第7話 この森で最強の魔物だったんすよ
希少本、と呼ばれる本がある。
発行部数が少なかったり、絶版であったり、禁書に指定され闇取引でしか手に入らなかったりする本だ。
世界には数多の神がいるが、それぞれに聖書や聖典が存在する。これらは教会の神官でなければ手に入れる事が出来ず、もしも市場に流れても即座に教会関係者が買い取ってしまう。
まして、廃神の聖典ともなれば絶版になっているのに等しい。ただでさえ流通していない聖典が新たに発行されることもないのだから、希少も希少、手に入れる機会など一生に一度訪れるかどうか。
「聖典だな? 聖典だ! 聖典だよ!! ひゃっはあああ」
虫の気配が絶えた森で、本の虫は叫ぶ。心なしか、教会に巣食っていた魔物が気圧されたように後退った。
身体は歓喜に打ち震え、瞳は爛々と蔵書欲に燃え、じゅるり、と舌なめずりすらしながら、カナエは魔物に手を伸ばす。
「ほら、いい子だから寄越せ。そうしたら見逃してやってもいい。ほら、な?」
言葉が通じるはずもないので、魔物はラッパ型の花を向け、花粉をまき散らした。
「ちっ」
憎悪すら籠った舌打ちを残し、カナエは後方に跳んで花粉から逃れると、怒気も露わに魔物を睨んだ。
「なんでそういうことするの? 希少本を見せびらかすとか悪趣味にもほどがあるんですけど? そもそもお前それ読めるの? 読めないよね? 読むための努力もしてないよね? 本の価値を貶めているの? ヨコセ!」
カナエが収納魔法の黒い靄に手を突っ込み、数枚の円盤を取り出す。銅製の何の変哲もないその円盤をフリスビーのように魔物へ向けて次々に投げつける。
切断するような鋭利なものではない。武器としても柔らかな銅製だけあって貧弱なその円盤が魔物の周囲に散らばった。
続けざまに、カナエが取り出したのは長大な杖だった。装飾のない二メートルほどの無骨な杖は両端が鉤状になっている。
「見たことのない魔物だが、その花の特徴は除虫草のロトスだろ。教会に植えられていた園芸種が魔力溜まりに浸かって魔物化した手合いだ」
鉤杖をくるくると回す。教会の敷地でもあり、開けたこの空間であれば振り回すのに支障がない。
カナエが笑みを浮かべた。
「お前に興味はないが、聖典が欲しい――死ね」
鉤杖を腰だめに構え、カナエは走りだし、魔物との距離を詰める。
鉤杖の間合いに入った瞬間、カナエは靴裏に仕込んである円盤に代用ろくろの魔法を作用させる。
「引っ掛けまして!」
ぐるりと、カナエが高速で一回転する。
代用ろくろの魔法は円形の土台の上にあるモノを固定し、任意の速度で回転させることができる魔法だ。元々は陶芸用のろくろの代わりをさせるための生活魔法である。
高速で回転するカナエが持つ鉤杖が魔物の根っこを捉え、回転に合わせて引き込む。ぶちぶちと根っこが千切れた。
「これはいらない。聖典をよこせ」
カナエが回転を止めると同時に引きちぎった根っこを魔物に投げ飛ばす。
植物魔物だけあって痛みを感じていないのか、魔物は即座にツタを振り回して反撃に移った。
カナエはばらまいてあった銅円盤を鉤杖に引っ掛けて投げ飛ばす。
投げ飛ばされた銅円盤は魔物のツタに払い落とされる直前、高速回転した。
「時差発動もできるんだよ」
獰猛に笑ったカナエが鉤杖を放り投げ、後方に飛び退いた。
鉤杖が落ちたのは、銅円盤の上。
ぎゅん、と銅円盤が高速回転し、その上の鉤杖が回りだす。
間近で回りだした鉤杖の間合いに入っていた魔物は一気に根もツタも巻き込まれ、無造作に引きちぎられていく。
鉤杖の魔手から逃れようとした魔物が這うように移動するも、そこにはカナエが最初にばらまいた銅円盤があった。
魔物の体が銅円盤に乗った瞬間、カナエが代用ろくろの魔法を発動する。
代用ろくろの魔法は台座の上の粘土が遠心力で飛ばないように固定する副次効果がある。
すなわち、乗ったら最後、逃げられない。
魔物の体が複数の銅円盤に固定され、高速回転する。回転方向の違いにより植物性の柔な体がぶちぶちと引き裂かれ、千切れ跳んだ。
「ひゃっほおおおお。聖典『永久繭』ゲットだ、やっほい!」
絶命まではしていないが瀕死状態の魔物に目もくれず、カナエは魔物のツタに絡んでいた楕円形が特徴的な本を拾い上げ、頬ずりする。
「素晴らしい保存状態だ。少なくとも八十年放置されたであろう品がこれほどまでに綺麗に残っているなんて奇跡だ。まるで俺の手に納まることが運命だったかのようだよ。そう思うだろう?」
興奮のあまり友好的に微笑み、問いかけるカナエに瀕死の魔物はぴくぴくと花弁を揺らす。
「繭を模したこの造形は素晴らしいセンスだ。それが除虫の神の聖典だというのだから実に皮肉が効いている。もともとガラガナガラは山岳民族が信仰していた神だというが、聖典に書き起こしたのは平野の農耕民族であるバーラタ人でね。バーラタ人は様々な民族を併呑していって多数の神の聖典を書き起こしたんだ。それにしても、聖典をこの手にする日が来るなんて! 人生最良の日かもしれない!」
瞳をキラキラと輝かせ、カナエは魔物に笑いかける。
「ありがとう!」
返事はなく、魔物は絶命していた。
そこに、カナエを追いかけてきたセキが息を切らせて走り出た。
「大丈夫か、カナエ――って終わっておるし!」
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