ロボ会長は隠れて笑う
yolu(ヨル)
ロボ会長は隠れて笑う
男子高校生が1人でカフェなど、よくある光景だ。
さらにデザートを食べるのも、特別変ではない。
だが俺は、絶対に、誰にも見られてはならないのだ……!
「限定ブラッドフラップのトールと、ホットコーヒーのショートを1つずつ。テイクアウトで」
無表情の俺の注文に、店員さんは優しい笑顔でカップを2つとりあげる。
すぐにできたてのドリンクが入った紙袋を抱え、慣れた道順で誰もいない公園へ。
軋むブランコに座ると、いそいそと紙袋からとりだした。
「今回のフラップ、トマトがきいて激甘か! やはり限定。うまいな……」
ホットコーヒーのカップには、俺の似顔絵だろう細メガネのイラストがある。
それを見やり、俺はもう一度、甘いフラップを飲みこんだ。
俺は有名私立
『ロボット会長』と新聞部に揶揄されるほど、感情に起伏がない。
そんな俺が、激甘ドリンクをチューチューする姿をさらしたらどうなる……!
この学園は、将来のエリートたちが大勢通っている。
もちろん、生徒のキャラも重要視される。
生徒会の人間は、学園の統率者でなければならない。
完璧な姿や、生徒を導ける
だからこそ、絶対に、この姿を見られてはならないっ……!
これがもし新聞部にでもスクープされれば、通称『NO選』という、現生徒会を存続させるかどうかのYES・NO投票が行われる。
これまで、そのNO選で生き残った生徒会は、ひとつも、ない───
10月の今は、外の空気がしっとりと冷たい。
息は白いし、フラップがより冷たく感じる。
それでも姿を隠してまで外で飲む理由は、開放感を得るためだ。
今日はようやく公約に掲げたカフェ事業に対し、予算を振り分けられた。
これは喜ばずにはいられないっ!
俺はもうひと口飲み込んでから、ドリンク手帳に感想を書きだしていく。
「今回のフラップは当たり……と…甘さは…」
急な足音に、俺は顔をあげた。
「梨木……?」
寂れたトイレに走りこんだのは、間違いない。書記の梨木だ。
梨木は『涼鳴アイドル』と称され、ティーンズ雑誌のモデルもしているそうだ。そのおかげか、学園内のファンクラブ会員は、男子生徒の半数が入会済み。絶大な人気がある。
ただ自身のことをレナっちと呼び、事あるごとに「きゅぴん」というのが鼻につく。それ以外はまあまあ仕事をこなす、いい後輩といえるだろう。
「腹でもくだしたか」
だが今は人の心配より、自分の心配をしなければ。
今、この姿を見られてはまずい……!
再度周囲を確認するが、この公園の出入り口はあのトイレの横のみ。
───走りぬけるしかないっ!
俺はフラップを握りしめ、走りだした。
シーソーを過ぎ、鉄棒をこえれば、門はすぐそこだ。
彼女は腹痛。まだ時間がかかるはず。
……よし、公園の出口っ!
気を緩めた瞬間、黒い物体が飛びだしてきた。
体当たりされ、尻餅をついた俺だが、顔をあげると同じく座りこむ女子がいる。
思わず手を差しだすが、その彼女の目が大きく見開いた。
「ろ、ロボ会長!?」
揶揄を少し可愛く『ロボ会長』と呼ぶのは学園に1人だけいる。
それは梨木だ。
ただ───
「……梨木……?」
そこにいた女子は、地味だが、とても可愛い女子───
顔が隠れるほどの大きな黒縁丸メガネに、茶髪の梨木とは違う、黒髪ボブヘアー。
スカートの丈は膝下まであるが、それすらも可愛く感じる。
これはまさしく、俺の好みの、どストライクなJK、ではないか……!!!!
「会長、なんで……」
……だが、この声は間違いなく梨木だ。
声を聞いて冷静になるが、瞳がどんどん潤んでいく。
それに戸惑っていると、梨木は地面に視線を泳がせた。
すると、今度はにっこりと微笑むではないか。
「会長、そんなの飲むんスね……」
胃が縮む。
梨木は転がったフラップを見て笑ったのだ……。
体の芯から冷えあがってくる。
これはフラップのせいではない。
───恐怖だ。
お互いイメージ商売。
この状況が公になれば、間違いなく立場が崩れる……!
