第十九話 火曜日 夕の刻・弐 〜夕食!

 冴鬼は革靴をぬぐと、さっと玄関にそろえておいた。


「サキくんって日本の文化、わかってるんだね」


 兄がおどろいた調子で冴鬼にいうけど、冴鬼の顔はなんのことだといっている。


「あー、兄ちゃん、今日のご飯ってなんだっけ?」

「えっと、今日はトンカツだな」

「だって、冴鬼」

「……トンカツってなんだ?」

「え、知らないの?」


 ぼくと冴鬼のやりとりを聞いていた兄が笑う。


「そりゃ、サキくんはしらないだろ」


 この数秒のなかで思うのは、冴鬼の存在自体が特別な作用があるとしか思えない。

 これだけ冴鬼のボロが出てても、兄は冴鬼を帰国子女としてうたがっていない。

 だいたい安倍冴鬼という日本名なのに帰国子女設定だし。


 いつもは4人で座るテーブルだけど、お誕生日席に冴鬼の席がつくられている。

 冴鬼は部屋のなかをきょろきょろとしてたけど、イスをすすめられると、そこにおとなしく腰をすえた。

 ただ鼻をすんすんと鳴らし、制服をにぎって、今か今かと冴鬼は料理を待っている。


「いっつもなに食べてるの、冴鬼は」

「供物の饅頭や果物、赤飯とかが多いな。しかし、トンカツとは! 言葉の響きがパシっとしていて、匂いも香ばしいし、一体なんなんだ、凌よ」

「トンカツっていうのは、厚い豚肉にパン粉をつけて揚げたもの。ソースをかけて食べるんだ。ぼくはそこにマヨネーズをつけるのがすんごく好きっ」

「一度にたくさんいうな。ぜんぜん想像ができんっ」


 兄がウーロン茶をコップに入れて運んできた。

 だけどその腕も、両足もとても重そうに黒い呪いが巻きついている。


「サキくんは、ウーロン茶、飲めるかな」

「わしはなんでも大丈夫だ。心遣い感謝するぞ、新よ」


 冴鬼が兄の肩をたたく。

 すると、黒い呪いがさらりと少し崩れおちた。


「お、新よ、足にゴミがあるぞ」


 冴鬼はそういうと、兄の右足と左足に軽く触れる。それだけで呪いが薄くなる。


「ありがと、サキくん……ん? なんか足、軽い? 凌、ちょっと手伝って」

「うん!」


 兄の呪いの状況にぼくは思わず冴鬼に口にださず、視線で感謝を伝えると、ウィンクしてきた。

 逆に、どこでそれを覚えたんだ、冴鬼?!


「トンカツも運んで」


 母の声に、ぼくは大ぶりの皿に乗ったトンカツを運んでいく。

 大根とあげの味噌汁、ごはんに漬物、きゅうりとわかめの酢の物が並ぶ。

 もちろんトンカツの皿には千切りキャベツとポテトサラダは絶対です!


「凌よ、なんだこの衣がついたものは!」

「だから、これがトンカツだって」


 父は冷蔵庫に自分でビールを取りにいくけど、カウンターごしに冴鬼を見て、目を丸くする。


「すごいきれいな子だねぇ」


 聞こえてるよ、父さん。

 でも冴鬼は目の前のトンカツにオアズケ状態だ。


「いっぱい食べていってね、サキくん。じゃ、いただこうか」


 父はいうなりビールを缶のまま口をつけて流しこむ。

 兄は味噌汁、母は酢の物を食べているけど、冴鬼はトンカツを見たまま動かない。


「ほら、冴鬼、冷めちゃうから食べなよ」

「……熱くはないか?」

「え、まさかの猫舌?」

「そ、そんなことはないに決まってるだろっ」

「べつに猫舌でもいいけど、ソースかけたら冷めるよ、大丈夫」


 冴鬼は恐るおそる真ん中のトンカツをつまむ。

 断面からは桃色の透明な水がじゅわりとながれてくる。

 母のトンカツは本当に最高っ!

 ちょうどいい火かげんで、肉汁は美味しいし、なおかつ衣が……


 ───サクッ!!


 冴鬼の口から聞こえてくる。

 大きめのパン粉なのもあって、ざっくりとした歯ごたえがある。

 そこに甘みのある豚肉の脂身がじわりと広がる。


 キャベツをほおばってからの、トンカツ、ポテトサラダで口なおしてから、もう一度トンカツ!

 そしてソースにぬれたご飯を口にイン。

 ……はぁ、口のなかが極楽です!


 冴鬼は、あまり箸がすすんでいないよう。

 だけど、……震えてる?

 唐突に立ちあがると、冴鬼は天井をあおいだ。


「……なんて美味しさなんだぁ!」


 あまりのことに、家族が静まり返ってしまう。

 オーバーリアクションにもほどがある。

 これでは、ただの変な外国人だ。いや、もっと常識あるよ、外国人!


「冴鬼、座って。はしたないよ」


 ズボンをひっぱると、冴鬼は脱力するように椅子に座るが、視線はトンカツにむすばれたままだ。


「凌の母上よ……なんなのだ、これは! とても美味しい! 初めて食べたがとても美味しい!」

「それならよかった」


 母は安心したように笑っている。

 冴鬼が次に選んだのは、ポテトサラダだ。


「この白いなはなんだ、凌よ」

「ポテトサラダ。じゃがいもをマヨネーズを和えたもの」


 箸のさきにちょんとサラダをのせてペロリとするけど、顔には『おいしい』と書いてある。


「こんな食事を毎日食べられるとは……お主は幸せ者だなっ!」


 感動しながら、冴鬼はもっくもっくと口いっぱいにほおばりだした。

 冴鬼の身体中から『おいしいぞー!』と聞こえてくるのが、またスゴい!


「サキくん、君はどこから来たの?」


 父からの質問だ。どう答えるんだろう?

 いや、答えは用意しているはずだ。だよね、冴鬼?

 味噌汁を飲みこみ、冴鬼を見ると、冴鬼の視線がぼくに向いている。


「凌よ、わしはどこから来たと思う?」


 死んだ目つきでこちらを見たまま、味噌汁をすする。

 マズい!

 この質問でそんなに長い時間は待たせられない。

 あーもー!!


「アゼルバイジャンの日本人が通う学校にいたんだって。だから英語できないんだって」

「へぇ……アゼルバイジャン……アゼルバイジャン?」


 ぼくも、よくしりません。

 というか、この質問返しがつづくと、ぼくのおいしいトンカツタイムが台無しに。

 これは、ぼくが先手で会話を進めるしかない……!


「ねぇ、冴鬼はここのことしらないよね?」

「ああ、そうだな」

「明日は商店街も見に行こうよ」

「学校帰りにか、凌」


 兄がひじでつついてくる。


「いいじゃん。商店街のなかにある本屋に行きたくって」

「あー、あそこならな」


 兄が納得していると、父もそこならいいか、という顔つきだ。

 しかし、冴鬼は、トンカツに集中しすぎだ。

 目がランランという表現がこれほど似合うのは、今の冴鬼だけだと思う。

 ガツガツ食べてはいるけれど、美しい。70年の所作が見える……!


「凌よ、申し訳ないが、ご飯を半分ほどおかわりしてもよいかな?」


 まさかの、ひと口残し!


「半分ね。わかったよ」


 おじいちゃんが、おばあちゃんにおかわりを頼むとき、ひと口残していたのを思いだす。


『おじいちゃん、まだ残ってるよ?』

『違うんだ、凌。これは、なんていうんかな、相手への気づかいなんだ』

『なんで?』

『ひと口残っているから、相手に急いでもってこなきゃって思わせなくてすむっていう話だ。大人の食事ではな、こういうことができるのがカッコいいんだぞ』


 誰もやっていないからやらなくていいって思ってたけど、こういうときにできると印象がちがうかも。


 英語や数学がわからないとぼやく冴鬼に、兄が時間に余裕があれば教えてあげるといっている。

 兄だって勉強の時間がこれから必要なのに、本当にお人好しな人だ。

 だからこそ、ぼくのヒーローなんだけどね!


「はい、冴鬼、ご飯」

「ありがとう、凌よ。わしは幸せだぞ!」

「大げさだな」

「わしは一人で過ごす時間が多かった。こうやって誰かと肩を並べて食事など、20年ぶりだろうか」

「大げさだよ、冴鬼っ」


 慌てるぼくだけど、父と母は冴鬼に、同情のまなざしだ。

 過剰な数字をいうほど、冴鬼がさびしくすごしていたと思っているよう。


「サキくん、毎日は無理だが、ご両親が家を開ける日とかはうちでご飯を食べるといい。な、母さん」

「ええ、もちろん」


 もう、ほだされてる。美形の説得力、恐るべし!


「その言葉、ありがたくいただくぞ」


 食事のつづきをはじめると、兄がぼくをみて笑っている。


「なに、兄ちゃん」

「お前、翔以外に親友できたんだな」

「翔は腐れ縁。冴鬼は……」

「わしは凌の相棒だぞ」

「相棒、だね。親友とはちょっとちがうんだ」


 そう、親友とはちょっとちがう。

 もっと、強い絆で、運命を共にするような、そんな感じ。

 橘がいってた『運命共同体』が似合ってるかもしれない。


「なあ、凌よ、今度は蜜花とも飯を食ってみたいな」

「なんで?」

「あいつからは、甘い匂いがする」

「え、ちょっとキモいよ、冴鬼」

「なんだろな。そんな感じがするんだが……」

「おー、恋話こいばなか?」


 兄が茶化すので、ぼくはそれを回避するのに必死になる。

 でも、こんなに明るい食事、ひさしぶりな気がする。

 ……いや、たったの2日だ。

 なのに、すごくこの日が遠かった。不安だったし、なにより怖かった。

 冴鬼がいてくれるから、ぼくは笑えてる。

 今日ぐらいは少し楽しんでもいいかな?


「ね、冴鬼、門限ある?」


 ぼくが聞くと、いっしゅん目を泳がせ、首をふった。


「そんな約束はしていない」

「じゃ、ボードゲームもしよう!」


 ぼくたちは食後のリンゴを食べおえると、人生ゲームをすることに決めた。

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