第9話 契約と縁
※痛みの表現があります。苦手な方はご注意ください。
肌に感じた冷たさに体が震える。夜になると芯から冷える。まるで真冬みたいに、肌を刺すような気温だ。
暖房などない空間を暖める術はない。人肌以外は。そんな訳で、私はパニック中である。
「あの、星斗さま、ちょっと、待ってくださ、ひゃっ⁉」
この状況は一体。いや、理由は説明されているのだけれど、行為と理解が追い付かないのはしかたがない!
「我慢しろ」
ほのかな灯りだけが頼りな暗い部屋の中、私はベッドの上で上着をめくってお腹を出している。
もっとあり得ないのは、そのお腹に星斗が人差し指を這わせていることだ。私が身じろぎしても、遠慮なしに文字や円を描き続けている。彼の指先を包む唾液はやけに熱い。
「くっくすぐった、いです。あはひゃっ」
「色気がねぇな。そういちいち笑われては、術陣がずれちまうだろ」
はぁと、へそ近くに星斗の吐息がかかる。今度は今までとは違う感覚で、ぞくりと何かが背を走った。
「――っ。星斗さま、口調が、さっきまでと、違う、です」
「公子が猫被っていたって、別段おかしなことではないだろ」
「おかしくないけど、私に、被った猫を脱いで見せるが、不思議ですよ!」
ちょうどへそ下、半円を描くように指が踊り、息が詰まってしまった。喉の奥から声が出そうになり、慌てて口を押える。なんだ、これ。
おかげで上着の裾が落ちてしまい、星斗様が屈めていた背を伸ばした。お腹には、指が触れたまま。
「しっかりと、たくり上げておけ。さっきも説明したが、これは俺と『御守り』であるお前との契約を結ぶ術なんだぞ? 望の後宮入りの日も迫っている。できることは早めにやっておかねぇと」
そうなのだ。望の宮入りの日は半年後らしい。可能な限り早く御守り役である私と望ちゃん、それに星斗様との繋がりを馴染ませておかなくてはならないという。
本来であれば徐々に接触を増やし、互いの仙功に馴染んだ上で術を施すらしい。ただ、私は明日からスパルタで礼儀やこの国の常識を叩きこまれるし、星斗自身も忙しい身ということで、せめて術を先にかけるという話になったのだ。
わかる。理屈はとってもよーく理解できるのだが、なんせ私の脳みそは既に許容量を超えてしまっている。
「……あと少しで終わる。こっからが、大変なんだが」
星斗の耳に心地よい声が、静かな夜に落とされた。神妙な音に驚き、思いのほか上の方まで裾をあげてしまった。寒さに肩が震えた。
「慣れていない仙功が体内に入る。少々痛みが伴う」
「え?」
聞き返したことに返事はない。星斗の指が描いていた円の中心に文字を綴る。何層ものソレが浮かび上がる。密教みたいな文字が煌めいてうごめく。
星斗の指が離れた直後、
「あっ、あぁ! うっ、うぅ」
変なうめき声しかあげられない。苦しい‼
「朔、吐き気はあるか?」
気持ち悪くはないけど、とにかくお腹が痛い。
頭を必死に振り、星斗に応える。
耳元から安堵の息が聞こえてきた。私にとっては、ちっとも安心できる確認ではない。肌の表面から何かが無理やり入ってくるような感覚に、吐き気はなくとも胃がねじれるようだ。
「それは拒絶反応ではなく、俺の仙功を受け入れているが故の痛みだ。辛いだろうが、一度体を起こせるか?」
今度は大きく髪が乱れるほどに頭を振る。とてもじゃないけど、腹を抱えて縮こまっていないと耐えられる気がしない。起き上がるなんて無理すぎる!
