―準備期間―

第10話 星斗と朔

「随分と――枯れておるのう」


 艶やかな女性の声で失礼な言葉をかけられた。

 しかし、私に反論する資格はない。だって、実際に清家の図書庫で干からびているところだったから。


********


 鬼門とやらを通って異界に来た私は、寂しいと感じる暇も無いほど忙しい日々を送っている。今朝、何の気なしに目を止めた暦計こよみけいによって初めて三ヵ月が過ぎていたと気がついたくらいだ。

 ちなみに『異世界』ではなく『異界』と表現するのは、こちらの方々の影響だろう。たまに私を指さして『異世界の訪問者』と囁く人がいるものの、大方は『異界の稀人まれびと様』と呼び掛けてくる方が多いのだ。


「っていうか、普通に名前で呼んでくれたら良いのになぁ。望ちゃんと会えない日が続くと、自分の名前を忘れそうになるよ」


 思わず零れた愚痴は、思いのほか部屋に響いてしまった。慌てて口を押え、周囲を見渡す。幸い、相変わらず着慣れないゆったりとした裾の衣擦れが聞こえるほど、清家の図書庫は静かなままだ。

 本で埋め尽くされた空間は、本を傷める日差しを一切招き入れない地下にある。おまけに、最適な室温を保つ高位魔道が施されているらしい。しかも、数ある図書庫の中、ここに足を踏み入れられるのは家人か一部の客人に限られるとのこと。


「元々、嫌いじゃないんだよね。こんな空間。古い紙の匂いと、不思議な重厚な空気」


 まぁ、人と接する度にへこむ毎日の逃げ場所になっているのも、居心地の良さを感じる大きい要因だ。

 自分で考えておきながら、浮かび上がりかけていたテンションが急降下。木製の机に頬をつけるしかない。あぁ、ひんやりとして気持ちがいいなんて現実逃避が連鎖する。


「冷やっこさに知恵熱を癒されている場合じゃないのは、自分が一番わかっているよ! うん!」


 後宮に侍女兼御守じじょけんおまもり役として入るのだから、ある程度のスパルタ教育は私だって覚悟していた。

 私のお父さんはやたら礼儀に厳しかった。普段は優しくて甘い父が、食事や礼節には口酸っぱく注意してきた。友人が鬼婆とお母さんを称するのに同意できる、いやソレ以上の怖さがあった。それでも、時々はうるさいなぁとそっぽを向きながらも、心の底では感謝はしていたのだ。バイト先にもお客さんにも、今時珍しいくらいちゃんとしてるって褒められていたし。

 しかしながら、現代日本育ちの私の『ある程度』は所詮そんな覚悟だったと痛感するのに時間はかからなかった。


「だって、理解できないんだもん。この動作や礼節にどんな意味があるの⁉ って、合理性なさすぎとか、すぐ考えちゃう」


 そう。私は今、お父さんの教育話を口に出すのは憚られる位には打ちのめされている。

 意味なくないか、この決まり事! って、のた打ち回りつつも、ただ私の感覚が現代日本の人間だからというのも理解してしまうからややこしい。伝統を慮る精神は大事。現代では意図を見失っていても、当時は何かしらの意味があったのだろうと考え、完全に突っぱねられない。

 つくづく、私って中途半端だと実感せざるを得ない。


「おい、朔。生きているか?」

「朔はただのしかばねのようだ。返事がない」

「なんだそれは」


 星斗の苦笑がすぐ傍で聞こえた。なおも額を机に擦り付け続ける私の後頭部を、乱暴に撫でてくるおまけ付き。


「屍の割には、知恵熱を出している程には熱が伝わってくるようだが?」

「星斗さまの手と温度差があるせいですよ。というか、私を頑張って温めてくれている体温を吸い上げないでください」

「嫌なら、いつものように妖怪のような速さで良ければよいだろうが」


 私が妖怪なら頑張り僕妖怪しもべようかいだ。思う存分褒めて欲しい。

 もごもごと呟いて、鼻先と口も机とお見合いする。愚痴ってしまった悔しさもさることながら、未だに頭に乗った掌が心地よいなんて思っている自分が情けなかった。星斗の私に対する優しさは望ちゃんついでなのは理解しているのに、甘えてしまいそうになる自分が弱くて嫌いだ。


「妖怪は虎視眈々こしたんたんと復讐の機会を狙っているのです」

「虎視眈々と表現するには、随分と萎びているようだが?」


 星斗は辺境の地から首都に来た当時は厄介者扱いだったらしいが、今や国に重宝されている第三公子だ。その彼が二日に一度清家を訪れるって、どんな暇人だよ。

 そう悪態をつきたいものの、さすがに三ヵ月も見ていればわかってしまうのだ。彼が道楽公子ではない。それでなくとも、望ちゃんをすごく思っている。私には予想もつかない量の書類や仕事をさばいて、清家を訪れているのは耳に入ってくる。