重い沈黙が過ぎる。
カラスの鳴き声がひとつ聞こえた。
「黙っててくれないか」
「黙っててくれません?」
声がかぶる。
思わず目を伏せると、紙袋を抱えていたのを思いだした。
「……梨木、コーヒー飲むか?」
取りだすと、蓋のおかげであまりこぼれていない。
梨木は素直に受けとり、蓋を外そうと手をかけるが、すぐにカップのイラストに気づいたようだ。
「これ、ロボ会長のメガネだっ」
にひひと笑いながら、梨木はおいしそうにブラックコーヒーをすすりだす。
「俺はどうせブラック顔だよ……」
ただなんとなく流れでブランコを揺らす俺たちだが、はたからはどう見えるのだろう。
ひとつも楽しくなさそうで、赤の他人がたまたま隣りに居合わせたような、そんな雰囲気だ。
だが横で揺れる姿は可憐な女子。つい見惚れてしまう。
「あー……梨木、その格好は?」
なんとか視線を切り離し、話題をふった。
梨木は俺のことなど気にしていないようで、地面を見たまま、ぶらぶらと足を揺らす。
「学校のほうがキャラっス。髪の毛はヅラで、目もカラコン入れて……だいたい素で『きゅぴん』っていう奴、頭おかしいっしょ……まじ、キモい」
ぼそぼそと喋る梨木だが、再びにやりと笑う。
「つか、ロボ会長が甘党なんて、これ会長のファンクラブの人が知ったらめちゃヤバ案件っしょ。キモいし」
「わかってる」
俺は素直にうなずいた。
能面メガネが、女子好みの甘いものをすする姿は間違いなく、キモい。
「家で飲めば?」
「外で飲むのがいいんだ。開放感がある」
「キモ」
より白い息を梨木は吐き、ブランコを大きく揺らして飛びおりた。
「会長、これ、極秘っスよ。特に新聞部」
くしゃりとカップが握りつぶされる。
「梨木こそ」
新聞部に、後でも先でも
「梨木、遅いから駅までは送っていく」
「大丈夫っス。近いし」
「近くても、女子が一人で歩くのは危険だ」
視線でいくぞといってみる。梨木はしぶしぶ歩きだした。
「これからデートか? なら」
「いや今日撮影あって早く元に戻りたかっただけなんで。だいたい、コレでデートしてくれる男子いないし、キモいし」
「そうか? 十分可愛いぞ」
俯いたせいで顔は見えなかったが、梨木の耳が赤い。
やはり今日は冷えている。
ものの10分で駅に着くが、帰宅時間が重なっているからか、人が多い。
少し改札から離れ、俺は電光掲示板に目を向けた。
「じゃ、俺はこれから行くところがあるから。梨木、気をつけて帰れよ」
一度腕時計を見た梨木だが、怪訝そうに俺を見あげてくる。
「こんな時間に? ひとりで?」
「いや、今日は水曜日だから、……な?」
「だから、なんスか」
「これ以上は、いえない」
俺の目の前には水曜日半額の特大パフェが浮かんでくる。
駅4つ向こうのカフェになる。今から急がなければ売り切れ必至だ。
「……あ、わかった。甘いものっスね」
───ピロン!
「……へ?」
俺にスマホをつきつけて見せてきたのは、
「ほら、うっすら笑ってる。キモっ!」
言葉のとおり、うっすら笑う俺がいる───!
スマホを奪おうと手を伸ばすも、素早くかわされる。
梨木は瞬く間に改札に滑りこむと、人混みのなかにとけていった。
……もう、俺の胃はつぶれそうだ。
「弱み、握られた……」
絶望しかない。
目覚ましの音がする───
「……寝れなかった……」
──あの写真が外に出るかもしれない。もしかしたら、SNSで拡散するのでは……?
そうなれば、生徒会長像が崩壊っ!!!
