第17話 最終訓練と覚悟④
「強いのは目つきだけだな。体は震え、顔面蒼白で、今にも泣き出しそうな顔をしているのに」
静かな空間に落ちたのは、以外にも
なんだか申し訳なくなったところで、ふいに神荼さんの隣にいる
「まぁ、痛いですし、辛いですから。消化器系の毒も混じっているようなので、本当なら、げろげろに、吐きたいくらい、です。しゃべるのも、気持ち悪い。うげぇ」
「ならば、なぜそうしない」
「星斗様。私にも、自尊心はあります。そして、その我が儘のために、望ちゃんが今こうして、苦しみを、受けているのも、承知しています」
咳き込んだまま、望ちゃんを見る。
彼女の白くて細い腕には、なおも毒が塗られた刃先が押しつけられている。でも、大粒の涙を零す彼女は私しか見ていない。その白い腕から、ほつりほつりと最初に流れた赤黒い血が未だにつたっているにも関わらず、私だけを案じている。
「私、望ちゃんのこと、好きだよ? そんな望ちゃんに、私の我が儘、背負わせて、ごめん」
さっきは痛みは一瞬だなんて言ったが、望ちゃんだって痛みを全く感じない訳ではない。私が御守り役であることを内密に進めるために、私への痛覚転移に敢えてタイムラグを発生させていると連翹先生は言っていた。毒性が先に伝わってしまっているのは、私の力量不足ゆえ。
「我が儘なんて! わたくしの方が、なにも理解していなかった。いえ、わたくしはずるいのです。だって、本当は理解していたはずなのに。それは現実離れしていた存在だったから、わずかな罪悪感だけだった。でも、でも。朔にこんな――」
自分の肌を裂かれているのに、違う人が苦しむのを前にして、貴女が何も感じない人ではないのを知っているよ。
星斗との訓練中だって、望ちゃん自身は訓練には参加させてもらえなくても看病はしてくれたじゃない。
毒を飲まされて、痙攣して、妄言を口にする私を前に、貴女が胸を痛めているのに涙を堪えて背中を摩ってくれた。夜には声を押し殺して自分を責めていたのを知っている。
だからこそ、私は良いかなって思ったんだ。謝るのは私だよ。自分の心を満たすために立場を利用しているんだもの。
「わたくしは、甘やかされて育ってきました」
「そんなことは――」
否定したのはだれか。私だったかもしれない。
それでも、望ちゃんは涙に濡れた顔をまっすぐ私に向けてくれた。あぁ、そうだ。私は望ちゃんのこの強い眼差しに惚れ込んだのだ。
「朔よ。『大丈夫』や『そのようなことはない』と繰り返すだけなら、それこそ憑代人形と同じぞ」
「れっ連翹、先生?」
「あとは、己で考えろ。おぬしは人形ではなかろう。
声を出そうとして、けほっと血が飛び出た。
すっきりはしたが、次に喉を通った胃液らしきものに焼けるような痛みを感じた。何度も腹部が弾んで、黄色い液体が流れた。
「朔……わたくしは守られる存在だけれど。守られるしかないけども」
目の前で望ちゃんが顔を覆っている。私のすぐそばに腰を下ろし、着物の端が嘔吐物で汚れるのも気にしないで。
意識が
「どうか突き放さないで欲しいの。お願い。寄り添うことは、許して欲しいの」
あぁ、私に大丈夫以外の言葉を伝える術がないなんて思い違いだった。望ちゃんはこんなにも心内を見せてくれたのに。手を伸ばしてくれる人たちがいるのに。
私はもっとぶつけるべき言葉と感情を持っている。連翹先生の言う通り、人形になるために異界で生きていこうと決意したわけじゃない。
「私の、気持ちを、ただ音にするなら――」
慣れてないけど、私も向き直るべきなのだ。腹を括れ、定月 朔。
私は、お父さんに素直に感謝の言葉を伝えられなかった後悔を知っている。
それに、大切な人を作る恐れよりも、その壁を越えて手を伸ばしてくれる存在に向き合うべきだった。例え、その想いとすれ違って傷ついたとしても。
「きっと、望ちゃんを、傷つけるだけだと、思うよ?」
理解しながらも、防衛線を引いてしまう自分がいる。それでも、これが今の私の精一杯だ。
霞んだ視界の先にいる望ちゃんが煌めいたと思えた。幸福粒子が飛び出して香っているなんて、ぶっ飛んだ思考回路になっているあたり幻覚剤も混ざっているのか。
「いいの! それでも、いいのよ。わたくしは打たれ弱いから、落ち込んではしまうかもしれないけれど、貴女に距離を置かれるよりは断然嬉しいわ。いずれは、朔に八つ当たりしてやるんだから」
望ちゃんの明るい声で、不思議と胃の気持ち悪さは和らいだ。吐きそうな衝動は変わらなくても、不思議と毒素が抜けた気がした。
体を起こして零れる内臓からのものを支える。汚く伝う口横のものを拭って、しっかりと顔をあげる。
