第6話  再封印する?

 気持ち悪い。

 その言葉通り、カナエは不快感を隠そうともしなかった。


 しかし、トックが心情を語る義理などない。

 トックの傍にいた異端者狩りが砂鉄条網を何とか切り裂き、戒めを解いた。

 トックは険しい顔でカナエを睨みつけ、錫杖を構える。


「問答は無用だ。貴様とは相容れぬと分かっ――」


 トックがすべてを言い切る前に、強風が吹き抜けた。

 風に含まれる魔力の残滓に気付いたトックが身構えるより先に、カナエが鉤杖を構えて問いを発する。


「『神の在処』を消し去るつもりか?」


 カナエの問いに答えるはずはない。ないはずだったが、トックの口は勝手に答えを口にする。


「その通りだ」


 驚愕に目を瞠るトックはすぐに自らが何らかの自白魔法を受けて居ることに気付き、手印を結び、ギリソンの権能魔法の一種での解除を試みる。

 しかし、カナエは淡々と風の鳥籠に囚われた哀れな金糸雀に次なる質問を投げかけた。


「各地の廃教会を壊して回ったのはお前だな?」

「そうだ」


 またしても意思に反してトックの口が動く。

 権能魔法を利用しても解除が出来ない。それは、根本的に魔法の解釈が間違っているからに他ならなかったが、トックにはカナエがどんな魔法を使っているのかわからなかった。

 だが、このまま自白魔法の影響下にあっては不味いことだけは分かった。


 脱出路を探してトックの視線があちこちに向けられる。

 しかし、トックの目に移ったのは異端者狩りたちの困惑顔だった。


「……今回の任務は異端者から『神の在処』を奪還するものでは?」

「消し去るつもりとはいったい」

「廃教会を、壊す?」

「信奉する神ではないとはいえ、何故壊す必要が?」


 困惑と疑心が広がる戦場で、唯一カナエだけは仮説を立てたのか、思案顔で答え合わせをする。


「聖人トック、お前、人の怪我が見たいのか?」

「その通りだ!」


 意思に反して断言したトックが硬直する。

 しかし、トックの口は変わらず動いた。


「だって素晴らしいではないか! あるべき姿に戻ろうとする人体の健気な活動は! ギリソンの権能魔法が作用すると人々の体は骨を、肉を、皮を再生させていく。ごく短時間で! あの無駄のない機能的な献身さは人々はこうあるべしと体が理解している証だ!  責任を持って元の状態へと戻そうとし、それでいて無理とわかれば妥協もできる柔軟さ! 社会はこうあるべきだと細胞の塊は理解している証だ! 私はね、怪我の治癒を見るたびに心を殴りつけられたような衝撃を受けるんだ。体は、細胞は、こうまであるべき姿を示しているのにその集合物であるわれわれの意識はどうだ? この社会はどうだ!? その一翼を担う私自身の愚かさと至らなさを突き付けられ、殴りつけられ、私は、私は――とても興奮するんだ」

「うっわ、気持ち悪いのじゃ!」


 吐き捨てるように言ったセキの批評に、異端者狩りたちが大きく頷いた。

 しかし、カナエは腕を組み、トックの言葉を吟味するように沈黙しながら数回頷いた後、結論を導き出したように厳かに口を開く。


「きっもちわるっ!」


 カナエの言葉にトックはむっとした顔をする。


「自覚はあるとも。だが、禁書卿にだけは言われたくない」

「あ、それは分かるのじゃ」

「セキはどっちの味方だ」


 横目でセキを睨んで抗議しつつ、カナエは冷えた地面を踏みしめてトックに向けて歩き出す。


「お前、聖人とか言われているけど危険人物だな」

「重ねて言うが、禁書卿に言われたくはない」


 枢機卿が率いる異端者狩りを相手に無傷で圧倒している時点でカナエも相当な危険人物である。


 だが、異端者狩りたちは複雑そうにトックとカナエを見比べていた。

 トックが自白した廃教会の破壊と、今回の『神の在処』奪取の大義名分である魔物の大氾濫を食い止める目的が矛盾している上に、トックの性癖はあまりにも危険な思想だった。

 カナエを野放しにはできないが、トックに従っているのも正義の御旗に泥を塗りそうだ。

 逡巡する異端者狩りを横目で見たカナエは鼻で笑う。


「お前らは何を目的に行動している? 漠然とした正義を守るためか? 違うだろう。魔物の大氾濫を食い止めるために『神の在処』を欲しているんだ。ならば、お前たちが取るべき行動はそこの危険な聖人に従うことではない。当然、俺の味方をすることでもない。自らの責任で『神の在処』を奪取し、枢機卿会議に提出することだろう?」


