第9話  呪詛の神官

「まぁ、こうなるよなぁ」


 カナエは異端者狩りの頭を足先でこんこんとつついて生死を確かめる。

 間違いなく死んでいる。外傷はないが、肌に呪文が浮かんでいる。

 呪詛による死亡だ。それも、回避や解呪の方法がある禁術ではなく、あらがいようのない呪詛の神『ンルーヌ』の権能魔法である。


「ンシャナ族語で呪文が浮かぶというのは『リヤナ王国滅記』の記述通りか」

「分析しておる場合ではないのじゃ。あやつ、待っていたと言ったのじゃ」


 慌てているセキの頭に手を置いて、カナエは安心させるように笑う。


「落ち着けよ。殺すつもりなら俺たちを視認する必要もない。強制的に行動させる呪いもあるしな。向こうは俺たちを呪う気はないんだよ。いまのところは」

「ひと言余計なのじゃ。気が変わるかもしれないのじゃ」

「気が変わっても、俺にはどうしようもないな」


 苦笑するカナエは青年を見る。

 青年は手のひらサイズの木製の笛を首から下げていた。ンシャナ族語が模様のように彫り込まれた笛は、カナエの知識に照らし合わせれば『ンルーヌ』のエンブレムである。

 おそらく、青年は呪詛の神『ンルーヌ』の神官、それも金貨二千枚を即金で出せるほどの高位神官だ。

 青年は聖典『両刺の釘』を開いたまま、カナエを見る。


「どうしようもない、か。良く言うね?」

「何の事かな?」

「対呪結界が二層。浄化の手印が……四つ? 君、手が四つもあるのかい? 魔法の対象を入れ替えるそれも初めて見るな。凄いね、君。権能魔法でもなければ呪術師の方が大けがをする。そんな曲芸みたいな真似を隣の娘の分まで」


 対策をすべて言い当てられて、カナエは笑みが引きつった。


「ほら、どうしようもない」

「いや、司者クラスなら騙せたと思うよ。枢機卿ですらどうなるか。本当に驚いているんだ。かすかに聞こえるこの鳥の声、祝福の聖鳥ラミュスだよね。君が再現しているんでしょう。どうやっているんだい?」


 純粋な澄み切った瞳が好奇心を訴えてくる。自分で殺した異端者狩りの死体の中央で発するには場違いに前向きな空気だ。

 カナエは肩の力を抜いて、セキにだけ聞こえるように呟く。


「絶対に動くな。切り抜ける方法が一つだけある」

「分かったのじゃ」


 緊張の度合いを高めるカナエたちに対して、青年は今更、周囲の惨状に気付いたように死体を見まわした。


「そうか、事情を知らずにこれを見てしまったら警戒もするね。怖がらせてすまない。君たちに危害を加えるつもりは一切ない」


 青年はそう言うと、服の袖をめくって右腕を晒す。


「君たちに害意や敵意を持って危害を加えないことを誓い、破りし時には我が命をンルーヌ神に捧げることを宣言する」


 青年が誓うと同時に、彼の右腕にンシャナ族語の呪文が浮かんだ。

 自らに呪いをかけてみせ、カナエたちと敵対しない証を立てたのだ。

 カナエは青年の右腕のンシャナ族語の呪文に彼の誓約文が含まれているのを読み取り、ようやく緊張を解いた。

 青年は大量殺人を行った後とは思えない澄んだ目を宿に向ける。


「迷惑をかけてしまったから、君たちに伝言を頼みたいんだ。もうしわけない。部屋にあるモノは好きに売ってくれて構わない、と」

「分かった。伝えておこう」

「ありがとう。さて、本題に入ろうか」


 青年は『両刺の釘』をパタリと閉じると、表紙をカナエに向けた。


「これが欲しいかい?」

「――カナエ、待て!」

「めっちゃ欲っすいぃい!」


 魂の叫びだった。

 この世に純粋な愛があるというのならば今の自分こそが体現者であると言わんばかりの愛の咆哮だった。

 青年すらドン引きした。


「あ、うん。なんだか、もういいかなって気もしたけれど、とりあえず規則があってね」


 青年は転がっている異端者狩りを指さす。


「ンルーヌ様の教えを捻じ曲げて流布せんとする不逞の輩は、こうやって身を滅ぼす。『両刺の釘』という呼び名の意味を理解できるかい?」


 セキがカナエを止めようと抱き着いて締め上げているが、効果はない。

 カナエはセキの腕を振りほどこうと抗いながら答える。


「当然だ。呪詛の神『ンルーヌ』とは現在滅亡した少数民族ンシャナ族が祭っていた神だとされている。ンシャナ族は成人に際して目標を定めてから、不達成の折には死亡する呪いを自らにかけることで覚悟を示す習わしがあった」

