第15話 最終訓練と覚悟②

「望ちゃんで心配な点があるとすれば、私が異世界に来てしまったことに直接関係している訳でもなく夢に視ただけなのに、責任を感じている優しすぎるところです。望ちゃんは、星斗様くらい腹黒くなるべきですね」

「望が腹黒く、か。あの、昔から貴族の令嬢らしからぬ猪突猛進なが」


 くはっと笑い声を立てた星斗は、とても幼く感じられた。初めて年相応かそれよりも下に見えた。口を覆って笑い続ける姿に、思わず――見惚れてしまった。なんか胸のあたりがすごくきゅうってしぼんでるし。こっそり掴んでみても『きゅうぅ』は続く。なんだこれ。動悸が乱れ狂い。

 わっ私、おかしいぞ。綺麗な公子にではなく、子どもっぽさに動揺するとか。


「失礼いたしました。望ちゃんがあの美貌と賢明さに加えて腹黒さを持ってしまったら、皇后が傾国の美女コースですね」


 女帝でもいけるんじゃない? とはさすがに言葉にしなかった。

 まぁ、皇后発言もだいぶギリギリだと思うよ。清家の屋敷内だし有りってことで。うん、ついツルっと口が滑ってしまって冷や汗すごいけど、間違ったことは言っていない。


「朔の腹のうちなど見通しているぞ。それに、俺も望の才は評価している」


 誇らしげに顎を撫でた星斗。お兄ちゃんがいたら、妹を自慢する時はこんな感じなのだろうか。うらやましい。

 帝が望ちゃんを望んでからは、さすがに声高な貴族は減ったらしいものの、第三公子派の中には望ちゃんを星斗の妃に押す意見も強かったらしい。さもありなん。


「問題があるとすれば、あの子は高潔で優しすぎるところだ」


 横に並んだ星斗が、ぽつりと呟いた。

 寂し気、と表現してしまえばソレまでだろう。でも、違う。そんな単純な感情じゃないと思うのだ。悲しいかな。私は彼の思いの深さを慮れるほど、人生経験が深くない。


「あとは、完璧すぎて他の妃に嫉妬されないかだな。清家の娘として、当たり前に最高の教育を受けてきたと」

「後宮は美しい獣が住まう魔窟まくつと聞きます」


 後宮や大奥のドラマ、それにここに来てからの教育で耳にしたことしかないが、一人の男こうていの寵愛が絡んだ女の園なんて恐怖しかない。しかも政治の頂点の愛情だ。

 私……生き残れるかなぁ。望ちゃんの侍女として。


「大袈裟だと鼻先で笑えぬから恐ろしい。あやつらは見た目は仙女のごとく麗しいが、中身は蜘蛛の糸よりも粘着質で猛毒草よりも毒々しい」

「星斗様、それは毒草に失礼です」


 この世界に来て、薬草やら茶葉を好きになった。毒草だって使いそうによっては麻酔みたいな薬になるのだ。人を毒すしかないような人と比較されるのは忌々しい。


「毒草は自分の身を守るために毒を持っていますが、彼女たちは自ら周囲の花を枯らしにかかるのですから」

「ほぅ、言うようになったな。ここに来たばかりの頃は、皆色んな事情があるんですよとか喚いていたのにな」

「もちろん、己の身を守るために敢えて毒花になっている方もいらっしゃるのでしょうが……」


 ぐっと拳を握る。

 それと星斗の理論とは別のお話だ!