「じゃあ、星斗さまに私がどう見えているかで判断してください」


 突っ伏したまま憎まれ口を叩くと、星斗は小さく笑った。

 うん。それは『俺の思考を動かせというのか、面倒くさいことをやらせる無礼者』って音だよね。その通りだよ。

 それでも、私はこの笑い方が嫌いじゃない。卑屈すぎるかもしれないが、単なる嘲笑ではなく私自身を見たうえでの笑いだとわかるから。


「俺には、魂が迷子なセミの抜け殻のように見えるな」


 セミはこっちにもいるのか、なんて思った。思って、お父さんがいなくなった時を思い出されて目が湿っていく。うるさくてやかましいセミが、私が一人だと知らしめた日。今でも鮮明によみがえってくる感情。

 ってか、セミの抜け殻の戦闘力、強すぎるだろ! 昔は幼女な私によって虫かごに収集されている存在だったくせに!

 星斗にべそられたと悟られたくなくて、ぶぅっと反対側に頭を動かす。


「生きてはいますが、喪屍ゾンビになりかけていますね。三ヵ月たって熟成された喪屍」


 おまけに不気味な動きをしてみる。左腕だけ挙げて、幽霊みたいに揺らす。

 私が異界人として応えられる能力といえば、言語関係だけ。いや、謹んで訂正しよう。そもそも片言でも理解し発語できていたのも奇跡なのだ。そのうえ、吸収と言語化は自分でも驚くほど目覚ましい。文章なんて古語も理解できるほどだもの、チートが足りないなどと文句を言うのはおこがましいだろう。


「お前……語学だけは変に目まぐるしい成長しやがって。俺の嫌味を理解する程度には」


 星斗の呆れた声で冷静になった。

 普通ならここで熱くなるのかな。でも、私は違う。何が違うかって、彼は私を利害関係で保護している人だっていう点だ。あまりにフランクな態度で勘違いしそうになるが、彼は私を生かす契約主だ。意味合い的には、私の命を握っているといっても過言ではない。


「はい。契約主に悪態つけるくらいには。大変申し訳ございません」

「その割には楽しそうだな」


 かしこまって謝罪すると、星斗は眉間にひどい皺を寄せた。しかも表情筋崩壊と言っても良いほど、両口の端を落としているんだもの。公子然としている姿とのギャップが楽しくない訳があるまい。

 ただ、勘違いはしないよう心掛けなければいけない。

 郁塁うつるいさんが言うには、星斗は少なからず私との接触を楽しんでいるらしい。とは言っても『私』が主体ではない。辺境の地では身分関係なく対等な会話をすることが多かったが、宮廷ではそういう訳にもいかない。だから、きっと星斗は私とのやり取りの向こう側に、いつかの幸せな日を視ているのだと思う。


「私が楽しそうに見えるのは、星斗さまの願望ではありませんか?」


 つい、悪態をついてしまう。きっと口元だって醜く歪んでいただろう。

 それでも、親しみを持って接してもらえるのが嬉しいというのは愚かなのだろうか。望ちゃんも清家の家人も親切だけど、どことなく遠慮というか距離は感じる。家事を手伝って仲良くなろう作戦も、最初こそ上手くいっていたはずだった。それが、ある日を境におびえられるようになってしまった。

 神荼しんとさんいわく、私の仙功せんこうとやらが急激に上がって皆が無意識に怖がっているって教えてもらった。神荼さんがフォローしてくれるのは珍しいことだ。余程、私が庭の隅で膝を抱えている姿が哀れだったようだ。


「訂正する。奇妙な笑みを浮かべるな。不気味だぞ。そういや清家の侍女たちが噂していたな。近頃、図書庫に妖怪が現れると。目が合うと引きつり笑いしか出来なくなるようだから、せいぜいお前も気を付けると良い」

「ぶっ、ようっ――!」


 星斗が丹精な鼻先を指先で上げたので、うっかり反応してしまった。くそっ! ちらっとでも視線を動かさなきゃよかった。

 美形公子に面白顔なんてされたら反応しない訳にはいかないじゃないか。

 起き上がって上手く言葉を紡げずに震える私の横に、星斗は乱暴に腰かけた。おまけに机に崩れそうな姿勢でもたれ掛かって欠伸をした。


「眠いのなら――いえ、睡眠をとるべきなのですから、寝台にもぐってくださいよ」


 胸元から香袋を取り出して、星斗の鼻先に乗せる。すっきりとした花の香が広がった。

 香袋はお父さんの趣味だったので、私も一緒に良く作った。高校生になってからは男狙いだとか言われだしたので、親友ののぞみ家族にだけ渡していたっけ。

 こっちに来てからも気分転換と望ちゃんとの交流を兼ねて、清家調達の香草や薬草で作っている。私が作ったものには神気がこもっているらしく、清家の副業展開になりつつあるらしい。星斗や神荼さんたちは渋っていたが、正直ただ飯ぐらいの引け目がある私的には大歓迎だ。星斗監視のもと、数を限って売られていると聞く。