 諭すカナエを見て、セキが意外そうな顔をする。


「丸め込んで味方にすると思ったのじゃが?」

「本を燃やすような奴らと共闘しろって? 冗談じゃない。あいつら全員ぼこぼこにしないと俺の気が済まないんだ」

「やっぱり本なのじゃな」


 セキは異端者狩りに目を向ける。

 カナエの理屈に納得したらしき異端者たちが各々武器を構え、カナエとトックを捕縛するべく動き出そうとした。


「我も戦うとするのじゃ」

「殺すなよ?」

「殺さぬ。むしろ、カナエから保護するのじゃ」

「まぁ、好きにしろ。俺はトックの相手をする」


 カナエがトックに向かって駆け出すと同時に、セキの詠唱が始まる。


「おいでませ、おいでませ。陽光に根差す隠れ里。木漏れ日、素敵な晴れの宿――虚域樹地晴荘」


 唱え終わった直後、異端者狩りたちが樹海の中に飲み込まれる。樹海が光り輝いたかと思うと、何事もなかったように異端者狩りごと消失した。

 残されたのはパラネターク郊外の広々とした野原だけ。

 セキはパンパンと手を打ち鳴らし、一仕事終えた充足感と共に揺り椅子に座った。


「やっぱり、普通は軍用結界を破ったりはできないのじゃ。我が未熟なのではなく、カナエが可笑しいのじゃ」


 虚域樹地晴荘は軍用の拘束、隠蔽結界である。

 脱走兵に悩まされたとある国の将軍が開発し、接敵するまで自軍の隠蔽を図りつつ、脱走できないように結界内に閉じ込める効果を持つ。

 樹林の中に宿舎が置かれた異次元空間を展開するため膨大な魔力を必要とし、維持も難しいことから今ではすっかり廃れた軍用魔法だ。


 脱走を防ぐ目的もあることから軍隊であっても破るのは容易ではない。個人が対抗する方法など存在しないはずだった。

 セキはカナエとトックの戦いに目を向ける。


 トックが手で印を結び、簡易攻撃魔法を発動する。らせん状の石礫が回転しながら飛んでいくが、カナエは鉤杖を手元で回して難なく弾き飛ばした。

 靴底に仕込んだ円盤を利用して代用ろくろの魔法を発動したカナエが独特の歩法でトックとの距離を詰める。

 トックは苦い顔で後方に跳びながら錫杖で地面を擦った。


「爆華!」


 短い詠唱をトックが叫ぶ。錫杖に幾つも付けられた鉄細工の魔法陣の一つが光り、地面が爆炎を噴き上げた。

 足元から爆炎に巻き込まれたカナエだったが、火傷はおろか服が焦げてすらいない。

 これにはトックも思わず突っ込みを入れた。


「何なのだ、貴様の耐火性は!?」

「『泥だけで始める原始生活読本』より焼成温度調整魔法、『バイヤ邸料理レシピ』より時短蒸し焼き魔法、『家庭の主敵を下す』よりこれでよろしいですね? の組み合わせだ」