「望ちゃんを貶めるような人は許しません! 望ちゃんのすごいところは、いっぱいあります。でも、彼女の努力は当たり前なんて一言で片づけて良いものじゃない。望ちゃんは、ちゃんと自分が恵まれているのを承知のうえ、与えられるもの以上のものを得るために先を視ている子だもの」


 私が持つのは、御守り役なんて得体の知れない能力と、この世界の人とは違う価値観。それこそ甘っちょろいと一笑されてもしょうがない。

 だから、言いたい。それを受け止めてくれる星斗には。何よりも、星斗にとっても望ちゃんは大事な人だ。弱っちいけど、ちゃんと彼女のすごいところを知っている味方もいるんだって、知っておいて欲しい。


「あの子は高潔で優しすぎるけれど、切り捨てることを知り、その苦さを背負っていく覚悟があります。いえ、今は覚悟が足りなくてもいずれは必ず。そんな望ちゃんだからこそ、私も力になりたいのです」


 足を止めて星斗を見上げる。

 目が合ってしばらく、星斗は呆然と私を見下ろしていた。いや、見下ろしていたというか、どこか遠くから眺めていたというか。視線が彷徨って、なぜかべしべしと額を叩かれた。大きな手は、いつもより触れ方が柔らかい気がする。


「お前の望贔屓びいきは聞き飽きている気がするのだが?」


 ならもっと早く反応しろ。と、心の中で罵った私は悪くないと思うのだ。

 星斗の腕を掴んで、ぺいっと捨てる。


「望ちゃんの覚悟は、私の虚勢の大丈夫とは違う本物ですよ。自分をもっているだけじゃなくて、周囲に感謝もできるし、視野も広いから。なにより、星斗様たちがついています。私も、衣食住のご恩義分くらいは働いて見せます」