「私は、成り行きじゃなくって、自分で決めた。私は、望ちゃんが、すべてを想像できないのを、知った上で、この役目を、背負うことにしたの。だって、私には、自分以外の人の、覚悟なんて、必要なかったから」
与え続けられる苦痛に滝のような汗が流れる。汗を吸った中華ファンタジーな服はより重さを増している。べとべとして重いし気持ち悪い。
なのに、星斗は無遠慮に髪をかき回してくる。眩暈がするんですがと無言で睨み上げるが、割と真剣な眼差しを向けられた。
「たわけが。始まりのきかっけで言葉を切るな。間というのは使いようによっては武器になるが、この場では必要あるまい。ここにいるのはお前の心を知る必要があり、心に近づきたいと願う者ばかりだ」
言葉は優しいのに頭突きするのはひどいと思う。
「星斗様は、厳しくて、残酷でいて、それでいて、かつ、悲しいほどに優しいのですね。小娘に付け入れられないでしょうか、心の糧にはされますよ?」
「はぁ? 朔よ。お前の理論は破綻しているぞ。理屈が通ってなくとも、お前の心内がわかるように表現せよ」
至近距離で美形に凄まれる、物理的に汚くて臭いだろう自分を第三者視点から想像すると、割と死にたくなる絵面だ。
心に近づきたいは正直言いすぎだと思う。前者の方ならわかるけど……と、思うのに、頭では理解しているのに、さらに視界が歪んでしまう。あぁ、ある意味、心を弱くする毒だ。
「じゃあ、言いたい放題に、言わせてもらいますよ」
「えぇ!」
「あぁ」
覚悟の声色は男女様々だった。
そんな中、思考の隅では解析魔道と治癒魔道の術を発動しているから自分でも驚いてしまう。感情と思考が分離されている。そんな不思議な状態だ。
だから、明確に理解している。私が、ここで生きても良いって考えた理由。
「星斗、様が、最初に、一人で夜を過ごす術を、知っているのだなって、ただ、気づいてくれたから。出会って、すぐなのに」
自分でも、そんなことが理由かって突っ込みたくなる。
実際、御守り役を受け入れないといけない流れだったし、そこに乗った感は否めない。でも、私だってこの数か月間で自分と向き合ってこなかったわけじゃない。それをみんなに伝えるかは別として。
「何をしてくれたのでも、それ以外の、言葉をくれたのでも、ないけど。私の、真ん中に、気づいてくれる人がいて、嬉しかった。お父さんがいなくなって、ううん、なんなら生きていてくれた時も、ずっと、私でさえ目を逸らしたかった、私を見つけて、言葉にしてくれた」
はぁと熱い息が零れる。高揚感からではなくて、傷と毒由縁のものだ。
「それで、あの日、少しでも、貴方たちが、繕っていない、私っていう存在を、受け入れてくれたから」
あと、一言。大事なことを伝えないと失神もできない。
「自分で、決められたんです。やっと、決められたんです。だから、頑張ろうって、思えるんです」
自分の声がやけに耳に響いた。
こっこれで、別に受け入れたとかじゃないって否定されたらどうしようか。まっまぁ、自分が勝手に勘違いしていても嬉しいと感じことには間違いない。
視界がぼやけているから、みんなの反応がわからない。ただ、しんっとなっている中で、「朔」とだれかが呟いたのは届いた。
「はぁぁ。とは言っても、ぶっちゃけ、苦しいです。しんどいです。私、平凡女子ですから、なんで、普通の子が体験しないような、苦労しちゃってるんだろう、思わなくもないですよ」
正直、苦しすぎて発語もままならない。苦しい、辛い。痛い、気持ち悪い。表現力以上のしんどさが襲ってくる。
「されど、私はこう見えて、負けず嫌いなので。今だって、ただでは死にません。怨霊になって、とりつく、気概は見せたい、ところです」
「それは愉快だな」
星斗がはんと鼻先で笑った。しかも、ぐりぐりと額に指をあててくる。
あれっ? 星斗の仙功が触れたからだろうか。ちょっと体が楽になった気がする。
瞼をあげた先にいたのは、声と同じくニヤリと意地悪な笑みを浮かべている星斗だった。
「朔、お前が怨霊になるなら後宮を祟ってくれ。人外の祟りでどうにかなるなら、こちらとしても余計な労力をかけなくてすむからな」
この捻くれ公子め! まずはお前を祟ってやるぞ。
言い返したいが、けほりと咳が出るばかりだ。
「さっ朔が後宮の祟り神になるなら、わたくしが後宮を御しますわ! そして、わたくしも後宮の魔物と言われるようになります!」
まじめに両手をぐっと握った望ちゃん。涙で化粧が落ちても美少女だ。
望ちゃんに後宮の魔物になるとまで言わせては、黙っていられない。望ちゃんは天女がふさわしい。そして……私は応えたい。
「怨霊になっても構わない覚悟で、自分の意志で、御守り役に、なるって決めたんです‼」
ばんと音を立てて、自分の腿を叩く! 痺れる足はみっともなく震えている。でも、構わない。