「意味が分からん!」

「温度を調整して、周辺にまとめた埃を対象に蒸し焼き魔法で熱を集中させた。つまり、俺を焼く熱を全て埃を焼くのに使った。お掃除ご苦労!」

「あの短時間で三つも魔法を使えるはずがない!」

「全て手印で発動できる」

「お前は手が三つもあるのか!?」

「影伝心を使えばいくらでも増やせるぞ。こんな風に」


 トックが構えた錫杖に鉤杖を引っ掛けて封じたカナエはカラクリを説明しながらさらに魔法を発動していく。


「『怪盗捕りのカング』より足元お留守」


 トックの靴が地面に縫い付けられたように動かなくなった。

 とっさにトックが靴を脱ぐよりもカナエの方が早い。


「『疾く走れ』より靴脱げ防止」


 今度はトックの脚が靴から引き抜けなくなった。


「『まんねりに懲罰棒』より、さぁお舐めなさい。自らの靴と恥辱を」


 トックが腰を折り、自らの靴へと口づけを試みる。


「ぐ、ぐうう」


 身体が固くて自らの靴に顔が届かないトックが魔法の誓約を果たせずにいるところを、カナエは見下ろし、満面の笑みを浮かべた。


「俺が逃げなかったのは何故か分かるか? 異端者狩りが何人来ようと勝てる自信があったからだと思ったか? 違うんだ。この瞬間を待っていたんだよ」

「な、何を?」


 自らの体の柔軟性のなさで苦しむトックが手印で浄化魔法を使用した直後、カナエの詠唱が響き渡った。


「汝の持つ知の集積物の在処を示せ」


 トックの胸元から赤い光が発せられる。

 何をされたのかを理解したトックがカナエから距離を取ろうする。いつの間にか足は自由になっていたが、体勢が悪く出足が遅れている。

 カナエが鉤杖を一閃し、トックの上着をはぎ取った。


「しまった――」


 トックが苦い顔で見つめる先、はぎ取られた上着の内ポケットで赤い光を発しているのは一冊の書物。

 快癒の神ギリソンの聖典『全治の神血』だ。

 カナエははぎ取った上着から聖典を抜き取ると、天へと掲げた。


「念願の『全治の神血』を手に入れたぞ!」


 幸福を手にしたと言わんばかりに満面の笑顔を浮かべるカナエを見て、トックだけではなくセキまで一斉に口を開いた。


「お前だけはそれを手にしてはならん!」

「おい、セキはこっちの味方だろ!」

「一人で軍用魔法を破るような輩が不死身の治癒まで身に付けるなんぞ、お前は天災にでもなるつもりか!?」

「襲われない限り使わないぞ、こんなモノ!」


 セキに言い返しながらも、カナエは聖典『全治の神血』をめくっていく。


「うぇっへっへっ、ギリソンの成立年代は古いと言われていたが、時代的には古神語以後か。バーラタ文明後期に特徴的な散文で書きながら、詠唱文句は韻を踏んでいる。お、時代が下るにつれて詠唱文の文体が変わっていくのはやはり、他の神を取り込んで解毒や治癒の権能魔法を増やしていったからか。実に興味深い。この分厚さも実に嬉しいな。おんやぁ、解毒の神『まららぬいふれ』の解毒魔法があるじゃないか。へぇ――こうか」


 カナエはフィンガースナップで拍子を刻みながら鉤杖で地面を打つ。


「慈愛の御手に包みませ、以下略」


 青い燐光がカナエを包んだ。


「つらつらと無駄な詠唱文句を連ねてあったから省略してみた。持続型の回復と解毒魔法とは便利だな。さて、続きをするか。欲しいものも手に入れたし、これからは一切の容赦はなしだ」