……いきすぎた想像かもしれないが、ゼロではない。
おかげで数分おきにエゴサをする状況に。
昨夜の夜から、校門をくぐった今もずっと続いている……。
「早く梨木に会わないと……」
俺は指で眉間をもむが、眠気はなかなか消えてくれない。
「ロボ会長ぉ! レナっち参上、きゅぴんっ」
「ぉうっ……おはよう、梨木……」
突如現れた梨木に、跳ねあがるほど驚いた。
だが、どうにか表情と体勢を崩さずこらえられた……はずだ。
いつもどおりのアイドル梨木だが、ぐいっと顔をよせたかと思うと、
「……ヤバい動きしたら、あの写真、新聞部に流しますから……」
野太い声が鼓膜に届く。
すぐにアイドルスマイルで去っていくが、
「出し抜かれることはないようだな……」
胸をなでおろす俺だが、まだ油断はできない。
やはりあの写真は削除してもらうべき。あるいは『素の梨木』写真を撮らせてもらわないと、フェアではない───
その考えが頭にこびりついたまま、放課後となった。
今日は生徒会がない日。
だが、梨木に会わない、という選択肢は俺にはない。
1年の廊下を歩くだけで、モーセが海を割ったように後輩たちが避けていく。
その奥には、お目当てのアイドル、梨木がいる。
「梨木、時間はあるか? 少し頼みたいことがある」
「わかりまっ! きゅぴん!」
梨木はカバンをふりまわし、俺の腕をつかむと、ひっぱるように歩きだした。
「
「まあ、そんなとこだ」
「きゅぴん!」
だが彼女の視線は『さっさと行くぞ仏頂面メガネ』といっている。
俺は眉をあげて返事をし、流れる動きで学園前からでているバスに乗りこんだ。そして3つ目のバス停でボタンを押す。
「梨木、降りるぞ」
「ここ?」
驚きながらもついてくる彼女は、いつもの梨木のはずなのに、少し違って見えて面白い。
「なに見てんスか」
「ん? 路地裏にカフェがあってな」
連れてきたのは、喫茶こもれび、だ。
「古っ」
「古いからこそ、コーヒーは美味いんだ。あ、梨木、コーヒー飲めるよな、昨日飲んでたし」
「もち。プロフには『甘いの大好きハート』って載せてますけど、キャラっス、キャラ。むしろ苦いの辛いの大歓迎」
「梨木はキャラが徹底してて、尊敬するよ」
重いドアをくぐると、ドアベルが鳴る。
カウンター席と、ボックス席が3つある、昔ながらの喫茶店だ。
マスターがグラスを磨きながら振り返った。
「お、ケンシロウ君、……へ? カノジョ〜?」
「違いますよ、マスター。俺はいつもの。この子にはネルドリップで」
「はいはぁい」
いつものようにやりとりする横で、梨木はただキョロキョロと見回している。
「ロボ会長、ネルってなに?」
「見てればわかる」
「その前に、お手洗い」
「奥の植木の影だ」
梨木は素早くトイレに入っていく。
隠れたい現れなのか、やたらと敏捷な動きだ。だからこそ、昨日俺にぶち当たったのだろう。
あの惨劇を思い返していると、
「あの子、涼鳴アイドルのレナちゃんでしょ〜?」
マスターがちらりと俺を見る。
「よく知ってますね」
「娘が読んでる雑誌に、いっつものっててさ〜」
「へぇ」
「そういうのケンシロウ君って、うとそうだよね〜」
たわいない会話をしているうちに、ガトーショコラがメインのミニパフェと、生クリーム大盛りの特注カフェオレが俺の前に並ぶ。
「うわ、ロボ会長、ゲロ甘! キモ……」
地味な梨木が、俺の隣に腰を下ろした。
やはり黒髪で丸メガネをかけて、俯きぎみの綺麗な横顔がある。
マスターは無言で2度、梨木の顔を見た。
だがそれだけだった。
一瞬唇が震えたが、それは声にはならなかった。
やはり、マスターは違う。察する心が段違いだ。
「よし梨木、説明しよう。このガトーショコラは濃厚生チョコと表現して差し支えないほどの、重厚感マックスチョコなんだ。そこでこのクリーム! 塩気が強めで甘さはピカイチ! あと」
「ロボ会長、アイス、溶けますよ?」
梨木は俺の声を遮るも、ずっとパフェを見つめている。
「そんなに気になるのか? ほら」
俺はサイコロ状に載せられたガトーショコラに、塩甘クリームをトッピングすると、彼女の前にフォークを差しだした。
「え、いや……」
「遠慮せず食べてみろ」
さらに薄紅色の唇に近づけると、なぜか俯き、少し睨みながらも食いついた。
「……めちゃウマ……」
「だろ?」
俺はすぐにパフェと対峙する。
さっぱりと食べるか、こってりと食べるか。さらに舌に甘さを残すか残さないか……。
食べ方ひとつでこれほどに余韻を楽しめるパフェはなかなかない!
