第6話  古代ロマンを伝える文字媒体

 資料室に泊まり込んで整理と校正をある程度行い、後は業者に任せることになり、カナエとセキはミゲムお勧めのバーに誘われた。


「お疲れ様でした。お二人のおかげですごく早く終わりましたよ。二か月はかかると思ってました」


 海棲魔物の角で作られた酒杯を傾け、ミゲムは再び感謝の言葉を口にする。

 対して、カナエは待ちきれなくなったように収納魔法から『痕跡に見る生息域』の写本を取り出した。


「それでは、さっそく例のブツを」

「えぇ、こちらです」


 ミゲムが分厚い紙の束を差し出してくる。

 カナエは筆跡を確認し、光に透かしてインクや紙の質が時代に沿ったものだと判断すると、ざっと目を通して満足そうに頷いた。


「本物だ。まさかお目にかかれるとは。ガイラス・バロットーマ氏の添削後まである。この特徴的な癖字は間違いない」

「では?」

「あぁ、写本させていただきたい。しかし、これの対価が『痕跡に見る生息域』の写本では安すぎますね」


 手持ちにミゲムの興味を引きそうな古書や希少本があっただろうかと振り返っていると、ミゲムは期待の籠った目で口を開いた。


「で、では、海洋民族カリミーヌの――」

「海底教会の関連本ですか?」

「そうです! 持っていらっしゃるんですか?」

「『カリミーヌ建築―海底の神域―』なんかが有名ですが、これは持っていらっしゃるでしょう?」

「えぇ、あれは挿絵も美麗で実に美しい本でした。元となった海底教会を実際に見に行ったことがありますが、海底に作られた流麗な教会はそれを住処にする南国の色鮮やかな魚たちに飾られてため息が出るほどですよ」


 だからこそ惜しい、とミゲムは酒杯を空にして悔しそうに眉間にしわを作る。


「彼らがなぜ海底教会を作ったのか、当のカリミーヌ族すら忘れているだなんて」

「流木簡文化ですからね」


 カリミーヌ族は海上で生涯のほとんどを過ごす少数民族であり、流木に文字を刻む流木簡文化を持つ。

 いくつもの筏を組み合わせた人口浮島の上で生活する彼らの保管スペースは非常に狭く、古い木簡は流してしまう文化も併せ持っていた。

 この流木簡文化により古い伝承などは口伝でのみ伝達されるのだが、どうしても忘れ去られるものがある。


 その忘れ去られたものの一つが、カリミーヌ族が海底に築き上げた石造りの教会だ。


 海上生活を送る彼らがなぜ、教会を作るほどの石材を手に入れられたのか。

 信仰する神を持たない彼らがなぜ、教会を作り上げたのか。

 海底教会には、何が祭られているのか。


 これらは歴史上の謎であり、ロマンの塊でもある。

 そんな海底教会のロマンにご執心らしいミゲムに、カナエは収納魔法から石版を取り出した。


「ひとまずはこれを。カリミーヌ族と交易をおこなっていたバーラタ人の交易商が残した取引記録です」

「えっと、すみません、読めないです」

「我が読んで聞かせよう」


 セキが石版の取引記録を読み始めると、ミゲムの目が輝き始める。


「なるほど、海産物との取引で石材をバーラタ人から取り寄せていたんですね」


 セキが取引記録を読み上げている間、カナエは収納魔法から取り出した歪な木、流木簡に書かれた文を現代語に訳して紙に書き写し、ミゲムに渡す。


「これが当時の流木簡と交易商の手記の翻訳です。手記の方は所有者と知り合いなので話を通せますよ」

「お、おぉ!」


 興奮気味に紙を読みながら、ミゲムは高い酒を注文する。


「バーラタ人の勢力拡大がカリミーヌ族に危機感を抱かせ、領土を持たないカリミーヌ族が海上での優位性を示して独立を守るために、海底教会を建てて、海で自在に動けることを証明した……。あの海底教会は神を祀る物、宗教的な物ではなく、海上、海中におけるカリミーヌ族の身体的な優位性と技術力を見せるのが建造理由であると。おぉ……」


 長年のロマンに一つが決着した余韻に浸るミゲムに、カナエは声をかける。


「ですが、海底教会の建造方法は謎なんですよ。実際に見たのならわかると思いますが、あの海底教会はかなり大きな石を積んで作っている。どうやって沖合まであの巨石を運び、かつ積み上げたのか」

「その方法を記述した流木簡はないんですか?」

「ないですね。見つかったという話も聞かない」

「まだ謎とロマンが残っている、と。いいですねぇ」


 しみじみと呟いたミゲムは「ロマンに乾杯」と酒杯を掲げる。


「おっと、付き合わせてしまって申し訳ない。どうぞどうぞ、ここは奢りますから食べてってください。美味しいですよ、この料理は」


 ミゲムがおすすめをいくつか注文すると、待ってましたばかりにいくつもの皿が運ばれてくる。

 すぐさまセキが小皿に取り分けて口に運び、笑顔になる。


「カナエ、カナエ! エビがぷりぷりなのじゃ!」


 セキのほっぺもぷりぷりしている。


「こっちの貝四種のパエリアもなかなか」

「パラネタークは海産物が何でもそろいますからね。遠い北方の海からも輸入してますから美食家も滞在します。かの稀代の詐欺師ペイリも晩年をここで過ごしたそうですよ」


 ペイリの名前にセキが反応する。


「ペイリはこの町におったのか?」

「え? えぇ、そうですよ。あまり知られていない話でしたか?」


 パラネタークの住人にとっては常識なのか、ミゲムはカナエに確認する。

 カナエも初耳だった。

 三人の会話を聞きつけたのか、カウンター席に座っていた老人が声をかけてくる。


「ペイリさんは良く港で魚を釣って、ここの先代店主や他の料理屋に持ち込んでは捌いてもらって食べてたよ。白身魚が好物だった。シェリー酒を飲みながら焼き魚をつまんだりね」


 七十過ぎの老人は懐かしそうに目を細める。海の男らしい大きな体に小麦色の肌。黒い髭を蓄えたその老人は、黙っていると老海賊のようにも見えた。

 しかし、ペイリについて語るその口調は柔らかく、尊敬の念が籠っている。

 セキが老人に言葉を返す。


「ペイリの知り合いなのか?」

「あぁ、十代の若造の頃に世話になった。散々おちょくられたよ。いい思い出だ。一緒に魚を釣って、この店に持ち込んで食べさせてもらったこともあった」


 当時を思い出しているのか、くっくっくと喉を鳴らす老人はカナエに視線を移す。


「若いの。オークション参加者だろう。狙いは?」

「一番は『リンペンインシャンツェン』です」

「ふむ、やめておけ」


 老人はタコのアヒージョをつまみながら続ける。


「と言っても、やめないだろう。真贋は見抜けるのかね?」

「筆跡と紙質から大体は」

「ペイリさんの手紙でも持っているのかな?」

「知り合いにちょっとしたマニアがいます。彼女に見せてもらっておおよそは把握していますよ。『リンペンインシャンツェン』の写本も見たことがあります」

「ならば大丈夫だろう。オークションの熱に浮かされないようにな」

「御忠告ありがとうございます」


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