第14話 最終訓練と覚悟①
「朔様、どうかなさいましたか?」
目が合った花穂さんが柔和な雰囲気を崩して、眉間に皺を寄せた。私の頭を撫でていた手を下ろし、近くを通った使用人に声をかける。人払いのようだ。
ここは清家の屋敷の中でも極一部の人間だけが立ち入る場所だ。そこで人払いをしなければならない程、私は相当ひどい顔をしているのだろう。
「例の修行で出来た頭の傷にでも、私は触れてしまったのでしょうか」
「花穂様、申し訳ございません。貴方は何も……ただ私の問題なだけです」
私は父子家庭で親戚もいない。だからという訳じゃないが、私にとってお父さんはお母さんでもあった。抱きしめて、手をつないで、頭を撫でて。色んな触れ合いを当たり前だと思うくらい、自然にくれた。
小学校高学年にはちょっと反抗期があったかもだけれど、それを過ぎてしまえば父親と仲が良くてダサいとか言われても、大好きな親と仲が良くて何が悪いと言い返せる図太い人間にはなれた。
お父さんは良く頭を撫でて手を握ってくれた。優しい感触とぬくい体温が大好きだった。もしかしたら、お母さんがいる人はソレを母から受けるのかもしれない。
ちょっとしたことでも、すごく褒めてくれた。
その反面、寛大なくせに小さな不作法で凄く怒られた。友だちが許されたことも、自分だけ怒られてるのは嫌だったな。
お父さんはその分も意識して与えてくれていたと思う。
高学年の短い反抗期。無理やり気味に家に押しかけてきた部下のお姉さんとお兄さんが、そう教えてくれた。最初はただのお父さんの味方かと思いきや、お父さんのドジ話を聞かされ私が反論したところからの、娘さんのろけばかりだと聞かされた。
今なら諸々、私を懐柔する完全なる策略だとわかる。けれど、今や夫婦となった二人は、父のそんな話をしながら、私の髪を結ってくれたり頬を撫でてくれたっけ。べろべろになってうちに泊まったが、そんな風にまでしてくれる人は稀だ。
えぇっと、なんだっけ。そうそう、スキンシップの話だ。
「自分からねだっておいて、変ですよね」
「いえ、私はご無礼を働いたのでないのなら、かまわないのです。けれど――」
「もちろんです。これは朔個人としての感情ですから。花穂様が気に病まれることはなにもありません」
引きつった笑みを浮かべると、花穂さんが困ったように眉尻を下げた。
この世界の人は不思議だ。普段から人と距離をとるくせに、こちらが弱っているのを見せると戸惑う。それが御守役への引け目だともわかるから、小娘の私はどうしていいのかわからなくなる。彼らも、それを利用できるような大人の私ならもう少しやりやすかったと思ってしまう。私自身、一体だれの味方なんだかって話だ。
「大丈夫なんです。気にしないでください。かまわないで、ください」
距離感のある触れ合いなんて中途半端なものをしてしまったのがいけなかった。
色んな感情が込み上げてきて止まらなくなってしまう。
静かに深呼吸をして息を整える。考えろ。この世界にきて、あのまま馬鹿な金持ち息子に暴力で押さえられていた先を。人に触れていないのがなんだ。
逆説的に唱えて、笑った。
「こう見えて、私、自分を言いくるめるのは得意なんです。望ちゃんたちには内緒ですが」
飢えていない。干からびていない。毎日清潔さも保てている。
お父さんの味付けが恋しいけれど、ご飯が美味しい。たまになら、料理もさせてもらえる。屋敷の中には料理は卑しい人がするものだと叱る人もいるけれど、望ちゃんも星斗もちょっかいを出しながらも、台所を覗いては一緒に卓を囲んでくれる。
星斗は、
だからこそ、今、ここにいない私を想像しろ。あの馬鹿息子に――犯されて、ぼろぼろになっても死ねなくて、売られてもっとひどめにあっていただろう自分を思い浮かべろ。
「花穂様、どうか必要以上に私に近づかないでください。貴方のためになりません。これで私が随分と面倒くさい人間だとおわかりになったでしょ?」
「それは警告でしょうか」
「はい。そうです。警告です。忠告です。わざとです」
