第三十話 水曜日 黄昏の刻・参 〜あの祠で
昨日たどりついた広い場所へ、ぼくらは着いたわけだけど───
冴鬼の手がぼくらをとめた。
声ではなく、冴鬼の体も震えている。
「……くそっ!」
冴鬼の震えが怒りだとわかるまでに、ぼくは時間がかかった。
「冴鬼……?」
冴鬼の肩ごしに見えたもの……
「ねぇ、ちょっと、早く」
「だ、だめだ、橘っ」
今度はぼくが橘の肩をとめるけど、橘は見つけてしまった。
冴鬼の小さな肩では隠しきれなかった。
───そこには体がズタズタに切り裂かれた猫が5匹、地面に横たわっていた。
橘は悲鳴をあげるよりも、嗚咽がもれる。
5匹の猫のなかに2人に懐いていた猫もいて……
ぼくもなにをどうしていいか、わからなくなる。
横に立つ冴鬼の目が、赤く赤く染まっていく。
『──どこにいる、呪いよっ!!』
冴鬼の声は竹やぶのなかを雨のおちる隙間をぬって響きわたる。
霊力がこめられた声。音でもきこえるけど、心にもきこえてくる。
でも、ぼくがここで冷静にならないと……!!
目が熱くなるのを一生懸命がまんする。
「深呼吸……」
声をだしていうと、体もその声にあわせてくれる気がする。
小刻みに吸う空気を大きく肺にためていく。
息をゆっくりはきだしていくほど、体がピシッとしまっていく。
「冴鬼、闇雲に動いちゃだめだ! 橘、ぼくのそばから離れないで!」
冴鬼は4本足の獣のように、両手を地面について、体勢を低くかまえている。
唸る声は冴鬼からだ。
「冴鬼!」
ぼくがもう一度声をかけると、宙返りをしながらぼくの前へ飛び跳ね着地した。
「……わしは絶対に赦さんぞ……」
冴鬼から地面からひねりだしたような声がする。
もしかして、『鬼』に近づいてる……?
でも、あの夜みたツノはまだない。
「冴鬼、ここ一帯が呪いの根城だとすると厄介だよ……」
「まるで気配がしないのは、奴の腹のなかにいるからってことか?」
「その可能性もあるよね」
橘はぼくの肩をつかんでいる。
震えているのがわかる。
右肩にのせられた手を、ぼくはつかんだ。
「ごめん、橘、怖い思いさせて」
橘の小さな手が、ぼくの肩に食いこむ。
「……あたしのほうこそ、ごめん……」
だけど、これは恐怖じゃない。
───怒り……
「……こんな呪い、ぶっ飛ばしてっ!」
橘が叫んだと同時に、風が巻き起こった。
地面から吹きあげる風にぼくらは腕で顔をおおうけど、絶対に視界は閉ざさない。
閉ざしちゃいけない!
「冴鬼、これは呪いの風だ!」
ぼくにはわかる。
黒い粒子が渦をまいているのを……
その中央に、赤い目と、黒い目がぼくをみつめて離さないのを───!
「凌よ、見えているのか」
「うん。冴鬼には見えない?」
「わしには、気配しかわからん。凌よ、場所、動き、できるだけ細かく伝えてくれ」
「え?」
ぼくにそれだけ伝えると、冴鬼は跳び上がった。
竹やぶに両足をつき、一気に気配の中心に飛びこんでいく。
だがすぐに空気の塊が冴鬼をはじき返してしまう。
「冴鬼!」
「わしのことには構うな! 今、どうなってる!」
「冴鬼から……2時の方向! 冴鬼にむかってる!」
ぼくのいったとおりに、時計の2時の方向に冴鬼は腕を重ねて衝撃に耐える。
「次!」
「右回転しながら、真後ろ!」
地面をえぐるように跳躍し、冴鬼は呪いと向き合う。
瞬間、
「冴鬼、逃げてっ!」
ぼくは叫んだ。
とっさに体をひねり、後方に飛ぶが、黒く錆びついた鎌が冴鬼の腹をかすめていく。
────ようやく呪いが形を現した……!!
