第11話 連翹と朔
「それって、ただの地獄ですよね」
「どこがじゃ?」
セクシーゴージャス美女こと
「どこもかしこもですよ! 痛みはほとんど感じないはずなのに、説明もなく指示されるまま痛めつけられる修行つけられるって、私はマゾではないんですけど!」
連翹さんと星斗を前に青ざめている私は悪くない、と思う。それと同時、素直に頷いてしまった数刻前の自分の首を絞めてやりたくなった。
というか、中華風世界なのに地獄とかマゾとか通じるのはファンタジー要素ゆえなのかと、頭の片隅で改めて思った。
「星斗さまも連翹さまも、聞いていますか⁈」
青ざめた私を余所に連翹さまと星斗はお酒を飲みだした。なんでだ。ちなみに図書庫から
賓客室の高そうな椅子を面白ポーズぷらす尻アタックで飛ばした私に、突っ込みを入れてくれる人は誰もいない。なんなの。後ろに控えている侍女さんには表情筋も笑いのツボもないわけ⁉ ってか、それを発動させないような術でもかけられているの?
「お前こそ、先ほどの話をもう忘れてしまったのか。彼女は仙人や仙女が多く生きる北辰国でも最強と謡われる連翹仙女。その名を持つ人物が国の膿を排除する計画に力を貸すなど、面白いと思わぬのか?」
「おやじギャグなんて求めてません! 前頭葉、弱ってませんか⁉」
「言葉遊びだと理解できるようにはなったか。連翹は黄色の花を咲かせる排膿性のある薬草だ」
言葉遊びなんて上品な言い方してない。某五歳児が言ってたもん! おやじギャグを口にしてしまうのは理性を司る脳の一部が弱っているからだって! と鼻息荒くしたところで、突っ込んでくれる人はやはりいない。
私もわかってるよ。今のは、おやじギャグじゃなくって上品で腹黒い知識言葉遊びだって。
もどかしい。こんな時は親友のノゾミが欲しい。聞き逃してほしいとこもしっかり突っ込んでくるノゾミが、今は恋しい……。
「むしろ感謝すべきじゃろ」
連翹さんがたわわな胸を揺らして豊かな髪を払った。この世界の人はみな、ビジュアルが大げさだ。
それよりも全力で『感謝すべき点とは⁉』と顔芸をしてみせるが、美女も星斗もガン無視である。侍女列の端にいる
なので引きつり笑いでも頑張ってみたが、よりダメだったようだ。明陽ちゃんが泣きべそになってしまったから。
「えー、はいはい、ちょっと認識の相違があるんでしょうかね」
一旦冷静になれと額を押えて椅子に腰かけ直す。お茶会用にと着替えさせられた、ずり落ちるヒラヒラ袖は相変わらず着慣れない。
それでも、服のデザインは随分と斬新かつ現代風にアレンジしてもらっているので、これ以上文句は言うまい。それでも制服よりはだいぶ長いけど。
「認識の違いもなにも、おぬしは星斗と望の御守りじゃろ? 鬼門の奥から召喚された者でなければ、この二人の御守りなどなれんし」
「それは理解しています! ただ、それが何故半年間もあらゆる痛みを意図的に経験し、むしろ自分で毒殺やら暗殺方法を学ばないといけないのですか? 必要ないですよね?」
そこなのだ。御守り役とは契約者が受けた傷を代行して受ける存在。けれど、治癒の速度は御守り役の力量によるらしい。つまり、私の仙気ではよほどの傷でなければ、掠り傷程度の衝撃だと聞いている。
ならば、わざわざ痛い目にあう必要はないと思うし、何より痛みに慣れるなんて嫌だ。
「必要ない、か。それこそ、おぬしがマゾと言えよう。鬼門奥の異界人よ」
