第7話  古書オークションが荒れるまで

「カナエ、変装か?」


 仮面をつけるカナエにセキが首をかしげる。

 カナエは収納魔法から別の仮面を取り出してセキに手渡した。


「ギリソン教会の枢機卿が来るんだ。用心しておく方がいい」

「それもそうじゃな。……似合うか?」

「いまいちな方がいい。似合っていたら、人目を引くだろうが」

「はぐらかされたのじゃ」


 不満そうなセキを連れて宿を出たカナエは、すぐ近くにあるオークション会場に入る。

 入場許可証を購入しなければ入れないだけあって、客は多くない。

 しかし、セキは会場を見回してため息を吐いた。


「カナエと同じ病気の持ち主がこんなにおるのじゃな」

「隔離病院みたいに言うなよ。この席だな」


 変装しているのはカナエたちだけではないようだ。

 セキがカナエに顔を寄せる。


「件の枢機卿トックとやらは?」

「右側、前から三列目。三十過ぎの男がいるだろう。神経質そうな顔をした奴」

「ほぉ、あれか。あまり親しくなりたくない手合いなのじゃ。なにかこう、危ない思考の持ち主に見えるのじゃ」

「俺の傍にいるくせに」

「おぬしが危ないのは本に対してだけじゃからな。じゃが、あの男は……いや、想像で語るのは良くないのじゃ」


 憶測での人物評は止めてセキが座りなおす。

 ちょうど、オークションの司会が壇上に立った。


「ようこそおいでくださいました。私どもはいかなる書物も平等に扱い、かつ、いかなる人物が所有権を得ようともそれを妨害することはないと誓いましょう」


 カタログに堂々と禁書の名を連ねるだけあって、オークションの司会は前口上からして大胆な宣言を行った。

 一部の客が枢機卿トックを見たが、それも一瞬の事。


「早速、オークションを始めようではございませんか。皆さんも、読書の時間が惜しいでしょう?」


 司会が茶目っ気たっぷりなウインクをすると、壇の端から商品が運ばれてくる。

 カナエは最初の商品を見て苦笑した。


「あんな前口上をしておいて敵意の塊だな」


 セキは首をかしげているが、参加者たちのほとんどは最初に出された出品物の意図を察して苦笑したり、俯いて笑いを堪えている。

 司会が演技がかった仕草で商品を紹介する。


「最初の商品はこちら、数多の作家のパトロンとなり、世に物語を最も多く流布したと称賛される女伯爵の回顧録。文学史に燦然と輝くその威光、その偉業を知らぬ者はこの会場にいないでしょう――『クラリナ女伯爵回顧録』、そのピッリによる写本です!」


 カナエが笑いを堪える。


「よりにもよってピッリ写本か」

「なんなのじゃ。説明せい」


 セキがカナエの腕をとって揺する。

 この商品を落札する気がないカナエは面白がって値段を釣り上げている蔵書狂を眺めつつセキに説明する。


「クラリナ女伯爵は司会が言った通りの大人物だ。だが、ギリソン教会との間で一悶着を起こしたことがある。後援していた作家の一人ピッリが描いた作品『耽溺』が邪教を広める異端的な作品とされたんだ」


 ピッリは邪神にして妄想の神『テッパニ』を信仰する主人公が妄想に耽り堕落して死ぬまでの物語を書いている。

 趣旨は「現実を見なければこうなるという警告」だったが、枢機卿会議は妄想の神テッパニを好意的に書いていると解釈し、禁書に指定した。

 ピッリの文章力は凄まじく、非合理的ながら不思議な現実味を持つ主人公の妄想を巧みに描いていた。『耽溺』というタイトルがこれほどあてはまる作品はないだろう。


「ピッリを擁護するために枢機卿会議に乗り込んだクラリナ女伯爵の言葉は本を愛する者なら額縁に入れたくなるほどだ。っと、終わったな」

「――四十二番のお客様、金貨七十三枚で落札です!」


 落札した人物は、カナエから『マンベラ呪難口伝』の写本を買ったビブリオマニアだった。

 予想通りの結果だとカナエは苦笑する。あのビブリオマニアがピッリ関連本を落札しないはずがない。


「次なる商品はこちら。ここパラネタークにて余生を過ごした稀代の詐欺師。貴族、豪商、教会、はては国家までも手玉に取ったかのペイリ氏の手による暗号文書『リンペンインシャツェン』の写本です!」


