第五十一話 金曜日 夕の刻・弐 〜夜と、夢と

 静まり返った竹やぶは、黒く、ただ黙っている。

 ぽっかりとあいた空に浮かぶ月上がりで、かろうじて足元が見える。


「結構、時間、経ってたんだね」


 スマホをみると、着信とメッセで埋まってた。

 すべて、母からだ。


「……げ!」

「……凌くん、走れる?」

「ぼくはたぶん大丈夫だけど、冴鬼は?」

「わしはなりはひどいが、体は無事だ」

「……じゃっ!」


 3人で泥を跳ねあげ走っていく。

 途中で滑りながら、転びながら、それでも笑えてくるのは、黒鎌鼬の呪いを倒せたからだ。

 少し前まで怖くて見れなかった竹やぶのなかだけど、あれだけのものを見たら、その辺でやじうましているなんて大したことない。


 ぼくらは全速力のまま、橘と別れる十字路へとたどりついた。

 息をきらせながらも橘は手をあげる。


「あたし、こっちだから……明後日は午後からね!」


 ぼくも膝に手をおきながら息絶え絶えに大きくうなずいた。

 冴鬼は全く余裕のようで、息すらあげずに、満面に笑顔をうかべている。


「猫に会えるのをとても楽しみにしてるぞっ」

「カレーでしょっ!」


 橘は一回だけ地団駄を踏んで、再び走り出した。

 やはり、早い。すぐに背中が小さくなる。


「凌よ、お主も急がなくていいのか」

「膝、ガクガクだしムリ」


 街灯に照らされる家は、まだ夜になったばかりの時間でもしっかり黒くて、少し、さびしくみえる。


「ね、冴鬼、」

「なんだ」

「黒鎌鼬が消える瞬間、橘の名前、いってなかった?」

「聞こえた気はしたが、たいした意味はないだろ」


 冴鬼はあっけらかんとしたもので、もう明後日の猫に思いを馳せているのか、顔がゆるみっぱなしだ。ふいに耳に聞こえる銀水先生の声───


『そうは問屋が卸さないってね……』


 ぼくはその声をふりはらうように頭を振った。


「冴鬼、」

「なんだ?」

「本当に、ありがとう」

「わざわざ改まらなくても」

「でも、ぼくは、冴鬼がいてくれてよかった」

「わしもだ。……ほら、もっと怒られてしまうぞ」

「冴鬼、またね!」

「ああ、またな」


 ぼくが玄関に入って、ドアを閉めるまで、冴鬼はぼくを見ていた。

 ずっと。

 本当は家に入れてあげたいけれど、そうもいかない。



 なぜなら───



「……電話無視して門限破って、どういうつもり?」


 般若と化した母がいたからだ。

 こっぴどく怒られながら、泥まみれの制服を取りあげられる。

 今度からは少し遅れそうなときは連絡をいれておこう。


「サキくんといっしょだったの? それなら……あ、でも、今回だけだからねっ!」


 母に念押しされてからの夕飯ははじまった。

 お風呂に入ってから部屋にもどると、橘からメッセが入ってる。


『ほんとに、おわったんだよね?』


 すぐ下には冴鬼が返信をいれていた。


『もんだいないぞみつかのいのりはきょうりょくだったな』

(問題ないぞ。蜜花の祈りは、強力だったな)


 ぼくもそれに返信をする。


『なんか不思議なかんじ。今日はゆっくりやすもう』


 ぼくは部屋にちらばるホコリになった呪いをながめる。

 耳に残る唄は聞こえてこないし、とにかく空気が澄んでいる。


「ひさびさかも、こんな空気……」


 ベッドに横になって背伸びをして、すこしなにか考えていたけど、そのままぼくは意識を手放していた───




 ……ここはどこだろう。

 ぼくはきょろきょろと視界を広げる。


 舗装されていない道路が一本のびている。

 あたりは霧に飲まれて白く、景色はとぎれてる。

 だけど、少し先に、大きな楠を見つけた。

 その下でぼくに手を振る人がいる。

 ぼくはその手につられるように、駆けよっていく。


 青い着流し姿で、細目の男性がいる。茶色の髪は少し長めで、風にふわりとゆれる。そのとなりには黒髪を一本に結んだ、なつっこい顔の女性が。黒の着物に椿の大柄がめだつ。


『来てくれて、ありがとね』


 手を振っていたのはこの女性だったようだ。


『あんたには、お別れがいいたくてさ』


 優しい笑顔に、透き通った声だ。思わず耳で見ほれてしまう。


『ぼうず、お前もこいつの声、気に入ったか?』


 つい茶化され、ぼくがはずかしくて俯くと、女性が男性の脇腹をこづいた。

 だけどそのあとはなにもいわずに、慣れた手つきで身なりを整えていく。


「どこか行くんですか?」

『そう! 見たことないところ、いっぱいあるからな』

『上にいく前に見ておきたくてね』

「あの、おふたりは、ご夫婦とか……?」


 どうしてぼくがそう聞いたのかわからない。

 でも、とても不思議な縁でつながっている気がしたからだ。


『夫婦、だってさ』

『こんな夫婦は勘弁か?』

『あたしは勘弁だね』


 そうやってコロコロ笑うのが楽しそうで、ぼくもいっしょに笑ってしまう。

 2人はすっと遠くをながめた。

 霞んで白くてぼくには道の先はみえないけれど、2人にはみえているようだ。


『あたしはあんたに感謝してるんだ、凌』

『俺もだよ、凌』


 2人は交互にぼくの頭をなでてくる。


『じゃ、いこうか』

『じゃあな!』


 女性はどこからか現れた三味線を胸にかかえ、じゃんじゃんと弦を弾いている。

 軽やかな唄は2人の足取りにあわせて響いていく。延々の道を、2人は笑いあいながら、歩いていく。


 白く濁った背中が楽しそうで。

 優しい声が、2人の笑顔がしみて、あったかい。



 ───その優しい夢をびりびりに破いたのは、スマホの着信音だった。

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