 むんと二の腕を掴んで力こぶをつくる。体力作りのためと理由をつけて庭園作りやら侍女さんたちのお手伝いをしてきた成果だ。

 元来筋肉が付きにくい体質だったけど、この世界に来てからはかなり体作りが順調な気がする。重力の違いでもあるのか、かなり体が軽い。


「俺は朔の覚悟も偽物だと思ったことはない。最初から」


 であるのに、星斗は人の空元気な努力を無下にするように、真面目な面持ちを作った。芯から熱くなって、苦しい。ほぅっと落ちる息が詰まる。

 まっすぐな視線が射抜いてきて――ちくりと体のどこかが痛んだ。


「ありがとう、ございます」


 ぽろりと零れた音。己の指で触れた頬も綻んでいるとわかった。泣きそうになって、瞼を擦ってしまう。真剣な声が嫌だと思った。喉が熱くてしょうがない。

 星斗が急に踏み込んできたせいだ。この人、こんなことが時々あるから怖い。軽くからかってくるのに、ふいに土足で、反するように、やんわりと踏み込んでくる。


「素直なお前は気持ち悪いな」

「へぇへぇ、すみませんね。馴れ馴れしくて」

「そんなことは言っておらん。朔はそのままでいろという意味だ」


 であるのに、星斗はこちらが歩み寄るとすぐさま壁を作るのだ。とても難しい人だと思う。自分から触れてくるくせに、こっちが人間くさい反応をすると逃げる。

 面倒くさいけれど、嫌いにはなれない。それでも、私も近づく勇気もないから、同じ距離感で接することしか出来ない。だれよりも、私が臆病だからだろう。


「星斗様も常人なみには、罪悪感を抱くのですね」


 私が彼の望む回答を返せば、星斗はわかりやすく嬉しそうな、かつ、嫌味な笑みを浮かべた。

 わかりやすすぎるよ。まじで。

 第三公子、しっかりしろ。望ちゃん絡みで素が出ているのもわかるが、この人、本当にやり手なのだろうか。


「はい、着きました」

「本当にここだったのだな」


 目的地に着いた途端、星斗は紫の瞳を曇らせた。表情筋は公子の時のままなのに。

 もやもやと黒い感情が沸き上がる。


「今日、何を望ちゃんに見せて、私の身をいくど落とすかご存じでしょうに。ある意味、私が『御守り役』の最終試験でもありますし」


 そう。今日は『御守り役』の訓練最終日だ。

 ずっと訓練に付き合ってくれていた星斗はもちろんのこと、望ちゃんや神荼さん、それに郁塁さんが初めて見学にくるのだ。

 何がショックだったのか。星斗が瞳をつぶして、あからさまに顔を背けた。本当に腹立たしい。

 わかっている。頭では理解しているのだ。彼は望ちゃんが傷つく奥に私がいるから、気に病んでいると。彼は心を痛めない人間じゃないって。


「星斗様が、そのような顔をするいわれはありませんし、するべきではないでしょうに」

「第三公子の俺に、表情についてまで苦言を呈すか」


 連翹先生がおっしゃっていたっけ。現在の『御守り役』は、せいぜい魔道で一時的に痛みを自分に移したり、毒の解析ができる程度。

 だが、本来は守護の対象となる方の災厄を身に受けるものという伝説の存在だと。そう、伝説なのだ。だからこそ、本当の御守り役の許容範囲なんて誰も知らない。本番を迎えるために、実験は必要だ。ここで失敗して私が死んでしまっても、国の闇を暴くための手段は同時進行でいくつも用意しているだろう。


「そのようなこと、どうでもいいのだ」


 自分の世界に入りかけていると、星斗に頬を撫でられた。ぶへっと頬をつぶされてもおかしくない状況だが、彼は両手で頬を撫でてきたのだ。やめて欲しい。本当にやめて欲しい。

 子どもをあやす手つきに、思いっきり頭を振って弾け飛ばす。


「星斗様、お戯れを」


 離れのさらに奥の建物の青銅の扉を前に立つ。

 後ろから静かについてきていた花穂様は、呆然と大きな青銅製のみたいな蔵を見上げた。そして、徐々に顔面蒼白になっていく。

 性格の悪い私は、してやったりと思わずにんまり笑ってしまった。そして、すぐに落ち込んでしまう。違う。私は誰かを不幸にしたくて御守り役を担ったのではない。だって、すべては自分を守るために引き受けたのだから。


「よいせっと。先日の豪雨のせいか、少々錆びているようですね。おーい、神荼さまー! 内側から引いてくださいよ――って、おっと!」


 背中に熱を感じて振り向くと、星斗が苦々しい顔で扉を押していた。目が合い、なぜか責められている気がした。睨まれているのに、どうしてか嬉しかった。

 星斗が口を開く前に、蔵の中でりーんと耳に心地よい鈴が鳴る。お父さんと行った日光東照宮で買って貰った鈴と同じ音。すごく澄んで、しゃらんとも聞こえる。


「朔よ、少々遅刻じゃな」


 仏像みたいな大きな木像の前にいるのは、スリット付きのセクシー中華衣装に長い衣を見つけている連翹先生。

 胸元がはだけているので、盛りあがっている胸が惜しげもなく空気に晒されている。煙管を持っている指さえ色っぽく、銀髪を肩に流している姿は妖艶ようえんと表現するしかない。


「はいっ。申し訳ございません。こちらの某第三公子に足止めをくらいました。私は書庫から自分の部屋に戻らずに、真っすぐこちらへ向かってきたのですが」

「朔よ、遅刻を公子の責にするとは――良い判断じゃ。お前にはそれほどの価値があると心得よ」


 先生の赤い唇がさらに鮮やかになる。連翹先生には、初めこそ戸惑いはあったものの、元の世界に近い価値観を持っているのもありすぐに打ち解けた。

 先生ことお師匠様の仙功はすさまじい。さすがの星斗も太刀打ちもできないらしく、珍しく口答えもせずに大人しく片膝をつき頭を垂れた。仙女様すごい。


「さて。若者とのじゃれあいは憩いとなるが、今日はソウも言ってはおられぬな。我が弟子である朔が、いよいよ数日後より望と星斗の『御守り役』として後宮に乗り込む」


 師匠の楽しそうな声は弟子を案じるものではなく、心底楽しそうなものだ。

 そういう方ですよねぇ、なんて宙を見て聞いていると、隣の椅子に腰掛けている望ちゃんが膝を握った。その手は震えている。望ちゃんは最初から、私を御守り役にすることに躊躇ちゅうちょしていたところがある。