連翹さんの目が冷たい色を浮かべる。
背筋を冷たいものが駆けていった。なぜか、怒りの部類の感情が垣間見えた気がする。
でも、気圧されてなるものか。机の下で震える手を握り、背を伸ばす。精一杯の虚勢。
「連翹さまがおっしゃるとおり、私は異界人です。それを把握されているにも関わらず、一切の説明もせずに、痛い目にあう修行をするなどとおっしゃるなど――」
怖い。無意識で言葉を切ってしまうほどに、連翹さんの圧迫感は半端ない。
それでも、不思議と目の前の人は非道だとは思えなかった。どうしてだろう。それに、私がむかむかするのは彼女が横柄だからじゃない。
大声を出したからか喉が痛んだ。卓上のグラスに口をつけると、深い甘みが広がった。
「私が納得いかないのは、修行の理由を説明せず、あなた方が私の反応をみて試していることです! こちとら腹を括って、得体のしれない御守り役なんてものを引き受けてるんです。清家のみなさんが優しいのも、私が御守り役だからってわかってるけど! 私は、それでも、嬉しいから!」
果実水が喉元を過ぎると、急に全身が熱くなった。やけに、ふわふわする。
ただの水を飲んだだけなのに、感情が止まらない。
「私だって、頑張りたいんです! 利害関係で、御守り役になったのは否定しません。でも。でも、ちゃんと、わかって、何ができるか、考えたいんです。自己満足で頑張るのは、もう御免なんです。自己満足の頑張りなんて、だれも……私も期待していない! だから、ちゃんと、したいんです!」
星斗と連翹さんが顔を見合わせて、苦笑を浮かべた。
「やはり言葉だけは一人前だな。ならば、修行の意味を話せば納得するということだな」
「当たり前です。私は自分の責務を放棄する気はありません」
御守り役であること。それが、私がここで守ってもらえている理由だもの。
褒めて欲しいとは言わないまでも、普通にしてほしいのに、連翹さんはひどく深い溜息を吐き出した。そして、なんと酒壺ごと持ち上げて豪快に煽った。
「この修行には三者、そして二つの意味があるのじゃ」
連翹さんの低い声が部屋に響く。いつの間にか侍女さんたちは姿を消していた。人払いをするほどに大事な内容なのだと、喉が鳴った。
「三者とは言わずもがな、星斗、
おやと、内心で首を傾げた。連翹さんは星斗側の人間だろうに、私を『擦り付けられる』と表現したものだから。この方は態度から受ける印象よりも傍若無人な性格ではないのかもしれない。
私の視線を感じたのだろう。瞼を落としていた連翹さまが、はっと鼻を鳴らした。私、知っているかもしれない。こんな風に照れ隠しする大事な友人を。誰だったかな。
「おぬしはただの御守り役とは異なる」
「能力的に、ですか?」
「そこではのうてな。おぬしは、大っぴらな手法、そして証拠が残る方法では殺せぬ二人の憑代じゃぞ? 生半可な傷や症状では済まぬ。これは予想ではなく事実じゃ。朔や。おぬし、想像でき得る手段や症状を言うてみ?」
横目で星斗を見るが、暗殺対象の当人である彼は飄々と酒を飲んでいるだけだ。なんならクコの実を放り投げて、うまいなどと笑っているくらいだ。
一瞬で全身から熱が奪われていった。星斗と距離が縮まっていると思っていたが、彼は別世界――ううん、私が想像もつかない日常を送ってきた人だと突きつけられる。
「えっと、毒殺や魔道を使った呪術。窒息とか心肺停止、あとは……成分の過剰摂取により徐々に体を蝕んでいくとか。何にしろ、ぼんやりとした大枠しか思いつきません」
