第1話 燃やされる覚悟はおありですね?
バーズ王国南部の都市、パッタヤナ。
胸元に吐息を感じて、カナエは目を覚ました。
窓から差し込む朝日に目を細める。
「朝……というか、重い?」
腹から胸にかけて布団ではない重みを感じて視線を向ける。
カナエの胸に顔をうずめるようにして寝息を立てている灰色の髪を見つけて、カナエは躊躇なく体を起こした。
「――ぐべっ!?」
カナエの体から振り落とされてベッドからも転げ落ちた灰色の髪の主、セキが奇妙な悲鳴を上げる。
「……痛いのじゃ」
目をこすりながら体を起こしたセキは部屋を見回し、最後にカナエを見て、大きく欠伸をした。
「朝じゃのぅ」
「なんで俺のベッドにもぐりこんでんだ。今度やったら宿からたたき出すぞ」
「寒かったのじゃ。安宿は隙間風が入っていかんの」
「誰の金で泊まっていると思ってる」
カナエの抗議もどこ吹く風と、セキは白いワンピースの裾を翻して、窓に駆け寄った。
「ほほぉ、ここがパッタヤナじゃな? 明るい色の街並みじゃの」
「昨日見ただろうが」
「着いたのは夜じゃったし、三日も歩き通しで疲れてすぐ寝たじゃろう。見ている余裕はなかったのじゃ」
王都でカナエの禁書庫が異端者狩りに放火されて早くも三日が経過した。
追手を振り切るため、王都から遠く離れたこのパッタヤナまで村などを経由せずに野宿しながらやってきたのだ。
体力のない少女であるセキは宿に着くなりゼンマイが切れたようにベッドに突っ伏していた。
禁書庫の番人ことカナエが命を狙われている以上、不法侵入とはいえ禁書庫を根城にしていたセキも同様に狙われている可能性が高い。カナエと一緒に逃げるしかなかったのだが、それでも無理をさせた感は否めない。
「一晩寝てもまだ足の疲れが取れないのじゃ」
そう言って、セキは椅子に腰かけて自身の脚を揉みはじめる。
野宿でまともなものを食べていなかったこともあり、カナエはお詫びがてら朝食を少し豪華にしてもらえるよう、宿の主人と交渉するべく部屋を出た。
一階に下りると、カウンターにいた宿の女将と目が合う。
「おはよう、お客さん。お連れの女の子は?」
「部屋にいます。朝食を少し豪華にしてもらうことはできますか?」
「いいよ。サービスしておくよ。長旅だったんだろう? 昨夜は女の子の方もクタクタで、見てて心配だったんだよ」
「野宿続きでしたので。あ、あとそこの新聞はいくらです?」
「これかい。うちの主人が買った物だよ。読むなら持って行っていいよ」
「ありがとうございます」
「朝食が出来たら呼ぶね」
女将から新聞を借り、カナエは部屋へと戻る。
紙がいくらか安価に供給される世の中になったとはいえ、新聞はまだまだ高級品だ。売る側も分かっているからか、特別なことがない限りは月に一度の発刊である。
女将から借りた新聞は号外であるらしく、昨日の日付が書かれていた。
号外が出た理由が一面記事に乗っている。三日前に起きた禁書庫焼失事件を知ったバーズ国王が命じたからとのことだった。
「なんだ、国王の命令で火をつけたんじゃないのか」
「バーズ国王は命拾いしたのじゃな」
いつの間にか新聞を覗き込んでいたセキが呟く。
「それで、放火犯はどこの誰なのじゃ?」
「枢機卿会議らしい」
「枢機卿会議?」
「信仰する神を問わず、各教会から派遣された枢機卿による会議だ」
バーズ王国に限らず、この世界に存在する国家のほとんどが多神教だ。
禁書庫を燃やした異端者狩りの隊長がエンブレムを掲げていた快癒の神『ギリソン』を始め、清水の神『リーメヌ』、土壌の神『カーターニエ』など様々な神が信仰され、それぞれの教会に教主、枢機卿など神の権能を代行する存在がいる。
中でも、快癒の神『ギリソン』は外傷を治す治癒魔法や体内に入った毒物を除去する解毒魔法など、暗殺などで命を狙われる王族にとって無視できない権能を持つ。
