第3話 ケーキ屋でする会話じゃねぇ
「お気づきでしたか。松明を掲げていないものですから、顔までは知らないのかと思ってましたよ」
禁書庫を燃やしたことをあげつらった皮肉を飛ばすカナエに、トックは余裕の態度で笑って見せた。
「今日は私用でね。悪を照らす明かりは別の者が持っているのだ」
「それは良かった。目の前で悪人が自らの業の火に焼かれるのを見なくて済みそうだ」
「ははは、自分が焼かれては見ることはできんだろう。物語ならば三人称視点もあるだろうが、ここは現実だよ、蔵書卿」
「おや、どうやらトック氏は鏡を知らないようだ。無知を恥じることはありません。そこの窓ガラスに顔を映してみてください。第三者視点で悪人を見る事が出来ますよ」
ストレートに皮肉と揶揄をぶつけ合った二人は同じタイミングで肩をすくめた。
「なかなか愉快な男だ」
「同じことを思いました。それでは、楽しいティータイムをお過ごしください」
「そうさせてもらおう」
「店員さん、トック氏が紅茶も欲しいそうですよ。それでは、失礼します」
あっさりと店を出たカナエは宿への道を戻る。
尾行の類はないようだ。事前に予約してあった事といい、本当に偶然鉢合わせたらしい。
トックはカマニ教会の取り潰しの件で動いていたため、まだパラネタークに留まっていたのだろう。
「蔵書卿とばれてるってことは、宿に襲撃を掛けられてもおかしくないな」
宿に迷惑をかけるのは本意ではないため、どこか適当な貸家を探すか、アルミロに頼み込んで船で海上に逃げてしまうか、と考えながら、カナエは宿の玄関をくぐった。
宿の主がカナエを見た。
「お連れのお嬢ちゃんが泣きながら帰ってきたけど、何かあったのか?」
「自分と戦って勝ったんですよ。褒めてやろうと、クッキーを買ってきました。こっちはおすそわけです」
「なんかよく分からないが、貰えるものは貰っておくよ。……これ、結構お高い奴だろう?」
「店で聖人トックに会いましたよ。それくらいのお店ですね」
「聖人トック! それは縁起が良さそうだ」
店の主人は喜び、クッキーをカウンター下に仕舞った。
カナエはセキが待つ客室へ戻るべく階段を上り、部屋をノックする。自分の金で泊まっているとはいえ、中には泣いているセキがいるのだから、ノックするのはマナーだろう。
「カナエか?」
「あぁ。クッキーがあるんだが、入っていいか?」
「よいのじゃ」
部屋の鍵を開けて中にはいる。
ベッドに突っ伏したセキが足をばたつかせていた。
「ケーキが! ケーキが!」
「予約したから、明日取りに行くぞ」
「――まことか!?」
がばっと起き上がったセキに親指を立ててみせる。
セキはベッドから飛び降りてカナエに抱き着いた。
「愛しているのじゃ、カナエ!」
「お前も大概、薄っぺらい愛を語るよな」
「合作エピソード集が書けるのじゃ」
「需要がなさそうだ」
早速クッキーの詰め合わせを開け始めたセキは思い出したようにカナエに聞く。
「ギリソンの枢機卿はどんな様子じゃった?」
「今回会ったのは偶然だったみたいだが、俺の事を知っていた。だから、異端者狩りに襲われて宿に迷惑をかける前に場所を移す。セキは船に乗っても酔ったりしないか?」
「乗ったことはあるのじゃ。たぶん大丈夫じゃろう。いざとなればカナエの酔い止めの魔法もあるのじゃし」
「あれも絶対ではないけどな」
話はまとまったので、カナエはアルミロに相談するべく、隣の部屋に控えている連絡員に事情を話しに行く。
「――というわけで、都合できればお願いしたい。こちらでも適当に貸家を探しておくと伝えてほしい」
「分かりました。ですが、今は客船関係で忙しいので難しいと思います」
「わかった」
連絡員を見送って部屋に戻ると、セキはクッキーを齧りながら聖典を読んでいた。
早くもケーキを食べ損ねた衝撃から脱しつつあるらしい。
「このクッキー凄く香りが良いのじゃ。懐かしい香りじゃの」
セキが見せびらかすように持ち上げたクッキーは生地にハーブを練り込んであるらしく、黄色い粒がちりばめられていた。
チヌ族の住んでいた北方の草原に自生するハーブで、現地ではチーズを発酵させる際にこのハーブで覆って香りづけすることもある。
カナエはふと気になって、セキに問う。
「チヌ族と一緒に暮らしていたことがあったのか?」
「どうしてそう思うのじゃ?」
「俺の収納魔法を見て共感するとか言っていただろ」
「あぁ、それはちと違うのじゃ」
聖典から顔を上げたセキは自らを指さす。
「我を形作るのは『神の在処』によって高次元上に蓄えられた魔力じゃろ。カナエの使う収納魔法も高次元上に物を収納し、出し入れするもの。魔力と物の違いはあれ、原理としては同じなのじゃ。なので、なんとなく共感しておったのじゃよ」
セキの説明に納得しつつ、カナエはついでに気になっていたことを訪ねる。
「お前の一番古い記憶はなんだ? やっぱり、バーラタ人と一緒にいた記憶があるのか?」
古神語で書かれた『神の在処』の完成はかなり古い。その時代の記憶があるのなら、実に興味を引かれるところだ。
「そうじゃなぁ。我の自我が芽生えたのは『神の在処』に魔力が十分に蓄積されてからで、だいたい八百年くらいかの」
「八百年前か。どこにいたんだ?」
「国ではなかったのじゃ。温泉の湧く山の中の民族でな。雪の降る日に浸かる温泉は格別で――そうじゃ、カナエ、セキ教会は温泉の近くに建てるのじゃ!」
「湿気で本が傷むから駄目だ」
「む!? 我の教会なのじゃ!」
「それは違う。教会は公共の福祉のために存在するんだ。人の役に立てれば立てるほどいい。つまり、セキの希望よりも人の役に立つ本の方が優先順位は高い」
「それこそ私的利用なのじゃ! 横暴じゃ!」
「ならば、温泉の傍に建てることでどう公共の福祉に役立つというんだ。ほら、言ってみろ。議論で俺に勝てるもんならな」
「言いおったな! 年の功を舐めていると痛い目を見ると教えてやるのじゃ!」
十分後、悔し涙を流しながら予約ケーキを独り占めしてやると心に誓うセキがいた。
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