第2話  訓練場っていつも破壊されてるね

「お待ちどうさま。オムレツと黒パン、サラダを二人前。ジャガイモのポタージュに自家製ソーセージ。パンはお替りもあるよ」


 注文通りに豪華な朝食を宿の女将がテーブルに持ってきた。

カナエはフォークを取って向かいに座るセキを見る。

 セキは女将に礼を言って、ついでに厨房にも愛想を振りまいている。

 女将が持ち場に戻っていく。厨房の方から何かが鍋の中を跳ねるようなポコポコという音が聞こえてきた。


「おぬしも少しは愛想よくしたらどうなのじゃ? 今晩もここに泊まるのじゃろ?」

「過度に愛想を振りまいて仲良くなると身バレの危険がある」


 両手で黒パンを持ってかぶりつくセキの一言に、カナエはぶっきらぼうに返す。


「お、このオムレツ、ふんわり感がいい具合なのじゃ」

「……俺にあれこれ言うが、お前も相当にマイペースだな。身の振り方は決めてあるのか?」

「我も冒険者になるとするかのう。冒険者同士の組み合わせならば怪しまれんじゃろ。兄妹というにはちと容姿が異なるのじゃし」

「好きにしろ。どうせ危険度の高い依頼は避ける」

「それで金を稼げるのか?」

「当然だ。誰が禁書庫を建てたと思っている」


 身分さえ作れれば金を稼ぐ手段はあるのだと、カナエはにやりと笑った。

 朝食を食べ終えて、カナエは席を立つ。

 すると、宿の女将が小瓶を持ってやってきた。


「お嬢ちゃんにおやつだよ」

「おぉ、ありがとうなのじゃ」


 小瓶を渡されたセキが蓋を取って中を見る。カナエも中を覗いてみると、赤みがかったオレンジ色の種が入っていた。


「ポッタの種じゃ」

「ここ最近、山でよく採れるようになってね。余ってしょうがないんだよ」


 宿の女将が苦笑する。

 ポッタの実は熟すと強い刺激で笠がとれ、傘のあった部分から種をまき散らして跳ねまわる。当たると服の上からでもそこそこ痛い。

 山菜や薬草の採取の際に踏んでしまって跳ねまわるポッタの実に追い回される子供はこの時期の風物詩だ。


「甘酸っぱくて美味しいんじゃよな。ほれ、カナエ、おぬしも食え」

「そんじゃあ、一つ」


 厨房から聞こえた鍋の中を跳ねまわる音の正体はこれか、と納得しながら、カナエはセキが差し出した小瓶の中からポッタの種を取る。

 木の実とは思えない甘く、爽やかな酸っぱさだ。小指の爪ほどの種はポリポリと程よい歯ごたえもあって子供に人気のおかしなのも頷ける。


 宿の女将に見送られて、カナエたちは宿を出た。

 大通りを都市の外縁に向かって歩いていくと、白い屋根の建物が見えてきた。玄関の上に魔物の角が設置されており、そこから吊り下げられた剣の意匠の看板、冒険者ギルドだ。

 玄関をくぐると中にはまばらに人がいた。カナエは玄関ホールを見回して、受付カウンタ―を見つける。


「新規登録をお願いします」

「かしこまりました。こちらの用紙に記入してください」

「ありがとう」

「我も用紙が欲しいのじゃ」

「……えっと?」


 受付嬢はセキを見て困惑し、保護者とでも思ったのかカナエを見上げる。

 カナエは我関せずの態度で黙々と用紙に記入していた。

 受付嬢が困った顔でセキに向き直る。


「お嬢ちゃん、冒険者は危ないから、働きたいなら宿で住み込みとかどうかしら?」

「危ないのは承知の上じゃ。心配してもらってすまんの。これでも魔法が使えるから大丈夫じゃ」

「生活魔法を使えても魔物とは戦えないのよ?」

「実践的な魔法も使えるぞ。ほれ、用紙をくれい」

「う、うーん」


 受付嬢は助け舟を求めてカナエにちらちらと視線を送っている。

 カナエは淡々と記入を終えた用紙を受付嬢に突き出した。


「どうせ、実戦を想定した試験があるのでしょう? 本人がこう言っているのですから、用紙の記入だけさせてみてはどうでしょうか。実力がなければ試験で落ちます」

「お兄さんがそうおっしゃるのなら」

「兄ではありません」

「うむ、行きずりの関係じゃな」

「は、はぁ」


 なんだか妙なのが来た、と受付嬢はこれ以上関わらないで済むように仕事モードに切り替えて用紙を差し出した。

 用紙を記入したセキと共に案内されたのは冒険者ギルドの裏手にある訓練場だった。

 訓練中だった冒険者が新入りの実力を見ようと遠巻きに眺める中、試験官を務めるという大柄な男が歩いてくる。


「カナエにセキだな。鍛えているようには見えないが、魔法使いか? とりあえず、模擬戦をする」


 男は木製の模造剣を一振りして、どっちから始める、とカナエたちを見比べる。


「武器はそこの木製の奴を使え。それなりに硬いから当たれば怪我もする。気をつけろよ」

「ありがとうございます」


 カナエが一歩前に出て、木製の長棒を掴み取ると収納魔法を発動し、黒い靄の中へと放り込んだ。

 カナエが苦も無く収納魔法を使ったことに、見物客が口笛を吹く。

 カナエが目の前に立つと、男が構えた。