脂汗がシーツに染みていく。唇が痺れて、涎がだらしなく垂れている。とてもじゃないが、こんな顔は見せられないと、どこか冷静に考えている自分に腹が立った。
「そうか」
短い言葉を共に、すっと星斗の体温が離れていった。なっなんだい。そんな長い溜息を吐きださなくてもいいじゃない。
文句のひとつでもいってやろうかと、顔をわずかに上げた瞬間。星斗はどさっと音を立てて、私の横に寝転んだ。
驚きに目を開く私にお構いなしに、彼は両腕で私を抱き寄せた。一瞬だけ、星斗が纏う花のような香りに痛みが和らぐ。脱兎のごとく、そんな癒しは逃げていったが。
「ななっ、なんで⁉」
「落ち着け。術陣が馴染むよう、本人が仙功をもって調整しているだけだ」
「よよよよくわからない、けど! 私も、なんか、内側から、せいや! って、出す、踏ん張る、べき⁈」
どもりすぎていたからだろう。星斗は顔を背け、ぷっと噴出した。この公子、普段は無表情鉄仮面っぽいのに、笑いの沸点は低いようだ。幸い、この時ばかりはその調子が痛みを和らげてくれている。でも、いつかちゃんと指摘してやるぞ。
そんな先のことを考えられる位には、落ち着いてきたようだ。今度は、両腕に包まれた。痩せ気味だと思っていたのに、思いのほか逞しい胸板に全身が心臓になっていく。
「大丈夫だ。俺の鼓動にあわせて、呼吸してみろ」
星斗の心音はまるで子守歌みたいだった。とくんとくんと、穏やかに打っている。女として見られていないっていう悔しさなんて、微塵も浮かんでこなかった。あわせて息を整えると、魔法みたいに痛みが引いていった。
もっと、安心が欲しくて胸に擦り寄る。それでも物足りなくて、彼の服を掴んだ。これが、仙功が馴染むという感覚なのだろうか。
「……そこまで、安心するものかよ」
「うん、なんだか、あったかくて、優しくて、眠たい」
星斗の苦々しい口調も気にならない位、一気にまどろみが襲ってきている。それでも、さすがに術中に寝てはいけないと必死に目を擦る。
細い視界の真向かいにいる星斗は、不機嫌そうに瞼を半分落としている。
「ごめんな、さい。寝ちゃいけない、わかってるけど。久しぶりの、眠気で」
一人になってからはずっと、明日がくるから寝なきゃいけないと思っていた。けれど、いつ振りかわからない位に、自然に眠たいのだ。
会ったばかりなのに、不思議と星斗は安心できるし、触れられていても怖くない。ふとすれば、彼を知っているような錯覚にさえ陥る。あり得ないのに。
「悪いが、あと一山越えてくれ。明日は一日自由に過ごせるように計らうから」
額があわされ、星斗から言葉が零される。零れ落ちてきていると、思った。彼の掌は再び、私の腹にあてられていた。
大きくて暖かいと感じたのは数秒だった。じわじわと染み込んできていた体温は、徐々に痛みを呼び起こしていった。
「なっ、なんで⁉ 終わった、ないの?」
「事前に説明しただろう。先程のは、朔と俺の仙功を馴染ませただけだ。契約を結ぶのは、これからが本番だ」
痛みのあまりに忘れていたが、そういえば手順を教えて貰っていた気がする。
まずは、仙功が溜まるという
なぜか男性陣は誰も説明したがらず、望ちゃんがしてくれたっけ。その際、望は『星兄様は、朔が望まない形では行いませんから』と両手を握ってくれた。
「うあぁぁぁ‼」
扉が開かれたのか。先程とは比べ物にならない衝撃が体を襲う。全身の血が沸騰しているみたいだ! 汗腺から血が噴き出していると思う位、体の中の何かが逆流している!
もはや、痛みとか苦しみとかすら理解できない! 自分の中にあるモノが全部外に出てしまう、何かを押し出そうと暴れている!
