第9話 容疑者だけど、すでにお尋ね者
「本当に修正して良かったのか?」
商業ギルドを出てすぐのセキの疑問に、カナエは静かに頷いた。
「今回の調査報告の肝は魔物の大量発生と氾濫の兆候を知らせることだ。別に修正しても構わない。冒険者の領分ではないからな」
「冒険者ではないカナエの意見はどうなのじゃ?」
「ガラガナガラの廃教会について隠している誰かがいる。それも、商業ギルドに口止めができるような上層部の人間だ」
だが、具体的なことは何もわからない。情報が圧倒的に不足していた。
「隠したいのはやはり、ガラガナガラの教会の異常だろうな。まだ情報が少ないが、どこから探るかと言えば、あの教会だろう」
「もう一つあるのじゃ」
「どこだ?」
「森そのものじゃよ。虫がおらんのを気にしておったろう。誰が権能魔法を使ったか、じゃ」
森で拾った大量のポッタの実が入った小瓶を揺らしてセキが得意げに指摘する。
カナエは収納魔法から聖典『永久繭』を取り出してセキに差し出した。
「十二ページを読んでみろ」
「何なのじゃ、いきなり」
差し出された永久繭を受け取り、セキがページをめくる。
しばらくして、読み終えたセキがカナエを見た。
「のぅ、これは持っているとまずいのではないのか?」
「無茶苦茶に不味い代物だな。だから調査報告書にも書かなかった」
永久繭に書かれているのは、除虫の神『ガラガナガラ』の権能魔法の使い方だった。
つまり、この聖典を所持しているだけで、森の異常を引き起こした容疑者に数えられてしまう。
「これで我も容疑者ではないか。とんでもないものを読ませやがるのじゃ」
永久繭をカナエに返しながら、セキが唇をとがらせて不満を口にする。
対して、カナエは冷たい目を向けた。
「普通は読めないんだよ」
「どういうことじゃ?」
「この永久繭はもう使われていないバーラタ語だ。読めるのは俺みたいな筋金入りのビブリオマニアか学者、神官くらいでな。――おまえ、本当に何者だ?」
公用語どころかすでに話者もいない。文献ならば数多残っているとはいえ、日常生活で触れる機会はまずない言語である。
主にこの言語を使っていたバーラタ人が多数の聖典を書き起こしたため神官であれば読むことはできるだろうが、永久繭に書かれた除虫の神の権能魔法を読み解ける魔法学の知識も並みではない。
記憶喪失で素性も分からないセキだが、様々な点でただの少女ではないのが明白だった。
「そんなに珍しい言語なのじゃな。普通に読めるのじゃが」
「普通に読めている時点で異質だ。先に言っておくが、俺はお前が異端者狩りの協力者ではないと判断している。だから、神官だとしても即座に異端者狩りと結びつけることはない」
「まぁ、カナエを殺そうと思えば殺す機会はいくらでもあったしの」
「攻城魔法なんて撃ち込まれて、個人が抗う術がいくつあると思っている」
「抗う術がない、と言わないのも凄い話なのじゃ。しかしのぅ、記憶がさっぱり戻らんのじゃよなぁ」
青空を見上げて、まるで他人事のようにのほほんとセキは呟いた。
「ただ、その聖典が読めるのが普通ではないというのなら、記憶を取り戻す取っ掛かりになりそうなのじゃ」
「神官か、その身内、または学者か」
どれであっても、バーズ国内であれば禁書庫の利用者の可能性が非常に高い。カナエの蔵書の中には歴史や神学に重要な品も多数含まれる。
だが、禁書庫の利用者は誰もセキの事を知らなかった。禁書庫の妖精などと呼ばれる程度には、セキは利用者の前に姿を現しているのに、素性については誰も知らないのだ。
「まぁ、いいか」
「他人事じゃな」