必然的に、どんな王家もギリソン教会との敵対を避けたがる傾向にあるのだが……。
「バーズ国王、禁書庫に放火したギリソン教会を激しく非難、と書かれておるのじゃが、号外が出るほど凄い話なのかの?」
「まぁ、異例だと思うぞ」
「他人事みたいに言っておるが、これの原因はおぬしなのじゃぞ?」
「いや、原因は枢機卿会議の放火だろ。俺は被害者だ」
特定の教会や国家、あるいは枢機卿会議が過去、または現在も禁書に指定している書物を多数所有しているが、バーズ王国の法は冒していない。法に照らせばカナエは純然たる被害者である。
「いや、教会が禁書に指定しておるのじゃから、一切の非がないとは言えぬのじゃ」
「たまに勘違いしている輩がいるが、いかなる教会、枢機卿会議の決定も法的拘束力はない。従った方が利口だ、などと思考停止する輩は多いがな」
「まぁ、おぬしに本の事で制限を設けようとしても無駄じゃろうとは思うのじゃ」
呆れと諦めが籠ったため息をつき、セキは再び新聞を見る。
「それで、どうするのじゃ。バーズ国王が枢機卿会議に非難声明を出しておるのなら、カナエも保護してもらえるのじゃろ? この号外、『枢機卿会議と敵対してでも守ってやるから帰ってこい』というカナエに対するメッセージにも読めるのじゃ」
「戻らないぞ?」
「あぁ、予想はつくが、一応聞くぞ? 何故なのじゃ?」
「枢機卿会議を焼き討ちしてないからだ」
「本が絡むと本当に見境がない奴なのじゃ。それをやったらもう誰も庇えないのじゃ!」
なんとか思いとどまるようにとセキが説得を試みようとするが、カナエの意思は固い。
とはいえ、流石に物理的に枢機卿会議を燃やそうとはカナエも考えていない。
「枢機卿会議の勢力をそがないと、また焚書されかねないだろう。醜聞をかき集めて暴露本を発行してやる」
「ついにおぬしの本まで禁書棚に並ぶのじゃな」
「あぁ、そうなるか。感慨深いな」
「我は呆れておるのじゃ」
セキはつんつんとカナエの頭を人差し指でつついて白い目を向ける。
カナエはどこ吹く風とばかりに無視して、新聞を畳んだ。
「枢機卿会議に今すぐ喧嘩を売りたいが、まずは先立つものが必要なんだよな。さて、どうするか」
「火事場から持ち出した書物を少し売ってはどうじゃ?」
「却下!」
「じゃろうな」
「売るのは却下だが、使うのはありだな。ちょっと見てみるか」
「使う?」
「写本すれば売れるかもしれないし、知識だって売り物になるもんだ。よっと」
カナエが指先で簡単な印を結ぶ。
すると、黒い靄が現れた。
セキが意外そうな顔をする。
「詠唱しなくても使えるのじゃな。あの火事の中で悠長に唱えておったからてっきり詠唱破棄できぬのかと思ったのじゃが」
「詠唱を破棄すると長時間の維持ができないんだ。簡単な出し入れなら詠唱破棄で十分なんだよ。これは元々、チヌ族という遊牧民族の族長が一族の財産を守るために――」
「話がそれておるのじゃ。そのうんちくはまたの機会に聞くとしよう」
「なんだよ、まったく。お、『痕跡に見る生息域』もある。……追われる身のままだと動きにくいし、偽の身分証を作りに冒険者ギルドへ行くか」
カナエは黒い靄の中から一冊の分厚い本を取り出した。
魔物が残す痕跡のあれこれを記載してある冒険者のバイブルともいえる『痕跡に見る生息域』だ。
セキがカナエの膝に横座りする。
「冒険者かぁ。カナエが冒険者というのはちょいと想像できないのじゃ。本の虫じゃろ、おぬし」
「本は全体的に見れば幾らか安くなったとはいえ、俺が持っているのは希少本がほとんどだ。売れば王都の一等地に庭師付きで家を建てて遊んで暮らせる価値がある。そんな資産家の俺が基本的に独り暮らしをしていたんだぞ?」
「腕に覚えはあるのじゃな。人前でむやみに禁術を使わないのなら、良い選択かもしれんの」
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