「おぉ、よく知っているね」


 青年は苦笑気味にほめる。

 カナエを『両刺の釘』にたどり着かせてはならぬとセキが高速で呪文を詠唱していたからだ。


「おいでませ、おいでませ。陽光に根差す隠れ里。木漏れ日、素敵な晴れの宿――虚域樹地晴荘!」

「拘束隠蔽結界? 『これでよろしいですね?』 はっ、ちょろいわ」


 一瞬樹海が降臨したかに見えたが、カナエが瞬時に結界破りを行った。


「な、なんじゃ!? なにをしやがったのじゃ!?」


 渾身の結界を破った手法が分からずに大混乱のセキを無視して、カナエは青年の質問に答え続ける。


「呪詛の神『ンルーヌ』の権能魔法はもともと他者ではなく自らを呪うためのモノだったわけだ。これを、他者を呪う用途に使用する者を不逞の輩とし、彼らを諌めるため、どちらにも刺さってしまう『両刺の釘』と聖典を呼びならわした」


 カナエの解答は満点であり、青年は感心した様子で何度も頷いた。


「理解しているようだね。呪えば呪われる。当然のことだ。もっとも、己の破滅と引き換えにでも他者を呪う者が後を絶たない。本来は、そういった者をこそ律する教えだというのにね。ともかく、いいだろう。君には資格がある。これを授けよう」


 青年が聖典『両刺の釘』を差し出すと、カナエはついにセキの拘束を振りほどき、飛びついた。


「ひゃああ! 『両刺の釘』だ! やった、やったああああ!」


 子供のように喜ぶカナエに、セキは地面に両手をついた。


「止められなかったのじゃ……。軍用拘束隠蔽結界を訳の分からん破り方しやがったのじゃ」


 セキの言葉に、青年が同情的な視線を向ける。


「魔力が地面を走ったように見えたけど、それ以上はさっぱりだったよ」

「魔力が地面を……?」


 何かに気付いた様子のセキはカナエを見る。


「おぬし、埃取りの魔法で地面を調査して見つけた結界の要を収納魔法に放り込みおったな!?」

「隠蔽結界なんてものは内側からの看破を想定していないからな。ましてや、虚域樹地晴荘は千人規模の兵士が中で過ごせるように作られた結界だ。生活魔法程度はほぼ例外なく使用できる」

「軍用結界を生活魔法で瞬時に全壊させるなど前代未聞なのじゃ!」

「魔法使い百人がかりで起動する結界魔法を、俺一人を足止めするために使う奴も前代未聞だ!」

「おぬしの足は止まらなかったのじゃ!」

「目の前に本があるんだ。止まるわけがないだろうが!」


 青年がコホン、とわざとらしい咳払いをして、言い争う二人の注意を引いた。


「僕はこれで失礼するよ。言うまでもないことだけど、くれぐれも、その聖典を人目に触れさせないようにね。後は機会があればンルーヌ教会に祈りに来るといい」

「ありがとうございました」

「僕が邪神の神官だと知って畏怖の目も向けず素直に頭を下げたのは君が初めてだよ」


 反応に困るね、と青年は苦笑いして、立ち去ろうとする。

 そこに、セキが声をかけた。


「なぜ、聖典をオークションに出したのじゃ?」


 青年は足を止めて肩越しに振り返る。


「布教が理由の一つ。でももっと大きな理由は、ギリソン教会の動きが奇妙だったからだね」


 青年は異端者狩りの死体を見て、うっすらと笑う。


「想像通りだった。実に迷惑な話だよ」

「何が分かったのじゃ?」

「僕たちはこの件に関与するつもりはないし、詳らかに語るつもりもない。僕たちンルーヌの神官にとっては信条にかかわるからね。なにより、僕はンルーヌ様を信じている」


 それだけ言って、青年は港へと去っていった。


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