「あ、……うっ…げぇっ……」
「ちょっと、凌くん、大丈夫?!」
抑えきれない吐き気に、ぼくはすっかり胃のなかを空にした。
まだ胃がひっくり返そうとぼくをゆする。
ひどい臭いと見た目だ……
魚の内臓を何日も寝かしたような激しい臭いがする。
さらに、かたまり肉を手で裂いて無理やりくっつけた黒い塊が浮いている。
たくさんの人の血肉が重なりあって、まるで大きな肉団子のよう。
そこから血にぬれてやせ細った獣の腕が二本、さらに、色白の異様に長い手がだらりとさがる。
細い獣の腕に似合わない大きな鎌は、刃はこぼれ、黒い錆がうく。右の鎌には冴鬼の制服の布がからみついているけど、どこからか舌がのび、それを巻きとり飲みこんだ。
肉の塊には、ところどころに髪の毛がふわふわとなびいている。それが女だけの髪でないことがわかる。たくさんの頭髪が、いや、頭部の断片がちらばり、かろうじて残った髪がさらさらとゆれている。
球体の上左側が光った。
目だ。獣の目。
それがぼくを見つけた。
すぐ下には、女の顔が浮いている。能面みたいな色白の女の顔だが、唇だけ朱い。
その口が、三日月型に歪んだ────
「凌っ!」
冴鬼が叫ぶ。
だが、呪いの動きが早い。
早すぎるっ!
「……橘っ!」
とっさに橘に覆いかぶさり避けるけど、奇跡のようなものだ。
地面に尻餅をついたぼくに、次の一撃をかわせるとは思えない……!
「このっ!」
冴鬼がとっさにぼくの前で両手を広げる。
だけれど、あっさりと冴鬼の体に女の拳がめりこんだ。
「冴鬼……!」
うずくまる冴鬼だが、腹を抱えながらもすぐに立ち上がる。
だが次々に拳がふりおろされ、ぼくが指示をだす間もない。
「……鬼化ができない……!」
よろけながらいう冴鬼の声。
だけれど、なぶるように女の拳が、黒い塊が、右に左に動きながら、冴鬼をなぐりつづけている。
「……凌、逃げろっ!!」
ぼくが体勢をととのえようとしたとき、黒い鎌が振りかざされた……!
風をあやつるだけあり、動きはまるで瞬間移動だ。
よける間もなく鎌がぼくの心臓へと落ちてくる……!!
────ぼくの心臓は貫かれるはずだった。
だけど鎌は、ぼくの布すら傷つけられない。
「……ど、どうし……」
ここには冴鬼の髪の毛が入っている。
このおかげだ!
「……蜜花をつれて、逃げろ!」
冴鬼の声に押されるように、ぼくは橘を抱えるように立たせた。
橘を押しやり、走らせる。
だけど呪いは逃す気は、ない。
なぜならぼくをあの目で、じっとじっと追っている。
「橘、走って! 先生を呼んでっ!」
橘はぼくのほうを見なかった。
怖いからじゃない。
自分の役割がわかったからだ。
暗くにじんだ道を泥まみれになるのも構わず走っていく。
つまずきそうになっても、すべっても、橘は必死に必死に走っていく。
「……来い、呪い!!」
「凌も逃げろ!」
叫ぶ冴鬼だが、冴鬼のほうを早く助けないと……!!
もう、服もぼろぼろだし、お腹の傷も深すぎる。足元に血溜まりができてる……
「おいていけないよ! それに、呪いの目的は、ぼくだ!」
胸ポケットにいれた冴鬼の髪をぼくはつまむ。
すべるように向かってくる呪いに向けて、ふきかけた。
手のひらから綿毛を飛ばすように息をふくと、冴鬼の髪は呪いの体に吸いついていく。
身動きがとれなくなった呪いだけれど、冴鬼の髪の毛で抑えられる時間なんて限られてる。
「……冴鬼、逃げるよっ!!」
冴鬼の腕をとり、肩にかけて歩く。
だけど、冴鬼の状態がひどい。
「……冴鬼、がんばれ!」
「すまん、凌よ……こんなことになるとは……」
「今はいいから!」
ひきずるように歩いていくけど、すぐに呪いが迫る。
……まずいっ───
ぼくは冴鬼を守るように覆いかぶさった。
呪いの波がぼくに、くる───!!
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