 鉤杖をくるくると回したカナエはセキに声をかける。


「まとめて片付けるから、異端者狩りを開放してやってくれ」

「よいのか? まだ二百人くらい意識があるのじゃが」

「問題ない」


 セキが拘束結界を解くと、異端者狩りが戦場に出現した。しかし、結界の維持に魔力を強制徴収されていた反動で数百人が魔力切れで昏倒しており、死屍累々のありさまだった。

 すでに半壊状態の異端者狩りたちだったが、それでも任務を完遂しようと健気に武器を構え、カナエを睨みつける。

 カナエは刺すような視線を意に介さず、詠唱した。


「風通しの良い閉塞世界――虜鳥」


 にやりと笑ったカナエは収納魔法を発動して聖典を収め、黒い靄の中に鉤杖の先端を突っ込んで一気に引き抜く。

 引き抜かれた鉤杖に引っ掛けられて出てくるのは、甲虫の死骸、銅の円盤、箒、乾燥した植物の根、小さな木彫りの鳥など雑多な、ゴミにしか見えない物ばかり。


「安心しろ。死なない限りはこの俺が治してやろう!」


 新しい玩具を手に入れた子供のような、純粋な好奇心に輝く瞳でトックと異端者狩りを見回したカナエが地面を蹴った。

 動きに注意していたトックですら一切反応できない速度で間合いを詰めたカナエが甲虫の死骸の腹をトックに向ける。


「在りし日の形そのままに」


 短い詠唱が響き、甲虫の死骸がトックの顔面へと吸い込まれるように付着した。あたかも、トックの顔が標本台であるかのように。

 慌てて剥がそうとするトックの腹部に強烈な回し蹴りを叩き込みながら、カナエは銅円盤を異端者狩りたちへと投げつける。


「高らかに響かせ、愛の歌――合奏虫!」


 カナエの宣言と同時にどこからか万雷の拍手が鳴り響き、トックの顔面に張り付いた甲虫の死骸が腹部を振るわせてかしましく鳴いた。

 万雷の拍手と虫の音はあまりにも騒がしく、叫ぶようなトックの命令は誰にも届かない。

 異端者狩りたちがカナエに殺到する。

 この場において誰よりも危ない人物とすべての人間に認識されたカナエは笑いながら箒を蹴り飛ばす。


「髪切った?」


 パンッと箒が弾け、小指サイズの小さな束になったかと思うと風に乗るように飛んでいき、異端者狩りたちの衣服の中に入り込む。箒はそのまま異端者狩りたちの服の中を縦横無尽に暴れまわった。

 散髪後に服の裏に入った細かな髪を乱暴に払い落とすようなそれは、カナエの投げやりな詠唱文句から受ける印象そのままだ。

 しかし、精鋭を自負する異端者狩りたちは止まらない。くすぐったいような痛いような不快感を我慢しながらも武器を構え、カナエとの距離を詰めていく。


「まわれ」


 銅の円盤を踏んでいた異端者狩りの何人かが強制的に回転させられる。

 それでも止まらない異端者狩りたちだったが、カナエの魔法はまだまだ続く。


「燻ゆる煙が如き演舞――舞蕩」


 地面に落とされていた乾燥した植物の根に火が付き、甘い香りの煙を噴き上げる。

 わずかにでも煙を吸った異端者狩りがふらりと足をもつれさせ、そのままくるりとまわり、飛び跳ね始めた。

 仲間の奇行に怯みながらも、残りの異端者狩りは目の前に見えるカナエに凶刃を振り上げる。


「揚げ雲雀」


 木彫りの鳥が突如飛び上がり、異端者狩りの顎を突きあげるように衝突する。

 たまらずよろけた異端者狩りの首を鉤杖で引っ掛け、足裏の円盤に魔法を作用させて高速回転、引き倒しながら他の異端者狩りを巻き込んで倒し、カナエは彼らの影を踏む。


「夢現、あなたは見上げるだろう。己を踏みつける己を――立影」


 異端者狩りたちの影が当たりに漂う煙をスクリーンに立ち上がると、異端者狩りたちは一斉に眠りに落ちた。

 近接での戦闘を担当していた異端者狩りが全滅する最中、遠距離から儀式魔法を準備していた魔法使いたちがカナエに狙いを定める。


「――放て!」

「あ、遠距離魔法は効かないんだ」


 カナエが肩をすくめる。言葉通り、魔法使いたちが放った渾身の儀式魔法は狙いを大きくそれて、遠く離れた場所に何故独立して存在しているカナエの影の一つへと命中する。

 攻撃が当たらない。当たったとしても、即死でない限りはギリソンの回復魔法で即時回復する。

 絶望にひざを折る魔法使いたちに、カナエは鉤杖を向けた。


「本好きを敵に回すには、お前たちは不勉強すぎたんだ。後悔したか、野蛮人?」


 せめて一矢報いようとしたトックがカナエに向けて錫杖を投げつけようとした時、木彫りの鳥が足を突き出して飛んできた。

 鳥がトックの額に足蹴りを食らわせる。足跡がくっきりと着いた直後、カナエが振り返る。


「鶏の三歩目」

「んぁ」


 トックの手から、身体から力が抜け、意識を失って倒れ伏す。


「よーし、これで静かに読書ができるな!」


 千人もの異端者狩りたちが倒れ伏すパラネターク郊外で、カナエは悠々と収納魔法から聖典を取り出した。



 ギリソン教会異端者狩り、全滅。

 その知らせは大陸全土を駆け巡った。

 たった二人に千人もの異端者狩りがなすすべもなく全滅したとの知らせは枢機卿会議を震え上がらせ、様々な国家が真偽を疑った。

 知らせを聞いたバーズ国王は頭を抱えて呟いた。


「だから禁書庫に封印してたんだよ……」

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