第52羽 「シスル」と「リン」⑧

「それはつまり、私にあなたを殺せと仰っているんですか?」


 「白の聖女」の言葉に、私は微笑んだ。


「そう言えるってことは、私がどういう人間であるかを『教会』も知っているということですね」


 彼女はハッとしたように口を噤むけれど、もう遅い。


「『教会』はどこまで把握していますか?」


 私がそう尋ねると、彼女は観念したように口を開いた。


「あなたが……『黒の聖女』が、あの『魔王』達の仲間であるということは知っています」

「そうですか。そこまで知っているなら充分です」

「充分とは、何がですか?」

「あなたが私を殺す理由としては充分ですよね?」


 彼女は眉間に皺を寄せた。


「……何故、死のうとしているのですか?」

「厳密に言うと、死にたくてあなたを呼んだわけではないんです。あなたが持つ『神聖剣』で私を貫いて欲しいだけで。ただ、その結果として私は死んでしまうんですけれど」

「『神聖剣』であなたを貫いたとして、一体何になると言うのですか? あなたが命を落とすだけではないのですか?」


 彼女の瞳は、私を心の底から心配しているように見えた。

 敵である私を気遣うかのような視線に、私は思わず笑みがこぼれる。


「な、何がおかしいんですか!」


 頬を膨らませて怒る彼女は、とても可愛らしい。

 もっと別の形で出会えていたら、と思ってしまうくらいには彼女のことを好ましく思った。


「あなたは本当に優しい方ですね。まさしく『聖女』に相応しい女性です」


 私がそう言うと、彼女は首を横に振った。


「いいえ。私なんかより、あなたの方がずっと『聖女』らしいと思います」

「……どうしてですか?」

「あなたは『魔王』に傷つけられていた人々を癒していました」

「それはあなたもやっているでしょう?」

「それだけではありません。あなたは『魔王』を止めようとしていたのではありませんか?」


 私は目を丸くする。

 まさか、彼女に気づかれていたなんて。


「『魔王』に対して武力ではなく言葉で、しかも誰も血を流さないようにたった一人で戦ってきたあなたこそ、『聖女』と呼ぶべきでしょう」

「……でも結局、私にはどうすることもできなかった」


 言葉で説得できていたなら、私はこの計画を思いつくことすらなかっただろう。


「ですが、あなたの行いは評価されるべきです! 『教会』はまだ認めていませんが、私から話せばきっと……」

「私はそんなこと望んでいません。それに、あなたが考えているほど私は聖人君子じゃない」


 私はぐっと唇を噛み締めたあと、ゆっくりと口を開いた。


「あなたを呼んだのは、シスルを……『魔王』を殺してもらうためなんです」

「えっ!?」


 驚く彼女を後目に、私は告げる。


「今の『神聖剣』では、彼を殺せません。傷つけることは可能でしょうが、すぐに傷が塞がってしまうと思います」


 この時、シスルは既に尋常ではない自己回復能力を得ていた。

 普通の剣では切りつけた瞬間に塞がってしまう。

 「神聖剣」であっても、彼の回復力には敵わないだろう。


「それなら、どうやって私に『魔王』を殺せと言うのですか?」

「私の魂を、その剣に宿してもらうんです」

「剣に魂を宿す? そんなことが可能なのですか?」


 彼女が訝しげにこちらを見つめてくる。


「信じられないのも無理はありません。ですが、そういう術があるんです」


 私は「近くに来てください」と言って、彼女を招き寄せた。


「毛布を剥がしてもらえませんか?」

「え、ええ」


 戸惑いながらも、彼女は言われた通りに私の上にかかっていた毛布を捲る。


「これは……何の魔法陣ですか?」


 毛布の下に隠されていたのは、シーツに描かれた魔法陣。

 まだ動けていた頃に自分で描いたものだ。

 私が元々使っていたベッドをここに運んでもらったから、誰にもバレずに仕込むことができた。


「この魔法陣の中心に剣を突き立ててください。そして、この魔法陣を発動させれば、私の魂は剣に宿る。今はもう失われてしまった古の魔法だそうです」

「もしや、神鳥様にこれを教えていただいたのですか?」

「そうです。彼女は物知りですから」


 神鳥は長命なことで知られており、彼女も長い時を生きていたらしい。

 何とか死ぬ前に彼を止められないかと相談した時、提案されたのがこの方法だった。

 彼女はあくまで最終手段として提案したようだったけれど、今の私はその最終手段を取らざるを得なかった。