背を伸ばして頬に触れる長い髪を指に絡める。私だって花穂さんを遠のけたいなんて思っていない。利害関係にあったとしても、できれば交流を持ちたい。けれど、花穂さんにとって私はプラスにはならないだろう。
「随分と参考になりそうなご意見ですね」
花穂さんは、ふぅっと一息はいた。もちろん誤魔化せてなどいないとわかる。それでも、花穂さんが意見することがはない。若干気まずくなって視線を逸らしてしまった。
私の考えを証明するように、花穂さんは片裾をそっと廊下の奥に流した。
「朔様、そろそろ
能面に戻った花穂さんが軽く頭を垂れた。糸目の能面だ。
私は片膝を引いて膝丈の裾を軽く上げる。
「良いのです。連翹先生は早く着けばソレに対して己の時間を削るなと怒る偏屈ですから」
本を抱え直し、顔をあげる。ちゃんと笑顔を浮かべられていたと思う。嘘はついていないし。連翹先生はとても偏屈だ。偉ぶる癖に人を優先するところもあって、大人なのに少女みたいな面もある。
ともかく、私は事実を述べただけ。であるのに、目があった花穂様は気まずげに頬を掻いた。
「朔様」
「はい?」
名前だけを呼ばれて、思わず訝しげな返事をしてしまった。心の中でだけ、しまったと舌を打ち、花穂さんを見上げる。
すると、花穂さんはさらに目を細めてしまった。
「いえ。後宮入りの侍女としての教育がしっかり身についている返答だと、感心してしまったのです。ただ――」
「はい?」
「ただ、あまり模範的にはなられないように。貴女は他の侍女とは違うのですから」
あぁ、はい。理解しました。おっけい、おっけい。大丈夫だよ。
私はなんたって国の陰謀を暴く星斗一派の主要人物の傷と代わりに受ける『御守り役』だ。他の女性と同じようになっては臨機応変に対応できないし、権力に刃向かうこともできないもんね。私の星斗への横暴な態度が許されているのも、そういうしがらみが故にっていうのはちゃんと理解しているよ。
「御意」
おどけて礼をとると、花穂さんは本気で戸惑ってしまった。
「おい! お前ら、俺を待たせるなど、どういう了見だ!」
あっ。しまった。調子に乗って花穂さんに絡んだからだろう。長廊下の曲がり角で止まっている星斗が黒いオーラはぶっ放しながらこちらを睨みつけている。
というか、今頃になって不満をぶつけてくるなんて。星斗はわざわざ戻ってきたのだろうか。
構って欲しい子猫が毛を逆立てているような星斗が、やけに可愛く見えた。
「星斗様があんな風に声を荒げるのは、この屋敷でだけですよ」
が、可愛い思ったことを反省したよ。
隣で引き続き戸惑っている花穂さんが、なんだかかわいそうになってきた。私一人がお気楽思考で申し訳ない。
「星斗様、相当『ストレス』が溜まっていらっしゃるんですね。だから、八つ当たりしても政治的影響もない私に、公子としての聡明さを消して突っかかってくるんでしょうね」
うんうんと頷いてしまう。半分は自分を言い聞かせる呟きだったのだが、真面目な花穂さんは瞬きを繰り返した。恐らくもなにも、ストレスという単語が通じなかったのだろう。
片言でも通じたこの世界だが、何故だか横文字は上手く翻訳されないことが多くて地味に困る。だって横文字は横文字だ。ニュアンスで察して欲しいと思うのは贅沢なんだろうか。いや、贅沢なんだろう。
思い直して、花穂さんに耳打ちする。
「この状況に照らし合わせるなら、星斗様が苛々しているという意味です」
「なるほど。星斗様は、朔様が他の者に構われているのが気にくわないのです」
何をおっしゃっているんだ、花穂さんは。そーいうことじゃないよ。私が言っているのは。どう考えても、自分の付き人である花穂に私が絡んでいるのが気にくわないんでしょうが。
この方、天然たらしにも程がありすぎるぞ。大丈夫か。
「あの、朔様。そのひどく残念な者を見上げる視線をやめていただけると、私の心が平穏を保てるのですが」
「はいっ! いえ、あの……はい、すみません。心の内が出過ぎました。だってだれがどう考えても、構われて星斗様が気に食わないのは花穂様ですもん」
ここは潔くきっぱり謝罪すべきところだよね。