体を起こして、回復術を発動させて右腕に掌をあてる。ぬるっとした鉄臭い匂いが鼻をつく。頭の片隅で、回復術を応用して浄化できないだろうかと思った。我ながら、この状況で良くファンタジーみたいになんて考えられたものだ。いや、むしろ体が極限状態だから、生きる術に繋がるならどんな知識でも利用してやれって脳細胞がフル活動しているのかもしれない。
「そうか。私は侍女として望ちゃんについていく訳だから、いつ何時も姿を隠して、痛みに耐えられる状況にはいられない。なら、御守り役としては、傷の回復と同時に、血や嘔吐物の匂いを消すことも必要なんじゃ……悟られないためには。となると、毒を消すだけじゃなくって、むしろソレを使ったり、薬草袋を持ち歩いて、仙功で――」
話をぶった切って、ぶつぶつ言い始めた私に周囲が『あっあれ?』という雰囲気に変わる。
望ちゃんと星斗は漫画みたいに脱力して、両側から顔を覗き込んできている。耳や頬を引っ張られている気配はするが、反応している場合じゃない。
ただ、連翹先生が一言、
「ほぅ」
と、やけに感心した声を発したのは良く届いた。
「望ちゃん、星斗様。ちょっとそのままにしていてください」
「なんだ、お前。急にしっかりとしゃべり始めたな」
一々反応を伝えていただくても大丈夫ですよ、星斗様。
まるっと無視した私に星斗様は珍しく頬を引きつらせ、望ちゃんは何度も頷いてくれた。
全身に注意を巡らせる。両手を合わせて、血液と体温の流れ
を把握。そこに紛れる仙気の奥にまで意識を潜らせろ。これまでは、仙気をまとめて形にするのにしか集中していなかった。毒が薬になるって知識はあっても、自分の体内で応用しようなんて発想は全くなかった!
「体内に風が吹いているみたい、いいよ、吹け吹け浄化の風よ。全部綺麗にしちゃえ!」
自分としては明瞭な言葉を紡いだつもりだった。
「朔よ、それは何語だ」
星斗に問われて、自分の口と指が勝手に動いているのを知る。指は印とやらを組んでいる。無意識でも、なぜかわかった。これが浄化の魔道であることが。
直後、まばゆい光が放たれたのち、優しい魔道の綿毛が生まれた。ほわほわと浮かぶそれは、私の汚物や血をさぁっと消していく。血なんかは、体に戻ったと思えるくらい楽になった。
「異界の御守り役じゃからな。浄化の魔道くらいお手の物じゃろうて」
「馬鹿な! これはただの回復術ではないぞ! 体内の毒はともかく、外に出た汚物や胃液まで浄化対象として認識するなど!」
至極冷静な連翹先生に反し、神荼さんが床を鳴らした。いつもながら神荼さんは常識のボーダーラインとしてありがたい。
汚物まで浄化は現代人ならの発想だろうか。軽くなった肩をぐるぐるとまわしてみる。腰を捻ってもすこぶる良好だ。
「はっ! 望ちゃんだよ、今は!」
「えっ? わっわたくし?」
軽くなった体で目の前の望ちゃんの手を掴む。床に着く裾からも、汚物は消えている。良かった。なんか桃みたいな甘くて、杏子っぽい酸っぱさが充満している。
連翹先生、神荼さん、郁塁さんの三人でわいわい話している。その脇で望ちゃんと星斗は私のそばにいてくれる。不思議な空間だ。
「そうだよ、望ちゃん! ごめんね! 同志なんて、笑いながら、一方的に、私の考えを、押し付けてた! ごめん、そして、ごめん!」
「いっいえ。朔、謝りすぎ――」
「私、人に心配されるの、慣れていなくて。失望される前に、離れていた」
見れば、望ちゃんの胸の鮮やかな着物が裂けていた。私は腕にばっかり注目していたが、私がうだうだ言っている間にも、望ちゃんの胸に刃は突きつけられていたようだ。私の胸元から赤いものが流れ落ちた。
私の痛みだと思うと治癒はおろそかになる。でも望ちゃんのものだと思うと、私が意外の大切な人が傷つくかと思うと、さっと治してやるって意地わく。
「どう⁉」
「はい、朔。まったく痛みを感じませんわ」
望ちゃんが天女の笑みを浮かべてくれた。隣の星斗が霞むほどの。
「神荼はともかく、御守り役としては合格じゃ」
神荼さんと郁塁さんの顔面を押えている連翹先生。すごい絵面。ナイスバディの連翹先生が、両手を各男性に被せて地面にめり込ませているって。仙気って制御次第では武将にも勝てるのか。
両手を挙げた直後、猛烈な眩暈に襲われた。あれだ。テンション上がりすぎて電池切れた子どもみたい。
「きゃあ、朔!」
「だっ大丈夫。ちょっと、二刻くらい寝たら、起き上がれる気がする」
望ちゃんの悲鳴と、私を抱き上げる星斗の腕。
それを感じて、気を失った。
そして、私は清 望の侍女として後宮に上がったのだった。
世紀の大事件の反逆者。その首謀者の一人として。
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