「そうじゃろ? 敵の手の内を学び自衛することにより、御守り役としての幅を広げるのも必要じゃて。おぬしは望の侍女としても後宮に入る。それはつまり、近くで望を守ることも出来るということじゃ。まさか、ただの憑代に甘んじる気はなかろうて」
連翹さんが濃い青色を塗った爪先を突き付けてきた。加えると、すごい早口だった。
連翹さんの言いたいこと。それはつまり、この修行は私が自衛するために望や星斗に危険が及ぶのを未然に防ぐため、そして私が傷を請け負うだけではなく望ちゃんや星斗を手当てできる知識と技術を与えてくれるため、ということで合っているだろうか。
それらは、私自身が単なる憑代だと卑屈にならずにいられる状況に繋がると思えた。ただでさえ、後宮なんて自信ばりばりの女性が集まる魔の巣窟だと想像にたやすいもの。
「連翹さんは、私が後宮についていった後の私自身を考えてくださっているのですか?」
「べっ別におぬし個人を考えて行うのではないぞ! 小娘が陥りそうな思考の迷路など、だれでも容易く予想できるのじゃ!」
自意識過剰とも思えたが、連翹さんの様子から少なくとも嫌味じゃないのはわかった。長い手足を組んで、ちらちらとこっちを見てくる様子は可愛いとしか表現できない。
嬉しくて……心配してもらえるのが嬉しくて、つい口元が緩んでしまう。ただ、私がするべきことは笑うなどいう感情表現ではない。
「ただの人形は嫌です。どうか、私に自分と人を守れるように稽古をつけてください。連翹先生、あなたに私のすべてを委ね、私はあなたのすべてを受け入れます」
席を立ち、床に膝をつく。この世界に来て初めに教えてもらった礼節の姿勢をとる。習った当初は正直ここまでへりくだる必要があるのかと思ったけれど、今なら仕草の意味がわかる。全身全霊をもって、礼を尽くしたいと思った。
連翹さんの片手をとって軽く唇を触れる。が、連翹さんからは何の反応もない。
「あっ、あの、私は何かを間違えていたでしょ――」
焦って顔をあげると、高速で額を突かれた。いでででっ! 連翹さん、やめて!
後ろに倒れそうになった体は、星斗が椅子まで引き上げてくれた。極上椅子に体が落ち着き、すぐ傍にあった杯を煽った。甘い。甘いのに喉が焼ける。
「妾もただの人形に教えることなど何もないわ。覚悟するのじゃ。あと半年、地獄とやらをみることになるのだぞ」
「よっよろしくお願いします! 私は無知でいたくありません! 自己満足な頑張りはもう十分です!」
お父さんを亡くした後に知った虚しい喪失感はもうごめんだ。守られているのに、それを知らない自分はいらない。
連翹さんに詰め寄る。あまりに近かったのだろう。星斗に額を押されて床に尻もちをついてしまった。なぜに星斗が。
「自分が不幸になるのを、己が出来る最高の礼節を持って希う奴も珍しいな」
星斗の笑いに膨れっ面になってしまう。彼との距離を自覚しているはずなのに、どうしてか彼には素顔を見せてしまう。私ばかり、ずるい。
ずるいと拗ねた自分に驚いて、さっと立ち上がり卓上の杯を手に取る。ひどく喉が渇く。
だが、その杯は星斗に奪われてしまった。そのまま、彼は杯の甘い水を全部喉に流し込んでしまったよ。
恨めし気に睨んでやったのに、なぜかご機嫌に笑われた。唇を開く前に、星斗の大きな手から体重をかけられた。おっ重い!
