第三十六話 木曜日 昼の刻・弐 〜作戦会議開始!
銀水先生がホワイトボードに書き出したのは、名前と日にち。
「まず、呪いにかかった人は……」
そのなかには、もちろん、ぼくもいる。
・土方 新 5日目
・橘 百合花 4日目
・土方 凌 2日目
「で、新くんと百合花ちゃんは、ボクが呪いにシートをかけた状況。いうなれば、かぶせた銀歯の下に、虫歯がある感じ」
「たとえはアレですけど、見た目的にはわからないってことですか」
「そういうこと。体もいくぶん、軽く感じてると思う」
「ぼくには?」
「凌くんはムリだね」
「なんでですか?」
「君、呪いとしっかりリンクしてるもん。君はそういう体質なんだろうね。だから妖討伐に選ばれたんだねぇ」
先生の声には、少し、哀しみが混ざっているような、そんな声がした。
だけど、意味まではわからない。
ゆっくりとぼくの頭をなでてから、ホワイトボードに向きなおった。
「さ、凌くん、気づいたことを話してみて」
ぼくはぬるくなりはじめた湯呑みをにぎる。
かすかにゆれるお湯をみていると、昨日の景色がみえてくる。
「……あの呪いは、標的にしか見えないんだと思う」
「たしかに、わしは呪いの形は見えなかったが……」
「それが一番の理由。昨日、ぼくは最初から気づけたし、見えた。だけど、兄のときは見えなかったし感じなかった。どういう理屈かはわからないけど、標的を絶対に呪う。だけど、標的以外は呪わないってことだと思う。もし呪うなら、冴鬼も呪われてるだろうし」
「たしかにボッコボコにやられただけで済んだからな」
橘が「ひっ」と小さな悲鳴をあげる。
ゆっくりと冴鬼をみるけど、橘の顔色が真っ青だ。
「だいじょうぶか、蜜花よ」
「ち、ちがうよ。安倍くんだよ! あたしは平気! ね、大丈夫なの? あんなに血が流れてた」
「血は多かったが、かすり傷だ。フジが治してくれた」
ぼくが持ってきた白湯をいっきに飲みこんだ橘は、なにかに気づいたようだ。
「先生って白衣着てるし、お医者さんだったんですか?」
「まさかぁ」
先生はわらって手をひらひら泳がすけど、
「あー、でもボクは妖なら治すことができるのは確かかなぁ」
橘は、再び困惑顔だ。
勘はするどいとはいえ、相手は土地神。そうやすやすと心は読ませてくれない。
「ね、凌くんも呪われちゃったんだよね」
「そうだよ。さっきもいったけど、ぼくは2日目。ボードのとおり」
「……あのさ、あたしも……呪われるのかな……?」
半泣きの橘がいる。
口はへの字にまがってるし、ちょっと震えてる気もする。
「わからない。まず、どうして兄、橘先輩、ぼくが呪いにかかったのか。その理由や共通点がみつからないから」
「それならなおのことじゃんっ」
「でも、そのときはぼくと冴鬼が守るよ。絶対」
胸の前で手をこする橘に、ぼくは笑いかける。
どうしてあげたらいいか、わからなかったから。
「約束、だからね!」
橘はぼくと冴鬼の手をにぎっていう。
その手がしろじんで、強い。
「まかせろ、蜜花よ。もう、呪われる人は増やさん! さ、今から倒しにいくぞっ!!」
がたりと立ちあがった冴鬼にゲンコツが落ちる。
もちろん、銀水先生のこぶしだ。
「だぁかぁらぁ、何度いったらわかるの、冴鬼? 昨日、鬼化できなかったでしょ? 今は霊力と体力が異常にある人間みたいなもんなんだから、呪いには勝てないよ!」
それだけでもすごいと思うけど、呪いは倒せなかった。
だけど、思い出したことがある。
「先生、昨日冴鬼の髪の毛が守ってくれました。こう、鎌がぼくの心臓めがけてきたんですけど、ばちばちって弾いてくれて」
「冴鬼の体から離れたら鬼化するからね。命拾いしたね。でももう効力はないだろうから、しっかり冴鬼が鬼化しなきゃいけない」
「ね、鬼化ってなに?」
橘の声にぼくはこたえる。