欠伸しながら言うセキもご同類である。
「そんなことよりも、じゃな。せっかくお金が入ったのじゃ。外で美味いモノを食べたいのじゃが?」
あまつさえ、自分の記憶喪失を「そんなこと」呼ばわりして食事を優先する始末。
カナエも突っ込みをいれず、通りを見回し、めぼしい食事処を探す。
まだ日が高く、店のほとんどは開いていない。だが、開いている店もないわけではなかった。
こんな昼間に酒を飲んでいる、休日らしき日雇いや冒険者の姿。流石にまだ飲み始めて間もないのか、騒いでいるが理性的だ。
それでも鍛え抜かれた体の男たちが酒を酌み交わす姿は、傍らに置かれた武器も相まって威圧的だった。
「少々ガラが悪そうだな」
「構わぬのじゃ。むしろ、元気があってよい」
大らかなのか危機感がないのか、セキはカナエを先導するようにさっさと店に入ってしまう。
カウンター席に座るセキを見た店主が仕事に戻ろうとして二度見した。
「お嬢ちゃん、ここはあんまりいい店じゃないぜ?」
「そうかの? 賑やかで良い店ではないか。通りにもピザの匂いがしておったのじゃ。ついふらっと足が向く店が悪い店のはずないのじゃ」
「な、なんだ。嬉しいこと言ってくれるじゃねぇか」
照れまくりの店主がセキにカウンター席の端を勧めた。他の客の目に付かなければ絡まれることもないとの判断だろう。
しかし、セキは店内を振り返り、冒険者たちが座るテーブルを指さした。
「あそこで絡まれている男の連れなのじゃ」
「へ?」
店主がセキの指さすテーブルに目を向ける。
「凄腕新人じゃんか。飲め、飲め!」
「なに、初依頼をこなしてきた? めでたいな!」
「よっしゃ、先輩が奢ってやろう!」
「店主、こっちに猪のスジ肉ワイン煮込みをくれ!」
「新人、宴会芸とかできるか? ここの連中のは見飽きちまってよ」
「あ、無理しなくていいぞ? 久しぶりに新鮮な反応してくれる観客になってくれれば先輩嬉しいから」
「あぁ、遂に俺も先輩かぁ」
とてつもなく和気藹藹とした冒険者たちのテーブルに、店主が目を疑っている。
冒険者ギルドで行われた試験を見た冒険者たちからすれば、カナエは相応の実力者だと判明している。昨今、森の魔物が増えてきて、その脅威の最前線に立っている冒険者からすれば歓迎ムードなのは当たり前だった。
セキがカウンター席から眺めていると、宴会芸を求められたカナエは収納魔法から弦楽器を取りだした。
明るい曲調が紡がれる。南方発祥の民俗音楽として有名なその曲は酒場の冒険者たちも馴染みがあるらしく手を叩いて拍子をとっていた。
一瞬、カナエが独特の魔力を発する。直後、向かいの店先に吊るされた鳥籠に入った鳥が、カナエが紡ぐ旋律に合わせて鳴き始めた。
歌うような鳴き声に冒険者や日雇いたちが向かいの店の鳥を見て、笑い出した。
「鳥も歌うとは凄いな!」
「吟遊詩人をやった方がいいかもな」
カナエが弾き終えると拍手が鳴り響き、向かいの店の鳥も鳴くのを辞めた。
冒険者たちのテーブルを離れてカウンター席に座るセキの元にやってきたカナエは、ピザを注文した。
セキがカナエを横目に、小声で話しかける。
「何の魔法を使ったのじゃ?」
「禁書『酔いを楽しむ嗜み』より、宵声の金糸雀。鳥を自在に鳴かせる魔法だ」
「……悪用できそうなのじゃ」
「本来、人には効果がない」
「何か引っかかる言い方じゃのぅ」
セキは本来の使い方以外がありそうな口ぶりに疑惑の目を向ける。
カナエは否定せずに肩をすくめた。
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