……届きましたよ」
私は、ぽつりと呟いて、引き出しから便箋を一枚取り出した。
「書き出しは……」
知らぬ誰かに返事をするのですから。
『拝啓。彼方の名も知らぬ貴女様』
こうでしょう。
+++
「戻すのかい?」
「ええ、はい。返信が欲しいとおっしゃってましたから」
「返信、か……それはまた、ロマンチックだね」
水平線を見つめる叔父様の横顔は、何かを慮っているよう。誰かがこの先の彼方にいるのでしょうか。分かりません。叔父様は、あまり自分のことをお話になりませんから。そうしていると、一際強く吹いた潮風が私達を撫でていきました。寒いです。とても。
「届くと思うかい?」
ぽつりと叔父様が言うから、私は、首肯して。
「はい。もちろん」
「無粋だったね。すまない。忘れてくれ」
「いえ、構いませんよ。叔父様。では、置いてきますから、少し待っていて下さいます?」
「ああ、分かったよ」
堤防を下って、私は、拾ったあの場所に歩いていきます。潮の匂いは変わらず濃く、海はいつも通りの顔をしていました。流木や砂に足を取られないよう気をつけて、私は、そんな海に近づいて行きます。
「ここ、でしたよね」
波際ギリギリまで来て、ちょっと不安になりました。ちょっとだけです。記憶は確かですから。
「それじゃあ、届けてくださいね?」
海に言う。答えはありません。素知らぬ顔です。当然ですけど。肩を竦めて、私は、小脇の瓶を足元の、丁度、波にかかる場所へ置きました。
「きゃっ!」
すると大きな波が押し寄せてきました! 濡れては酷いことになるのは明白です。この季節でびしょ濡れは絶対に嫌ですから、急いで下がりました。遠くで笑い声が聞こえました。叔父様です……許せません。お姉様(叔父様の奥様)に言いつけてやります。
「……ふう」
飛沫はかわしそこねましたけど、最悪の事態は回避しました。危なかったです……。私は息を吐いて、胸を撫で下ろしました。
「あっ……」
そうだ。瓶は……!と駆け寄ってみると、姿形、痕跡一つ無く消えていました。
「……ふふ、そうですか」
届けてくださるのですね―――海は、何も答えません。さざなみを響かせて、いつものように素知らぬ顔でした。
+++
一年後、このボトルを、手紙の返信をまたここで拾うことになるのは、この時の私は知らない未来の出来事です。
その時の話は、また今度にいたしましょう。
拝啓。名も知らぬ彼方の貴女様 来栖 @kururus994
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