「ネル見るの初めて〜?」
マスターの声がする。
挽きたての豆を蒸らした布フィルターに入れると、そこにお湯を細くゆっくりと注いでいく。
モコモコと豆が泡立つ光景はいつ見ても興味深い。これほど動く飲み物はコーヒー以外ないのではと、俺は思う。
すぐに出来あがり、薄手の白いカップに注がれた。
梨木は受けとったカップを持ちあげ、筋のとおった鼻を近づけると、そっと目を細める。
その横顔が可愛らしくて、つい魅入ってしまう。
「……わぁ…黒蜜みたいな匂いだ……」
ひとくち含んだ梨木が、俺を見てくる。
「どうした?」
「なんか甘い感じする……なんで?」
それに笑うのはマスターだ。
「品種とか乾燥のさせ方でいろいろ味が変わるんだ。楽しんでって〜」
マスターはカウンター奥へと移動した。またグラスを拭く作業に戻るようだ。
「ロボ会長、ココすごいっスね。うちの好み、ドンピシャ」
「外観見たとき、古いとかいってただろ」
「あれは第一印象っスね」
楽しそうにコーヒーをすする梨木を見ながら、自分もカフェオレに口をつけた。
唇にもったりとしたクリームが重なる。
この瞬間がいい。
口のなかは熱いのに、唇は少し冷たく感じるこの温度差がたまらない。
「他にも美味しいコーヒーの店とかあったり?」
「もちろん。学園近くにも、あることはある」
「なんでそんなに好きなんスか?」
「俺は将来、カフェを経営したいんだ」
俺のこの言葉に、梨木は目で返事をした。丸メガネの奥が、その続きはといっている。
「これからは、自分で仕事を選ぶ時代になる。そこにはもちろん起業という選択肢が含まれる。そう考えたとき、俺はカフェを選びたい。甘いものが好きなのもあるが、美味しいものを口にすると、人は笑うだろ? そういう幸せを与えられる仕事って、それほど多くないと思うんだ」
梨木は俺の顔をまじまじと見つめ、大きくうなずいた。
「だからカフェ事業を公約としたんスか」
「そういうことだ。校内に置くカフェだが、近い将来、生徒自らが運営をしていくことになる。どう販売展開をするか、どんな商品を開発していくか……経営をするということを、肌で感じることができる。この体験は絶対に必要なものだと、俺は思う」
「ロボ会長、すごいっスね」
あまりに真っ直ぐな視線に、俺は思わず目をそらしてしまう。
「うち、なんも将来とか考えてなかった」
「これから考えればいい」
しおらしくなった梨木だが、コーヒーを飲みこみ、小さく微笑んだ。
それを見て、俺はスマホで素早く横顔を撮影。
事前に準備しておいた学園アイドル・レナっちの横顔と照らし合わせれば、一目瞭然だ。
「ちょ、ロボ会長、なに撮ってんスか!」
「梨木だって俺の顔撮ってただろ」
「はぁ? 女子のスッピン、写真に撮るってめっちゃ鬼っスよ、鬼!」
「俺だって最大の弱みを握られたんだ。同じように握らせてもらうっ!」
沈黙の時間が流れる。
少し、いや、結構気まずい………。
「あの、ロボ会長」
「ん?」
振り向いた矢先、彼女のスマホからピロンと鳴る。
「やっぱ、甘いの食べると笑うんスね。キモ」
キモいという割には、梨木の目元も笑っていて、俺はどう答えていいかわからなかった。
ただ、やっぱり可愛いと、俺は思った。
翌日────
「鬼ヶ島会長ーっ! すっぱ抜かれましたよっ!!!」
副会長の笹木が飛びこんできた。
はやばやと登校した俺は、生徒会室でカフェ事業の確認をしていたのだが、笹木はネクタイをゆるめながら焦っている。
「会長、表情ないから、なに考えてるか全くわかんないけど、これ、見てくださいっ!」
号外と記されたA4の用紙にデカデカと、
『あのロボット会長がデート!? 生徒会長の恋愛はやっぱりタブー?』
フルカラーで作られた号外には、昨日、地味梨木を駅まで送った様子がデカデカと載っているではないか!
「駅に新聞部が……?」
コーヒー談義に花を咲かせすぎたようだ。
周りに注意するのを怠っていた……。
「会長、動揺してます? やっぱりよくわかんないけど、確実にNO選になりますっ! 遅くても午後には実施かと!」
暗黙の了解として、生徒会長の恋愛は禁止となっている。
生徒を導く者が、浮ついた感情に囚われないように、という戒めのようなものだ。
実際、交際がバレて失脚した生徒会長は過去に2人いる。
「あの、会長? 聞いてます?」
どんどん血の気が引いていく。
このままでは協賛協力を得た店舗に迷惑がかかる……。
それ以上に、自分の行いのせいで白紙になるなど、どう謝罪しても収まりきらない……!!!