びくびくとベッドの上で痙攣し続ける体。自分でもどうしようもない。
「本来、男女間の契約ならばもっと楽に流し込み、結びつけることも出来る。穢れなく、恐ろしい目にあったばかりのお前は、きっとその方法を望まないだろうからと避けたが――朔、お前の仙功は俺のソレより遥かに強すぎる!」
円卓の水に手をかけるが、震えるあまり床に落としてしまう。静寂を裂く己の慟哭とガラスが割れる耳障りな音が、部屋に響く。割ってしまった罪悪感と、堪えられない衝動に涙が溢れる。
私、もっと耐えられる人間だと思っていた。我慢できるって、自分を過信していた。だって――お父さんの死さえ、日々の忙しさの中で忘れそうになっていたんだもん。生活、進路、遺品整理、行政手続。
理由をつけて、私は一番忘れたくない存在を忘れそうになっていた。いや、忘れようとしていたのかもしれない。
そうだ。私は、だから大丈夫。震えるまま。顔を上げた先には、私以上に胸を痛めているような星斗がいた。端正な眉をしかめ、苦いモノを飲み込んだような。
「自業自得、なんだ。だから、いいの。私が、自分で、決めたことだもん。星斗さまが、気に病む、必要なんて、なっ――あっあぁ‼」
笑おうとしたのに、私の口からは情けない叫び声しか上がらなかった。さっきまでの比にならない位、皮膚が裂けて筋肉さえ千切れて飛び出しそうだ。
ぐりんと視界がまわって、あぁ気を失うって思った。
「朔、しっかり意識を保て。でないと制御されない仙功に呑まれ、異形の者と成り果ててしまうぞ」
すでに耳にしていたリスクを繰り返されて、失いかけた意識を取り戻す。
思いっきり唇を噛んでやる。力加減がわからなくなっているせいか、口内に血の味が広がっていく。痛感的には体の中を暴れまわる仙功の方がしんどい。それでも、視界がクリアになったのだから効果はあったのだと思う。
「その方法はやめておけ」
さらに開いた口に滑り込んできたのは、星斗の指だった。思いっきり噛んでしまったせいで、自分とは違う味がした。
その瞬間、ふぅっと体の軋みがぴたりと止んだ。ただちにぶり返してくるものの、先ほどよりは呼吸が楽になった。
「だって」
「……口がきけるようになったか。やはり体液を媒体にする術の方が負担は少ないのか。これ以上の時間がかかれば結界が持たないが、朔の仙功を抑える程の血を流すと俺がヤバいな」
何かを口ごもった星斗。はっきりと聞こえはしなかったが、星斗の胸倉を掴んで引き寄せていた。
「誰かの役立つ、どころか、迷惑かけて、死ぬなんて、最悪だ。私は、そんなの、いやだ! 異世界きて、必要とされて、なにも成せずに、消えるなんて、私自身が、許せない!」
「朔、お前はなぜそこまでする。いや、できるのだ」
「私は、ただ」
なんでかなって、私も思った。言葉にできる意味はさっき口にした通りだ。
それでも、単純に考えてみて、痛む体を両腕で抱きしめて笑うしかなかった。間違いなく、獣の目をしているだろう。
「私、ただ、まだ、生きていたいんだ」
星斗が息を飲んだ。
音になって、自覚した。そうだ。私はまだ生きたいって思うから、そのチャンスを掴みたいんだ。異世界に来てまで、生にみっともない。
自分の願いに気が付いて、涙腺が堰を切って涙を流し始めてしまった。熱い。体の中の痛みより、頬を転がる雫の方が熱くて痛い。胸がいっぱいになって、苦しい。
「ならば、許せ」
両頬を引き上げられたと思ったら、星斗は喰らいついてきた。唇を開くように嵌まれた。
熱い。後頭部に添えられた手も、腰を強引に引き寄せる力も。
「ごめんな、さい」
きっと、星斗だって不本意に違いない。彼の口の中にある息を吸って、噛みしめて、頬に手を添えて、申し訳なさに涙が溢れてきた。
自分ばっかりが被害者なんていうつもりはない。私みたいな子ども、相手にするのも嫌かもしれないのに、優しくしてくれる。いっそのこと、陳家の息子みたいに無理やりにされたら恨むこともできたのに。
「なぜ、朔が謝る」
湿りっ気を残して離れた唇。弾んだ彼のそこに指をあてる。さっと離し、私を膝に乗せる彼の両頬を包む。驚くほど冷たい彼の体温に、私の曖昧な熱は自分のモノだけのだと改めて知った。これだけ密着しても変わらない彼の体温が、彼の置かれている立場を表している気がした。
