第2話 荒れるぜぇ、めっちゃ荒れるぜぇ
パラネタークへと向かう馬車に乗り込んですぐ、カナエは本を、セキは宿でお土産に持たされたクッキーを取り出した。
セキはクッキーを頬張りながら、カナエが読んでいる本を覗き込んだ。
「こんなに文字が詰まった本を馬車で読んでいて、酔わぬのか?」
「酔い止めの魔法を使っている」
「便利なものがあるのじゃな」
「生活魔法の類だ」
読書中に邪魔をするな、とカナエがセキの頭を押しのけると、向かいに座っている女性が声をかけてきた。
「あの、お兄さん。よろしければ、うちの子にもその魔法をかけていただけませんか?」
「……左耳を出して」
名残惜しそうに本を閉じて、カナエは女性の横で具合悪そうに外の風景を眺めている少年の左耳たぶに、収納魔法から取り出した赤い顔料で特殊な魔法陣を描く。
細かい作業を揺れる馬車の上で難なくこなすカナエに、乗り合わせた客たちのほうがはらはらと見守っている。
「はい、右耳を出して」
少年の右耳を軽く弾くと、カナエは座席に戻った。
少年はしばらく弾かれた右耳を触っていたが、ふと何かに気付いたように胸を撫で、カナエを驚いたように見た。
「治った!」
「それはよかったな。あまり騒ぐなよ。読書の邪魔だ」
「少年よ、こやつはツンデレという奴なのじゃ」
「セキ、足がむずがゆくなる魔法をかけてやろう。脛を出せ」
「嫌なのじゃ!」
膝を抱えて脛を守ろうとするセキに、カナエは「ひっひっひ」とわざとらしい不気味な笑声を上げつつ筆を左右に振る。
しかし、唐突に冷めた顔になると収納魔法に筆を放り込んで本を開いた。
「飽きた」
「おぬしな……」
少年にクッキーを分けたセキはカナエの隣に戻る。
「オークションで何を落とすつもりなのじゃ?」
「全部」
「おぬしならやりかねんと思うが、流石に冗談なのじゃろ?」
「まぁな。とはいえ、オークションをやることは知っていても、カタログがまだなくてな。いつもなら頼まずとも届けてもらえるんだが」
禁書庫の主と名高い蔵書狂にして男爵位を持つ蔵書卿だけあって、オークションの主催者も金蔓だと分かっているのだ。
今回は現地でカタログを購入することになる。ついでに変装もしなくてはならない。異端者狩りも、網を張るならここだと考えているはずだ。
「お兄さんもオークションへ?」
隣に座っていた若い男が声をかけてくる。
細身ながら鍛えているのが分かるが、冒険者ではなさそうだ。圧迫感を与えないように服の細部にも気を使っているが、行商人のようでもない。
「あぁ、自分はマヨウ。旅芸人をしていてね。パラネタークへはその関係で向かってるんだ」
「なるほど、人が多く集まりますからね」
オークション開催中は多数の人が集まるため、本以外にも様々な人や品が集まる。
元々、パラネタークは都市国家であるが、関税が非常に安く交易で栄えている。
マヨウはパラネタークの地図をポケットから取り出すと、バツ印を付けた部分を指さした。
「明日から、ここで披露する予定。ゆくゆくは、港近くの酒場で歌わせてもらえれば、なんて考えているんだ」
港町だけあって、港の近くの酒場は交易船乗りなどでにぎわい、金払いもいい。それを目当てにした計画らしい。
「オークションの後に小銭の使い道に困ったら、どうぞお越しくださいな」
営業トークである。
屈託のないマヨウの笑顔に、カナエも好感を持った。
「気が向いたら窺いましょう」
「ありがとう、ファンになってくれるとうれしいな。それにしても、今回のオークションは荒れると噂だよ。大丈夫かい?」
「荒れる?」
カナエは何かとてつもない希少本でも出品されるのかと期待した。
しかし、どうやら事情が異なるらしい。
「快癒の神ギリソンの枢機卿、トック氏が出てくるそうだ」
「枢機卿が来るという話は聞きましたよ。トックというと、聖人トックですか?」
「らしいですよ」
聞いた名前に、カナエは眉をひそめた。
ギリソン教会枢機卿、トック。聖人と呼ばれる他、ギリソンの聖典『全治の神血』の体現者とも呼ばれる人気の高い神官だ。
枢機卿の位にありながら、頻繁に各地の治療院を訪れて患者の治療にあたるほか、業務内容の改善など事務的なことも行う。治した患者は数万人に及ぶと言われる。
多忙を極めるそんな枢機卿トックがわざわざオークションに出席するともなれば、その目的は気になる所だ。
何しろ、ギリソン教会は各国の首脳陣と関係が深く、枢機卿ともなればその財力は計り知れない。オークションで争っても競り勝つのは難しい。
しかも、本に興味がなさそうな枢機卿トックがわざわざ出てきたのは、ギリソン教会に要請されたから、と言う可能性もある。
ギリソン教会が支援しているとすれば、競り勝つのは難しいのではなく不可能だ。一個人の資金力で数か国にまたがる巨大組織に勝てるはずはない。
だが、ギリソン教会は禁書庫を燃やしたことで号外が出ている。本を扱うオークションに集う者にとって、ギリソン教会は敵として認識されているはずだ。
嫌がらせに値を釣り上げる者も多数出るだろう。それを緩和するために聖人とまで呼ばれる枢機卿を派遣したのだとしても、どこまで効果があるか。
「荒れますね。過去最高額が更新されてもおかしくない。トック氏の狙いは分からないですよね?」
「いまだ判明せず、です。隠しているんでしょ」
マヨウは肩をすくめた。
「お金は足りそうで?」
「心もとないですね」
カナエは素直に答えて苦笑した。
隣でクッキーを齧っていたセキがカナエを見る。
「なんじゃ。また仕事を受けるのか。観光がしたかったのじゃが」
「魚は食えるぞ」
「それなら良い」
実に安上がりな奴だ、とカナエは表情に出さないように気を付ける。
カナエとしても、せっかく港町に来たのだからうまい魚料理を食べるつもりでいた。
予定通りの出費なら目くじらは立てない。
カナエは金策の手段を考えるため、瞼を閉じた。
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