「……すまん笹木、今日の授業はなしだ。スピーチ原稿を頼む。ギリギリまで最善を尽くす」
「やってやりましょう、会長っ!」
笹木は1年だが、俺が生徒会長に立候補したときからの付き合いになる。
1年で副会長をやる理由は、来年、会長に立候補するためだ。
俺がその流れで会長になったのを真似たそうだが、彼のスピーチ原稿は心をゆさぶるのがうまい。彼の副会長当選も、それがあってのことだ。
彼のスピーチに負けない資料を作成しなくては……。
ノートパソコンを立ちあげたところで、会計の白石と、書記の梨木が飛びこんできた。
「カノジョ、おめでとーございまぁす! 白石、感激っ! 幸せのY!」
白石はスカートの下にスパッツを仕込んでの、Y字バランスで祝福だ。掛け持ち新体操部の選抜選手なだけある。とても美しい。
「ま、マジやば! ロボ会長、スキャンダル!……きゅ、きゅびんっ!」
梨木、目が泳ぎっぱなしだぞ……。
「ハッキリいうが、新聞の彼女とはなんでもない。まず白石、前年の予算と本年度の予算、あと試算してある資料を。梨木は過去の議事録を。説得できる資料内容を探したい」
午前9時40分の段階で、NO選の署名が80%に達したと、校内放送で告げられた。
「やっぱあるかぁ……」
笹木がため息交じりにつぶやく。
今日は生徒全員、授業どころではないだろう。
生徒会にキャラやマニフェストが求められるように、生徒たちには、生徒会の支持や後援の仕方が求められる。
もちろん全て進路に関わる事柄だ。
……しかしその前に、俺の信用問題がある。
これをどう回復させる……?
『緊急放送。本日11時より、生徒会の存続の是非を問う投票を行う。繰り返す。11時より行う』
10時の放送で告げられた現実に、生徒会室が静まりかえる。
「……勝ちに行くぞ」
俺の声に頷きで返事をしてくる。
それに心強く感じていると、笹木が用紙を手に立ちあがった。
「どうぞ」
手渡された原稿は、簡潔にいうと彼女のことを全面否定した内容だ。
これが最適解なのは間違いない。
だが、なぜだろう。
胸が、チクリとする────
『───さぁ、新聞部のスクープにより、NO選となったロボット会長こと、鬼ヶ島ケンシロウ! 完全無欠といわれた鬼ヶ島生徒会、今日、崩れるのかっ!』
放送部のシャウトから始まったNO選。
まずは俺のスピーチだ。
ここでどれだけ俺の信用を戻し、マニフェストが有意義なのかを説かなければならない───
「……鬼ヶ島会長、スピーチを」
笹木に肩を叩かれ、俺は原稿を握りしめる。
慣れた演台のはずなのに、今日はとても違う場所に感じる。
『まず、私の軽率な行動により……』
髪の先からつま先にまで視線がからむ。
いつもの比じゃない……
これは、好奇の目だ。
間違いない。
彼らは、
『……俺は、彼女となにも始まっていない』
笹木が強く睨んでいる。原稿と違うからだ。
『……だが、俺は彼女のことを否定したくはない。なぜなら、昨日過ごした彼女との時間も、否定することになる』
息を大きく吸いこんだ。
『俺がどうしてカフェ事業を成功させたいか、改めて彼女に話をした。……しかしながら、それ以上に望んだことがある』
空気が止まる。
『それは、彼女の笑顔だ』
頭の中が、彼女の笑顔に、染まっていく─────
『コーヒーを飲んだときの微笑みが最高に素敵だった。俺はまたその笑顔が見たいと思った。……どうだろう、今、好きな人を思い浮かべてみてほしい。その人の笑顔が、ささやかな幸せが、カフェのコーヒーから、フードから生まれる。この事業は経営の仕組みを理解するための一環だ。だが、だからこそ、経営はお金だけではない、人の心に寄り添うものが大切だと、俺は伝えたい』
静まり返る体育館で、俺はもう一度、声をあげる。
『俺が生徒会長になって叶えていないマニフェストはカフェ事業のみ。これを成功させた暁には、さらにこの学園の発展を誓おう!』
そう宣言したとき、どよめきとともに、拍手が起こったのを俺は聞いた。
だが滔々と思いを語ってしまったことに恥ずかしくなり、俺は逃げるように舞台袖へ……。
今後のカフェ事業の流れと、それについての予算説明を笹木が行ってくれたこともあり、どうにか存続を勝ちとることができた。
まさに、奇跡!!!