 セキが腰を浮かし、壇上の商品を見て冷めたように座りなおした。

 カナエもまた、壇上の本をオペラグラスで観察し、見極めた。


「カナエ、あれは……」

「あぁ、贋作だな。文字が違う」

「うむ、ペイリの文字は払い方が独特なのじゃ」


 写本ならば文字の違いは当たり前だ。

 だが、『リンペンインシャンツェン』は未解読の暗号文書である。文字一つの形や癖すらも暗号解読のヒントになりかねず、写本と言えど完全な模写が求められる。

 あの商品には銅貨数枚の価値しかないと、カナエは判断していた。


「二十番の方、お間違いないですか? わかりました。金貨百枚のお客様が出ました」


 二十番に注目が集まった。

 ギリソン教会枢機卿トックだ。

 カナエはセキと顔を見合わせる。


「どういうことじゃ? 贋作と気付いておらぬのか?」

「あるいは、贋作でも競り落とす必要がある。または、本命の前のブラフ。資金がほとんど無尽蔵だからな。何でもやってくるぞ、あれは」


 数瞬のざわめきの後、司会が口を開いた。


「七番の方、金貨百二十枚――二百二十枚、お間違いありませんか? 二十番の方、二百二十枚です」


 カナエは七番の顔を見る。仮面で隠しているが、見知った顔だ。異教本狙いの好事家である。『リンペンインシャンツェン』は射程外のはずだ。


「十二番の方、金貨二百四十枚、二十番の方、金貨三百四十枚、三番の方――」


 値のつり上げが始まった。

 贋作の値段が高騰していくバカ騒ぎ。

 カナエは吊り上げているメンバーを見て察する。


「組んでるな。対トック同盟ってところか」

「どこまであがるのじゃ。他人事なのに背筋が寒くなるのじゃ」


 セキは飛び交う金額に震えている。

 カナエはカタログを眺めながら予想した。


「まぁ、金貨七百四十枚で打ち止めだろ。最高額には届かなかったな」


 最高額は金貨八百七枚である。


「――金貨七百五十枚で二十番の方が落札です!」


 司会が枢機卿トックの勝利を告げる。

 しかし、トックは苦い顔をしていた。仮に本物であろうとここまでの価値がないのだ。

 対トック同盟の三名は素知らぬ顔で次の商品を待っている。ギリソン教会への嫌がらせ目的で参加しているため、競り落とす気が最初からないのだ。


「あの枢機卿、試合に勝って勝負に負けておるのじゃ」

「同情はしない。俺の禁書庫を燃やしやがって」

「多分、あの同盟も同じような考えなのじゃろうな。本の恨みは恐ろしいのじゃ」


 その人たち、三度の飯より本が好きですもの。

 その後オークションは滞りなく、見どころもなく進行していく。

 一向に動かないカナエをセキがちらちらと見た。


「の、のぅ。買わぬのか?」

「なんだ、参加したいのか?」

「そうではないのじゃ。ただ、カタログを見れば買いたいものがないことは知っておったわけじゃろ。それなのに、高い入場料を払ってまで参加したのは、もしかして我に『リンペンインシャンツェン』を買うためだったりしたのじゃろうかと……」

「それだけじゃない。俺も蔵書に加えたかっただけだ。当てが外れたけどな」


 そっけなく言い返すカナエだったが、セキは「それだけじゃない」とカナエの言葉を繰り返してにんまり笑う。


「なんだよ?」

「なんでもないのじゃ」


 セキがひじ掛けを超えて体を寄せ、カナエに密着する。

 カナエが迷惑そうにセキを見る。

 カナエが目を離した隙に、壇上には最後の商品、カタログにない目玉商品が運ばれてきた。ケースに入れられ布を掛けられており、紙の書籍か、石版かも分からない。

 司会が布に手をかけ、口上を述べる。


「本日最後となりました目玉商品でございます。金貨百枚からスタートとなりますこの商品は、見ていただいた方が早いでしょう」


 司会が布を取る。

 直後、二十番の客、枢機卿トックが憤りのあまり立ち上がり、会場に響く声で叱責した。


「――邪神の聖典を流布しようとは何事か!?」


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