第五十九話 土曜日 黄昏刻 〜決着

 刀が消えたことで、ぼくは地面に転がった。

 すぐに嶌田の体が青い炎に包まれ燃えだした。


『やめろぉぉ! 消せ! 殺すっ! 死ねっ! 消えろっ!!!』


 すべての順位が一番なんだ。

 ───殺したいし、炎を消したい。

 だけれど、炎ので地面にしばりつけられたようで、身動きがとれないまま、黒い煤が空に昇っていく。


 ぼくは心臓のある場所に手を当ててみた。

 泥で汚れている。

 泥で汚れてる……?


「……え? え? ええ?」


 橘を見ると、すでに先生が橘を助けていた。

 来るなら最初から来いよ、バカ狐!

 でも、なんで、血が出てない?!


「凌よ、大丈夫か?」


 そう見下ろすのは、幼い日に会った彼と全く同じ彼だった。

 やさしい目はいつもの冴鬼とかわらないけど、大人びた声に驚いてしまう。


「炎の刀は妖しか斬れん。安心せい」


 そういいながら、大人の冴鬼はぼくの前に膝をついた。

 そして、ぼくの視線に冴鬼はじっと体をかがめる。


「……しかし凌よ、よくわしを信じてくれた。わしはお前と戦えたこと、誇りに思うぞ」


 大きな手。少しごつくて、それでも優しい手がぼくの頭を一度なでる。

 おもわず頭を下げてしまい、すぐに視線を上げるけと、もういつもの冴鬼に戻っている。


 横から何か迫る音がする。

 冴鬼とぼくを抱えるように、飛び込んできたのは橘だ。


「みんな生きてるよぉ……みんな生きてるヨォ!!」


 子どもみたいに泣きじゃくる橘をみていると、ぼくを代弁してくれているようだ。本当はぼくも叫びたいし、泣きたいくらい。だけど、男だから、がまんする。


 橘の肩ごしに見えるのは、地面に寝そべる嶌田だ。

 呪いが全て灰になって空に消えた今、泥まみれの小太りの体が地面に横たわる。

 それを銀水先生は冷たく見下ろしている。


「こいつ、どこからこの祠、しったのかな……」


 頭を足でこづいてる。このままだと腹まで蹴りあげそう。

 橘を冴鬼にあずけ、ぼくはすかさず先生の横についた。


「せ、先生、嶌田くんは……」

「うん? 死んでないよ? でもそれだけ。ねぇ、凌くん、呪いになりかけた人間ってどうなるのかなぁ〜?」


 唇も目も糸のように細く長く吊りあがる。


「先生、狐、出てます」


 ぼくが冷たくいうと、すぐに顔を戻した。


「もっと怖がってよぉ〜」


 しっかし、この狐の土地神が人間の味方、というわけではないのが厄介だ。

 橘は冴鬼とおそるおそる近づいてくる。そして、じっと嶌田を見つめ、アカンベーのポーズをした。


「ねぇ、凌くん、呪いはどう?」


 橘にいわれ、改めて自分の体を見た。

 だけど、重くないし、黒くないし、なにもない。


「……ない。なにもないよ、橘!」


 2人で思わず手をとるけど、すぐに取り出したのはスマホだ。


「……あ、に、兄ちゃん!?」

『……寝起きに叫ぶなよ……なに? なんか買ってきてくれんの?』

「もう大丈夫?」

『そうだな。ん? あー……めっちゃ体、楽だ!」

「よかったぁ」

『……ありがと』

「じゃ、またあとでね……」


 兄からいわれた「ありがと」。

 ぼくは、この言葉だけで幸せだ。

 だって、ぼくがいつも「ありがとう」をいう側だったから───


 橘も橘先輩と話ができたようで、心のそこから笑っている。

 いつも、どこか影がある笑い方だった。ようやく安心して笑えてるんだ。


「さ、みんなでお団子食べようっ!」


 やっぱり、銀水先生の神経はおかしい。

 人間じゃないからしかたがないとはいえ、長生きしてるんだから、空気を読むとか学んでほしい。


「……その前に!」


 橘が指さした場所は猫のお墓だ。

 戦闘のせいもあり、荒れてしまっている。


「お花はないけど、きれいにして、祠にお参りして、お祈りしてから、お団子食べましょ」


 ひどく疲れていても、女子が言い切る言葉に重みがすごい。

 とはいえ、冴鬼も鬼化の影響かぐったりだし、ぼくも意識を保っているので限界なところもある。そのため、先生にも頑張ってもらう。


「え? この石ずらすの? 重いよ?」

「先生、男でしょ?」


 橘の口は、強い……!