しかしながら、午後の号外では、
『あのロボット会長に感情が!? 季節は秋だが春が近い』───
俺はこの号外に違和感を感じる。
なぜなら記事のなかで、ひと言も生徒会の存続について書かれていなかったのだ。
これは今回、新聞部が仕組んだ学校イベントだったと考えるのがスマートなのだろう………。
まんまと嵌められた屈辱と、存続の安堵に、俺は授業を終えたとたん逃げるように電車へ乗りこんだ。そしてにこりともせずフラップとコーヒーを買い、誰もいない公園へ。
ブランコに腰をかけながら、俺の手には冷たいフラップ、袋にあるホットコーヒーには細メガネの絵。
いつもと変わらない。なにも変わらない。
「……やっぱ今回の限定、ウマ甘だな」
冷たいフラップが胃に染みる。
改めて大きくため息をついたとき、カモフラージュ用のコーヒーがかすめとられた。
「ロボ会長、お疲れっした」
ぎいと鳴ったブランコにいたのは、地味な梨木だ。
コーヒーが飲めて満足なのか、安心したような笑顔だ。
『俺はまたその笑顔が見たいと思った』
言葉がリフレインする。
熱くなった顔を隠すように膝を抱えた俺に、梨木は気にせず話しかけてくる。
「そうそう、会長のファンクラブが、『ロボの恋、見守り隊』になったの知ってます?」
「……はぁ!?」
思わず、手に力が入ってしまった。
ああああ、もったいない……!!!!
俺が悔しさに目を細めながら、ハンカチで手を拭っていると、梨木のスマホがピロリと鳴る。
「そんなにフラップ、大事だったんスか? マジ泣きそうだし。キモ」
そういって、ブランコを降りた梨木は俺に背を向けた。
「うち、『笑顔が見たい』って聞いて、すんごい同意」
夕日が彼女の背中を黒く染めている。
ただ梨木の声音は笑って聞こえる。
「ロボ会長がパフェ食べるとこ、キモいけど見てたい。すんごい幸せそうに笑うから」
梨木は俺に手をのばす。
「カフェ事業、成功させましょ?」
俺は、その手をとってみた。
冷たく、少し震えて、緊張している。
「……俺の手、冷たくてすまん」
ジャケットのポケットに、その握った手を差しこんだ。
「ちょ、ロボ、……!」
「少しでもあったまれば」
「な、や、やややめてって!」
抜きとろうとした手に、俺は力をこめる。
「悪いな。俺だって男だ。可愛い女子の手ぐらい、握りたい」
「ば、ばばばばかじゃないですか! めっちゃ顔赤いっスよ! マジキモいって!」
「梨木だって顔赤いだろ」
「キモ! キモ!」
───あれから3週間が経つ。
大きな騒ぎが起こることなく、生徒会は今、カフェ事業の準備で多忙を極めている。
今日は、束の間の休みの日だ。
「ロボ会長、カフェメニュー、どうするんスか?」
いつもの誰もいない公園で、季節限定フラップとホットコーヒー持参をしての、2人会議。
「あ、今、限定フラップのこと想像したしょ? マジ、2人の時だけ笑うのやめてくれません? キモい」
「俺が笑ってる……? 今、甘いもののことなんて考えてなかったぞ?」
「知らないっスよ。学園じゃピクリとも笑わないのに、マジキモ」
「あー……。学園ではキャラを作ってあるから、笑うことはないな。だが、俺は好きなものを見ると笑うんだ。今、気づいた」
「……めっちゃキモ」
黒髪に耳が赤くなるのも見慣れたが、彼女の笑顔は何度見ても可愛い。
そんな彼女を見ると、ついつい頭をなでてしまう。
柔らかい黒髪は張りがあって、なで心地がいい。それに少し頭を傾けてくるのがたまらない。
やはりカワイイ。本当にカワイイ……!!!
「ほ、ほら、ロボ会長、フラップ!」
俺の腕を振り払うかわりに、フラップが手渡される。
「お、ありがとう、梨木」
「このカモフラコーヒー、余らなくなってよかったっスね」
「ん? 余ってはいない。家に帰ってから、砂糖とクリームたっぷりで飲んでいた」
「わぁ、キモ」
にっこり微笑む彼女につられて、俺も笑ってしまう。
そう、これは絶対に、誰にも見られてはならないのだ───
ロボ会長は隠れて笑う yolu(ヨル) @yolu
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