「始めよう。いつでもこい」

「よろしくお願いします」


 カナエは一礼して、無造作に男との距離を詰める。

 魔法使いと思しきカナエが自ら距離を詰めてくるのに意外そうな顔をして、男は模造剣で突きを放った。

 剣先がカナエの肩を捉える寸前、カナエの体が高速で回転し、剣先を躱しながら強烈な回し蹴りを放つ。

 人体だけでは再現不可能な高速回転に虚を突かれて、男は模造剣を引き戻しながら片腕で防御姿勢を取る。


「ぐっ!?」


 カナエの蹴りが直撃した衝撃でふらついた男はそれでも模造剣を正眼に構えて次の攻撃に備えようとする。


「――隙だらけだ」


 目の前にカナエの姿があるにもかかわらず、右後方から聞こえた声にぞっとして、男が左に跳ぶ。

 しかし、男が跳ぶのをあらかじめ予想していたカナエが収納魔法で取り出した木の長棒を振り抜く。


「それは判断ミスだぞ、新人!」


 模造剣で長棒を防ぎ競り合いに持ち込もうと画策する男だったが、次の瞬間、目の前で起こった事象に目を疑った。

 模造剣で受け止めた長棒が鞭のような柔軟さで男の肩に叩きつけられたのだ。

 肩に受けた強烈な衝撃に模造剣を落としそうになりながら、男は歯を食いしばって後方に飛び退く。

 カナエが持つ長棒を見るが、ギルドの備品であると証明する刻印がついていた。収納魔法から取り出す際に別物と交換したわけではなさそうだ。


「何をしやがった?」

「ちょっと言いたくない魔法を使いました」

「実家に伝わっている秘伝の魔法か」


 男の言葉に、カナエは曖昧な笑みで返す。

 実は、カナエが使った魔法は『しなれ、しなだれ』というあらゆる棒状の物を鞭のように扱えるようにする魔法だ。禁書『まんねりに懲罰棒』に記載されている、SMプレイ用のエッチな魔法である。副次効果として、叩く方も叩かれる方もちょっと楽しくなるおまけつきだったりする。

 男を叩く趣味があるわけでもなく、カナエは曖昧な笑みを返す以外の方法がなかった。

 男が構えを解いて、長棒で叩かれた肩を回す。


「とりあえず合格だ。ここまで良いように誘導されたのは初めてだ。ちょっと楽しくなったくらいだぜ。ひとまずCランク相当の実力を認めるが、Dランクからスタートだ。Cランクは護衛依頼もあるんでな。実績がそれなりにないと与えられないんだ。勘弁してくれ」

「構いませんよ。ありがとうございました」


 一礼して、借り物の長棒を返却する。

 男は肩の調子を確かめた後、セキを見た。


「そんで、そっちのお嬢ちゃんなんだが、本当に試験を受けるのか?」

「うーむ。実はちょいと悩んでおる」

「だよな、危ないぞ」

「うむ、殺しかねんからな。ちょいと、魔法を空撃ちしても構わんかの?」

「……お、おう、とりあえずやってみろ」


 子供特有の出来もしない大口をたたいていると思ったらしく、微笑ましそうに見物客たちがセキを眺めている。

 なかなか雰囲気のいいギルドだな、とカナエだけはセキではなく冒険者たちを眺めていた。

 では、とセキが呪文を詠唱する。


「亡き王子に捧ぐ潮騒、亡き王女に捧ぐ月舞――」

「げっ!?」


 両腕をふらふらと振りながら、半円を描く足運びで踊り始めたセキの詠唱を理解したカナエは情けない声を上げてすぐさま試験官の大男の腕を掴み、訓練場の端へ引っ張った。

 なんだなんだと、カナエの慌て様を面白がる冒険者たちはこの後何が起きるのかを何も知らない。


「――永久に続けと望むとて、奏者、舞姫、夢の中――波月紋様」


 魔法名を唱えた直後、セキの頭上に直径二メートルほどの月を象った球体が現れる。

 冒険者たちの中でも、球体が内包する膨大な魔力に気付いた魔法使いたちが血相を変えて訓練場の端へ駆け出した。

 音もなく、球体から半月状の波が複数放たれる。

 波は訓練場の誰もいない隅へと飛んでいき――地面を圧縮するように陥没させた。

 二波、三波、四波と続き、ついに二十を数えた頃になってようやく球体が消滅する。

 二十もの波を受けた訓練場の隅は深さ八メートルほどまで抉れている。もしもその場に人がいれば原形をとどめていないだろうことは、地中にあった石が粉々になっていることからも明らかだった。

 静まり返った訓練場を見回して、セキは腕を組む。


「失敬な奴らじゃな。そんなに遠巻きにせんでも人に向けるわけがなかろう!」


 ごくり、とカナエは生唾を飲み込み戦慄する。

 確かに、完璧に制御しきっていた。

 威力を落としてあるとはいえ、本来、軍属の魔法使いが五人で扱う攻城用の攻撃魔法を、たった一人の少女が。


「ご、合格……」


 試験官の判定を否定する者は誰一人いなかった。

 すさまじい新人が入ってきた、と騒ぎ始める冒険者たちを見て、カナエは空を仰ぐ。

 早くも新しい偽りの身分が必要なのではないか、と。


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