「これは、嗅いだことがない。睡眠導入剤として危険な程に効果がありそうだが、麻薬ではあるまいな」

「まさか。私が適当に調合したものとは言え、基礎薬効は郁塁さんが検証済みです。ちなみに、御守り的に星斗さまのお疲れを分析して調合したので、ほかの人への効果は薄く、販売するには適していません。なんせ、意地悪い言葉の裏も、美形の肌荒れも見抜いた大変に意地が悪い私が、さらなる寝不足の元に作り上げたものですから」


 おそらく星斗は蒸しタオルでさえ疑う人だろう。それは人柄ではなく、立場ゆえだと小娘の私でもわかる。だから拗ねたりも怒ったりもしない。

 確かに最初はなんて失礼な発言をする人だとむかついたりもしたけれど、彼を見ていたらわかる。不遜な態度も失礼な発言も、自分を守るために身についたものであって他意はないのだと。


「そうか」


 星斗は身を起こし、ぽんと香袋を宙に投げた。何度も掌で跳ね上げる。乱暴な!

 いらないなら取り返してやろうかと手を伸ばすが、あっさりとすり抜けていった。


「そうか。俺を見て作ったか。朔、貴様は気味が悪いな」


 空中の香袋を見上げる横顔に見惚れてしまったなんて、言わないし言えない。いや、見惚れたは違うかもしれない。幼子みたいな無邪気な笑顔に、金縛りにあったのだ。一瞬で消えてしまったけれど、確かに私は見た。

 でもさっ⁉ 気味が悪いってひどくない⁈ さすがの私も傷つくんですけども!


「ひどいっ! もう星斗さまには作ってあげない!」

「はっ? なんでだよ。誉め言葉だろうが」

「こっこの小学生男子未満が! どこの世界に気味が悪いってイケメン顔で微笑まれて喜ぶ人間がいるか!」


 涙目で叫ぶが、星斗は相変わらずハテナマークを浮かべている。

 まじか。気味が悪いって誉め言葉とか意味不明なんですけど。私の翻訳が悪いの? 私の脳みそがおかしいの?

 心の中では散々葛藤したものの、最終的には諦めて椅子に腰を落とした。そして、ちーんと音が鳴りそうな様子で面白涙を流すしかない。


「随分と――枯れておるのう」


 そんな私の前に現れたのはゴージャス美女だった。たわわな胸を両腕に乗せた美女は冷たい目を向けてくる。ぱっくりスリットが入ったロングスカートからは、褐色の超絶美脚が覗いている。

 私と言えば、狐系美女を見上げて打ち震えることしか出来なかった。そして、美女は星斗ではなく私の手を取ったのだ。例えるなら名は知らなくとも超絶美女な女優さんと触れ合った感じだ。


「まぁ、良い。今は北辰国最強の仙女である妾が満たしてやる」


 ちりっと熱を感じた。

 思わず離した手を見つめても、狐美女はにんまりと笑っていた。人当たりが良いのに、どこか違和感を覚える笑み。思わず目を逸らして耳たぶを掴んだ。緊張した時にしてしまう仕草だ。

 星斗は興味がないのか、淡々と私と狐系美女の手を取り合って重ねた。

 得体が知れない恐怖が込み上げるが、星斗の顔をつぶすわけにはいかない。


「私は朔と言います。鬼門の奥から来たらしいのですが、望を守れるように頑張りたいです」


 狐美女の手を握り返すが、変な力加減で握られた。そして、舐めまわすような視線。

 とたん、背筋が凍った。

 わかった。いや、再度自覚したのだ。みんなが私を朔としてじゃなくって、御守りって見ているって。


「あっあの。私程度が頑張るっていうレベルじゃないですが、うまく言えないのですが」


 言葉がちゃんと出ない。言いたいことは決まっているのに、馬鹿にされるんじゃないかって怖くなって口が動いてくれない。

 俯いていく頭を星斗が軽く叩いてくる。安堵で文句を口にしそうになり――呑み込んだ。私の目に映っている星斗は『第三公子』としての彼だったから。


「彼女は朔の仙気の師匠。御守り役として本格的な修行に移るということだ」


 私はただ頷くしか出来なかった。

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