禁書庫の番人、焚書にて職を追われる

氷純

禁書庫、燃える

プロローグ

 夕焼けの赤い陽が王都を照らしていた。

 窓から差し込む陽光の赤さに気が付いて、男はページをめくる手を止める。

 そろそろ蝋燭でも用意しようか。幸い、この本はまだまだ続く。夜通し読めるだろう。


「……カナエ。また小難しそうな本を読んでおるのじゃな」


 子供の明るい声が古風な言葉を男、カナエに投げかけた。

 カナエは本から顔を上げ、うんざりしたような目を声の主に向ける。


 十二歳ほどの少女が書架の間に立っていた。灰色の髪が陽光を受けて赤みを帯び、桃色がかって見える。センスのない下級貴族の娘が余所行きの服に選ぶようなフリルで装飾過多の赤いドレスを身に着けているが、桃色に染まった髪と不思議と馴染んで妖精の王女といった雰囲気。

 見た者がほぼ例外なく「可愛い」と称賛するだろう他称『禁書庫の妖精』の少女を見ても、カナエのうんざりとした目は変わらない。


「セキか。また性懲りもなく不法侵入しやがったな。当禁書庫はすでに閉館しました。出ていけ。まったく、いつもどこから潜り込むんだ」

「我を見てその反応をするのはおぬしくらいじゃろうな。どうせ夕食も取らずに読みふけるつもりだったのじゃろう。食事を用意してやった。おぬしも食べるのじゃ」

「で、その食材はどこから出てきたんですかねぇ、住所不定無職少女さん?」

「厨房で借りたぞ」

「俺の食材じゃねぇか! 何が、用意してやった、だ。ただ飯を食いに毎度毎度――サンドイッチか」


 セキが白い手で持つ皿の上に乗った料理を見て、カナエはため息をつき、向かいの席に座るよう顎で示した。


「本を読みながら食べるのじゃろうから、片手でつまめるものにしたのじゃ」

「気が効くじゃないか」


 片手で本を支えて読みはじめながら、もう片手で早速サンドイッチを掴む。

 葉野菜とハムとチーズが挟まったサンドイッチだ。洗った葉野菜はきちんと水気をふきとってあり、パンが湿ることもない。


「本当、本が読めるとなれば途端に怒りが霧散する奴じゃな」

「知的生物として、知識の塊に触れる時間を何よりも優先するのは当然の欲求だ。無為に日々を過ごし半日前に何を学んだかを思い出すことさえできない生は死んでいるのと同義である。ガイラス・バロットーマ著『痕跡に見る生息域』冒頭より抜粋」

「それを記憶喪失の我に言うのじゃな?」

「……デリカシーに欠けた。悪かった。それで、記憶は戻ったのか?」


 いつの頃からかカナエの前に現れるようになった少女、セキは記憶を失っている。

 両親や友人、住所すら覚えておらず辛うじて覚えていたセキという名前を手掛かりに情報を集めているが彼女が何者なのかすらさっぱりわからないままだ。

 しかし、本人はまるで気にした様子もなく、サンドイッチをリスのようにチビチビと食べていた。

 自分の事だろうに、不安はないのだろうかとカナエの方が心配になるほど無頓着だった。


「お前なぁ――って、なんか焦げ臭くないか?」

「うん? そうじゃな。妙な臭いがしておるのじゃ。じゃが、このサンドイッチに火は使っておらんのじゃ」

「それもそうだな。隣の家か? しかし、ここまで臭うのは心配だな。ちょっと見てこようか」


 ここは禁書庫。貴重な書物が集められた知の殿堂である。火気厳禁、絶対!

 お隣が火事ならすぐに消火活動を手伝おうと早足で玄関に向かいかけたカナエは、窓から投げ込まれた松明にぎょっとした目を向けた。

 石作りの床に落ちた松明はご丁寧に油瓶が括り付けられており、硬い床に当たった衝撃で瓶の中の油をばらまき、火の手を拡大させる。

 お隣の火事?

 とんでもない。

 ここが火事場になるんだよ。


「うぬあああ」


 奇声を上げながら、カナエは燃え盛る彼の宝物殿から宝物を無事運び出すべくせわしなく動き回りはじめる。

 バーズ王国の有識者ならば誰しも一度は聞いた事のある彼の宝物殿『バーズの禁書庫』は今、赤い炎に包まれた。


「おぉ、これは建物ごと焚書しようという算段なのじゃろうなぁ」


 まさに火急の用の最中にあるカナエを眺めて、セキがのんきにサンドイッチを齧る。


「クソがっ! ――我が一族の繁栄の礎、祖の血の結実、鍵を有する我はその宝庫を今開く!」


 カナエの詠唱が終わると同時に黒い靄が現れる。その靄を見たセキが感心したように拍手した。


「なんだか親近感がわく魔法なのじゃ」

「魔法に親近感を抱くなんて訳分かんねぇことを言ってる暇があったらお前もその飯代の代わりに手伝え。この靄の中に書架の本を片っ端から放り込め!」

「収納魔法なのか? 普通は宝石箱一つ入れたら容量限界じゃろう。入りきるのじゃろうか?」


 セキが不安がるのも当然だ。ここは禁書庫、バーズ王国の有識者が一度は訪れるほどの書物があふれる場所なのだ。

 カナエは書架から希少本を抜き出して靄に投げ込みながら言い返す。


「全部入る。だてに禁術じゃない!」

「き、禁術……」

「いいから早くしろ!」


 黒い煙に燻されながら、カナエは紙の書物を右手でつかみ取り、火の粉が移った部分をはたいて消火し、黒い靄の中に放り込む。


「泥だけで始める原始生活読本、無事! 次、石版類!」


 魔力の使いすぎで足がもつれる。あるいは、煙に巻かれて脳が酸素を欲しているのかもしれなかった。

 それでも、カナエは禁書庫を出ない。

 ここには彼の宝物が詰まっているのだ。

 十四歳で故郷を出て以来、十年もの間粗食に堪えて買い集めてきた古今東西の書物。そのあまりの蔵書量から王城より資料閲覧に訪れる者が多く、国王より直接『禁書庫の番人』という例を見ない称号と共に男爵位を受け取った。