「しかし、仮にあなたの魂を剣に宿したとして、それで『魔王』を殺せるのですか?」


 目の前の彼女はまだ疑いの目を向けてきている。

 先程まで物に魂を宿らせる方法すら知らなかったのだ。

 魂を物に宿したところで、何が変わるのかなんて彼女にはわからないだろう。

 何故私がこんな方法を選んだのかも、彼女には想像できないと思う。

 だから、私はきちんと説明することにした。


「実は『魔王』の魂には、私の魂の一部が癒着しています。彼があれほどまでの能力を得られているのは、その一部があるからなんです」

「……にわかには信じ難い話ですが、魂を他者の魂に癒着させる術もあるのですね」

「はい。私はそれを用いて彼を救いました。しかし、今度はそれを利用して、私は彼を殺そうとしているんです」


 言葉を失っている様子の「白の聖女」だったが、私は気にせず説明を続ける。


「私の魂が宿った剣で刺せば、その魂の一部を利用して能力を減弱させることができます。すなわち彼を弱体化できるんです」

「再生能力を弱めて殺そうというわけですか」

「それだけではありません。私の魂をぶつけて、彼の魂と対消滅させれば、彼は二度と復活することはできないでしょう」

「そんな、魂を消滅させるなんて……」

「そうでもしない限り、彼は何度でも立ち向かってきますよ。彼は、そういう術も身につけてしまいましたから」


 私の言葉を聞いた彼女は、悲痛な表情を浮かべていた。


「あなたはそれで良いのですか?」

「もう、彼を止めるにはそれしかないんです」

「他にも方法はあるのではありませんか? 何もあなたが苦しむ必要は無いでしょう」

「仮にあったとしても、もう私にはこれくらいしかできないんです。だから、せめて、私も彼と一緒に……」


 ずっと話してきたせいか、息が苦しくなってきた。

 顔色も良くなかったのかもしれない。目の前の彼女が心配そうに顔を覗き込んでくる。


「む、無理はしないでください」

「いいえ。無理しないと、止められない。それに、今から死ぬんです。心配しなくても、大丈夫」


 「だから、早く殺して」

 私がそう告げると、彼女は今にも泣き出しそうに顔を歪める。

 何か言おうとしていたようだったけれど、すぐに口を噤み、彼女は腰に提げていた「神聖剣」の柄に手をかけた。


「……本当に、よろしいんですね?」

「うん」

「後悔はありませんか?」

「あるよ、いっぱい。でも、私がやらないと」

「……そう、ですか」


 彼女の声が震えている。

 見れば、彼女の目から一筋の涙が流れ落ちていた。

 そんな状態で、彼女は剣を抜く。

 両手で柄を握り締め、私の胸に向けて剣先を向けた。


「……ごめんなさい」


 涙ながらに呟く彼女に、私は微笑んだ。

 謝るのはこっちの方なのに、やっぱり彼女は優しい。

 きっと魔物を殺したことはあっても、人を殺したことはまだ無いはずだ。

 それなのに、私の頼みを聞いて無理をさせてしまって、本当にごめんなさい。


 彼女は腕を振り被ると、勢い良く剣を私の胸に突き刺した。

 強い衝撃の後、鈍い痛みが胸に走る。


『ありがとう』


 声はもう出なかったけれど、最後の力で私はそう口を動かした。

 私の胸から、剣が引き抜かれる。

 血に濡れた剣と、涙に濡れる彼女の顔を最後に、私の視界は真っ暗になった。




 これで、全てが終わると思っていた。

 しかし、ここで誤算が生じた。

 魔法陣が消えかかっていたのか、魔法が上手く発動しなかった。剣には私の記憶と力の一部しか残らず、魂の大部分が別の世界へと飛ばされてしまった。

 その結果、「神聖剣」でシスルを殺すことはできても魂を消滅させることはできなかった。

 「白の聖女」にあんなに辛い思いをさせておきながら、終わらせることができなかった。

 シスルの魂は強い恨みの念と強大な力を持ったまま、再びこの世に生まれ落ちてしまった。

 運が良かったのは、彼の魂と同じ肉体に別の魂が入り、肉体の主導権がその別の魂の方だったこと。

 そして、私の魂が再びこちらの世界にやって来たこと。

 強大な力を持った彼が主導権を奪うのは時間の問題だろう。

 でも、私の魂が完全に戻れば、今度こそ上手くいくはずだ。

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乙女ゲーの世界に転生したけど転生先が雀な件について 真兎颯也 @souya_mato

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