第8話  削除!

「のぅ、もう夜が明けておるのじゃが」

「ん」


 廃教会の奥にある、神官の居住スペースで残っていた椅子に座り込んだままのカナエに、セキが窓の外を指さす。


「朝じゃよ。調査を終えたなら帰るべきじゃろ」

「ん」


 空返事して、カナエはページをめくる。

 夜通し読み続けてまだ半分も残っている。なんという至福の時間だろうと悦に浸りながら、カナエは聖典『永久繭』を読み続ける。

 セキは呆れのため息をついてしばらく何事かを考えた後、説得を開始した。


「魔物が増えている地点の調査じゃよな?」

「ん」

「調査に向かった新人冒険者の帰りが遅くなるわけじゃ」

「ん」

「そうなると、捜索隊が組まれるのが自然の流れじゃな?」

「ん」

「捜索費用を請求されると思うのじゃ」

「ん?」

「金がないから調査依頼を引き受けたのじゃよな?」

「……ん、帰るか」


 名残惜しそうに聖典を閉じて収納魔法に片付けたカナエは、椅子から立ち上って軽くストレッチをした。

 セキがやれやれと首を振る。


「単独でこの森一番の魔物をあっさり討伐した癖に、世話のかかるやつじゃ」


 教会を出て、森を抜ける。道中、魔物に何度か遭遇したが戦闘はせずにやり過ごし、街道に出た頃には陽が高く昇っていた。


「調査報告書はどこに提出するのじゃ?」

「商業ギルドだな。自警団の詰所なんかに行くと俺の手配書が回っていそうだ」

「そういえばお尋ね者じゃったな」

「無実だ。国法には触れていない」

「枢機卿会議の決定には触れておるんじゃろ?」

「枢機卿会議の決定に法的拘束力はないと言ったろう」

「社会からつまはじきにされていることに変わりはない気がするのじゃが」

「そも社会とはなんだ?」

「あぁ、面倒くさい奴なのじゃ」


 早く聖典の続きが読みたくてうずうずしているカナエは時々セキを置いてけぼりにしそうになりながらも早足で街道を抜け、町に入ってすぐに商業ギルドに向かった。

 商業ギルドの受付で報告書を提出すると、審査するから待てと言われて待合室に通される。

 革張りのソファに腰掛けて優雅に紅茶を飲みながら聖典を開きかけたカナエは、思い直して別の書物を取り出した。

 あれだけ読みたがっていたにもかかわらず、この絶好の機会に読みはじめないのは妙だとセキが不思議そうに尋ねる。


「聖典の続きを読まぬのか?」

「廃神の聖典でも、無関係の神官が見れば必ず接収しようとするんだ」

「……自らが信奉する神の聖典ではないのにか? なぜじゃ?」

「さぁな。快癒の神ギリソンの枢機卿リスキ・シャンピ氏に曰く、神に貴賤はなく、資格無き者が聖典を悪用する機会を与えるべきではない、だそうだ」

「教会の間でなんぞ取り決めでもあるのかのぅ。そのリスキほにゃらら氏は立派な人なのか?」


 興味を惹かれた様子で、セキがカナエの隣に座る。

 カナエはティーカップを傾けて喉を潤した。


「あらゆる毒キノコをスケッチ、産地や現地での扱いなどを網羅し、実際に食して所感を書き綴った手記を残した、キノコ大好き人間だ。何度も致死性の毒キノコを食べているんだが、快癒の神『ギリソン』の枢機卿だけあって、自分自身を治療することで事なきを得ている」

「権能魔法で好き放題やっておるではないか!」

「自らを使った人体実験記録でもあり、禁書に指定されるほどの手記だが、最初のページの第一行を取って俗にこう呼ばれている。『こんな綺麗なキノコが毒のはずない』と」

「絶対に毒キノコなのじゃ、それ!」


 事実、猛毒のキノコである。しかも、その後は数ページにわたって毒抜きの方法を模索する過程が書かれ、ちょっとした論文に相当する内容の濃さ。


「読み物としても実に面白いぞ。現地の逸話なんかも書かれていて、珍しい調理方法や薬としての使用方法も載っている」

「快癒の神の神官が薬の調合法まで書くのじゃな。治癒魔法を使えばよかろうに」

「治癒魔法で何でも治るわけじゃないからな。基本的に外傷を治すのが快癒の神の権能魔法だ」


 恋と馬鹿は快癒の神も掛かりうる、との諺もあるが、実際には狂犬病なども治せない。


「リスキ・シャンピ氏も最後には毒キノコに当たって死んでいる。どうも、症状を一時的に改善させることはできても完治させることはできないようだ。この辺りは、ギリソンの神官に聞いた方が早いがな」


 異端者狩りに追われる身なので聞く機会は当分訪れないだろうけど、とカナエは悪びれずに言う。

 その時、部屋の扉が開かれた。カナエが報告書を提出した受付ではなく、上司らしき壮年の男が部屋に入ってくる。


「調査報告書を読ませていただきました。おおよそは構わないのですが、削除を要請したい部分があります」

「削除要請?」


 そんな話をいちいち受けていては調査依頼の意味がないだろう、とカナエは目の前の男の表情をうかがう。

 男は商人らしいポーカーフェイスで内心を完全に隠している。

 商業ギルドに来たのは失敗だった、とカナエは内心舌打ちした。


「具体的には、どこを?」

「教会に近づくほどに魔物が強くなっていったという記述と、備考欄にある教会を何者かが破壊した痕跡があるという記述です」

「へぇ、まるで教会から圧力でも掛けられたみたいですね」

「教会からというよりは、世間から、ですね」

「商業ギルドでは、この調査報告をそのまま通したというだけで醜聞になるんですか?」

「なりますねぇ」


 男は弱り顔で言い切った。


「除虫の神は商業ギルドに出入りしていた行商人もかつてはよく利用していました。しかし、廃神になった経緯が経緯です。表立って反対できず、悪く言えば見捨ててしまった負い目がある。その負い目を刺激するようなまねは避けたいんです。この街のどこにこの調査報告を持って行っても同じように削除要請を受けると思いますよ」

「……なるほど。では、配慮いたしましょう。しかし、森の魔物が増えているのは事実です。早急に駆除した方がいい」

「えぇ、それにつきましては冒険者ギルドと協議の上で、我々も物資の準備などでご協力できますよ」

「では、修正します」


 報告書を上司の目の前で修正し、カナエは再提出する。

 ざっと目を通した上司が報告書を受領した。


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