 橘から的確な指示をもらい、なんとかお墓まわりを整理し、祠も壊れてしまっているけれど、それでも石を戻し、お団子を1本供えてあげる。


「ほら、ボクらもお茶にしよ!」

「しかし、なぜ、ここでお茶なのだ。もう少し座り心地のよい場所でもいいだろう」

「ここじゃなきゃだめなんだ。ここでボクらがお茶を飲んでゆっくりすることで、静かな場所だって、


 用意周到な先生は手拭きや熱いお茶の入ったポットまで持参していた。

 紙パックで飲みながら、団子を頬張るぼくらだけど、ぼくは気づいていた。


 ここには、たくさんのがいることに───


 その人たちはふわふわとしていて、人のカタチっぽいなにかにしかみえない。どこか遊んでいるようだし、さまよっているようでもあるし、それでもここが危険場所になることは、具合が悪いようだ。


「生きてる人間が一番怖いのかな……」

「ん? 凌、食わんのなら、わしが食うぞ」

「だ、だめ! ここのゴマ団子、めっちゃうまいんだからっ」


 後ろで枯れ葉を踏む音がする。

 すばやく振りかえると、よたよたと立ち上がった嶌田がいる。

 だけどのんびりお茶をのんでいるぼくらをみて、嶌田は尻餅をついた。


「ねぇ、君さ、なんでここをしったのかな……?」


 胃が冷える声がする。

 銀水先生だ。


「お、オレは……本にあったとおりに……!」

「本?」

「消えたけど、本だよ、本!」


 嶌田は悲鳴じみた声で叫びながら竹やぶのなかを走っていく。


「別に食べたりはしないのに」

「……もっと怖い感じがしますよ、先生」


 ぼくが先生にいうけど、先生はそしらぬ顔だ。

 橘は怒りにまみれているからか、先生の様子には気付かなかったようだ。

 でも。ってことは、もう証拠がないってこと?

 ……なんなんだろ。


「空気も丸くなったし、みんな帰ろうか」


 時計を見ると、18時50分を過ぎたところだ。

 黄昏刻にさしかかっている。

 穏やかで優しくて、ほんのりとあたたかい場所に、今日は感じる。


「ボク、先に帰ってお風呂の準備しとく〜。冴鬼、あとでねぇ〜」


 後ろにいた先生を振り返ったときには、消えていた。


「せ、先生、帰ったの……?」


 焦る橘に、ぼくは適当に指をさしておいた。




 慣れた十字路にぼくらは立つ。


「明日はカレーだね! できたらお昼ご飯に食べたいな」


 橘の案にぼくらは賛成。ただぼくも墓参りがあるため、細かな時間は決めず、そのぐらいの時間に集まろうという話でまとまった。

 相変わらずの足の速さで帰っていった橘を見送り、ぼくらもいつもの公園前まで歩いて行く。

 静かな住宅街だけど、昨日までの暗いイメージはない。

 ようやく、いつもの家に戻ってきた。そう思ってしまう。


「これで、終わったな」

「そうだね」


 公園に踏みこんだ冴鬼がいう。


「終わったんだ……」


 風に消え入りそうな声だけど、冴鬼はいった。

 だけど、ぼくはそれを聞き返すことができなかった。

 今までのこともすべて気がして。


「またな!」と背を向けた冴鬼をずっと見ていたいけど、消える冴鬼を見たら本当に最後になりそうで、ぼくは慌てて背中を向けた。


 もう一度振り返った楠はゆれるだけで、もう、冴鬼の姿はそこにはなかった。

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