すると花穂さんが、げんなりと項垂れてしまった。なぜだ。
「おい、朔! 至急、俺の前に来い」
耳がきーんとなるほどの大声で呼ばれ、ぴょっと体が浮いた。人の体って案外リアルに飛び上がるよね。漫画みたいに。
体は驚いているものの、体験としては慣れていることだ。振り返って、一度腰を落とす。
「はい、星斗様」
「礼は良い。さっさとこっちに来い」
俺様め、と内心舌打ちをしながらも、声の主である星斗に駆け寄る。
こっちが気を使って距離を取り足を止めたのに、星斗ときたら至極満足げな顔で頭を押さえてきたじゃないか。乱暴に髪を乱される。私は悔しくて唇を噛むしかなかった。その手つきから慰められているのがわかったからだ。
「お前の頭は本当にちょうどよい高さにあるな」
ぐりぐりと遠慮のない調子で撫でてくる手は、あの夜、一人で涙を堪える術を知っているのだなと囁いた彼の言葉と同じ色を含んでいる。
「なんですか。飼動物扱いをするならば、もっと甘い餌をくださいよ。確かな形のもので」
憎まれ口を叩きつつも、動揺が完全に表へ出てしまっている自覚はあった。うわぁぁ、どうしよう。照れているなんてばれたくない。
テンパった私は星斗の手を握っていた。そして、それを高く上げて、ぽいっと地面に向かって投げ捨てた。言葉の通り、投げ捨てた。
我ながら可愛げもないが、どうしてか、目の前の彼に『慰められる』のは気にくわないのだからしょうがない。
「やはり、お前はいい」
「はいはい。意外性のあるおもちゃは面白いですよね。精々、飽きられないように頑張る次第でありますよ」
「お前、本当に皮肉れているな」
さっさと廊下を進み始めれば、星斗の高らかな笑い声が背中を叩いた。
ちらりと振り向けば、腹を抱えて石作りの廊下に蹲っている彼が目の端に映った。表情は長い髪に隠れて見えないが、肩がこれみよがしに揺れている。そして、花穂さんがその肩を掴んで、立たせようとしているときたもんだ。
(この間、来たときは暗い顔をしていたけれど。あれだけ笑えれば大丈夫だろう)
廊下を曲がったところで、ほっと息をついてしまった。口を覆った後、私は安堵した。自分のために。
異世界にきてもまだ自分以外の人のことに感情を動かせる自分がいる、と。
そして、直後にひどく後悔をした。人を指針にしている自分に吐きそうになり、喉元を押さえる。
「おい、朔」
「はいはい、なんですか」
呼ばれて振り向いた先にいた星斗は、なぜだかひどく暖かい眼差しを向けていて――すごく嫌だった。とても嫌だった。
見透かされているようで。だから、私はまた憎まれ口を叩く。
「星斗様、お口に締まりがありませんよ」
「お前はオレの保護者か。そのようなこと、乳母にも言われたことはないぞ」
「それは失礼しました。明後日が何の日はわかっておいでですか。加えると、私は今から最後の『御守り役』の訓練があるので急いでいるのですが」
うんざりと問いかけたところで、どうせまた私が未熟だから気に病むのだと鼻先で笑われるのがオチだろう。それでも、私は自分のもやもやを誤魔化すために敢えて溜息をついた。
なのに――。
「あぁ、そうだな」
よりによって、星斗は静かに呟いただけだった。紫色の瞳は、晴れた空の遠くに向けられている。
自分の浅ましさに恥ずかしくなった。自分の得たいの知れない不安を誤魔化すために、望ちゃんや彼らにとっての大事な日をだしにしてしまった。
「望が後宮に入る日だ」
感情を押し殺した声に耳を塞ぎたくなったのは、羨ましかったからに他ならない。自分の意志で前に進み、かつ、心配してくれる人もいる望ちゃんが。
「望ちゃんは大丈夫ですよ」
それでもなんとかという調子で笑えたのは、望ちゃんの人となりのおかげだ。初めての晩餐の際、彼女は正直に状況を話してくれた。謝ってくれた。友だちとして接してくれる。
その気持ちの中に夢見として私を御守り役にした引け目があるのを知りながら、私はそこに甘えてしまうのだ。
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