第16話 最終訓練と覚悟③
「なっ! わたくし、聞いていませんわ!」
声をあげて立ち上がったのは
すぐさま我に返り両手を上下に振る。どーどー、落ち着いてと。
「大丈夫だよ、望ちゃん。屋敷内は安全だもん。うつってきた痛みは、爪先を段差にぶつけたとか、髪を引っかけて頭皮引っ張られたとか、そんな程度だったから」
嘘ではない。この一ヵ月の御守り力発動は、私が常時術を発動し続けるのが目的だった。
望ちゃんを動揺させるなんて、
「私が常時御守り力を発動する訓練だったから、たいした危険がないのは承知済みだったよ?」
個人的には、不意打ちの痛みを受けても、笑顔を浮かべ続ける訓練になって良かった。
とはいえ、私は知ってしまっている。望ちゃんが、こんな言い訳を受け入れるような子ではないことを。
「――全然っ、大丈夫ではないですわ‼ どうして、教えてくれなかったの!」
望ちゃんの叫びが蔵中に響き渡った。おっおう。まるで頭上で鐘が打ち鳴らされた感じ位のダメージはあったよ。
こちらに駆け寄ろうとした望ちゃんは、侍女さんたちに引き留められている。負けずに色々言ってくるが、私には「大丈夫だ」とバカの一つ覚えで伝える以外の術はない。困ってしまう。
「朔よ、お主は随分と成長していたようじゃな。
「お褒めいただき光栄ですが……神荼さんですか?」
確かに、神荼さんなら望ちゃんのちょっとした動作にも敏感かもね。でも、星斗付きの彼は常に望ちゃんの傍にいるわけではない。
首を傾げると、神荼さんはこれでもかという恐ろしい形相で歯を食いしばった。それを見て、連翹先生はとんでもなく意地の悪い笑みを浮かべた。
「あぁ。朔の
「黙れ! 違う‼ あの方と同じはずがない‼ あの方は俺の目の前で……俺の手から――」
怒号が鳴り響き、空気がびりっと肌を痺れさせた。声に力があるというのは本当らしい。
望ちゃんはぺたりと椅子に座り込んでしまい、侍女二人は泣き出している。ついでに、
「相変わらずバカでかい声じゃのう。そのうじうじも、幼い頃から変わらぬ」
唯一、平然としているのは連翹先生だ。自分が怒らせたにも関わらず、
「はぁ。
と耳をほじっている。
繊細さが感じられません、連翹先生。耳垢を吹き飛ばさないでください。
「神荼様。私が謝罪するのは違うと思いますが、ひとまず落ち着いていただけるなら謝ります。大切な方が、貴方が敵意バリバリな私に似ているなど言われてしまって、なんかすいません」
陣からは出られないので、袖をあわせてぺこりと頭を下げる。我ながら、後半部分はいらなかったと思う。困ったことに、星斗のせいで煽り癖がついてしまったようだ。
顔をあげると、何故かあっけにとられている神荼さんがいた。敷物から立ち上がったまま、愉快なポーズで固まっている。
「それに貴方がそのような怖い顔をされていたら、望ちゃんが怯えてしまいますよ? 自分のさだめにも嘆かず、精一杯に頑張る彼女の決意を折らないでくださいね?」
私の言葉に、望ちゃんは健気にも大きく頭を横に振った。声が出せないくらいびびっているのに、可愛いなぁ。本当に健気だ。素直に、そう思う。
可愛いだけじゃない。私はこの気丈な年下の女の子に、確かに憧れている。この半年間、一緒に生活してきて、彼女の向上心と重い運命を背負う覚悟を傍で見てきた。
「……すまなかった」
「いえ、こちらこそ、すいません。私よりも神荼さんの方が望ちゃんの覚悟を知っているのを承知の上で、生意気言いました」
たははと後頭部を撫でると、神荼さんはさらに大きな背中を丸めてしまった。
本当にどうしちゃったの⁉ 私はMではないけど、神荼さんのまっすぐな不信感は割とやる気の元なんだけどなぁ。
「違うのだ。本当に、すまない。お前が悪いわけではない。己が心のために、お前を傷つけてしまっていること、申し訳ない。連翹の言うように、俺はいつまでも精神が未熟だ」
「あっ、いえ、こちらこそ本当に気にしていないので! 事情はわかりませんが、人の傷に塩を刷り込むような連翹先生が悪いのですから!」
両手を振ってフォローするものの、何故か神荼さんはさらに落ち込んでしまった。
「つけ入れられる隙がある俺が悪いのだ」
「えーと、凡人の意見ですが! 隙があるのが普通です。だから、やっぱり、弱みをからかう人の方が悪いと思います! まだ政治的戦略に利用するならわかりますが、ただのからかい目的は私も許せません!」
小娘に庇われたからだろうか。神荼さんはさらに闇を背負う。挙句の果てに、顔を両手で覆って敷物に尻を戻してしまった。
これはもう、何を言っても無駄だな。というわけで、制止の標的を連翹先生に変えることにした。
「連翹先生。まじめな神荼さんをいじるのは止めて! お鬚が立派な大の男性が項垂れるのは見るに堪えない!」
振り返って連翹先生に拳を向ける。はっ! 同様のあまり、敬語が抜けた。
てっきり無礼だと煙管の煙を吹きかけられると思ったのに……連翹先生は動きを止めてしまった。あからさまに固まって私を見つめてくる。
みんなして、さっきから何なのだ。むずむずしてしょうがない。そして、苦しい。掴んだ胸が痛む。
「連翹先生!」
