第5話  まだ前哨戦だよ!

「ギリソン教会枢機卿トックである。大人しく降伏し、『神の在処』を含むすべての蔵書を差し出すならば命までは取らない」


 拡声魔法で警告を飛ばすトックを、揺り椅子に座って眺めるカナエは欠伸をした。

 パラネターク郊外の貸家は完全包囲されている。

 貸家の屋根の上に上ったセキが周囲を見回して、カナエに報告した。


「千人くらいいるのじゃ」

「異端者狩り多すぎだろ。俺とセキの二人に動員する兵力でもないぞ。ほら、パラネターク自警軍が警戒を通り越して戦闘モードだ」


 郊外でにらみ合うカナエとトックたちを見守りながらも、都市の防壁上にはパラネタークの自警軍がずらりと並び、防壁沿いには傭兵が武器を構えて緊張状態にある。

 セキがカナエを見下ろした。


「おぬしが落ち着きすぎなのじゃ。向こうは騎兵隊までおるのじゃぞ? もう逃げる事も出来ぬのじゃ」

「逃げないが、逃げようと思えば逃げられるぞ?」

「……全滅させる準備を整えておったのじゃもんな」


 カナエとセキがのんびり会話しているのをトックたちがいらいらと睨んでいる。

 正義の御旗を掲げてきている以上、投降の呼びかけをしておいて自らが先に攻めかかるわけにはいかないからだ。

 カナエたちが魔力を発しでもすれば別だったのだが、カナエは揺り椅子に座ってのんびりと本を開き始める始末。抵抗の意思が見られず、かといって不用意に近づけば何をされるか分からない得体のしれなさがある。


 焦れたトックが最後通牒を突きつけた。


「半刻待つ。投降せよ!」


 半刻か、とカナエは空を見上げる。

 朝方ではあるが、早朝というほど早い時間でもない。


「セキ、朝食を摂る時間くらいはありそうだぞ」

「トーストにするのじゃ」


 屋根から降りてきたセキが貸家の中に入っていく。


 余裕の態度を崩さないカナエたちに、異端者狩りたちが不気味なものでも見るような目を向けている。

 千人の精鋭に騎兵まで揃っている、回復魔法で実質不死の軍団に囲まれているにもかかわらず動揺を見せない。

 呪いの神『ンルーヌ』の聖典を競り落とそうとしたという話も伝わっており、余裕の根拠はまさか、と想像してしまうのも仕方のないことだった。


 セキが運んできたトーストを齧り、カナエは本のあとがきを読み終える。


「さて、そろそろ始めるか」


 立ち上がったカナエを見て、異端者狩りたちが身構える。

 カナエは拡声魔法を使用した。


「命までは取らないが、多分死んだ方がマシって目に遭うぞ。今のうちに逃げろ。始まったら逃がさないからな?」


 カナエからの宣戦布告に色めきだった異端者狩りたちに、トックが指示を出した。


「作戦通り、土魔法で掘り返しながら接近。包囲を狭めよ。結界の持続を怠るな。騎兵隊は待機。対象が逃げ出した場合、指示を待たずとも良い、追いかけるのだ」


 堅実に詰めてくるな、とカナエはトックの指示を聞きながら異端者狩りを見回す。逃げ出す者はいないようだ。


「あぁ、ご愁傷様なのじゃ……」


 心底憐れむように、セキが異端者狩りたちに黙祷をささげた。

 直後、異端者狩りたちの背後に控えていた騎兵隊がどよめいた。

 馬のいななきが連続する。

 異端者狩りたちは背後を振り返り、包囲が乱れるのも構わず泡を食って逃げ出した。

 ――騎兵隊が異端者狩りたちに向かって突撃を開始したからである。


「な、何をしている!?」


 包囲形成の一翼を担っていた異端者狩りの隊長が抗議する。

 しかし、騎兵隊は答えを返す余裕もない。愛馬が何の前触れもなく暴れ出したのだ。

 手綱を握りしめ、振り落とされないようにするので精一杯の騎兵たちは異端者狩りの包囲を縦横無尽に駆け回る

 包囲を狭めるどころか瓦解しつつある異端者狩りの大混乱を見て、セキがカナエを横目で睨む。


「何をしおった?」

「影伝心からの馬の繁殖魔法からの影戯団:雌馬とその匂いを異端者狩りの包囲の中を駆け回らせている。チヌ族は遊牧民でな。家畜の繁殖に関係する魔法がいくつかあるんだ」

「あの軍馬、去勢されておらぬのか」

「ギリソン教会は快癒の神で、去勢はご法度だ」

「全部読み切っておったのじゃな……」

「ついでに、捕えたタカを発情させる魔法もあるぞ。ヒナの雌雄鑑別を弄れば性別を誤認させることも可能でな。対象を魔法的に鳥と規定する虜鳥とこれらの魔法を合わせると――」

