第六十話 日曜日 朝の刻 〜朝食の時間

 家について、兄の元気な顔が見れたことが、ぼくは嬉しかった。

 兄の周りは明るかったし、何より家のなかの淀みがない。


 ぼくは着替えもかねて自分の部屋へと足をのばす。

 つい、兄の部屋を覗いてみた。


「……黒くない」


 枕の下にしのばせた冴鬼からのお守り。それを取りだし、布を開くと、中身は砂になって崩れていた。

 自分の部屋にもどってみて、あらためて部屋の中を見渡すけど、スッキリ!

 黒い埃のような呪いもいないし、何もかもが軽い。


「戻ったんだ……」


 だけど、明日が来るのが怖い。

 冴鬼の「終わった」という意味がどこまでの意味なのだろう……

 このままぼくが眠れば、呪いの記憶も、冴鬼の記憶もすべて消えてしまうのだとしたら……?

 ありえない話じゃない。

 だって、ぼくの大切なものをまだ差し出していない。

 だけど、下りるまぶたを止めることができない。

 ひどい疲れが全身を押しつぶしてくる。





 ───目が覚めた。

 夢もなかった。


 見慣れた天井に、昨日の記憶。

 ただ、夕飯は食べ逃したようだ。


「……ぼくはなにを差しだしたんだろ?」


 寝返りすら惜しんで寝ていたようで、体がカチコチに固まっている。

 それをほぐすように肩を回し、着替えをすますと、リビングに顔をだすことにした。

 まずは腹ごしらえだ。

 リビングをへだてるドアをひらくと、兄がさっそくパンを頬張っていた。


「お、凌、おはよ。お前、夕飯も食わないでよく寝てたな」


 兄の体にだって呪いはない。安心して笑うと兄が気味悪そうに見てくる。


「オレの顔見て笑うのやめろよ」

「ごめん、兄ちゃん」


 母から「お風呂は?」の声に、「ご飯食べてからー」と返すと、母がついでというように話だした。


「あれ、となりのチカちゃんいるでしょ?」

「うん」


 ぼくはわりあてられたコーンスープをすすり、ロールパンを頬ばった。

 母は追加で焼いてくれた玉子焼きとウインナーをぼくに差しだしながら話をつづける。


「チカちゃん、学生結婚するんだって」

「……へ?」


 ウインナーが皿に戻る。


「今はそういう時代なのねぇ。就職とかの前に結婚して、身を固めるなんて、時代よねぇ〜」


 あまりの急な話に、ぼくは固まった。

 ……とはいえ、『初恋の人』なだけで、それ以上でも以下でもない。


 付き合いたいとか、深い感情はなかったと思う。

 ただ、とても優しくて、ずっとそばにいて支えたい人だった。

 それだけだ。

 なのに、なんで胃が痛いんだろ……


「ショックだったり?」


 兄にこづかれるけど、図星すぎて返事もできない。

 胸のつかえを流すように牛乳を飲み干したとき、チャイムがなった。


「朝から誰だよ。オレみてくる」


 あらかた食べおえていた兄が玄関へと向かうと、驚いた声と同時に、家へと迎え入れている。


「凌、サキくんきたぞー」

「……さ、冴鬼……?」


 冴鬼はひとり、にやにやしている。

 誰になにかいわれたわけでもないのにぼくのとなりに腰をおろし、ぼくの牛乳を飲みながらニコニコと笑う。


「大切なものを奪われて、ショックだろ」


 小声の内容にぼくはちょっぴり青くなる。


「もしかして、チカちゃん……?」


 なんともいえない。

 ショックといえばショックだけど……!


 ぼくがひとりで頭を抱えるけど、冴鬼は残りのロールパンをおいしそうに頬張っている。


「やわらかいパンだな」

「そうだね」

「なんで怒ってるんだ、凌よ?」

「思春期男子は心が複雑なんです!」


 兄は先に食事がおわったようで、今日の準備をしている。

 今日は祖父母の命日だ。

 この日は両親とは別に、ぼくと兄だけでお参りに行く。

 これは遺言であり、祖父母との約束でもある。

 ぼくが祖父母としゃべれる唯一の日───


「好物も詰めたし、あとは凌の支度ができたら出発だな」


 兄の声にぼくがうなずくと、なぜか冴鬼もうなずいている。


「わしも行くぞ、墓参り」

「なんで?」

「せっかくだからな、挨拶したくてな」


 目をほそめて懐かしがる表情が大人の冴鬼とかぶる。

 きっと、昔の冴鬼と関係があるんだ……


 ぼくは「わかった」それだけ返して、バタバタと準備を整えていく───

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