「望ちゃんが痛いのは一瞬だから」


 彼女の手に自分のそれを重ねる。とても小さくて華奢きゃしゃだった。なめらかで、ちょっとでも強く捻れば折れてしまいそうなくらいだ。


「心得ております。朔。貴女だけに、苦痛を与えるようなことしないわ!」

「望よ。そなたの考え方が、そもそも間違っておるのじゃ」


 連翹先生の凍てつくような声に、望ちゃんの顔が驚きをのせてあげられた。

 神荼さんと郁塁さんが、星斗と望ちゃんを庇うように立ち上る。みんなして両腕を広げた。


「ほんにおぬしらは望嬢に甘い。ただの脅迫ではない」


 連翹先生は頭を掻き、隣に置いてあったひょうたんを煽った。

 中身はとても良いお酒で二日酔いをしない仙桃酒らしい。仙女には水みたいなものだと連翹先生は笑っていたっけ。とはいえ、お師匠様の頬は桃色に染まっている。まさかチークではあるまい。


「まぁ、実際見せた方が早い。朔、そこな陣の中央に座れ」

「酔っ払っていらっしゃるとはいえ、お手柔らかにお願いいたしますね。最初から飛ばさないでくださいよ?」


 失神する程の痛みと回復術が間に合わないような傷は、勘弁してくださいね。という、続きを目線に混ぜる。あと汚い奴もですよ。戦場なれしているらしい男性陣はともかく、望ちゃんには見せたくない。

 最終的にはやるとこまでやるんだけど、心の準備って大事じゃないか。


「あっ、うん、あぁ、わかっておる」


 連翹先生は絶対に私が言わんとしていることを理解しているはずなのに、面倒くさそうに欠伸交じりの返答をしただけだった。

 一方、望ちゃんから離れた星斗が、陣に歩み寄り顎を撫でた。


「この陣はどういったものなのだ? 俺が知っている結界魔道とは少々違うもののようだが」

「星斗様、あれは仙女・仙人だけが使役できる高度な結界ですよ」


 星斗の疑問に答えたのは郁塁さんだった。そういえば、郁塁さんはいつものチャラい感じは影をひそめて、連翹先生をずっと睨んでいる。なぜだ。

 星斗は星斗で、一瞬だけ眉をひそめたものの、すぐさまはっとして私に視線を向けてきた。


「『御守り役』を実演する間、回復により朔の仙功がだだもれになっては困るからのう。こやつはまだ、己が身体より漏れる仙功の調整がままならぬ。実験で敵さんに勘づかれては困るだろう」

「私自身の心配ではないのですね。お師匠さま」

「当たり前じゃろうが。ほれ、朔よ」


 脱力したいところだが、素直に連翹先生の呼びかけに頷き、足取り重く蔵の中心にある陣に腰を落ち着ける。鮮やかな朱色のインクで形作られている円。仙人用語という、意味のわからない記号のような言葉が何層もの円で絵が描かれている。

 姿勢を整えて前を見据えると、文字から朱色の光柱が立ち上った。


「では――本日は小さな傷から始めるとするか。まずは、針からじゃな」

「待て。『御守り役』発動の祝詞は唱えないのか? いや、まさかすでにこいつに常時術を発動させているのではあるまいな」


 まさかの神荼さんからのストップがかかった。

 この中で一番、望ちゃんのことしか考えていなくて、私に敵意さえ抱いているような神荼さんだ。当然望ちゃんの心配をしたんだろうけれど、まさかの私の負担も考えてくれたのか?

 なんでだと大混乱の私を余所に、一人冷静な連翹先生が鼻先で笑った。


「なにを今更。後宮に入れば常時発動するのじゃ。二月ふたつき前より、朔望月の半分程度14日ほど、当月は毎日、術発動の制御もかねてかけっぱなしぞ」


 朔望月とは新月から次の新月、または満月から次の満月までの期間を示す言葉だ。今回でいうなら新月の方だ。

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