「うっうむ」
冷たい空気が肺を凍らせる。白い息が溢れる空間に、掠れた声が響く。
「連翹先生、とりあえずちゃちゃっと実演を進めていただけますでしょうか。望ちゃんも私も、他の支度もございます」
って、おい。まっとうな反応を返した神荼さんと連翹先生はともかく、郁塁さんはどうしてがっかりと肩を落とすのか。なにやら、もうちょっと刺激をとか聞こえたけど。
「そうじゃな」
連翹先生がぱんと両掌を鳴らすと、僕獣のウサギさんたちが物騒な物を抱えて姿を現した。きゅるんとした赤い瞳ともふもふの毛並みとのギャップが怖い。
いやいや、ウサギさんたち。ジャジャジャーン! じゃないよ。手に持った剣以外の、身に着けたマント内側の様々な道具をお披露目しないで。
「ではまず、麻痺の毒針を。朔よ。おぬしは苦痛と災い代理によって溢れる仙功を、毛ほども漏らさぬように」
「はい!」
連翹先生の命に短く答え、胸元にぶら下げている水晶を握りしめる。
水晶は穢れを払う。私に流れ込んでくる痛みも緩和してくれる魔道具だ。軽い苦痛なら魔道具に流し込める。しかも水晶自体は一般的な御守りなので、身につけていても怪しまれない優れものだ。
連翹先生の合図で、望ちゃんの真っ白な細い腕に針が刺される。
「望嬢、どうじゃ?」
「えぇ。痛みも痺れもありません」
望の返答とは反対、私の腕にはちくりとした痛みが走る。そして毒による手先の痺れを感じる。
それらを水晶に流し込む。透明な石の中に、わずかに黒い煙が生まれる。予定だともうちょっと灰色に近い色を流すはずだった。ここまで濃い色になるなんて、私の力量不足だ。
私が反省する間も、望への負荷は強まっていく。
しっぺ、お灸、鞭、棘、硫酸、小刀、諸々と来て――最後は剣が掲げられた。
さすがに侍女さんや家人の方には無理だろうと、ウサギさんたちが剣を持っている。
さすがに望ちゃんも侍女たちも息を飲んで震えてしまっている。
私だってすごく怖い。程度にもよるが、さすがに剣傷までくれば傷口自体も移るのはお試し済みだ。なによりも視覚的な要素は精神にもくる。星斗との訓練では数日は寝込み、嘔吐を繰り返したものだ。
けれど、今は実際に刃物を向けられている望ちゃんの方が心配だ。戦場を何度も経験している星斗ならまだしも……切りあいとは無縁な望ちゃんは、敵意はなくとも剣先を突きつけられること自体が恐怖だろう。
「望ちゃん、大丈夫だよ。傷も一瞬で私にうつるから。私にうつった傷も、切断までいかなければ、深くてもせいぜい三日あれば消えるし」
傷の回復については、星斗との訓練で証明済みだ。さすがに切断はしてないので、見極めの結果からだけど。
「今日は強い神経毒と、接触した局部の細胞に作用し凝固や崩壊、壊疽を起こす腐食毒も混ぜておる」
連翹先生は私のフォローの言葉を丸っと無視して、小瓶を浮かせた。毒草を液状化したものだ。
色は桃色で香も桃の甘さがあって可愛いが、先生のことだから毒性は全く可愛くないに違いない。
「あと呼吸器への影響があるか。おぬしは呼吸器系が弱いが、量を調整しておるから半刻後には目を覚ませるじゃろう」
「麻痺性はともかく、窒息性のはあまり好きじゃないんですが」
お父さんを亡くした直後、何度か過呼吸に陥ることがあった。元から呼吸器系が丈夫ではないので、精神的な弱りがそこに出ることが多かったのだ。
一方、麻痺は割と苦痛じゃない。体が動かないのは困るが、あれはある意味くせになる。
「望ちゃんってば心配しないでよ。御守り役として、痛みのえり好みはしないよ。私、元から痛みに鈍いし」
安堵させるために笑ったのに、望ちゃんは大粒の涙を零して嗚咽を共に蹲ってしまった。星斗もみんな、連翹先生と私以外は今にも泣きそうだ。
容赦なく、望ちゃんの細腕に剣が振り下ろされる。
視界が赤く染まったのは一瞬、数秒後に焼けるような痛みに襲われた。実際に私の右腕がぱっくりと裂けて皮下の肉が露わになっている。出血がないのは上手く仙功をコントロールできている証だ。
「はっ、あぁ、くは」
喜ぶ暇はない。視覚効果による眩暈が襲ってくる。呼吸の乱れと毒効果でうずくまってしまう。解毒のために、仙功を使って毒分析を開始する。脳裏に浮かんだ毒草に対処できる解毒魔道を展開。あのキノコの毒を使っているな。っていうか、猛毒じゃないか!
痛みで床に突っ伏してしまってはいるが、思考はすこぶる明瞭だ。
「朔、お前」
「――っ。星斗様。私は自分の意志で、自分が生きるために、この役目についているんです」
本当は怖い。とてつもなく怖いよ。人が受けた傷をなんで私が背負わなきゃいけないのとも思う。しかも危険に晒されること確定な二人分も。今でも地を這う苦痛を伴っているのに、これ以上の裂孔を受ける日が来るのかと思うと怖くてしょうがない。
なのに、喜びも感じてしまうのも本当なのだ。必要とされていると思ってしまう。
それは瞬時にとんでもない罪悪感へと姿を変える。他のだれでもない。もういないお父さんに失望されないかって。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます