第七話 火曜日 闇の刻 ~月祷り


 ───夜中の1時50分。


「……よし、やるぞ」


 中学に上がってから渡されたスマホの充電はOK。

 まだ夜は冷えるので寝間着の上に、カーディガンをはおる。

 ズボンのポケットには、四角い手鏡と縫い針。もうひとつのポケットに細長い懐中電灯をさしこんだ。


「……行こう」


 薄暗い廊下は音がない。

 家族は全員寝ているようだ。


「……兄ちゃん、待っててね」


 ひたりと吸いつく冷たい床が、ぼくの緊張をあおる。

 慣れたシューズをひっかけ、ドアをゆっくりと押し開けた。


「はぁ……家から出るだけでひと苦労だよ……」


 この小さな公園は、クスノキ公園と呼ばれている。

 そのとおり、公園の奥に大きな楠があるからだ。

 樹齢はわからないけど、大人1人くらいは隠れられそうな大きさがある。


 さわさわと鳴る葉の音が、夜中の異様さをかもしだしてて、不気味に感じる。

 恐る恐る公園を見るけど、

 ごくごくたまにだけど、夜中にするから。


 ぼくは公園の真ん中に立った。

 手鏡を地面に置く。

 裁縫針をつまみ、ぼくは微妙に目をそらしながら、針を指にちかづけていく。


「……いっ」


 すぐにふくらみだした血の球をしぼりだすように指で押すと、ぽたんと鏡に小さく落ちた。

 手鏡には月。

 ぼくは映った月を落とさないように、そっとかかげあげていく。


「ぎんづき、ぎんづき、ぎんづきよ、白い狐に願いを送れ……ぎんづき、ぎんづき、ぎんづきよ、白い狐に願いを送れ……ぎんづき、ぎんづき、ぎんづきよ、白い狐に願いを送れ……」


 やわらかい風が頬をなでていく。

 鼻をかすめたのは、きれいな花の香りだ。

 どこか懐かしいやわらかな香りに、ぼくは目を細めてしまう。


「お主がわしの御主おあるじとなるのか」


 少年の声だ。

 ふりかえると、楠のうしろから少年がするりと現れた。


「……君は?」


 背格好は小学生ぐらい。小柄な少年だ。

 群青色の髪は短い。

 服はよくゲームの世界で見る、牛若丸が来ている着物にそっくり!

 それに、乳白色の着物はツヤがあって、砂が輝いてるみたい。

 袴はひざぐらいで、藍色だ。

 そこからのびる色白の足元は、一本下駄。

 これも変わってはいるけど、もうひとつ、気になることが……。

 右側の額に1本、ツノがあること。月の光でもキラキラして、黒曜石みたい。


 思わず声をかけたけど、少年の足元をするりとぬけて狐が現れた。

 銀色の狐だ。足先が少しだけ黒い。目は赤色。

 だけれど、狐から怖い感じはしない。


「……きれいな狐……」


 狐は少年の方を向いてから、ぼくにむきなおると、シャボン玉のように消えてしまった。


「いっちゃった。たしかに狐だもんな。しゃべれないか……」


 ぼくがこぼすと、少年が目を丸くして見つめている。


「……お主、驚かないのか?」

「ん? 狐が消えたこと? 全然」

「ほう。なかなか肝が座っておる」


 唐突に現れて消えるのは、ぼくの世界ではだ。

 それよりも、和装少年が古くさいしゃべり方をするのが、おかしくてたまらない。

 雰囲気は人間ではない。人間に近いリアルな幽霊、といった感じ。

 だからこそ、話し方が笑えてきて仕方がない。

 歴史が好きだったのかな?それとも、平安時代とかに死んじゃった……?

 でも、なんかちょっと違う気もする。


「お主の名は? わしは、冴鬼さきと申す」


 祖母から、『幽霊には名前を教えるな』といわれたことを思いだす。

 いいとどまると、サキという少年は眉をひそめた。


「お主、名はないのか? わしが名乗ってやったのに、無礼な奴よ。まあ、ヒトはそんなものか……。……だが何もせずに戻るわけにもいかんし、どうしたものか」


 少年の言葉を聞いて、ぼくは気づいてしまった。

 戻りたいけど、戻れない理由があるなんて、この世に未練がありすぎるんだ……!

 だからあんな言葉づかいで人の気を引こうと……

 兄のことをどうにかしたいけど、でもサキのことも助けないと……!


「……君、おうちはどこ? 連れていくよ?」


 ぼくが手をさしだすと、パチンと叩かれた。


「ふざけるな、わっぱ! わしは鬼であるぞ! お主の何倍も生きておるわ」

「いやいや、またまたぁ。確かに君は人間じゃないけど、鬼だなんて……もしかして、そこまで思いつめてた? ごめんね、ぼく、そういうのうまく感じとれなくって……」

「うるさいぞ、童! わしは齢70をこえる鬼ぞ! 確かにまだ若い部類ではあるが、お主といっしょにするでないっ!」


 先ほど置いてあった鏡をサキはとりあげると、懐から、朱色のおちょこを取りだした。

 鏡をてのひらにのせ、そっと鏡をすくう仕草をする。

 ……いや、鏡が水になってる……!!


「え、それ、どどどどうなってるの……?!」

「……これには驚くのか……おかしな奴だ」


 小さなおちょこのなかに、なみなみと注がれている水。

 そのなかを線を描くように赤い糸がゆらりとした。


「お主と契りを結ぶ」


 いうなり、サキはぐっとそれを飲みほした。


「……覚えておけ、童! わしはお主の願いを叶えてやる鬼ぞっ! える鬼と書いて、冴鬼さき。しかと覚えておけっ!!」

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