「やめんか!」

「やらないって。俺も見たくないし」


 会話の最中に、カナエは足元の土を握る。数回手で土をこねて宙に放り投げた。


「『泥だけで始める原始生活読本』より、代用火打石」


 宙に放り上げられた土の塊の表面に鉄分が表出し、メッキを施したような状態となる。

 落ちてきた鉄メッキの土を掌で受け止めたカナエはアンダースローで地面すれすれを飛ぶように投げた。


「『鉱脈探査の諸項目』より砂鉄漁り」


 カナエが投げた鉄メッキの土は地面に砂鉄を表出させながら飛んでいった。

 地面に一本の帯のように浮いた砂鉄をカナエは踏みつける。


「『チヌ族・ガッタ族紛争記』より、鉄馬防柵」


 砂鉄が凝集し、鉄条網を形成した。

 カナエの動きに気付いている異端者狩りたちだったが、騎兵隊に邪魔されて満足に動くこともできない。

 攻撃魔法の使用も許可されているのだが、カナエがどこに『神の在処』を潜ませているのかわからず、大規模魔法は使用できない。

 セキは気の毒そうに異端者狩りたちを見つめていた。


「これ、もう詰んでおるのじゃ」


 カナエは砂鉄条網の先端を持ち上げると、混乱する味方の立て直しを図っているトックを見た。


「『綾紐遊び』より疑似ヘビ、『タマニア海洋紀行』より遠隔もやい結び、『まんねりに懲罰棒』より恥辱芸術の飾り紐」

「――カナエ、それはちょっと待つのじゃ!」


 カナエが何をするつもりか気付いたセキが静止をかけるも間に合わない。


 砂鉄条網が意思を持ったように動き出す。それは精巧に作られたヘビのおもちゃのように有機的で効率的な動きで地を這い、トックへと迫った。

 トックは迫りくる砂鉄条網を一瞥するも、すぐに注意を他に逸らす。防御結界で防げると考えたのだろう。


 彼は不幸にも知らなかったのだ。

 この世には、あらゆる防御魔法を使用させて抵抗させつつ、そのことごとくをすり抜けてみせることで上下関係を教え、屈服させることを至上の喜びとする性倒錯者が書いた本『まんねりに懲罰棒』が存在することを。


 砂鉄条網はするり、ぬるり、ひょろり、と防御結界をすり抜けた。

 ぎょっとした顔で二度見するトックに、砂鉄条網は鎌首をもたげて飛びついた。

 ギュッと締め上げる砂鉄条網のトゲが服越しに皮膚に食い込む。血こそ出ないがその痛みはかなりのモノで、トックの口から悲鳴がこぼれる。


「きゃあああ」


 それは、野太い声で紡がれる悦楽の叫び。

 シンと、水を打ったような静寂が異端者狩りたちに広がった。

 え、今の誰の嬌声、という疑問が脳裏をよぎったのだ。

 トックが青い顔で歯を食いしばる。

 カナエが腹を抱えて笑い転げ、セキが白い目で睨む。


「『まんねりに懲罰棒』にはこんな倒錯した副次効果の魔法しか載っておらぬのか?」

「おいおい、悲鳴が嬌声に変わるだけのはずがないだろう。ああやって縛られた状態ではどんな罵詈雑言を受けても嬉しくなるんだ。ためしに豚みたいな鳴き声だな、とか言ってやれ。新たな扉を開くかもしれないぜ?」

