第9話  世界で最も危険な虫

 大通りは混沌としていた。

 武器も防具もない蔵書狂十人に対するは、戦闘態勢を完全に整えた異端者狩り四十人以上。

 結果は火を見るよりも明らかだった。

 たかが四倍の戦力程度で制圧できるほど、この世界の蔵書狂は甘くないのだ。


「――恋花、咲かせましょう? 最初のつぼみはだーれ?」


 妖艶な女性が両手でハートマークを作って異端者狩りの一人の全身を収める。

 怪訝な顔をした異端者狩りの口が勝手に動き出した。


「子供の頃隣に住んでいたミリアちゃんって何を言わせ――」

「どんなところが好きだったのかな?」

「ちょっとどんくさいけど芯がしっかりした子で弱い者いじめを絶対許さないところがかっこいいなって口が勝手に!?」

「そんな初恋相手にどんなことをしちゃったのかな?」

「虫が好きだってデマを信じてしまって――あああぁっぁぁああ」


 初恋のトラウマを呼び起こされた異端者狩りが悶絶する。


「くそっ、なんて意地の悪い魔法を使いやがる絶対許さな――」


 悪態ついた異端者狩りに、妖艶な女性は嫌悪の目を向け、両手で作ったハートマーク上下逆さにする。


「はびこる嫌われ者へ、自制を促すミリアの言葉を再度届けよ」

「え? ミリアちゃんの声――あああああぁぁぁぁ」


 異端者狩りには嫌いな虫をたっぷり見せつけられたミリアちゃんが泣きながら糾弾する心抉る声が聞こえていた。

 その隣の異端者狩りもまた受難の最中にあった。


「バロッティ・シャルティ・ミーレン・ティーマバ・リメーニアム」


 眼鏡をかけた老人が聞いた事もない言語で詠唱する。

 詠唱の一単語ごとに、異端者狩りの体中を怖気が走った。詠唱が完了するや否や、体中に不快な感触を覚える。

 その感触はまるで、ナメクジやヒルが体中を這い回るような強烈な不快感だった。乱暴に払えば柔らかな軟体生物はぐちゃりと潰れるだろうと想像してしまう。なにより、防具は簡単には脱げないのに、ナメクジたちは皮膚の上を直接這い回っているようだった。


「安心したまえ、単なる風魔法だよ。風力を調整しているだけでね。気持ち悪いだろう? 実に不快なこの感触はなかなか癖になるんじゃないかな? これはかのピッリの代表作『耽溺』に載っている魔法でね。主人公の妄想の一端を読者に感じてもらうために自然な形でピッリが作中に入れ込んだ魔法なのだ。他にも色々とぞっとする魔法が書かれていてね。これが気持ちよくなってくるんだ。どうかね、読むかね? 写本があるのだが」


 老人は恍惚とした表情で布教を始めた。

 好き放題に生活魔法の類をばらまいている蔵書狂たちの中には周囲の民間人に被害が及ばないように配慮する者もいる。


「散る散り、散る散り、撒いて舞い、色彩なして、空を飾れ」


 眼鏡をかけた地味な青年が詠唱すると、蔵書狂と異端者狩りがいる空間を包むように魔力の幕が張られる。

 舞台演劇用に開発された演出用の結界魔法の一種だ。


 異端者狩りが苦し紛れに放った攻撃魔法が蔵書狂の女性に打ち返される。

 ぎょっとした異端者狩りが打ち返された攻撃魔法を咄嗟に除け、しまったという顔をした。

 民家へと向かっていった攻撃魔法だったが、結界に触れると桃色の花吹雪に変わり、ひらひらと舞い踊った。

 花吹雪の美麗さに、騒動を見物していたパラネタークの住人が「おぉ」と感嘆の声を漏らす。


 異端者狩りがトラウマを抱え込んで制圧されるまでそう時間はかからなかった。

 縄で縛られ、猿轡をかまされ、足がむずがゆくなる魔法をかけられ、初恋の人に罵られる幻聴と軟体生物が体中を這い回る幻触に見舞われる異端者狩りたち。

 気の毒そうに異端者狩りを見ながら、セキは傍らのカナエに問う。


「のぅ、異端者狩りは弱いのか?」

「強さにばらつきがあるとは言われているな。こいつら含め、俺たちが相手にしてきたのは比較的弱い方だ」


 いくら弱い方でも、C級冒険者相当の実力はある。

 ただ、この場に集っている蔵書狂があまりにトリッキーな魔法を使いすぎて対処ができないのだ。


「枢機卿が率いるほどの部隊ならかなり違うけどな」

「この惨状を見た後だと強さを疑ってしまうのじゃが」

「邪神の信徒や神官を相手にする特殊部隊といえばわかるか?」

「それは確かに強そうなのじゃ」

「実戦経験も豊富だしな」


 それはさておき、とカナエはひとまとめにされた異端者狩りたちを指さして蔵書狂たちに問う。


「ここで燃やすと近所迷惑じゃないか?」

「それもそうだな。どこか広いところ行くか」

「火あぶりじゃ、けけけ」

「あ、官憲が来た」

「ちっ」

「命拾いしたな!」

「こいつらの初恋ネタで台本書くので、見に来てくださーい。旅客船の船上舞台でーす!」


 ちゃっかり客船ツアーの宣伝をして、蔵書狂たちは仕事に戻るべく広間に帰っていく。

 完全に精神を追い込まれてうわごとを呟く異端者狩りを見て官憲が青い顔をする。


 この日、世界は知ったのだ。

 ――蔵書狂ヤバい、と。


 カナエ・シュレィデンを禁書庫の主として男爵位を与えたバーズ国王は先見の明があったと後に称されるのは別のお話。


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