第三十一話 水曜日 黄昏の刻・肆 〜結果として

「……遅くなったっ!」


 竹やぶのなかへ飛びこむように現れたのは………

 銀水先生───!


「煙幕っ!」


 白衣のポケットから赤い球をとりだし、呪いに向かって投げつけた。

 真っ赤な煙が立ちこめ、呪いはその煙が毒なのか、ぐにゅぐにゅともがきだす。


「さ、逃げるよっ」


 先生は軽々と冴鬼を肩に担ぎ、ぼくを小脇にかかえると走りだした。

 だけど煙の穴をぬって、白い手がぼくの足首に巻きついてくる。


「……ひっ!」

「え? なに? ん?」


 ぼくの足がぐんと伸びている。それは掴まれているからだ。

 でも先生は見えないのか、ぼくをひっぱるけど、ぼくが動かない状況に首をかしげている。


「え、なにこれ? なんかつかんでるの!?」

「呪いがぼくの足首にからんでてっ!」


 やっぱり先生も見えていない……

 ぼくはひとつの確信を得たけど、それどころじゃない。

 冴鬼を早く治療しなきゃいけないのに……!


「先生、ぼくのことはおいて逃げてくださいっ」


 抱えた腕から離れようとするけど、先生の力がすごく強い。


「一応ボク、今は先生だからね、置いてはいかないよ?」


 先生は冴鬼をぼとりと落とし、ぼくを抱え直した。

 引きずられそうになる体を先生はおさえながら、胸ポケットから楠の葉を取りだした。

 ぼくの右足首にそれを重ねたとたん、ジュっという、焼ける音がした。

 すぐに呪いは手をはなし、縮んで奥へと消えていく。


「よし! ダッシュ!」


 再び冴鬼を担ぎ直した先生を追うように、ぼくも走りだす。


 一度だけ後ろをみた。


 黒い空間に、漆黒の物体がもぞもぞと蠢いている。

「待って」そう聞こえた気がしたけど、ぼくは意識的に耳を閉じた。



「りょ、凌くん?……え、安倍くん……!!」


 竹やぶから道路へ飛びだすと、橘がいた。

 また強くなりだした雨のなか、橘は傘もささずに待っていたようだ。

 だが冴鬼の様子をみたとたん、ぐにゃりと膝が折れる。


「た、橘……!」


 頭はギリギリ守った。冴鬼の姿に卒倒したようだ。

 ぼくが橘を抱えていると、再び先生がひょいっと橘を小脇に抱えた。


「ボクは冴鬼を治しに家に帰るね。とちゅうで蜜花ちゃんを届けるから安心して」

「先生、あの、」


 先生はなにもなかった顔でぼくをみる。

 その目の奥が、とても、冷たい───


「別に怒ってるとか、そういうことないよ。冴鬼もよくわかってなかったし。ボクがしっかり話してなかったのが悪かったんだ。ごめんね」

「……いいえ」

「凌くん、1人で帰れる?」

「ぼくは、はい、大丈夫です」

「じゃ、またあした〜!」


 いつもどおりの笑顔で先生は手を上げる。

 まばたきをして見たときには、もう、消えていた。


「せ、先生……?」


 まるで狐につままれたようだ。

 ただ、道路に転がるぼくの傘と冴鬼の傘、そして橘の傘が転がっている。


 それだけが、『現実』を教えてくれている気がした。

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