「どんな邪神よりもカナエの方がよっぽど質が悪いのじゃ」


 そうこうしている間にもトックの体に芸術的かつ卑猥に砂鉄条網が絡み、結ばれていく。

 だが、腐っても精鋭だけあって、異端者狩りの中にはカナエに一矢報いようと短弓を構えている者がいた。

 カナエの目がトックに向いていることに気付いた異端者狩りは引き絞った短弓の弦を放つ。

 風を切って飛ぶ矢だったが、カナエの近くまで来ると突然横風を受けて向きを変え、失速して地面に突き刺さった。

 カナエは矢を放った異端者狩りにも目を向けない。

 カナエの周囲には常に不規則な強風が吹き荒れていた。

 セキはカナエが座っていた揺り椅子に座り込む。


「あやつら、まだ気付いておらぬの」

「みたいだな。俺みたいな一般人がこんなにいくつも魔法を使い続けられるはずがないと持久戦に持ち込むつもりみたいだしな」

「おぬしが一般人かは置いといて、持久戦にするつもりなのは間違いなのじゃ」


 セキはやれやれ、と首を振る。


「『神の在処』の持ち主の魔力がそう簡単に無くなるはずはないのにのぅ」


 魔力の神セキ、聖典『神の在処』に記載されている権能魔法――魔力譲渡。

 セキが読み終えた聖典は除虫の神『ガラガナガラ』を始め、数冊。

 トックたち異端者狩りは今、ギリソン教会が過去に潰してきた様々な神をすべて相手取っているような状態である。

 魔力不足にあえぐギリソン教会が勝てるはずのない勝負だ。


「――馬から飛び降り、回復魔法を使用しながら突貫せよ!」


 突然、トックが宣言した。

 お、とセキが意外そうな顔をする。


 トックの命令を聞き、騎兵隊が馬を乗り捨てる。全力で駆ける馬から身を投げ出した騎兵隊は打撲ではすまなかったが、トックが慣れた様子で回復魔法を使用して戦線に復帰させた。


 剣や槍を構えて全力で駆けてくる異端者狩りたち。

 彼らは必死だった。

 相手があまりにも得体がしれないからだ。

 かつて戦ってきた、討伐してきた邪神の信徒、神官とはまるで異なる戦闘方法。未知で、対策の立てようもない数々の魔法は言い知れぬ恐怖を彼らに与えていた。

 速く駆け、早く倒せなばならない。

 あんな危険人物を野放しにしておくわけにはいかない。

 だから――


「――野宿など下郎のすること」


 カナエが発した詠唱の直後、彼らは足を止めた。

 カナエが動き出した。前へ前へ――貸家ごと。


「あーっはっは、突撃!」


 カナエが哄笑を響かせ、鉤杖を突き出し、貸家が加速する。

 ぐんぐん加速する。

 迫りくる家屋。蔵書卿の笑い声。異端者狩りの悲鳴。


「二度と禁書庫を燃やされないように覚えた『移動邸宅』の魔法だ! 独裁君主バットゥーラ二世に感謝を!」

「くっ――」


 トックが何かを言いかける。

 しかし、カナエの方が早かった。


「このぶため、笑顔が素敵、泣き喚け」

「きゃあああん」


 満面の笑顔を浮かべたトックの嬌声に異端者狩りの士気がだだ下がった。

 ガタガタ揺れる移動貸家で揺り椅子から立ち上がれなくなっているセキはすべてを諦めて遠い目をしている。


「憐れすぎるのじゃ……やっぱり、ケーキはいらないのじゃ」


 大勢は決した、そう思った瞬間だった。


「――調子に乗るな」


 憤怒に顔を染めたトックの頭上に灼熱の炎球が出現した。

 はっとしたセキがカナエに飛びついた直後、炎球が破裂し、こぶし大の火の粉となって貸し家に降り注ぐ。

 爆炎が青空を焦がし、貸し家を中心に半径数メートルが火柱を噴き上げる。


 聖人と呼ばれるトックが初めて見せた全力の攻撃魔法に、部下の異端者狩りですら呆気にとられた。

 これでは、標的の禁書庫の番人はおろか、目的だった『神の在処』も焼失してしまうのではないか、そう異端者狩りたちが危惧した刹那――火柱が鎮火した。


 貸し家は跡形もない。そこに何かがあった証拠の白い灰すらも熱せられた大気が作る風に乗って吹き消えていく。

 地面が焦げ付き、黒く染まっている。いまだに煙を噴くその土の温度が如何ほどか、想像に難くない。

 だが、そんな灼熱の中央に涼しい顔をして立っている男がいた。


「妙だな……」


 男、カナエが呟く。その傍らに唖然としてカナエを見上げるセキがいた。


「おぬし、なんで今ので死なぬのじゃ?」


 完璧に不意打ちだった。直前まで、防御魔法の気配すらなかった。だからこそ、セキは慌てて射程から逃げ出そうとカナエに飛びついたが、間に合わなかった――はずだった。

 しかし、カナエは無傷だ。

 愛用の鉤杖をトックに向け、カナエは眉をひそめる。


「お前の行動原理が理解できない。へたくそな物語でも読んでる気分なんだよ。ありていに言えば――気持ち悪いぞ、お前」



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