 そんな書物がいま、灰になろうとしているのだ。


「誰がこんな非道を……許さないゆるさないユルサナイ」


 酸欠で朦朧としながらも呪詛の言葉を口にする。

 書棚の奥に安置されている石版を掴み取る。タイトル不明の四割ほどが欠損した石版だ。


「カナエ、流石にこれ以上は煙に巻かれる。残りは諦めるのじゃ!」

「ちっくしょう!」


 収納魔法に石版を突っ込んだカナエは、ドレスで走りにくそうにしているセキを抱え上げて猛然と廊下を走り抜け、窓を肩で割って外に転がり出た。

 受け身を取って体を起こす。

頬に付いた煤を拭ったカナエの前にはずらりと黒ずくめの男たちが剣を構えて立っていた。足元には投げ捨てられた松明が燻っている。

 カナエは憎悪の籠った昏い瞳を黒ずくめの男たちに向けた。


「異端者狩り。お前らか。火を放ったのは」


 燃え盛る禁書庫を背に怒気をあらわにするカナエに荒事慣れしているはずの異端者狩りの何人かが怯んで一歩下がった。

 二十代前半にして禁書庫の番人と呼ばれる得体のしれない相手だ。この場に突然邪神を召喚してもおかしくないとさえ、異端者狩りたちは考えていた。


「狼狽えるな。奴は邪悪な書物を火事場から持ち出すため魔力を使い切っているはずだ。大したことはできない」


 異端者狩りを率いる長身の男が快癒の神ギリソンのエンブレムを掲げて仲間の不安を払い、カナエを睨みつける。


「バーズ禁書庫の番人、カナエ・シュレィデンだな。貴様は〝神の在処″を知っているか?」

「は? 神だぁ!?」


 意味が分からない、とカナエは額を押さえた。

 人類の英知が詰まった書物に火を放ったかと思えば、命からがら火の手を振り切った禁書庫の番人を捕まえて神の在処を問う。

 まるで意味が分からない。支離滅裂だ。


「異端者狩りが無実の人間を殺すための方便か何かか? 神の在処を知らなければ異端者か?」

「知らないのならばいい」

「いいわけあるかっ!」


 カナエは駄々っ子のように石畳を踏みつけ、崩れ始めた禁書庫を手で指し示す。


「そんなバカげたことを問うために貴重な書物に火を放ったのか!? 俺の蔵書にどれほどの価値があるか理解できないのか!? 『セヌリの恋歌』の原本や『マッタイ二世の宮廷道化師、披露術』の原本まで焼失しかけたんだぞ!? 『こんな綺麗なキノコが毒のはずない』なんて、お前らギリソン教会の当時の枢機卿が書き記した手記がそのまま残ってるんだぞ!? それに、お前らが、火を、放ったんだぞ!?」


 絶叫し、ぜぇぜぇと肩で呼吸したカナエは異端者狩りを率いる長身の男を指さす。


「神は知らないが、貴様らを知っている。罪人だ。大罪人だ。貴様ら以上の罪人がこの世に存在すると思うな。必ず、この報いを受けさせてやる」


 威勢よく言いきって、カナエが右足を引く。それを戦闘態勢と見て取った異端者狩りたちが一斉に身構えたその瞬間――


「――次会った時にな!」


 異端者狩りたちの視界がカナエを中心に回転する。


「な、なんだ!?」


 カナエを中心に半径数メートル範囲が回転していることに異端者狩りたちは気付き、すぐさま離脱を図ろうとする。

 しかし、足は地面に縫い付けられたように動かない。

 カナエが両手を広げて哄笑を響かせる。


「ふはは、『泥だけで始める原始生活読本』より、代用ろくろの魔法だ。さて……」


 足場の回転により乱れた異端者狩りの陣形を縫うように、カナエが走り抜ける。


「今日はもう魔力がないんでね。退かせてもらう。次に会ったら覚えておけよ!」


 安い劇場で悪役が去り際に吐き捨てるようなしょぼいセリフを残して、カナエは一目散に逃亡を図る。

 なおずっと抱えられているセキはドレスの裾を気にしつつ、異端者狩りたちに声をかける。


「遺書を用意しておくのじゃぞ。お前たち、バーズ王国でも有数の危険人物を敵に回したのじゃからな」


 異端者狩りを率いる長身の男は足場の回転が止まった際の遠心力で吹き飛ばされ、民家の壁に叩きつけられた。

 受け身を取って被害を最小限に抑えていたが、周りを見れば受け身を取りそこなった部下が何人も呻いている。

 男は走り去るカナエの背中を見つけて舌打ちした。


「くそっ、聞いた事もない生活魔法を使いやがって。あの程度で出し抜かれるとは。追え!」


 慌てて追いかけるものの、カナエには追い付かない。

 その日、バーズ王国の禁書庫は焼失、禁書庫の番人カナエ・シュレィデンは行方をくらませた。

 だが、翌日、王都の外壁に墨でこんな言葉が描かれていた。


『焚き付けたのはお前らだ』


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