「冴鬼は鬼なんだ。ぼくと契りを結んだ鬼なんだよ」
「……やめてよ、冗談っ!」
鼻で笑った蜜花にくいついたのは冴鬼だ。
「蜜花よ、うそではない! わしは正真正銘、鬼であるぞ!……ちょっと若いが」
「ぜんぜん、笑えない」
橘のドン引きの目にぼくらは悲しみながらも、ホワイトボードに状況をかきこんでいく。
「あと呪いのことでわかったことはぁ?」
「えっと、呪唄が接着剤みたいになってて、それにみんなの憎しみとか苦しみがくっついて、離れられない状態、な気がします」
「呪唄ねぇ」
銀水先生はあごをかきながら首をひねるけど、思い当たる節はなさそうだ。
「おばあさんが口伝えで女の人に教えてました。これ、役に立ちます?」
「いや、もうこれは結果にしかならない。唄を消す方法はないから、別な方法を考えよう」
黒ペンで書きこむ背中をみながら、橘がきいてくる。
「凌くん、なんでそんなに知ってるの?」
「夢で見たんだ。呪唄をうたった女の人の記憶だと思う」
「怖くなかった?」
「ん? 怖くはなかったかな。ただ、辛くて苦しくて、悔しいって気持ちがいっぱいながれこんできて……だからぼく、呪いも助けたいんだ」
「呪いを……助ける……」
橘はかみくだくように口にだした。
きっとこの気持ちは誰にも理解されないだろうけど、伝えておかなきゃ……
「凌くん、名案! だって女の人、もっと旅して唄をうたいたかったんだもんね! 助けてあげるの当然じゃんっ! もちろん、鎌鼬も助けてあげよ。みんな、苦しいんだもんねっ」
「そうだ! それにもう猫を殺させるわけにはいかんっ!」
……やっぱり、猫なのね、冴鬼は。
でも、あの猫たちはどうして……
思っていると、先生は祠の下に、猫と書きくわえた。
「猫はね、霊力が普通に高い動物なんだ。……ようは、呪いは霊力がないと呪うことができないんだ。ふつうは術者から霊力をもらうんだけど、霊力が足りなかった。だから猫で代用したんだと思う」
「ってことは」
「術者はまちがいなく、霊力のないただの人間だね」
先生が書いた、ただの人間。
それが異様に重くみえる。
「呪いはね、魂の数だけ重くなる。これは猫だって同じ。業が返るときが楽しみだなぁ」
先生の目はぐにゃりとゆがみ、実に嬉しそうだ。
これが本性なのだろう。
橘は先生の顔がそうは見えていないはずだ。ぐっと目をこらすと、顔に霊力のお面があるのがわかる。
土地神って器用なんだな。
ぼくはそれをみてぼんやり思うけど、銀水先生はぼくの表情に気づいたのか、元の顔にととのえなおした。
結果として、ただの人間が、呪いを振りまいてるってこと。
そして、命をとりつづける者の末路は、想像よりもひどいものなんだろう。
ぼくと橘はつい口つぐんでしまうけど、先生はノリノリで用紙をとりだした。
冴鬼はなぜかわくわく顔でぼくを見ている。
「な、なに、冴鬼」
「お主の出番だぞ、凌よ! これができれば、わしは戦えるそうだ」
「そうなんだよぉ。鬼化させることができるのは凌くんだけだからさぁ。さぁ、この紙にあるとおり、印を結んでみてぇ!」
紙をみても、なにがなんだか……指で文字……?
「なにこれ?」
「これは、指で仏様と神様を表現してるっていえばいいかな。冴鬼に与えられた文字は【
……これは、ぼくにとっての大きな試練の始まり!
なぜなら、指が、動かない!!
「指が……むりだよ、これっ!」
「これのなにができないの、凌くん? 下手くそなの?」
「がんばれ、凌よ! お主ならできるっ」
「それができるまで帰れまテン!」
「先生、使い方間違ってる!」
ほんとうに指が、絡まるんですけど!
───これができるようにならないと始まりもしないんだ!
……って、根性論でどうにもならないよ!
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