痛みを感じる前に、へらりと笑う。生まれつつあった曖昧なものを心の奥に押しこめて。
「私が、もっと、ちゃんと、うまく、星斗さまの、仙功受け止められていたら、こんなこと、させずに、すんでたから。あっ、でも、その先、いかなくて済むは、褒められることか」
自分の口元をぐっと拭う。ひりっとしたけど、それまでの痛みに比べたらへでもない。
もしかしたら、望ちゃんについて宮入りしたら、映画のスパイみたく複数の相手をさせられるのかな。見知らぬ場所で保護してもらうのだから、彼女の代わりにそれくらい相手はしないといけないのかもね。望みたいに神荼さんや郁塁さん、星斗に愛されている子を守れるならいいかな。
でも、できれば、最初の相手は星斗みたいに意地悪だけど触れ方はすんごく優しい男性だといいなぁ。まぁ、脂ぎったおじさんみたいなのが定番なのかもだけどね。
「だいじょーぶ。私、きっと、がんばれる」
「バカか、お前。さっきも言っただろうが。お前の考えは透けて見えすぎだ」
呆れた声の星斗に、ぎゅっと抱きしめられた。これも星斗の優しさからだろう。
視線が絡み合って嬉しさのあまり微笑んでしまう。熱が絡んでいるって思えた。深い闇色の髪が溶け合って、彼の紫色の瞳だけがやたらと輝いているように見えた。
知らないのに。こんな熱、向けられたことないのに。乾いた吐息が落ちる。彼の唇に視線を奪われる。
見つめあって、どれくらいたっただろうか。どちらともなく距離が曖昧になり、鼻先に触れていた。
「絶対、俺たちがお前を守る。それが、お前を巻き込んだ――俺たちのために覚悟を決めてくれた朔に、俺たちが返せる精一杯の約束だから」
私は頷くのがやっとだった。そのまま俯いた私の頭部に、柔らかいものが触れる。
私はくすぐったいからと言い訳をして、星斗の胸を押し返した。
星斗はしばらく苦虫を嚙み潰したような顔をしていたが、突然、大きなあくびをして私の横に寝転んだ。
「契約は無事に結ばれた。そして、俺は疲れた。今日はこのまま寝る」
「はぁ。どうぞ。私も、もう、起きている無理」
ふわりと柔らかい感触が顎先までかけられた。痛みの反動か、ふわふわ上布団と私の手を握ってくれた体温のせいで瞬時に夢の世界に旅立っていた。無邪気な寝息が可愛いなんて思いながら。
大きくてあったかい手。お父さんの手よりも固い。剣を握っているのだと、そんな手を知りもしないのに思った。
「勘違い、しちゃだめ」
安心する感触なのに、私はすごく悲しかった。切なくなって、鼻をすすった。
だって、星斗が私に温もりをくれるのは、私が御守りだからだ。とても嬉しいはずの言葉も、彼の罪悪感から出ていると理解しているから、優しさが本物だなんて勘違いをしちゃいけない。
翌日、昼過ぎに起きた。
起きる直前まであったと思うぬくもりはなく、一人、広いベッドにいた。眺めた右手には確かに力強い感触が残っていた。乙女じゃないんだからと自分を罵りつつ、つい右手を抱きしめてしまった。ときめきよりも、安心感が大きかった。
「朔が元気でいてくれて良かったですわ」
もりもりと朝食を食べる私に、望ちゃんは確かに契約が成立していると教えてくれた。
ちなみに、卵かけごはんが食べたいと申し出た際に非常に驚かれたが、用意してくれた卵もごはんもとても美味しかった。こんな新鮮で美味しい生卵、食べない方が罪だよ!! ここにいる半年は毎朝出してもらう約束を、厨房の方とできたのは大きい。料理長とわかちあった!
「これから半年間、朔にはこの国の常識だけではなく、御守りとして修業を受けていただくことになるけれど! 辛かったら、すぐに相談してね!」
微妙な面持ちで私の両手を握ってきた望ちゃん。私は、お礼を言いつつも曖昧にしか返せなかった。
彼女の気遣いは、星斗が私にした行為が全て術に纏わることであり、だからこそ、望ちゃんがそれを把握しているが故の気遣いだと知らしめることだったから。
それがなぜだか、無性に胸を締め付けた。優しい人たちの善意を素直に受け止められない自分が、すごく嫌だった。
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