「連翹よ。どうやら、この娘はお前のお眼鏡に叶ったようだな」
うとうと優しいまどろみが襲ってくる。星斗の言葉はぶっきらぼうで人を道具みたいに扱うけれど、彼の触れ方や温度はいつも優しい。今も頭を撫でる星斗の手が眠気を連れてくる。視界がまどろんで、んんーと唸ってしまう。
お父さんにされた時は、まだお父さんと一緒にいたくて瞼を擦っては下手な子守唄を歌われたっけ。笑ってしまって目が覚めた私を、お父さんが抱っこしてお布団に運んでくれた。
随分と前の記憶なのに、今になってどうしてか鮮明に思い出せる。
「おとう、さん。まだ、私、起きてられる、よ」
「くくっ。北辰国一のモテ男が、この状況で父親と間違えられることは、なかなかなかろうて」
「連翹、うるさいぞ。俺らしくもなく、こいつはからかってみたくなるのだよ。互いに取るべき距離を理解していると思えるからな」
頬を思いきり引っ張られたのを感じて、呻き声があがる。眠気が覚めるわけではないけど、もにゃもにゃと口が動く。極悪公子とか罵った気がする。
「ただの
「踏み込む程度など心得ている。朔は聡い。望の友人としても正しくあるだろう」
「ふんっ。星斗はほんにずるい。幼少のころから変わらぬな。あくまでも相手側から物を語る。このような話は、どこまでも己の気持ちで駒を進めぬ」
星斗が息を飲んだのがわかった。
彼は無意識なのだろう。私の頭に乗せられた手がぐっと押し付けられた。眠たくて口は開けないけど、やっとのことで彼の裾を掴んだ。撫でられず、指の腹を数度跳ねるのがやっと。きっと伝わらないだろうな。
「先ほどは流されたが、やはり、この娘は良いな」
遠くなる意識。触れてきたのは、とても冷たい体温。それでも、泣きたくなるほどの優しい触れ方だった。知らないのに、お母さんみたいだって思った。星斗の手ではないから、連翹さんだろう。
知らないのに身近な感覚に思えて、寝返りというか顔を動かしていた。そして、にへりと口元が緩む。やばい、涎が零れそう。
「えぇ、星坊や。胸が痛む程度にはね」
「国政になど興味がなかった仙女が、なぜに表舞台に出てきた」
「興味本位じゃよ。あやつをのさばらせておくのも気に食わなかったしのう。人を騙し、のうのうとしているあやつを、妾は許せないのだよ」
連翹さんの悔しそうな声。私は知っている。あれは、人を憎むというよりは、自分を無力だと悔いるものだ。
髪を滑っていた感触が離れたと思ったら、ぎゅっと手を握られた。加減がない調子に内心『いでででぇえ』と江戸っ子みたいに叫んだ。心の中で。
「星斗は何も知らないくせに、すべてを知っているようで本当に腹立たしいのう。まさかとは思うが、あやつらに我らのことを聞いてなどいないじゃろうな」
声だけで人を殺せると思った。それほど鋭い声だったのだ。連翹さんの呟きは。
私が竦んでしまう声にも、星斗は冷静に――冷酷な笑いを返す。私には見せない面だ。それを守られているなんて思わない。隠していると思えこそ。悔しいなぁ。
「俺はあんたらの事情に興味はないから安心しろ。数十年、いや百年ほど表舞台から姿を消していた仙女が、今さら国政に絡んでくる気になった理由もな。先ほどのは流れで尋ねたまで。俺が欲するのはただの手段だ。駒があればよい」
星斗が鼻を鳴らした。
でも、連翹さんも私もそれは嘘だと思った。わかる。どうしてか、わかるのだ。
望ちゃんと話していても、星斗の人柄は伝ってくる。それが私に適用されるとは思わない。それでも、星斗が完全に私を駒だと考えているなんて、ちゃんちゃらおかしい。例え、望ちゃんが悲しむっていうフィルターがあっても、今の私には十分な優しさだ。
「ほぅ。駒か。おぬしが口にするのは珍しい単語じゃて。しかして、おぬし、ほんに我らの事情を神荼と郁塁に聞いておらなんだか?」
「知らぬ。俺が命令したところであいつらは話すまい。神荼を嵌めて誘導するのは容易だが、郁塁がボロを出すとも思えぬ。あいつらと付き合いが長い連翹の方が、よう知っているだろ」
おや。神荼さんと郁塁さんは、星斗が地方にいた幼少期から知り合いと聞いている。それより長い付き合いなのか。まぁ、おかしくはないか。連翹さんは仙女で年齢不詳だ。二人が幼い頃からの知り合いでもおかしくない。
その夜、私は奇妙な夢を見た。夢の中で、その三人が今と変わらない姿で桃樹園で楽しく言い合いをしていた。私は、ただ笑っていた。コントのようなやり取りを第三者的に見て。
それなのに、あぁ夢が醒めると思った直後、彼らは一斉に私を見た。確かにこちらをみて、苦笑したのだった。
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