第五十三話 土曜日 朝の刻・弐 〜呪いの意味
走りっぱなしで図書室へ飛び込んだ。
すでに橘がいた。そして、銀水先生も。
橘は小さくまるまって、ただ泣いている。先生は橘の小さな肩をぽんぽんとたたく。
だけどそれはなぐさめるわけでもない、『人』がそうしているから、というそんな雰囲気だ。
「おはよう、凌くんに、冴鬼」
銀水先生の声に橘はぼくらをとらえた。
とたん、するどく睨みながらぼくにつかみかかった。
「呪いは消えたっていったじゃない! なんでユリちゃんの呪い、消えてないのっ?」
冴鬼が止めにはいるけど、橘の腕はバタバタともがいている。
「冴鬼くんだっていったじゃん! もう呪いは消したっていったじゃんっ!」
橘の声が図書室に充満する。
「あたしでも見えたの……ユリちゃんが黒いのに包まれてて……なんなの、呪いって! なんでユリちゃんを苦しめるの?!」
「ごめん、橘……」
謝っても解決しないけど、この言葉しか、今のぼくには伝えられない。
ぼくも泣きたい。……もう、兄の寿命は10時間しかない───
怒りがわいてくる。
だけどそれに比例するように、腕、脚が痛む。
ぼくが呪いを憎むと骨にひびく衝撃が走る。
ぼくの呪いも強さが増している。
「蜜花ちゃん、今日の黄昏刻に死ぬのは凌くんのお兄ちゃんだ。その次が、君のお姉ちゃん。まだ余裕があるよ」
銀水先生は熱いお茶を配りながら、優しく告げた。
すぐに橘の顔がぐちゃぐちゃに歪んでいく。
「……やだよぉ! みんな死んじゃうっ!」
泣きじゃくりながら叫ぶ橘の気持ちが痛いほどわかる。
だけど、今はこの痛みに浸っている場合じゃない。
「橘、まだ時間がある。最後まで戦おう?」
ぼくの声に、橘が歯を食いしばりながら顔を手のひらでぬぐった。
すかさずすべりだされたティッシュで鼻をかみ、赤い目をぼくにむけてくる。
「……あだじ、やる!」
橘の声に先生はうなずくと、つぶやくようにぼくらにいった。
「呪いは継がれたみたいだね」
先生の目が黒く沈んでいる。無表情なのに、哀れむ心が見える。
「呪いを受け継げるだけの憎しみを持つ人間がいるとは思っていなかった」
先生はホワイトボードに黒い丸を描いていく。
「この黒い丸が最初の呪い。2人の憎しみや怒りが『呪い』という形をもったんだ。だからこの2人が呪いから切り話せれば、消滅するはずだった」
「だったって……」
「そう、だったんだ」
続けて書き始めたのは、もう一回り大きな円だ。
「呪いはね、器がないと留まっていられないんだ。昨日の冴鬼はこの器を壊した。それで呪いが散って、2人の魂が解放されたんだけど……」
円に矢印が刺さる。その矢印には『強度必要』と書き足される。
「この円は憎しみや怒りの強さ。この強度がないと、呪いは器にできない。弱すぎれば呪いは散って消える。強ければ……呪いがまた形を保つ」
「この呪いを抱えてるのは誰なんですか……?」
「人間なのは間違いない」
ぼくらの息が止まる。
2人で練り上げた呪いを抱えられるだけの『器』の存在。
寒気が肌をなでる。
それは、人なんだろうか……? もう、人の皮をかぶったアヤカシなんだろうか。
「ねぇ、君たちさ、神だった鼬の呪いすら飲み込む器を持つ人間、誰か知らないかな?」
そんなきれいな笑顔でいわれても、人間しか手がかりがないなんて───
青ざめるぼくに、橘がいう。
「……あたし、わかるかも」
その声に、先生は満足そうにお茶を飲み干した。
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